犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

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千字文

2017年01月09日 | 書の道は

小学校六年生の時に、楽しい図工の先生が赴任してきた。
縁あって、今でも連絡を取っている。
先生は、いつの間にか書道を始めていて、発表会のたびに葉書をくれる。

数年前、見に行った時には、甲骨千字文を書いていた。
甲骨文字で千字文を、一気に書いたという作品だ。
当時は「へー」だが、今の私にはその意味が分かる。

甲骨文字とは。
なんの知識も無くても、見ていて楽しい。
象形文字から漢字へと一歩踏み出したくらいの文字だ。

そのムカシの中国、今から3000年はムカシの頃のものだ。
何月何日に誰それが何について占った、
ってなことが、動物の肩甲骨などに小さく刻んである。

大体、収穫してよいかとか、出かけても無事かとか、
お祭りをやってよいかとか、おそなえはこれでよいかとか、
天気はよいかとか、そんな問いだ。

千字文(せんじもん)とは。
ひとつとして同じ文字は無いが、四字ごとに韻を踏んで
おぼえやすくなっているという。

漢字の練習のために、組まれたものだ。
梁の武帝(464-549)の命で、周興嗣 (しゅうこうし 470–521) が一晩で作ったと
言い伝えられているが、無茶な伝説だ。

文字は、名書家として当時すでに称えられていた王羲之(おうぎし 303-361)の文字を
拾い集めたということになっている。
無い文字は偏(へん)と旁(つくり)を組み合わせたそうだ。

爾来、書のお手本として使い続けられている。
1500年後の日本でも、かわりない。
ただ、それを甲骨文字でやろう、というのはちょいと曲者だ。

甲骨文字は当時の中国ではすっかり過去のものとして埋もれており、
わざわざそんなもんで書こうってものではなかった。
だから、現代の芸術書道でのものと思って良いだろう。

そもそも、甲骨文字として骨に刻まれた中には無い文字もたくさんあるはずだ。
やっぱりこれも、部品を寄せ集めて文字を作るのだろう。
部品さえ見つからない場合もあるだろう。

そんなときは、甲骨文字のこの形が後にこうなるのだから、
今のこの文字がもしも当時あったらこういう形だっただろう、
というような推測を、研究を重ねた上でやるのだろう。

古典の臨書は謎解きのようである。
と、昨日書いたが、古典どころか古代の文字ともなると、
さらに謎解きの様相が濃くなる。

楽しいだろうな。

梁の武帝と言えば、私が書を始めるきっかけを思い出す。
だるまさんの団扇を作って、切り絵で文字を入れた。
文字は宋の米芾(べいふつ 1051-1107)の書から拾った。

達磨大師(?-?)が梁の武帝に会いに行った時の問答の中から、
「不識(わっかりまっしぇーん)」
という語句を選んだ。

その時は、千字文を作った人とも知らず、
ましてや自分がこんなふうに書くようになるとも思わず、
書けないから紙を切っていた。

http://blog.goo.ne.jp/su-san43/e/fe9eb38fb5dabee9c2acd4c1e3f8b826

書くようになった今、名書を切ったら、それはまた
面白いかもしれない。


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