私の結論は、タイトルのとおり、「親は無くとも子は育つ」だ。
なぜこのことについて書きたいかと言うと、
どうも「親の責任」とか「親の育て方」とかいうことや
「親に認めてもらう」とか「親孝行」とか「親子仲良く」とかいうことが
よく聞こえてくるからだ。
そんなもん全部要らん。と言いたい。
※
親の育て方だけで人は決まらない。
ごく幼い頃には、最も近くにいる人、つまり多くの場合は母親の
影響を強く受ける。
まあ、受けるだろうけれど、それが全てではない。
産まれてきた子その人の好みや志というものが有る。
妊娠中にお母さんの食べ物の好みが変わって、
後に生まれた子が育っていった時に、その食べ物が好きだったりするのは、
子どもの好みにお母さんが影響を受ける良い例だと思う。
密な関係なので、影響を与える。
それは、親から子へだけではなく、子から親へも有る。
影響の流れの方向というものは有ると思う。
高いほうから低いほうへ。
という意味では、年齢の高い者から年齢の低い者のほうが流れやすい。
圧力の高いほうから低いほうへ、ということも有る。
より若い者でも、生命力の強い者であれば、年上の者へも影響力を持つ。
※
「育て方を間違った」と、自分の母親に言われたことが有る。
たしか、三十歳も過ぎてこちらもオトナになってからのことだったと記憶している。
そんなオトナでも、オヤにそんなことを言われると、なかなかに傷つく。
「今頃なに言ってんだ」という思いと「いや私は私で成長しているし」という思いと
「育て方だけの結果じゃないわい」という思いと混ぜこぜになった。
※
人がどういう人であるか、ということを知ろうとするとき、
生い立ちから解きほぐそうとする。
世間の目にそういう傾向が有るし、私自身もそういう考えが有る。
けれど、生い立ちだけで決まるほど単純でもない。
※
その人自身が、意識的にも潜在的にも、どのような人間になりたいか、
ということのほうが、育て方や環境を上回って強い要素なのではないか、と思う。
ただ、その人自身の生命力というか、個人としての存在の強さのようなものが
大きければ、それは育て方や環境を上回り、
存在が弱いと、周囲からの影響のほうが強く出るのではないか。
※
近くにいると、影響を受ける。
それは、血の繋がりの有る無しに関わらない。
仲の良い夫婦が妙にそっくりになったりする。
服装や髪型がそっくりの母娘がいたりする。
同居していたらより強く影響を受ける。
親に暴力や暴言を受けたら、なるべく早く離れたほうがいい。
苦しめられるだけでなく、自分自身も影響を受けるということも有り得るからだ。
長くそばにいないほうがいい。
それでも何かの目的のためにそばに居続けるのなら、
少なからぬ影響を受ける覚悟をする必要が有る。
親から離れることを、親不孝であるとか親を捨てるとかいう表現をして、
非難する人もいると思う。
知ったことか。
自分の心身を守るためなら、離れたほうが良いケースも多い。
そういうことを知らない人が、責任の外から非難しているだけだ。
※
友人Kは、
「あんたなんか産まなきゃ良かった」と
母親に言われた。
ただちに離れたほうが良い。
二度と会わなくても良い。
周囲に親戚になんと言われようと、
きょうだいと比較されようと。
※
親の育て方に間違ったものなど無い。
ということと、
親の影響下から早く離れたほうが良い。
ということは、
逆のことに見えるかもしれない。
けれど、
親は無くとも子は育つ。
と言うと、両者が一つにまとまるように思う。
※
親の育て方に間違ったものが有るとしたら、ひとつ、
親の言うことは絶対に正しい、と刷り込むことだと思う。
これは、しつけでも教育でもなく、洗脳にあたる。
「世間の常識」などという物言いも、洗脳にほど近い。
逸脱することは悪いことだ、と言うならば、
教えではなく脅しだろう。
親のもとにいるのが安全だ、などというのも
巧妙な囲い込みであるおそれが有る。
※
どんな親のもとに産まれて育てられても、
人は育つ。
その人はその人の生き方を歩むことができる。
ただ、そのときに、
善良な人の言葉が、困難な状況にある子どもを追い詰める場合が有る。
そんなことがありませんように、
と願ってこんなふうに書いている。
通念に頼らず、
ひとつひとつの状況に応じて、
ものごとを見られるようでいたい。
いたいいたい。
なぜこのことについて書きたいかと言うと、
どうも「親の責任」とか「親の育て方」とかいうことや
「親に認めてもらう」とか「親孝行」とか「親子仲良く」とかいうことが
よく聞こえてくるからだ。
そんなもん全部要らん。と言いたい。
※
親の育て方だけで人は決まらない。
ごく幼い頃には、最も近くにいる人、つまり多くの場合は母親の
影響を強く受ける。
まあ、受けるだろうけれど、それが全てではない。
産まれてきた子その人の好みや志というものが有る。
妊娠中にお母さんの食べ物の好みが変わって、
後に生まれた子が育っていった時に、その食べ物が好きだったりするのは、
子どもの好みにお母さんが影響を受ける良い例だと思う。
密な関係なので、影響を与える。
それは、親から子へだけではなく、子から親へも有る。
影響の流れの方向というものは有ると思う。
高いほうから低いほうへ。
という意味では、年齢の高い者から年齢の低い者のほうが流れやすい。
圧力の高いほうから低いほうへ、ということも有る。
より若い者でも、生命力の強い者であれば、年上の者へも影響力を持つ。
※
「育て方を間違った」と、自分の母親に言われたことが有る。
たしか、三十歳も過ぎてこちらもオトナになってからのことだったと記憶している。
そんなオトナでも、オヤにそんなことを言われると、なかなかに傷つく。
「今頃なに言ってんだ」という思いと「いや私は私で成長しているし」という思いと
「育て方だけの結果じゃないわい」という思いと混ぜこぜになった。
※
人がどういう人であるか、ということを知ろうとするとき、
生い立ちから解きほぐそうとする。
世間の目にそういう傾向が有るし、私自身もそういう考えが有る。
けれど、生い立ちだけで決まるほど単純でもない。
※
その人自身が、意識的にも潜在的にも、どのような人間になりたいか、
ということのほうが、育て方や環境を上回って強い要素なのではないか、と思う。
ただ、その人自身の生命力というか、個人としての存在の強さのようなものが
大きければ、それは育て方や環境を上回り、
存在が弱いと、周囲からの影響のほうが強く出るのではないか。
※
近くにいると、影響を受ける。
それは、血の繋がりの有る無しに関わらない。
仲の良い夫婦が妙にそっくりになったりする。
服装や髪型がそっくりの母娘がいたりする。
同居していたらより強く影響を受ける。
親に暴力や暴言を受けたら、なるべく早く離れたほうがいい。
苦しめられるだけでなく、自分自身も影響を受けるということも有り得るからだ。
長くそばにいないほうがいい。
それでも何かの目的のためにそばに居続けるのなら、
少なからぬ影響を受ける覚悟をする必要が有る。
親から離れることを、親不孝であるとか親を捨てるとかいう表現をして、
非難する人もいると思う。
知ったことか。
自分の心身を守るためなら、離れたほうが良いケースも多い。
そういうことを知らない人が、責任の外から非難しているだけだ。
※
友人Kは、
「あんたなんか産まなきゃ良かった」と
母親に言われた。
ただちに離れたほうが良い。
二度と会わなくても良い。
周囲に親戚になんと言われようと、
きょうだいと比較されようと。
※
親の育て方に間違ったものなど無い。
ということと、
親の影響下から早く離れたほうが良い。
ということは、
逆のことに見えるかもしれない。
けれど、
親は無くとも子は育つ。
と言うと、両者が一つにまとまるように思う。
※
親の育て方に間違ったものが有るとしたら、ひとつ、
親の言うことは絶対に正しい、と刷り込むことだと思う。
これは、しつけでも教育でもなく、洗脳にあたる。
「世間の常識」などという物言いも、洗脳にほど近い。
逸脱することは悪いことだ、と言うならば、
教えではなく脅しだろう。
親のもとにいるのが安全だ、などというのも
巧妙な囲い込みであるおそれが有る。
※
どんな親のもとに産まれて育てられても、
人は育つ。
その人はその人の生き方を歩むことができる。
ただ、そのときに、
善良な人の言葉が、困難な状況にある子どもを追い詰める場合が有る。
そんなことがありませんように、
と願ってこんなふうに書いている。
通念に頼らず、
ひとつひとつの状況に応じて、
ものごとを見られるようでいたい。
いたいいたい。
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