犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
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2夜連続 深大寺みたままつり 盆踊り

2023年07月26日 | 踊る阿呆

今年は久しぶりに盆踊りが開催されている。

暑さがなんとか収まった夕暮れ時に犬の散歩をしていると、
どこからともなく太鼓の音が聞こえてくる。
少し進むと、聞こえてくる方角が変わる。
住宅街で音が反射しているので、なかなか会場がどこだか分からない。

夏だなあ



家からほど近い、深大寺の盆踊りがやっぱり好きだ。

北側は湧き水のある森だし、
会場の四方を水路が流れているので、
とにかく涼しい。
他の会場とは比べものにならない、潤いと涼しさだ。
そのくせなぜか蚊がいない。最高だ。



コロナ禍明けとでも言うか。
例年以上に人出が多かった。

道ばたに小さいテーブルを出して過ごしている家族もいくつか有る。
夜店には何十人と列ができている。



アンパンマンマーチとドラえもん音頭の後に太鼓の交代が有るというアナウンス。
時間が有るので、生ビールを飲む。

8時から子どもたちにお土産が配られる。
櫓の上から、そば組合の兄さんたちがおもちゃを投げる。
水鉄砲だ。

このお土産タイムが過ぎると、会場がだいぶ空く。
だから、
7時半ならいいのになあ。以前は7時半じゃなかったっけなあ。

私はお土産タイムの終わった頃を狙って、踊りに行く。
近所の気軽さだ。



踊りの輪が進んでいく。
輪の外に立っている見物客の中に、知った顔が有る。
我が家の前を犬の散歩で通る知り合いだ。
次の曲から一緒に踊る。



盆踊りは何拍かの振り付けを、曲の間ずっと繰り返す。
例えば炭坑節は13拍、東京音頭は10拍。
ちゃんちきおけさは18拍、大東京音頭は20拍。

もちろん短ければ憶えやすい。
同じ振り付けが一曲の中で何度も繰り替えされるので、
輪の外で見て練習しても、憶えやすい。

また、奇数の拍は右足を前、偶数の拍は左足を前に出すのが基本だ。
だから、下がる時は左足から下がる。
東京音頭は踊り始めでいきなり左足を下げるので、
初心者は踏まれたり踏んだりする。

この基本とおりの炭坑節や東京音頭は簡単。
大東京音頭やちゃんちきおけさは、輪の中心に向く時が有る。

もう一つの基本は、反時計回りということ。
ちゃんちきおけさや花笠音頭は途中で時計回りの部分が有って、
初心者はビビる。





そして、
調布小唄はとにかくやたらと小難しい。
なんたって、48拍有る。
む?シャシャンがシャン、シャシャンがシャン、を入れると52拍か?

反時計回りは守られるが、
途中、その場で右へ4分の3回って、また左回りでもとに戻るという部分が有る。
回りきっちゃいけなくてオタつく。

足は1拍一歩ではなく、たまにちょんちょんと半拍で足を運んだり、
止まったりする。
止まる時も、右足が前なのか左足が前なのか。

部分ごとの振り付けが難しいわけではないのだけれど、
とにかく全体が長いので、憶えきれない。
うろ憶えのまま踊る。

一周が長いので、一曲の間に振り付けが3周しかしない。
やっと憶えかけたか、というところで終わる。

なので、2回続けて掛かったりする。
そんでも憶えられない。
52拍はやり過ぎだよ先生。

いや、多摩川に布を晒す所作などが有って、楽しいですはい。



ちゃんとyou tubeを見て、練習して、
来年は踊れるようにして行きたい。
https://www.youtube.com/watch?v=67Xrw4SMj58



「す~さん」と声を掛けられた。
踊り好きの常連さんの一人だ。
よくご夫婦できれいに踊ってらっしゃる。

「大雨の時に、お世話になりました。」
いや、結局なんのお世話もしていない。
車で来てらっしゃるということで、問題無かったのだ。

10年くらい前だったかもしれない。
深大寺の盆踊りが低迷していた頃だ。
踊りの人数も少ないところへもってきて、
風呂桶をひっくり返したような土砂降り
あれ?それは大袈裟か。そんなに降ったら中止するか。

とにかく、小人数で雨の中を踊って、いくばくかの高揚感が有ったような記憶が有る。



踊り好きの女の子がいた。
最初に見た時は、小学校の2、3年生くらいだったか。
いつも、木の陰でおばあちゃんが見守っていた。

あの雨の日も、一緒に踊った。

考えてみると、今はもう二十歳くらいになっているのだろう。
コロナ禍の数年見ていない。
十代後半の女の子の変わりようったら、
私のようなオッサンにはきっと今、隣で踊っていても気付かないだろう。

会いたいな。
と思っていたら、
いつもの木の下に、おばあちゃんがいる。
おばあちゃんは10年前も既におばあちゃんだったから、
今もおばあちゃんなので、変わり無いのだ。

多分、きっと、あの子のおばあちゃんだ。
ということは、このおばあちゃんの視線の先にあの子がいるだろう。
それが見えなくても、一緒に帰るだろうから、
曲の終わりまで見届ければいいはずだ。

と思っていたが、
なんせ人が多くて。
紙コップを捨てに行くうちに、見失ってしまった。

おばあちゃん、長生きしてね。

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