犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

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メンネの日記 お調子者

2021年08月08日 | メンネの日記
[まえおき] 30年前、ラジオの深夜番組「中島みゆきのオールナイトニッポン」に
「メンネの日記」というコーナーが有った。
言えなかった「ごめんね」にまつわる投稿葉書をみゆきさんが読み、
最後は軽い詫びの言葉「めんね。」で締めくくられる。

ムカシのラジオ番組のコーナーにあやかって、
謝れば良いものをずっと謝りそびれていて気になり続けている事を
ここで書いて謝ってスッキリさせよう。
というつもりで、3年前に新設したカテゴリーだ。

こうすれば書きやすくなるだろう、と思った。
しかし、やってみるとそうでもなく、
やっぱり書きにくい。
事実、3年前に3つくらい書いて、その1年あまり後に1つ書いて、
それから2年近く、このテーマで書いていない。

書けばスッキリするだろう、と思った。
しかし、書けた事に関しても、結局その後もウジウジと思い出す。
今回、久しぶりに「メンネの日記」を書こうと思って、テーマを考えた中の一つは、
確かめてみると既に書いてあったのだ。

なな、何の役にも立っていないではないか?



書き足らんからではないか。
という仮説のもとに、続けてみることにする。



母はよく、幼い私に「ひとのせいにしてはいけない」と言った。

私はひとのせいにするような言い訳をよく言ったのだろうか。
憶えていない。

子どもが何かで怒ったり泣いたりした時に、
「〇〇ちゃんが××したああ!」などと訴えるのは
よく聞くことだ。

もしかすると、母がたしなめていたのは、そういう会話のことではないだろうか。

子どもの気持ちというか、子どもの心の仕組みとして、
それは「ひとのせい」にしているわけではないように思える。
それより、〇〇ちゃんから受けた不当な扱いに対して
自力でやり返すことのできないもどかしさに怒り、泣いているのではないか。

分からん。
私は成長したので、子どもの社会的な心理の働きは
とうに失ってしまった。
と言い切ってみたけれど
失っているんだといいなあ。くらいなもんか。

子どもの気持ちを大人の文脈で受け止めてしまうと、
的外れな助言が出てしまうだろう。



休み時間が終わり授業が始まることを知らせるチャイムが鳴っていた。
教室の後ろのほうでそれに合わせて、友だちと3人で歌っていた。
「キーンコーンカーンコーン」のところに何だったか忘れたが、たとえば
「チャーンポーンチャーンポーン」とかなんとか。
ただそれだけで面白くて楽しくて、
大きな声で繰り返し歌っていた。
チャイムが鳴り止んでもまだ歌っていたのだと思う。
先生に叱られた。
「いつまで騒いでいる!!」

3人とも電撃に打たれたようにキュッと締まった。
先生からの尋問が続いた。
「誰が始めた?」

この時、私は咄嗟に横に立っていたMを指さした。
たしか、実際に歌い始めたのはMだった。
ただ、私ももう一人もすぐにそれに乗っかったし、
いつまでも大声で歌っていたのは3人ともだった。

「じゃあお前はなんで歌っていた?」
私は
「調子に乗りました。」と答えた。

事実だなあ。



歌い始めた者を聞かれた時に咄嗟に友だちを指したのは、
歌い始めた者を先生が問うということは、
先生がそこに問題を感じているからだろう、
自分はそこではないということをはっきりさせたい、と思ったからだ。

要するにちょっとでも自分の罪は軽くしたかった。
それですぐに友だちを指すので、
これは全くのところ卑怯だと思う。



自分が卑怯だったと思うので、40年以上経った今も思い出す。
小学たしか3年生の時のことだったと思う。



話は逸れるが、
この先生の「いつまで歌っているのだ」という問いも
「誰が始めた」という問いも、おかしいと思う。

始業ベルが鳴ったのに歌い続けていることが問題なのである。

「誰が始めたか」ということは、問題の核心ではない。
ベルが鳴っている時点で歌っている3人とも同様にいけない。
「誰が始めた」と問うと、どの「同様さ」が薄まってしまう。

「いつまで」という疑問の形で叱責するのは
言葉の遣い方として良いと私は思わない。

答えられない問いを問うことは、相手を混乱に陥れる。
混乱した者は金縛りに遭ったようになる。
そういう心理学的な分析が有ることを、最近知った。

しかしこの問い方は、とても多く聞かれる。
「なんでちゃんと言わなかったの!!」
「なんでこんなことしたの!!」
そんな複雑な理由や経緯を冷静かつ簡潔に伝えられやしないし、
言葉の調子からは「それはいけないことだ」と責められているのが分かるから、
説明したところで、悪いことを説明するわけなので、
何も言えなくなる。

このように解説しているだけで、脳みその奥のほうがジーンと緊張するようだ。
子どもの頃に感じた、不当さや疑問が、感覚的によみがえる。



さておき、
Mを吊るし上げる形になったことについて、
私は謝らなきゃ。
ここでこうやって書いても何にもならなそうなのは
冒頭で書いたとおりだが。

Mよ、あんときは先生に言いつけるようなことをして、
メンネ。
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