松田良昭(拉致問題地方議会全国協議会会長、神奈川県議会議員)
■今度の参議院選挙では拉致被害者全員奪還を掲げて戦ってほしい
今回は28都道府県から全出席者61名(43都道府県が加盟)が参加しました。
選挙では、選挙事務所に署名用紙を置き、拉致問題を訴えて勝ち抜いた先生方です。東北の被災3県は11月が選挙になります。私たちは、この拉致問題が解決するまで絶対に訴え続ける。選挙後の新しい体制の中で、新人の方にも入っていただいて、超党派で議員連盟を作って、解決するまで頑張る覚悟です。今度の参議院選挙では是非、トップに拉致問題解決、拉致被害者全員奪還を掲げて戦っていただきたい。
いよいよ微妙な外交問題になってきました。北朝鮮が拉致問題は終わった、と。終わってないんだということを、我々日本人が取り戻すんだということ、ちゃんと返せということを訴えたいと思います。
宜しくお願いいたします。
■救う会全国協議会HP
http://www.sukuukai.jp/
■政府拉致問題HP
http://www.rachi.go.jp/
■警察庁HP
http://www.npa.go.jp/
■特定失踪者問題調査会HP
http://www.chosa-kai.jp/
■北朝鮮人権人道ネットワークfacebook
http://www.facebook.com/nknet2015
■国連の北朝鮮人権調査委員会は2014年2月、北朝鮮帰還事業や拉致問題を含む北朝鮮政府による人権侵害を「人道に対する罪」と認定する最終報告書を発表しました。
<原文>
『Report of the Commission of Inquiry on Human Rights in the Democratic People's Republic of Korea』
https://www.ohchr.org/EN/HRBodies/HRC/CoIDPRK/Pages/ReportoftheCommissionofInquiryDPRK.aspx
<日本語訳>
『北朝鮮における人権に関する国連調査委員会(COI)最終報告書』
https://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/hr_ha/page18_000274.html
《特定失踪者・東 修治さんについて》
◆氏名:東 修治
(あずましゅうじ)
◆失踪年月日:昭和62(1987)年10月
◆生年月日:昭和38(1963)年1月24日
◆性別:男
◆当時の年齢:24歳
◆当時の住所:神奈川県横浜市港南区
◆当時の身分:会社員(病気で休業中)
◆身長:182cm
◆体重:75kg
◆足のサイズ:27.5cm
◆特徴:交通事故により、左手首からひじの間がくの字型に変形している
◆失踪場所:神奈川県横浜市港南区のアパートから
【失踪状況】
昭和63年1月に横浜市内の住居の不動産屋から九州の実家に家賃滞納の連絡があり、家族がアパートを訪ねると突然出て行ったような状態だった。
お金、免許証はなく、車は置いたまま。免許証の更新はされていない。
昭和62年10月頃から胃病のため会社を休業中だった。
家族に送金を依頼する連絡があり送金している。
失踪後家族に無言電話があった。
■福岡県警HP
http://www.police.pref.fukuoka.jp/
《特定失踪者・岩佐寅雄さんについて》
◆氏名:岩佐 寅雄
(いわさとらお)
◆失踪年月日:昭和36(1961)年12月20日
◆生年月日:大正15(1926)年12月8日
◆性別:男
◆当時の年齢:35歳
◆当時の住所:神奈川県鎌倉市材木座
◆当時の身分:魚屋の店員(板前も出来た)
◆宮城県山元町出身
◆身長:170cm
◆体重:70kg
◆血液型:A型
◆特徴:
1)少し前かがみで歩く癖があった
2)スポーツが趣味で、陸上短距離の国体に2度出場している
3)酒は少々飲む
◆失踪場所:神奈川県鎌倉市の材木座海岸
【失踪状況】
勤めていた店の人に黙っていなくなった。
その後、横須賀のいとこが四方八方探し回ったが消息はつかめず。
■宮城県警HP
http://www.police.pref.miyagi.jp/
《特定失踪者・小川雅樹さんについて》
◆氏名:小川 雅樹
(おがわまさき)
◆失踪年月日:平成5(1993)年8月31日
◆生年月日:昭和43(1968)年8月20日
◆性別:男
◆当時の年齢:24歳
◆当時の住所:神奈川県逗子市
◆北海道から戻ったあと、東京都渋谷区幡ヶ谷の知人宅に居候
◆当時の身分:無職。直近の職場は北海道の牧場
◆身長:173cm
◆血液型:B型
◆特徴:乱視のため眼鏡またはコンタクト使用
◆失踪場所:東京都渋谷区幡ヶ谷
【失踪状況】
平成5(1993)年3月、神奈川県内の大学を卒業後、北海道の競走馬を育てる牧場で馬の飼育係として働くため5月に単身北海道に渡り住み込みのアルバイトを始めたが3カ月後の8月下旬、家族に「北海道でのアルバイトを辞めるが家には帰らない」と電話をかけてきた以降、音信不通となった。
家族が北海道の牧場に連絡を取ると8月31日付で牧場を退職していた。
同年11月下旬、都内渋谷区の男性から家族に連絡があり状況を確認した結果、北海道での牧場勤務を辞めた直後に東京まで戻っていたが、神奈川の実家には戻らず都内で知り合った渋谷区の男性宅に数日間、居候した後、荷物を男性宅に残したまま所在不明となっていた。
「荷物はあとで取りに来る」と言って出て行ったまま、行方不明となる。
荷物はサンドバッグの形をした布袋で、中には衣類、写真、小銭しか入っていない財布(中に運転免許証)が入っていた。
また、荷物の中には手帳も残されていた。
失踪後の実家には年に2~3回無言電話がある。
■警視庁HP
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp
■北海道警HP
http://www.police.pref.hokkaido.lg.jp/
《特定失踪者・岡元幸弘さんについて》
◆氏名:岡元 幸弘
(おかもとゆきひろ)
◆失踪年月日:昭和62(1987)年8月31日
◆生年月日:昭和30(1955)年1月14日
◆性別:男
◆当時の年齢:32歳
◆当時の住所:千葉県松戸市
◆当時の身分:ラーメン店店長
◆身長:175cmくらい
◆体重:65kg
◆特徴:釣りが趣味
◆失踪場所:神奈川県横須賀市の東京電力横須賀火力発電所付近
【失踪状況】
失踪前日、釣りに行くと言って千葉県松戸市の家を出たまま、翌日昼の開店時間になっても戻らず。
東電横須賀火力発電所付近で釣りをしているところを目撃されている。
車が残され、同施設の排水口近くの釣り場に釣り道具もそのまま残されていた。
当時営業も順調であり仕事にも張合いを持っていた。
借金もなかった。
失踪時浦賀署でも付近の捜索やヘリコプターでの捜索、海保の海上捜索なども行ったが発見できなかった。
その後ダイバー3人で釣り道具のあった周辺の海底の捜索もしたが何も発見できなかった。
■千葉県警HP
http://www.police.pref.chiba.jp/
《特定失踪者・川満敏弘さんについて》
◆氏名:川満 敏弘
(かわみつとしひろ)
◆失踪年月日:昭和47(1972)年5月
◆生年月日:昭和13(1948)年11月3日
◆性別:男
◆当時の年齢:33歳
◆当時の住所:愛知県名古屋市港区
◆当時の身分:車両メーカーの荷役。その前は神奈川県座間市で自動車メーカーの季節労働者
◆沖縄県城部町出身
◆身長:160cmくらい
◆特徴:
1)痩せ型
2)四角顔
3)浅黒
4)左右いずれかの目頭に切り傷有り
5)世話好きの性格だった
◆失踪場所:大阪府寝屋川市の妹宅を出て
【失踪状況】
妹の出産見舞いで大阪府寝屋川市に来た時は明るかったが、それを最後に失踪した。
季節工の他に名古屋市内で荷役の仕事をしていた。
同じ沖縄出身の人が複数いたが仕事が終わって皆沖縄に帰り、川満さんだけが残った(残った理由は不明)。
愛知県名古屋市か神奈川県で働くと言い残し失踪。
■大阪府警HP
http://www.police.pref.osaka.jp/
■愛知県警HP
http://www.pref.aichi.jp/police/
■沖縄県警HP
http://www.police.pref.okinawa.jp/
《特定失踪者・越川 力さんについて》
◆氏名:越川 力
(こしかわつとむ)
◆失踪年月日:昭和45(1970)年7月19日
◆生年月日:昭和21(1946)年4月18日
◆性別:男
◆当時の年齢:24歳
◆当時の住所:東京都練馬区
◆当時の身分:会社員
◆身長:166cm
◆体重:60kg
◆特徴:両足の指にソバカス模様の点々
◆失踪場所:東京都練馬区のアパート
【失踪状況】
アパートの大家に「海に行ってくる」と言って出ていった後行方不明。
■警視庁HP
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp
《特定失踪者・齋藤正治さんについて》
◆氏名:齋藤 正治
(さいとうしょうじ)
◆失踪年月日:昭和36(1961)年10月1日
◆生年月日:昭和14(1939)年7月10日
◆性別:男
◆当時の年齢:22歳
◆当時の住所:神奈川県逗子市
◆当時の身分:県立高校定時制に在学していて、アルバイトで運輸省湾口技術研究所に勤めていた
◆身長:170cmくらい
◆特徴:内向的な性格
◆失踪場所:神奈川県逗子市
【失踪状況】
定時制高校に通いながら運輸省(現・国土交通省)のアルバイトのような仕事をしていた。
御両親が早く亡くなり、兄弟はそれぞれ住み込みで働いていた。
正治さんと良司さん(弟)は学年は1年違いだが、正治さんが高校に入ったのは1年遅れ。
同級生の女性が弟の勤務先に訪れ、その女性の話によれば「正治さんが学校に来ない。下宿に行っても生活しているそのままの状態だった」とのこと。
当時、良司さんも住み込みで自由に動けなかったので直ぐには下宿に行っていない。
あとで警察には家出人届は出したが見つからなかった。
正治さんは中学校卒業後すぐ3年ほどパン屋に勤めていたが、退職後は母の妹の家(安浦町)に住所を移し、さらに逗子市に転居していたことがわかった。
転居先は住民票を辿ると逗子市で、住所は元横須賀海軍工廠の宿舎。当時は朝鮮半島出身者が500世帯くらい住んでいたが、原因不明の火事(昭和36年頃)で焼失した。
《特定失踪者・齋藤 武さんについて》
◆氏名:齋藤 武
(さいとうたけし)
◆失踪年月日:昭和58(1983)年10月30日
◆生年月日:昭和20(1945)6月14日
◆性別:男
◆当時の年齢:39歳
◆当時の住所:神奈川県横浜市
◆当時の身分:会社員
◆山形県酒田市出身
◆身長:168cm
◆特徴:子供の時、凍傷で左手親指の爪が欠落。
◆失踪場所:神奈川県横浜市
【失踪状況】
昭和60年1月にアパートの大家から家賃未納の手紙が届き、失踪していることが判明した。
家人が会社に問い合わせたところ、昭和59年10月で退職し、以後行方不明であるとのことであった。
失踪者の部屋の様子は衣服にカビが生え、缶詰は錆び付いているなど数年間も住んでいなかったような感じで、荷物もそのままの状況だった。
■山形県警HP
http://www.pref.yamagata.jp/police/
《特定失踪者・笹垣範男さんについて》
◆氏名:笹垣 範男
(ささがきのりお)
◆失踪年月日:平成4(1992)年9月12日
◆生年月日:昭和49(1974)年3月4日
◆性別:男
◆当時の年齢:18歳
◆当時の住所:神奈川県三浦市
◆当時の身分:予備校生(美大志望)
◆身長:168cm
◆体重:58kg
◆血液型:A型
◆特徴:
1)剣道をしていた(2段)
2)利き腕側の胸が厚い
3)歯並びがよい
4)腹部に2mmくらいのほくろ
◆失踪場所:神奈川県三浦市
【失踪状況】
当日、母親が出勤する時(午前9時)には「今日は予備校(横浜市)で絵の授業はないが空いている教室で勉強できるので行くかも」と言っていた。
姉が昼に出かけるときはまだ自宅にいた。
予備校に行ったかどうかは出席をとっていないので不明。
普段と同じ服装、お金も4、5千円しか持っていない。
外出する時に必ず持って出かける鍵は、机の中に残されていた。
朝の雰囲気からはとても家出するようには見えなかった。
いなくなる10日位前から誰かと会っている様子。
いつもは夕方5~6時に帰宅するのが、10~10時半に帰宅する日もあった。
前日、前々日は終電で帰ってきた。
誰と会っていたか聞いても答えなかった。
預金通帳は残っている。
《特定失踪者・佐藤剛生さんについて》
◆氏名:佐藤 剛生
(さとうたけお)
◆失踪年月日:平成9(1997)年7月29日
◆生年月日:昭和46(1971)年11月30日
◆性別:男
◆当時の年齢:25歳
◆当時の住所:千葉県船橋市
◆当時の身分:会社員
◆身長:170cm
◆体重:70kg
◆特徴:
1)体形普通
2)眼鏡使用
3)高校時代水泳
4)高校時代から長距離走に興味を持ち、ミニトライアスロンに出場したこともあり
◆失踪場所:千葉県船橋市のJR駅近く
【失踪状況】
7月28日22時頃、先輩と帰社。
翌29日11時20分頃、出社しないため、会社から寮に寮に電話。
寮の管理人が部屋を見にいったところ、本人は電話中、かなりの長電話だった。
その後本人の姿を見かけた者はいない。
8月1日と4日は会社の先輩グループと登山の計画があり、有給休暇申請済み。
写真が寮に残っていない。
その他持ち出したものは特定できない。
パスポートも後日発見。
仕事上の問題なし。
国外には出ていない、サラ金の借入なし、その他手がかり、痕跡なし。
■千葉県警HP
http://www.police.pref.chiba.jp/
《特定失踪者・渋谷浩邦さんについて》
◆氏名:渋谷 浩邦
(しぶやひろくに)
◆失踪年月日:平成10(1998)年8月4日
◆生年月日:昭和39(1964)年3月1日
◆性別:男
◆当時の年齢:34歳
◆当時の住所:神奈川県厚木市
◆当時の身分:県庁職員
◆身長:168cm
◆特徴:
1)太り気味
2)むち打ちで寒いと痛みが出る
3)趣味は山とスキー、全国の山を登っている
◆失踪場所:長野県白馬山中
【失踪状況】
8月2日、「5日夜か6日の朝に帰宅する」と言い残して長野県白馬に登山に出かける。失踪当日午後1時頃、「大町市の黒部観光ホテルに着いたので、これから山に行く」と電話があった。
白馬山荘に2泊し、4日の朝5時頃1人で出たが、方角は不明。車でホテルまで行き、荷物を預けて、そこからバスで乗ったのをホテルの客が見ている。
5日、ホテルから自宅に電話が入る。
平成11年3月頃までヘリを何回かとばして捜す。車の中には着替えたものがあった。
預金が引き出された形跡なし。
失踪した年の暮れ頃から平成13年まで無言電話や不審な電話あり。
■長野県警HP
http://www.pref.nagano.lg.jp/police/
《特定失踪者・高橋太一さんについて》
◆氏名:高橋 太一
(たかはしたいち)
◆失踪年月日:昭和38(1963)年6月初旬頃
◆生年月日:昭和16(1941)年11月21日
◆性別:男
◆当時の年齢:21歳
◆当時の住所:神奈川県川崎市
◆当時の身分:会社員。元陸上自衛隊員で北海道、青森に勤務
◆身長:165cmくらい
◆体重:60kgくらい
◆特徴:
1)右手首内側、手首より10cmくらい上の位置に大豆粒くらいの大きさのホクロあり
2)喉に手術痕あり
3)趣味は読書・音楽・軟式野球
◆失踪場所:神奈川県川崎市内の下宿先
【失踪状況】
家主から「6月初旬から下宿に帰って来ない」との連絡の葉書がある。
室内は身の回り品を残したまま。
衣類、布団はたたんであった。
免許証や危険物取扱主任者免状、実印等も置いたまま。
元自衛官。
■静岡県警HP
http://www.pref.shizuoka.jp/police/
《特定失踪者・高松康晴さんについて》
◆氏名:高松 康晴
(たかまつやすはる)
◆失踪年月日:昭和36(1961)年11月1日
◆生年月日:昭和16(1941)年3月23日
◆性別:男
◆当時の年齢:20歳
◆当時の住所:神奈川県鎌倉市の寮
◆当時の身分:会社員
◆身長:165cmくらい
◆体重:50kg
◆特徴:
1)痩せ型
2)趣味は尺八
3)どちらかと言えば快活な方
4)高校では化学を勉強した
◆失踪場所:神奈川県鎌倉市の材木座海岸
【失踪状況】
就職が決まり、東京の本社で辞令をもらって鎌倉の寮に入った。
その翌日の夕刻、他の同僚2人と材木座海岸の浜辺へ散歩に出て、3人で話をしているうち、高松さんひとり、そこを離れて行った。
その後、寮にも戻らず。昭和36年12月『週刊読売』で、2週間前に失踪した他の男性とともに記事になっている。
■熊本県警HP
http://www.police.pref.kumamoto.jp/
《特定失踪者・武内 卓さんについて》
◆氏名:武内 卓
(たけうちたかし)
◆失踪年月日:平成8(1996)年1月14日
◆生年月日:昭和32(1957)年1月20日
◆性別:男
◆当時の年齢:38歳
◆当時の住所:神奈川県横浜市鶴見区
◆当時の身分:警備員
◆身長:179cm
◆血液型:O型
◆特徴:
1)痩せ型
2)近視
◆失踪場所:神奈川県愛甲郡清川村丹沢大山国定公園
【失踪状況】
平成7年9月にアメリカより帰国し、同12月1日に横浜市で警備員の仕事に就く。
翌年1月12・13日の連休にレンタカーを借りて出かける。13日夕方に車を返す予定だったが、同日夕方に返却を1日延ばして欲しい旨の連絡がレンタカー会社に入るが翌日になっても戻らず。
14日の夜からは夜勤があった。
レンタカーは神奈川県の丹沢大山国定公園の駐車場で発見され、警察でも山を中心に捜索を行なった。
1月23日朝に勤務先から実家に電話があって失踪したことがわかった。
レンタカーの中には本人のジャンパーと地図、パンなどを食べた包紙があり、ガソリンスタンドのレシートもあった。
14日朝8時、丹沢の山麓のガソリンスタンドで満タンにしている。
■大阪府警HP
http://www.police.pref.osaka.jp/
《特定失踪者・田村正伸さんについて》
◆氏名:田村 正伸
(たむらまさのぶ)
◆失踪年月日:昭和35(1960)年5月
◆生年月日:昭和11(1936)年8月27日
◆性別:男
◆当時の年齢:23歳
◆当時の住所:神奈川県横浜市鶴見区
◆当時の身分:会社員
◆身長:170cm
◆体重:60kgくらい
◆特徴:
1)酒は少々
2)真面目で正義感が強い
3)元自衛官で自衛隊時代はかなりきつい肉体訓練を受けていたとのこと
◆失踪場所:千葉県館山市
【失踪状況】
横浜市の会社に勤務していたが、千葉県館山市にある大手水産会社に転職するため、館山の叔父の家に宿泊し、会社の面接を受けに行った。
その帰りに叔父の家に戻らず、消息不明となった。
横浜市鶴見の下宿先にある身の回りのものは何もなくなっておらず、何の手がかりもつかめなかった。
横浜市の下宿先から、身の回りのものは特になくなっていない。
■千葉県警HP
http://www.police.pref.chiba.jp/
《特定失踪者・寺島佐津子さんについて》
◆氏名:寺島 佐津子
(てらしまさつこ)
◆失踪年月日:昭和54(1979)年8月10日
◆生年月日:昭和35(1960)年7月26日
◆性別:女性
◆当時の年齢:19歳
◆当時の住所:神奈川県横浜市戸塚区
◆当時の身分:銀行員
◆身長:157cmくらい
◆体重:48kgくらい
◆血液型:O型
◆特徴:
1)中肉
2)左鎖骨の上にほくろが2つ並んでいる
◆失踪場所:神奈川県横浜市戸塚区
【失踪状況】
失踪当日、勤務先の支店の親睦会で鎌倉の花火大会に行き、夜10時に現地解散。
同僚と鎌倉駅で別れ、戸塚駅からバスで帰宅途中に行方不明。
翌日、県警は警察犬を使うなど大規模に捜索。
翌日、戸塚区の自宅近くの草むらからセカンドバッグが発見される。
セカンドバッグの中に、財布・キャッシュカード・裁縫道具などが入っていた。
警察犬の捜査でもここまで来たのは間違いない。
《特定失踪者・仲里次弘さんについて》
◆氏名:仲里 次弘
(なかざとつぐひろ)
◆失踪年月日:昭和52(1977)年5月
◆生年月日:昭和25(1950)年11月15日
◆性別:男
◆当時の年齢:26歳
◆当時の住所:関東地方(前々年まで神奈川県横浜市)
◆沖縄県南風原町出身
◆当時の身分:
1)前々年まで日産自動車工場勤務(神奈川県)
2)それ以前は陸上自衛隊大宮駐屯地(埼玉県)などに勤務
◆身長:161cm~162cm
◆特徴:
1)中肉
2)色白
3)髪は直毛で黒い
◆失踪場所:神奈川県から失踪したと思われる
【失踪状況】
陸上自衛隊に入隊し、約2カ年間の訓練を受けたあと、沖縄へ帰郷。
その後自動車工場に3ヶ月の季節労務に就くために再び上京し、契約期間の就労を終えたあと連絡が途絶えた。
昭和52年5月には神奈川県茅ヶ崎市にあった断食道場に20日間いたことがわかっている。
警察に行ったり、全国版新聞での尋ね人の広告を出したり、職業安定所での登録の確認等、東京・神奈川を中心に歩き回るが、手がかりは何一つ見つからない。
沖縄県出身で、集団就職で横浜市の製鉄会社に就職したあと、陸上自衛隊に入隊し、約2年後に除隊。いくつかの職を経て、日産自動車座間工場で季節工として4ヶ月勤務。
その後、昭和52年5月、茅ヶ崎の断食道場に入場したと思われる。平成14年(2002年)8月、沖縄の妹宅に標準語の男の声で「次弘はおばさんの世話で北朝鮮に行った。“ちゅうさん”と呼ばれていた。元気でいると思いますよ」などと早口で話す不審電話が実家にあった。
■沖縄県警HP
http://www.police.pref.okinawa.jp/
■埼玉県警HP
http://www.police.pref.saitama.lg.jp/
《特定失踪者・前上昌輝さんについて》
◆氏名:前上 昌輝
(まえがみまさてる)
◆失踪年月日:昭和52(1977)年10月22日
◆生年月日:昭和32(1957)年7月16日
◆性別:男
◆当時の年齢:20歳
◆当時の住所:京都市左京区北白川
◆当時の身分:大学受験準備中のため無職。直前まで北海道富良野の牧場で働く。
◆身長:173cm
◆特徴:
1)筋肉質の体格
2)大けがのため左目がやや小さい
3)絵画、書道が得意
4)写真に興味がある
◆失踪場所:北海道旭川駅
【失踪状況】
高校卒業後、美大を志望して東京で受験するも失敗。
1浪して地元京都を中心に受験するが再び失敗した。「人生修業のために北海道に行きたい」と言って、4月に京都の自宅を出発し、2ヶ月ほど横浜で当面の資金を稼いで、母に「お金が貯まったので、いよいよ北海道へ行く」と電話をしてきた。
北海道に渡り、道庁で紹介を受けた富良野の牧場で4ヶ月ほど働く。
8月下旬に母に電話で「大学受験を決意した」と話し、9月20日に牧場を退職。
国鉄旭川駅前のホテルに2泊宿泊し、22日午前10時頃、旭川駅の荷物一時預りにザックを預け、「3日間お願いします」と言って出かけたのが最後で行方不明になった。
北海道富良野の牧場を退職し、京都の実家に「お世話になった人たちに会って、京都に帰る」と連絡していたが、以来消息を絶つ。
後に旭川駅の荷物一時預かりにザックを預けていたことが分かる。
同年11月初旬、実家に男性の低い声で「前上昌輝の家の者か」と電話がある。
電話に出た母親が「昌輝のことを知っているお方ですか」と数回叫んだが、それには答えず「また電話する」と言って電話を切った。
以来手がかりは全くない。
平成16年9月28日、京都府警に告発状提出。
■警視庁HP
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp
■京都府警HP
http://www.pref.kyoto.jp/fukei/
■北海道警HP
http://www.police.pref.hokkaido.lg.jp/
■前上昌輝さんの同窓生によるHP
http://www.ja3yaq.ampr.org/%7Ejh3txp/kitashirakawa/maegami.html
《特定失踪者・山形キセさんについて》
◆氏名:山形 キセ
(やまがたきせ)
◆失踪年月日:昭和40(1965)年8月以降
◆生年月日:昭和18(1943)年9月13日
◆性別:女性
◆当時の年齢:21歳~22歳
◆当時の住所:神奈川県川崎市
◆当時の身分:和裁見習
◆身長:159cmくらい
◆特徴:
1)中肉
2)左右に八重歯
◆失踪場所:神奈川県川崎市
【失踪状況】
青森県弘前市の中学卒業後、川崎市で和裁の見習をしていた。
失踪の年の3月に母が青森から上京して一緒に東京見物。
また、8月に姉妹とともに写真を撮ったが、それ以降手紙も写真も届かなくなり、音信不通となった。
■北海道警HP
http://www.police.pref.hokkaido.lg.jp/
■青森県警HP
http://www.police.pref.aomori.jp/
■警視庁HP
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp
《特定失踪者・横山辰夫さんについて》
◆氏名:横山 辰夫
(よこやまたつお)
◆失踪年月日:昭和56(1981)年11月18日以降
◆生年月日:昭和27(1952)年9月6日
◆性別:男
◆当時の年齢:29歳
◆当時の住所:神奈川県横浜市
◆当時の身分:溶接技師で、工場勤務(重機メーカー下請け)
◆特徴:
1)わずかに色弱
2)読書好き
◆失踪場所:神奈川県横浜市
【失踪状況】
本人から長崎の実家に「横須賀の米軍基地内の仕事に就くため、戸籍を送って欲しい」と電話があり(11月18日)、家族が友人宅に戸籍を送った直後に連絡が途絶えてしまい、以後行方不明。
失踪前の11月5日には、父の一周忌のため長崎に帰省していた。
■長崎県警HP
http://www.police.pref.nagasaki.jp/
《特定失踪者・吉田賢光さんについて》
◆氏名:吉田 賢光
(よしだけんこう)
◆失踪年月日:昭和52(1977)年3月12日
◆生年月日:昭和15(1940)年5月2日
◆性別:男
◆当時の年齢:36歳
◆当時の住所:宮城県柴田町の叔父の寺。神奈川県川崎市(前住所)から大阪府大阪市(新住所)へ転居するまでの間の居候
◆当時の身分:無職(前年11月まで東京都港区で団体職員)
◆特徴:小柄で細身
◆特技:
1)特別上手ではないが、スポーツは何でもこなす
2)登山も少しはする
◆失踪場所:東北本線白石駅
【失踪状況】
「大阪へ向かう」と言い、妹が宮城県の白石駅改札口にまで送ったあと不明。
体調不良のため、神奈川県川崎市から次の転居予定地(大阪市)へ向かう前に約3ヶ月間、宮城県柴田町の伯父の寺へ居候。
家族が「墓参りがてら実家である岩手へ帰って来い」と言っても来なかった。
居候先の伯父の話では何か連絡を待っている様子だったと話したと聞いている。
失踪前の住所は神奈川県川崎市。
■宮城県警HP
http://www.police.pref.miyagi.jp/
■岩手県警HP
http://www2.pref.iwate.jp/~hp0802/
■大阪府警HP
http://www.police.pref.osaka.jp/
《特定失踪者・和智 博さんについて》
◆氏名:和智 博
(わちひろし)
◆失踪年月日:昭和52(1977)年
◆生年月日:昭和13(1938)年8月10日
◆性別:男
◆当時の年齢:39歳
◆当時の住所:福岡県朝倉郡朝倉町(現・朝倉市)
◆当時の身分:建設作業員
◆身長:158cmくらい
◆体重:55kgくらい
◆特徴:
1)盲腸炎の傷跡
2)犬歯(左上、プラチナ)
◆失踪場所:福岡市内
【失踪状況】
福岡市内に住む姉が急死したあと、行方不明となる。
当時住み込みで福岡県内の建設作業員として働いていた。
最後に病院に姉を見舞った折に「遠くなるけどお金になるので行きたいと」言い残して失踪。
行き先は不明。
昭和41年~44年まで4年間、広島市内に母と一緒に住んで工員として働いていた。
44年、母の死後福岡市に住んでいた姉のところを数回たずねていたが、姉も52年に死亡。最後に病院に姉を見舞った折に「遠くなるけどお金になるので行きたい」と言い置いてその後行方不明。
■広島県警HP
http://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/police/
■福岡県警HP
http://www.police.pref.fukuoka.jp/
《神奈川県警・静岡県警公開特定失踪者・河嶋功一さんについて》
◆氏名:河嶋 功一
(かわしまこういち)
◆当時の年齢:23歳(昭和57年当時)
◆当時の住所:神奈川県横浜市金沢区
◆当時の職業:無職
◆静岡県浜松市出身
◆身長:167cmくらい
◆体重:60kgくらい
【失踪状況】
昭和57年3月21日、大学卒業に伴う実家(浜松市)への引越しのため、自家用車で迎えに来た両親とともに車で実家に戻る予定でしたが、急きょ電車を利用することになったため両親と別れた後、行方不明となっています。
■静岡県警HP
http://www.pref.shizuoka.jp/police/
■浜松ブルーリボンの会HP
http://www.hamamatsu-blueribbon.org/
【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.
■今度の参議院選挙では拉致被害者全員奪還を掲げて戦ってほしい
今回は28都道府県から全出席者61名(43都道府県が加盟)が参加しました。
選挙では、選挙事務所に署名用紙を置き、拉致問題を訴えて勝ち抜いた先生方です。東北の被災3県は11月が選挙になります。私たちは、この拉致問題が解決するまで絶対に訴え続ける。選挙後の新しい体制の中で、新人の方にも入っていただいて、超党派で議員連盟を作って、解決するまで頑張る覚悟です。今度の参議院選挙では是非、トップに拉致問題解決、拉致被害者全員奪還を掲げて戦っていただきたい。
いよいよ微妙な外交問題になってきました。北朝鮮が拉致問題は終わった、と。終わってないんだということを、我々日本人が取り戻すんだということ、ちゃんと返せということを訴えたいと思います。
宜しくお願いいたします。
■救う会全国協議会HP
http://www.sukuukai.jp/
■政府拉致問題HP
http://www.rachi.go.jp/
■警察庁HP
http://www.npa.go.jp/
■特定失踪者問題調査会HP
http://www.chosa-kai.jp/
■北朝鮮人権人道ネットワークfacebook
http://www.facebook.com/nknet2015
■国連の北朝鮮人権調査委員会は2014年2月、北朝鮮帰還事業や拉致問題を含む北朝鮮政府による人権侵害を「人道に対する罪」と認定する最終報告書を発表しました。
<原文>
『Report of the Commission of Inquiry on Human Rights in the Democratic People's Republic of Korea』
https://www.ohchr.org/EN/HRBodies/HRC/CoIDPRK/Pages/ReportoftheCommissionofInquiryDPRK.aspx
<日本語訳>
『北朝鮮における人権に関する国連調査委員会(COI)最終報告書』
https://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/hr_ha/page18_000274.html
《特定失踪者・東 修治さんについて》
◆氏名:東 修治
(あずましゅうじ)
◆失踪年月日:昭和62(1987)年10月
◆生年月日:昭和38(1963)年1月24日
◆性別:男
◆当時の年齢:24歳
◆当時の住所:神奈川県横浜市港南区
◆当時の身分:会社員(病気で休業中)
◆身長:182cm
◆体重:75kg
◆足のサイズ:27.5cm
◆特徴:交通事故により、左手首からひじの間がくの字型に変形している
◆失踪場所:神奈川県横浜市港南区のアパートから
【失踪状況】
昭和63年1月に横浜市内の住居の不動産屋から九州の実家に家賃滞納の連絡があり、家族がアパートを訪ねると突然出て行ったような状態だった。
お金、免許証はなく、車は置いたまま。免許証の更新はされていない。
昭和62年10月頃から胃病のため会社を休業中だった。
家族に送金を依頼する連絡があり送金している。
失踪後家族に無言電話があった。
■福岡県警HP
http://www.police.pref.fukuoka.jp/
《特定失踪者・岩佐寅雄さんについて》
◆氏名:岩佐 寅雄
(いわさとらお)
◆失踪年月日:昭和36(1961)年12月20日
◆生年月日:大正15(1926)年12月8日
◆性別:男
◆当時の年齢:35歳
◆当時の住所:神奈川県鎌倉市材木座
◆当時の身分:魚屋の店員(板前も出来た)
◆宮城県山元町出身
◆身長:170cm
◆体重:70kg
◆血液型:A型
◆特徴:
1)少し前かがみで歩く癖があった
2)スポーツが趣味で、陸上短距離の国体に2度出場している
3)酒は少々飲む
◆失踪場所:神奈川県鎌倉市の材木座海岸
【失踪状況】
勤めていた店の人に黙っていなくなった。
その後、横須賀のいとこが四方八方探し回ったが消息はつかめず。
■宮城県警HP
http://www.police.pref.miyagi.jp/
《特定失踪者・小川雅樹さんについて》
◆氏名:小川 雅樹
(おがわまさき)
◆失踪年月日:平成5(1993)年8月31日
◆生年月日:昭和43(1968)年8月20日
◆性別:男
◆当時の年齢:24歳
◆当時の住所:神奈川県逗子市
◆北海道から戻ったあと、東京都渋谷区幡ヶ谷の知人宅に居候
◆当時の身分:無職。直近の職場は北海道の牧場
◆身長:173cm
◆血液型:B型
◆特徴:乱視のため眼鏡またはコンタクト使用
◆失踪場所:東京都渋谷区幡ヶ谷
【失踪状況】
平成5(1993)年3月、神奈川県内の大学を卒業後、北海道の競走馬を育てる牧場で馬の飼育係として働くため5月に単身北海道に渡り住み込みのアルバイトを始めたが3カ月後の8月下旬、家族に「北海道でのアルバイトを辞めるが家には帰らない」と電話をかけてきた以降、音信不通となった。
家族が北海道の牧場に連絡を取ると8月31日付で牧場を退職していた。
同年11月下旬、都内渋谷区の男性から家族に連絡があり状況を確認した結果、北海道での牧場勤務を辞めた直後に東京まで戻っていたが、神奈川の実家には戻らず都内で知り合った渋谷区の男性宅に数日間、居候した後、荷物を男性宅に残したまま所在不明となっていた。
「荷物はあとで取りに来る」と言って出て行ったまま、行方不明となる。
荷物はサンドバッグの形をした布袋で、中には衣類、写真、小銭しか入っていない財布(中に運転免許証)が入っていた。
また、荷物の中には手帳も残されていた。
失踪後の実家には年に2~3回無言電話がある。
■警視庁HP
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp
■北海道警HP
http://www.police.pref.hokkaido.lg.jp/
《特定失踪者・岡元幸弘さんについて》
◆氏名:岡元 幸弘
(おかもとゆきひろ)
◆失踪年月日:昭和62(1987)年8月31日
◆生年月日:昭和30(1955)年1月14日
◆性別:男
◆当時の年齢:32歳
◆当時の住所:千葉県松戸市
◆当時の身分:ラーメン店店長
◆身長:175cmくらい
◆体重:65kg
◆特徴:釣りが趣味
◆失踪場所:神奈川県横須賀市の東京電力横須賀火力発電所付近
【失踪状況】
失踪前日、釣りに行くと言って千葉県松戸市の家を出たまま、翌日昼の開店時間になっても戻らず。
東電横須賀火力発電所付近で釣りをしているところを目撃されている。
車が残され、同施設の排水口近くの釣り場に釣り道具もそのまま残されていた。
当時営業も順調であり仕事にも張合いを持っていた。
借金もなかった。
失踪時浦賀署でも付近の捜索やヘリコプターでの捜索、海保の海上捜索なども行ったが発見できなかった。
その後ダイバー3人で釣り道具のあった周辺の海底の捜索もしたが何も発見できなかった。
■千葉県警HP
http://www.police.pref.chiba.jp/
《特定失踪者・川満敏弘さんについて》
◆氏名:川満 敏弘
(かわみつとしひろ)
◆失踪年月日:昭和47(1972)年5月
◆生年月日:昭和13(1948)年11月3日
◆性別:男
◆当時の年齢:33歳
◆当時の住所:愛知県名古屋市港区
◆当時の身分:車両メーカーの荷役。その前は神奈川県座間市で自動車メーカーの季節労働者
◆沖縄県城部町出身
◆身長:160cmくらい
◆特徴:
1)痩せ型
2)四角顔
3)浅黒
4)左右いずれかの目頭に切り傷有り
5)世話好きの性格だった
◆失踪場所:大阪府寝屋川市の妹宅を出て
【失踪状況】
妹の出産見舞いで大阪府寝屋川市に来た時は明るかったが、それを最後に失踪した。
季節工の他に名古屋市内で荷役の仕事をしていた。
同じ沖縄出身の人が複数いたが仕事が終わって皆沖縄に帰り、川満さんだけが残った(残った理由は不明)。
愛知県名古屋市か神奈川県で働くと言い残し失踪。
■大阪府警HP
http://www.police.pref.osaka.jp/
■愛知県警HP
http://www.pref.aichi.jp/police/
■沖縄県警HP
http://www.police.pref.okinawa.jp/
《特定失踪者・越川 力さんについて》
◆氏名:越川 力
(こしかわつとむ)
◆失踪年月日:昭和45(1970)年7月19日
◆生年月日:昭和21(1946)年4月18日
◆性別:男
◆当時の年齢:24歳
◆当時の住所:東京都練馬区
◆当時の身分:会社員
◆身長:166cm
◆体重:60kg
◆特徴:両足の指にソバカス模様の点々
◆失踪場所:東京都練馬区のアパート
【失踪状況】
アパートの大家に「海に行ってくる」と言って出ていった後行方不明。
■警視庁HP
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp
《特定失踪者・齋藤正治さんについて》
◆氏名:齋藤 正治
(さいとうしょうじ)
◆失踪年月日:昭和36(1961)年10月1日
◆生年月日:昭和14(1939)年7月10日
◆性別:男
◆当時の年齢:22歳
◆当時の住所:神奈川県逗子市
◆当時の身分:県立高校定時制に在学していて、アルバイトで運輸省湾口技術研究所に勤めていた
◆身長:170cmくらい
◆特徴:内向的な性格
◆失踪場所:神奈川県逗子市
【失踪状況】
定時制高校に通いながら運輸省(現・国土交通省)のアルバイトのような仕事をしていた。
御両親が早く亡くなり、兄弟はそれぞれ住み込みで働いていた。
正治さんと良司さん(弟)は学年は1年違いだが、正治さんが高校に入ったのは1年遅れ。
同級生の女性が弟の勤務先に訪れ、その女性の話によれば「正治さんが学校に来ない。下宿に行っても生活しているそのままの状態だった」とのこと。
当時、良司さんも住み込みで自由に動けなかったので直ぐには下宿に行っていない。
あとで警察には家出人届は出したが見つからなかった。
正治さんは中学校卒業後すぐ3年ほどパン屋に勤めていたが、退職後は母の妹の家(安浦町)に住所を移し、さらに逗子市に転居していたことがわかった。
転居先は住民票を辿ると逗子市で、住所は元横須賀海軍工廠の宿舎。当時は朝鮮半島出身者が500世帯くらい住んでいたが、原因不明の火事(昭和36年頃)で焼失した。
《特定失踪者・齋藤 武さんについて》
◆氏名:齋藤 武
(さいとうたけし)
◆失踪年月日:昭和58(1983)年10月30日
◆生年月日:昭和20(1945)6月14日
◆性別:男
◆当時の年齢:39歳
◆当時の住所:神奈川県横浜市
◆当時の身分:会社員
◆山形県酒田市出身
◆身長:168cm
◆特徴:子供の時、凍傷で左手親指の爪が欠落。
◆失踪場所:神奈川県横浜市
【失踪状況】
昭和60年1月にアパートの大家から家賃未納の手紙が届き、失踪していることが判明した。
家人が会社に問い合わせたところ、昭和59年10月で退職し、以後行方不明であるとのことであった。
失踪者の部屋の様子は衣服にカビが生え、缶詰は錆び付いているなど数年間も住んでいなかったような感じで、荷物もそのままの状況だった。
■山形県警HP
http://www.pref.yamagata.jp/police/
《特定失踪者・笹垣範男さんについて》
◆氏名:笹垣 範男
(ささがきのりお)
◆失踪年月日:平成4(1992)年9月12日
◆生年月日:昭和49(1974)年3月4日
◆性別:男
◆当時の年齢:18歳
◆当時の住所:神奈川県三浦市
◆当時の身分:予備校生(美大志望)
◆身長:168cm
◆体重:58kg
◆血液型:A型
◆特徴:
1)剣道をしていた(2段)
2)利き腕側の胸が厚い
3)歯並びがよい
4)腹部に2mmくらいのほくろ
◆失踪場所:神奈川県三浦市
【失踪状況】
当日、母親が出勤する時(午前9時)には「今日は予備校(横浜市)で絵の授業はないが空いている教室で勉強できるので行くかも」と言っていた。
姉が昼に出かけるときはまだ自宅にいた。
予備校に行ったかどうかは出席をとっていないので不明。
普段と同じ服装、お金も4、5千円しか持っていない。
外出する時に必ず持って出かける鍵は、机の中に残されていた。
朝の雰囲気からはとても家出するようには見えなかった。
いなくなる10日位前から誰かと会っている様子。
いつもは夕方5~6時に帰宅するのが、10~10時半に帰宅する日もあった。
前日、前々日は終電で帰ってきた。
誰と会っていたか聞いても答えなかった。
預金通帳は残っている。
《特定失踪者・佐藤剛生さんについて》
◆氏名:佐藤 剛生
(さとうたけお)
◆失踪年月日:平成9(1997)年7月29日
◆生年月日:昭和46(1971)年11月30日
◆性別:男
◆当時の年齢:25歳
◆当時の住所:千葉県船橋市
◆当時の身分:会社員
◆身長:170cm
◆体重:70kg
◆特徴:
1)体形普通
2)眼鏡使用
3)高校時代水泳
4)高校時代から長距離走に興味を持ち、ミニトライアスロンに出場したこともあり
◆失踪場所:千葉県船橋市のJR駅近く
【失踪状況】
7月28日22時頃、先輩と帰社。
翌29日11時20分頃、出社しないため、会社から寮に寮に電話。
寮の管理人が部屋を見にいったところ、本人は電話中、かなりの長電話だった。
その後本人の姿を見かけた者はいない。
8月1日と4日は会社の先輩グループと登山の計画があり、有給休暇申請済み。
写真が寮に残っていない。
その他持ち出したものは特定できない。
パスポートも後日発見。
仕事上の問題なし。
国外には出ていない、サラ金の借入なし、その他手がかり、痕跡なし。
■千葉県警HP
http://www.police.pref.chiba.jp/
《特定失踪者・渋谷浩邦さんについて》
◆氏名:渋谷 浩邦
(しぶやひろくに)
◆失踪年月日:平成10(1998)年8月4日
◆生年月日:昭和39(1964)年3月1日
◆性別:男
◆当時の年齢:34歳
◆当時の住所:神奈川県厚木市
◆当時の身分:県庁職員
◆身長:168cm
◆特徴:
1)太り気味
2)むち打ちで寒いと痛みが出る
3)趣味は山とスキー、全国の山を登っている
◆失踪場所:長野県白馬山中
【失踪状況】
8月2日、「5日夜か6日の朝に帰宅する」と言い残して長野県白馬に登山に出かける。失踪当日午後1時頃、「大町市の黒部観光ホテルに着いたので、これから山に行く」と電話があった。
白馬山荘に2泊し、4日の朝5時頃1人で出たが、方角は不明。車でホテルまで行き、荷物を預けて、そこからバスで乗ったのをホテルの客が見ている。
5日、ホテルから自宅に電話が入る。
平成11年3月頃までヘリを何回かとばして捜す。車の中には着替えたものがあった。
預金が引き出された形跡なし。
失踪した年の暮れ頃から平成13年まで無言電話や不審な電話あり。
■長野県警HP
http://www.pref.nagano.lg.jp/police/
《特定失踪者・高橋太一さんについて》
◆氏名:高橋 太一
(たかはしたいち)
◆失踪年月日:昭和38(1963)年6月初旬頃
◆生年月日:昭和16(1941)年11月21日
◆性別:男
◆当時の年齢:21歳
◆当時の住所:神奈川県川崎市
◆当時の身分:会社員。元陸上自衛隊員で北海道、青森に勤務
◆身長:165cmくらい
◆体重:60kgくらい
◆特徴:
1)右手首内側、手首より10cmくらい上の位置に大豆粒くらいの大きさのホクロあり
2)喉に手術痕あり
3)趣味は読書・音楽・軟式野球
◆失踪場所:神奈川県川崎市内の下宿先
【失踪状況】
家主から「6月初旬から下宿に帰って来ない」との連絡の葉書がある。
室内は身の回り品を残したまま。
衣類、布団はたたんであった。
免許証や危険物取扱主任者免状、実印等も置いたまま。
元自衛官。
■静岡県警HP
http://www.pref.shizuoka.jp/police/
《特定失踪者・高松康晴さんについて》
◆氏名:高松 康晴
(たかまつやすはる)
◆失踪年月日:昭和36(1961)年11月1日
◆生年月日:昭和16(1941)年3月23日
◆性別:男
◆当時の年齢:20歳
◆当時の住所:神奈川県鎌倉市の寮
◆当時の身分:会社員
◆身長:165cmくらい
◆体重:50kg
◆特徴:
1)痩せ型
2)趣味は尺八
3)どちらかと言えば快活な方
4)高校では化学を勉強した
◆失踪場所:神奈川県鎌倉市の材木座海岸
【失踪状況】
就職が決まり、東京の本社で辞令をもらって鎌倉の寮に入った。
その翌日の夕刻、他の同僚2人と材木座海岸の浜辺へ散歩に出て、3人で話をしているうち、高松さんひとり、そこを離れて行った。
その後、寮にも戻らず。昭和36年12月『週刊読売』で、2週間前に失踪した他の男性とともに記事になっている。
■熊本県警HP
http://www.police.pref.kumamoto.jp/
《特定失踪者・武内 卓さんについて》
◆氏名:武内 卓
(たけうちたかし)
◆失踪年月日:平成8(1996)年1月14日
◆生年月日:昭和32(1957)年1月20日
◆性別:男
◆当時の年齢:38歳
◆当時の住所:神奈川県横浜市鶴見区
◆当時の身分:警備員
◆身長:179cm
◆血液型:O型
◆特徴:
1)痩せ型
2)近視
◆失踪場所:神奈川県愛甲郡清川村丹沢大山国定公園
【失踪状況】
平成7年9月にアメリカより帰国し、同12月1日に横浜市で警備員の仕事に就く。
翌年1月12・13日の連休にレンタカーを借りて出かける。13日夕方に車を返す予定だったが、同日夕方に返却を1日延ばして欲しい旨の連絡がレンタカー会社に入るが翌日になっても戻らず。
14日の夜からは夜勤があった。
レンタカーは神奈川県の丹沢大山国定公園の駐車場で発見され、警察でも山を中心に捜索を行なった。
1月23日朝に勤務先から実家に電話があって失踪したことがわかった。
レンタカーの中には本人のジャンパーと地図、パンなどを食べた包紙があり、ガソリンスタンドのレシートもあった。
14日朝8時、丹沢の山麓のガソリンスタンドで満タンにしている。
■大阪府警HP
http://www.police.pref.osaka.jp/
《特定失踪者・田村正伸さんについて》
◆氏名:田村 正伸
(たむらまさのぶ)
◆失踪年月日:昭和35(1960)年5月
◆生年月日:昭和11(1936)年8月27日
◆性別:男
◆当時の年齢:23歳
◆当時の住所:神奈川県横浜市鶴見区
◆当時の身分:会社員
◆身長:170cm
◆体重:60kgくらい
◆特徴:
1)酒は少々
2)真面目で正義感が強い
3)元自衛官で自衛隊時代はかなりきつい肉体訓練を受けていたとのこと
◆失踪場所:千葉県館山市
【失踪状況】
横浜市の会社に勤務していたが、千葉県館山市にある大手水産会社に転職するため、館山の叔父の家に宿泊し、会社の面接を受けに行った。
その帰りに叔父の家に戻らず、消息不明となった。
横浜市鶴見の下宿先にある身の回りのものは何もなくなっておらず、何の手がかりもつかめなかった。
横浜市の下宿先から、身の回りのものは特になくなっていない。
■千葉県警HP
http://www.police.pref.chiba.jp/
《特定失踪者・寺島佐津子さんについて》
◆氏名:寺島 佐津子
(てらしまさつこ)
◆失踪年月日:昭和54(1979)年8月10日
◆生年月日:昭和35(1960)年7月26日
◆性別:女性
◆当時の年齢:19歳
◆当時の住所:神奈川県横浜市戸塚区
◆当時の身分:銀行員
◆身長:157cmくらい
◆体重:48kgくらい
◆血液型:O型
◆特徴:
1)中肉
2)左鎖骨の上にほくろが2つ並んでいる
◆失踪場所:神奈川県横浜市戸塚区
【失踪状況】
失踪当日、勤務先の支店の親睦会で鎌倉の花火大会に行き、夜10時に現地解散。
同僚と鎌倉駅で別れ、戸塚駅からバスで帰宅途中に行方不明。
翌日、県警は警察犬を使うなど大規模に捜索。
翌日、戸塚区の自宅近くの草むらからセカンドバッグが発見される。
セカンドバッグの中に、財布・キャッシュカード・裁縫道具などが入っていた。
警察犬の捜査でもここまで来たのは間違いない。
《特定失踪者・仲里次弘さんについて》
◆氏名:仲里 次弘
(なかざとつぐひろ)
◆失踪年月日:昭和52(1977)年5月
◆生年月日:昭和25(1950)年11月15日
◆性別:男
◆当時の年齢:26歳
◆当時の住所:関東地方(前々年まで神奈川県横浜市)
◆沖縄県南風原町出身
◆当時の身分:
1)前々年まで日産自動車工場勤務(神奈川県)
2)それ以前は陸上自衛隊大宮駐屯地(埼玉県)などに勤務
◆身長:161cm~162cm
◆特徴:
1)中肉
2)色白
3)髪は直毛で黒い
◆失踪場所:神奈川県から失踪したと思われる
【失踪状況】
陸上自衛隊に入隊し、約2カ年間の訓練を受けたあと、沖縄へ帰郷。
その後自動車工場に3ヶ月の季節労務に就くために再び上京し、契約期間の就労を終えたあと連絡が途絶えた。
昭和52年5月には神奈川県茅ヶ崎市にあった断食道場に20日間いたことがわかっている。
警察に行ったり、全国版新聞での尋ね人の広告を出したり、職業安定所での登録の確認等、東京・神奈川を中心に歩き回るが、手がかりは何一つ見つからない。
沖縄県出身で、集団就職で横浜市の製鉄会社に就職したあと、陸上自衛隊に入隊し、約2年後に除隊。いくつかの職を経て、日産自動車座間工場で季節工として4ヶ月勤務。
その後、昭和52年5月、茅ヶ崎の断食道場に入場したと思われる。平成14年(2002年)8月、沖縄の妹宅に標準語の男の声で「次弘はおばさんの世話で北朝鮮に行った。“ちゅうさん”と呼ばれていた。元気でいると思いますよ」などと早口で話す不審電話が実家にあった。
■沖縄県警HP
http://www.police.pref.okinawa.jp/
■埼玉県警HP
http://www.police.pref.saitama.lg.jp/
《特定失踪者・前上昌輝さんについて》
◆氏名:前上 昌輝
(まえがみまさてる)
◆失踪年月日:昭和52(1977)年10月22日
◆生年月日:昭和32(1957)年7月16日
◆性別:男
◆当時の年齢:20歳
◆当時の住所:京都市左京区北白川
◆当時の身分:大学受験準備中のため無職。直前まで北海道富良野の牧場で働く。
◆身長:173cm
◆特徴:
1)筋肉質の体格
2)大けがのため左目がやや小さい
3)絵画、書道が得意
4)写真に興味がある
◆失踪場所:北海道旭川駅
【失踪状況】
高校卒業後、美大を志望して東京で受験するも失敗。
1浪して地元京都を中心に受験するが再び失敗した。「人生修業のために北海道に行きたい」と言って、4月に京都の自宅を出発し、2ヶ月ほど横浜で当面の資金を稼いで、母に「お金が貯まったので、いよいよ北海道へ行く」と電話をしてきた。
北海道に渡り、道庁で紹介を受けた富良野の牧場で4ヶ月ほど働く。
8月下旬に母に電話で「大学受験を決意した」と話し、9月20日に牧場を退職。
国鉄旭川駅前のホテルに2泊宿泊し、22日午前10時頃、旭川駅の荷物一時預りにザックを預け、「3日間お願いします」と言って出かけたのが最後で行方不明になった。
北海道富良野の牧場を退職し、京都の実家に「お世話になった人たちに会って、京都に帰る」と連絡していたが、以来消息を絶つ。
後に旭川駅の荷物一時預かりにザックを預けていたことが分かる。
同年11月初旬、実家に男性の低い声で「前上昌輝の家の者か」と電話がある。
電話に出た母親が「昌輝のことを知っているお方ですか」と数回叫んだが、それには答えず「また電話する」と言って電話を切った。
以来手がかりは全くない。
平成16年9月28日、京都府警に告発状提出。
■警視庁HP
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp
■京都府警HP
http://www.pref.kyoto.jp/fukei/
■北海道警HP
http://www.police.pref.hokkaido.lg.jp/
■前上昌輝さんの同窓生によるHP
http://www.ja3yaq.ampr.org/%7Ejh3txp/kitashirakawa/maegami.html
《特定失踪者・山形キセさんについて》
◆氏名:山形 キセ
(やまがたきせ)
◆失踪年月日:昭和40(1965)年8月以降
◆生年月日:昭和18(1943)年9月13日
◆性別:女性
◆当時の年齢:21歳~22歳
◆当時の住所:神奈川県川崎市
◆当時の身分:和裁見習
◆身長:159cmくらい
◆特徴:
1)中肉
2)左右に八重歯
◆失踪場所:神奈川県川崎市
【失踪状況】
青森県弘前市の中学卒業後、川崎市で和裁の見習をしていた。
失踪の年の3月に母が青森から上京して一緒に東京見物。
また、8月に姉妹とともに写真を撮ったが、それ以降手紙も写真も届かなくなり、音信不通となった。
■北海道警HP
http://www.police.pref.hokkaido.lg.jp/
■青森県警HP
http://www.police.pref.aomori.jp/
■警視庁HP
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp
《特定失踪者・横山辰夫さんについて》
◆氏名:横山 辰夫
(よこやまたつお)
◆失踪年月日:昭和56(1981)年11月18日以降
◆生年月日:昭和27(1952)年9月6日
◆性別:男
◆当時の年齢:29歳
◆当時の住所:神奈川県横浜市
◆当時の身分:溶接技師で、工場勤務(重機メーカー下請け)
◆特徴:
1)わずかに色弱
2)読書好き
◆失踪場所:神奈川県横浜市
【失踪状況】
本人から長崎の実家に「横須賀の米軍基地内の仕事に就くため、戸籍を送って欲しい」と電話があり(11月18日)、家族が友人宅に戸籍を送った直後に連絡が途絶えてしまい、以後行方不明。
失踪前の11月5日には、父の一周忌のため長崎に帰省していた。
■長崎県警HP
http://www.police.pref.nagasaki.jp/
《特定失踪者・吉田賢光さんについて》
◆氏名:吉田 賢光
(よしだけんこう)
◆失踪年月日:昭和52(1977)年3月12日
◆生年月日:昭和15(1940)年5月2日
◆性別:男
◆当時の年齢:36歳
◆当時の住所:宮城県柴田町の叔父の寺。神奈川県川崎市(前住所)から大阪府大阪市(新住所)へ転居するまでの間の居候
◆当時の身分:無職(前年11月まで東京都港区で団体職員)
◆特徴:小柄で細身
◆特技:
1)特別上手ではないが、スポーツは何でもこなす
2)登山も少しはする
◆失踪場所:東北本線白石駅
【失踪状況】
「大阪へ向かう」と言い、妹が宮城県の白石駅改札口にまで送ったあと不明。
体調不良のため、神奈川県川崎市から次の転居予定地(大阪市)へ向かう前に約3ヶ月間、宮城県柴田町の伯父の寺へ居候。
家族が「墓参りがてら実家である岩手へ帰って来い」と言っても来なかった。
居候先の伯父の話では何か連絡を待っている様子だったと話したと聞いている。
失踪前の住所は神奈川県川崎市。
■宮城県警HP
http://www.police.pref.miyagi.jp/
■岩手県警HP
http://www2.pref.iwate.jp/~hp0802/
■大阪府警HP
http://www.police.pref.osaka.jp/
《特定失踪者・和智 博さんについて》
◆氏名:和智 博
(わちひろし)
◆失踪年月日:昭和52(1977)年
◆生年月日:昭和13(1938)年8月10日
◆性別:男
◆当時の年齢:39歳
◆当時の住所:福岡県朝倉郡朝倉町(現・朝倉市)
◆当時の身分:建設作業員
◆身長:158cmくらい
◆体重:55kgくらい
◆特徴:
1)盲腸炎の傷跡
2)犬歯(左上、プラチナ)
◆失踪場所:福岡市内
【失踪状況】
福岡市内に住む姉が急死したあと、行方不明となる。
当時住み込みで福岡県内の建設作業員として働いていた。
最後に病院に姉を見舞った折に「遠くなるけどお金になるので行きたいと」言い残して失踪。
行き先は不明。
昭和41年~44年まで4年間、広島市内に母と一緒に住んで工員として働いていた。
44年、母の死後福岡市に住んでいた姉のところを数回たずねていたが、姉も52年に死亡。最後に病院に姉を見舞った折に「遠くなるけどお金になるので行きたい」と言い置いてその後行方不明。
■広島県警HP
http://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/police/
■福岡県警HP
http://www.police.pref.fukuoka.jp/
《神奈川県警・静岡県警公開特定失踪者・河嶋功一さんについて》
◆氏名:河嶋 功一
(かわしまこういち)
◆当時の年齢:23歳(昭和57年当時)
◆当時の住所:神奈川県横浜市金沢区
◆当時の職業:無職
◆静岡県浜松市出身
◆身長:167cmくらい
◆体重:60kgくらい
【失踪状況】
昭和57年3月21日、大学卒業に伴う実家(浜松市)への引越しのため、自家用車で迎えに来た両親とともに車で実家に戻る予定でしたが、急きょ電車を利用することになったため両親と別れた後、行方不明となっています。
■静岡県警HP
http://www.pref.shizuoka.jp/police/
■浜松ブルーリボンの会HP
http://www.hamamatsu-blueribbon.org/
【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.