犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

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メンネの日記 四十年篇

2018年06月11日 | メンネの日記
[あらすじ] 30年前「中島みゆきのオールナイトニッポン」を聞いていた。
この際ラジオで謝っちゃおうという「メンネの日記」というコーナーが有った。


「ごめんね。」
言いそびれてしまったこの一言で、投稿葉書は締めくくられる。
みゆきさんがそれを読み代弁してくれる、というわけだ。
丁寧な「御」は気楽に省かれ、「めんね。」という発声に軽くエコーなんか掛けていた。


小学生の頃の話だ。
3年生だったか4年生だったか。
だから、40年前の事になる。

休み時間だったか放課後だったか、教室の後ろで、数人で遊んでいる中、
どんな流れだったかすっかり忘れてしまったが、私はHちゃんの耳の近くで、
「ワッ」と大声を出した。

大声比べをしていたのか、ビックリさせようとしたのか。
Hちゃんはそのままそっち側の耳を手で押さえて、うずくまってしまった。

一緒にいた周囲の女の子たちがHちゃんを取り囲み、口々に「大丈夫?」と言う。
私は思いがけないことになったことと、みんなが取り囲んでいることで、
Hちゃんには近寄れず、どんな様子か分からない。
えれえことになっちまったとオロオロ遠巻きに見るばかりだ。

そのうち、一人が私をなじり出した。
「あやまんなよ。」
その子は日頃Hちゃんと親しく、そしてリーダー格の子だった。



なぜか「ごめんね。」の一言が出ない。
Hちゃんに近付いて謝ればいいのに、近付きがたい。
怒ったリーダーがHちゃんのわきにいて、更に近付きがたい。

その後どうやってその場が終息したか、憶えていない。
みんながHちゃんを保健室に連れて行って、誰もいなくなった隙に帰ったりしたのだろうか。
だとしても翌日、その話になったりしなかったのか。憶えていない。

今なら謝れる。
「めんね。」
いや、
「ごめんね。」



なぜ謝れなかったのだろう。

自分のした事が、予想より大きな結果になってしまった。
「そんなつもりは無かったのに。」という思いで、謝りにくくなっている。

謝る相手はHちゃんなのに、うずくまるHちゃんに近寄れない。
リーダーは「謝れ」と迫ってくる。
一対一で謝れないことで、謝りにくくなっている。



では、なぜ今なら謝れるのか。
一つには、「あんときは悪かったな」と単純に思うからだ。
意図してなかったにしても、自分のやったことの結果なのだ。

あとは、ずいぶん時間が経ったからだ。
私に大声を浴びせられたHちゃんも、その後、耳を使う職業に就いている。
後に遺るほどの事は無かったのだと思う。確かめていないけど。
時間が経ってみると、大したことではなかった、ということになる。



ラジオのコーナーでは、些細な事も、かなりな事も、軽やかに謝る。
そこには「まあ放送できる範囲だし」ということだったり、
「過ぎたことよ」という許しが有った。



今なら謝れるなら、Hちゃんに会った時に謝ればいいではないか。
連絡先も知っているし、住まいが遠いわけではない。

しかし実際は、オトナになってから、何度も会っている。
その時に謝ったら良かったじゃないか。
謝れるかと言うと、これまたやっぱり謝れる気がしない。
あんまり時間が経ち過ぎて、今度は「ずっと気にしてたの?」ということが気にかかる。
やっぱりまだ「小さな事」には思えていないのか。

何にせよ、全て自分の思いだ。



Hちゃん、あんときは、
めんね。

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