殉死を許してやったのは
慈悲であったかもしれない
――森鴎外(作家)
明治期の文豪が教科書から姿を消す。森鴎外も例にもれない。急逝した知人の遺族が蔵書を整理した。浩瀚な鴎外全集三十八巻の買値は一万円にも満たなかった。部厚い一冊がコーヒー一杯にも値しない。古い時代の作家の凋落ぶりが際立っている。
かつて三島由紀夫は鴎外の文章を絶賛した。自分が書きたい理想の文章だといった。時とともに古びず、いつまでも新鮮でありつづけるだろうと。たしかに簡潔で雄勁な文章は深い味わいがある。時代が変っても、味わいつくすことがない。
鴎外最初期の時代小説『阿部一族』に登場する細川忠利の臨終に、殉死を願い出る家来がおおかった。忠利には次世代を継ぐ嫡子と近習の若者がいる。「老成人らは、もういなくてもよいのである。邪魔になるものである」といって、老いた家来の自死を許した。鴎外の作品が消えていくのを見やるのは、むろん「慈悲」といった問題ではないのを知っておきたいものである。
慈悲であったかもしれない
――森鴎外(作家)
明治期の文豪が教科書から姿を消す。森鴎外も例にもれない。急逝した知人の遺族が蔵書を整理した。浩瀚な鴎外全集三十八巻の買値は一万円にも満たなかった。部厚い一冊がコーヒー一杯にも値しない。古い時代の作家の凋落ぶりが際立っている。
かつて三島由紀夫は鴎外の文章を絶賛した。自分が書きたい理想の文章だといった。時とともに古びず、いつまでも新鮮でありつづけるだろうと。たしかに簡潔で雄勁な文章は深い味わいがある。時代が変っても、味わいつくすことがない。
鴎外最初期の時代小説『阿部一族』に登場する細川忠利の臨終に、殉死を願い出る家来がおおかった。忠利には次世代を継ぐ嫡子と近習の若者がいる。「老成人らは、もういなくてもよいのである。邪魔になるものである」といって、老いた家来の自死を許した。鴎外の作品が消えていくのを見やるのは、むろん「慈悲」といった問題ではないのを知っておきたいものである。
ところで、ある定年を迎えた男性が、いいました。「食って、出して、寝て、それだけ。 この年金財政が、逼迫してるときに、長生きは罪だ」。 「自立した一生、そんなものは、ないんだから、いままで充分、働いたんだから、これからは、自由な時間を充分、楽しんでください」というようなことを、お返し したような記憶がありますが、共同体の中で、いつまでも、年寄りが大事にされ、居場所が確保されている、ということが少なくなった、現代。 この記事を読んで、ふと思いだしました。
定年後に余力があれば、そういうのも、いいかも。 どうせ、人間なんて、ローマ時代から 精神面は、なんにもかわっちゃいない(後退してるかも)。 もしかしたら、灰と消えるかもしれないけど、悪あがきを、細胞の1部分に残してくれる人がいないともかぎらない。