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【みんな生きている】鹿児島県特定失踪者編/KKB

2014-02-01 19:24:29 | 日記
北朝鮮による拉致の可能性が否定できない特定失踪者に関する現地調査が鹿児島県西之表市でありました。現地調査は特定失踪者問題調査会が行ったものです。
対象となった失踪者のひとりは現在73歳になる西之表市の漁師で、1996年に港からひとりで漁に出て行方不明になり、漁船だけが発見されました。調査会は当時を知る男性の同僚らから聞き取りを行いました。
一方、現在55歳となる日高満男さんは1989年に十島村の諏訪之瀬島周辺で操業中に失踪しました。調査では日高さんの姉と妻が失踪当時の状況を説明し、北朝鮮向けの短波ラジオ放送のメッセージも収録しました。また、調査会は屋久島に入り失踪した2人の調査を行いました。

《特定失踪者・羽生弘行さんについて》
◆氏名:羽生 弘行
(はぶひろゆき)
◆失踪年月日:昭和30(1955)年10月23日
◆生年月日:大正6(1917)年11月5日
◆性別:男
◆当時の年齢:38歳
◆当時の住所:鹿児島県熊毛郡屋久島町
◆身長:165cm
◆特徴:左眼の視力なし
◆当時の身分:半農半漁
◆失踪場所:鹿児島県熊毛郡屋久町

【失踪状況】
屋久島の栗生川の船着場から漁船で海上へ出たあと、他の乗組員4名とともに行方不明。

《特定失踪者・日高満男さんについて》
◆氏名:日高 満男
(ひだかみつお)
◆失踪年月日:平成元(1989)年2月23日
◆生年月日:昭和33(1958)年8月16日
◆性別:男
◆当時の年齢:30歳
◆当時の住所:鹿児島県三島村
◆身長:171cm
◆当時の身分:港湾土木作業員
◆失踪場所:鹿児島県鹿児島郡十島村諏訪瀬島周辺海域

【失踪状況】
漁船大昭丸に1人で乗り込み、元浦港南西漁場で操業。
午後2時頃他の漁船に目撃されているのが最後。
日没後も帰港しないので諏訪瀬島の漁船、海保巡視船、航空機による捜索を行った。
翌24日諏訪瀬島切石港沖合で無人のまま漂流している船を発見。
船は燃料切れだったが、トローリングをしていた状態で糸も垂れたままだった。
不明となった1~2年後無言電話あり。毎日深夜12~1時、1カ月くらい続く。無言だが無線(モールス)のような音が聞こえた。
その日出漁したのは15~16隻。

《特定失踪者・加藤義美さんについて》
◆氏名:加藤 義美
(かとうよしみ)
◆失踪年月日:平成7(1995)年2月15日
◆生年月日:昭和18(1943)年11月22日
◆性別:男
◆当時の年齢:50歳
◆当時の住所:鹿児島県鹿児島市喜入町
◆当時の身分:船員
◆身長:164cm
◆体重:56kg
◆特徴:歩行時に左足を引きずる
◆失踪当時の服装:グレーの作業ズボン、グレーのハイネック
◆失踪場所:鹿児島県熊毛郡上屋久町宮之浦港

【失踪状況】
港湾工事のため、屋久島に作業台船で来ていた。
2月14日午後7時30分頃から船内で焼酎1~2杯を飲み、午後8時前、他の船員3名と4人で宮の浦のスナックで午後10時頃まで飲む。
本人が酒に酔ったため、午後11時頃仲間の1人がタクシーで船まで送る。
本人が岸壁から船へかけてある木の橋を渡って船に入るところまで見届けられたのが最後。
翌朝午前8時頃、本人が起きてこないので、部屋を見たが部屋にいなかった。
1階食堂に本人が外出時来ていたジャンパーと履いていた靴だけが残っていた。

【荒木和博調査会代表による加藤義美さん失踪についての解説】
今回の調査で疑問が一つ持ち上がりました。
それは、なぜ警察はこれを事件ととらえなかったのだろうか?ということです。
加藤さんは泊まっていた作業台船から宮之浦の市街に同僚と飲みに行き、その後途中で別れてタクシーで港に戻ったのは確認されているものの、朝8時に同僚が気付いたときには船にいなかったということでした。船の居室には財布の入ったジャンパーと靴が残されていたと言います。
いないことが分かった3時間後には奥さんの名前で屋久島警察に捜索願が出されており、その後警察・消防団・潜水作業員などによる捜索が行われています。
現場に行くと分かりますが、ここで誤って足を滑らせておぼれたとしても、外海に出ることはほとんど考えられません。海は澄んでおり、遺体でもあればすぐに見つかると思いますが、捜索では遺留品一つ見つかっていません。
しかもジャンパーと靴だけが船内にあったということですから、船に戻ったと偽装した線も考えられます。加藤さんは酒が強く、周りを引き留めても飲むようなタイプだったとのこと。その加藤さんが自分から先に戻るというのも不思議です。当然事件という可能性は考慮されてしかるべき(北朝鮮による拉致でなかったとしても)なのですがなぜそうなっていないのか不思議です。
海に落ちたのでないとすると加藤さんはどこに行ったのか?
今回の調査でもまだこれから調べなければならないことがいくつも出てきています。

《鹿児島県警公開特定失踪者・久美田ちり子さんについて》
◆氏名:久美田 ちり子
(くみたちりこ)
◆当時の年齢:15歳(昭和46年当時)
◆当時の住所:神奈川県川崎市
◆職業:無職
◆身長:150cm
◆特徴:中肉で丸顔

【失踪状況】
昭和46年8月、親族5人と一緒に神奈川県川崎市にある銭湯に行き、親族より先に風呂から上がった後、行方不明となっています。

《鹿児島県警公開特定失踪者・上野照義さんについて》
◆氏名:上野 照義
(うえのてるよし)
◆当時の年齢:21歳(昭和47年当時)
◆当時の住所:鹿児島県南さつま市
◆職業:元船員
◆身長:171cm
◆体重:62kg
◆特徴:
1)中肉(筋肉質)
2)眼鏡無し
3)短髪

【失踪状況】
昭和47年7月29日、自動車運搬船の操機員として定期ドックで山口県下関港に入港した際、下関彦島の寿司屋で同僚と飲食後、帰船せず行方不明となっています。

《鹿児島県警公開特定失踪者・春成健三さんについて》
◆氏名:春成 健三
(はるなりけんぞう)
◆当時の年齢:32歳(昭和49年当時)
◆当時の住所:宮城県仙台市
◆職業:元会社員
◆身長:168cm
◆体重:58kg
◆特徴:
1)眼鏡使用
2)短髪のオールバック

【失踪状況】
昭和49年2月10日ころ、稼働先の宮城県仙台市所在の設計事務所に出社せず、行方不明となっています。

《鹿児島県警公開特定失踪者・山田國男さんについて》
◆氏名:山田 國男
(やまだくにお)
◆当時の年齢:33歳(昭和52年当時)
◆当時の住所:鹿児島県鹿児島市高麗町
◆職業:元紬加工職人
◆身長160~170cm
◆特徴:
1)やせ型、細目
2)こめかみ付近に化膿痕

【失踪状況】
昭和52年8月25日ころ、自宅から自転車に乗って出掛けたまま行方不明となっています。

《鹿児島県警公開特定失踪者・木原創八郎さんについて》
◆氏名:木原 創八郎
(きはらそうはちろう)
◆当時の年齢:29歳(昭和56年当時)
◆当時の住所:北海道紋別郡丸瀬布町
◆職業:元ひな鑑別師
◆身長177cm
◆特徴:
1)やせ型で短髪
2)盲腸手術痕
3)黒色ダブルコート

【失踪状況】
昭和56年12月「ひなの雌雄鑑定士の外国資格習得」のためノルウェーで研修中、ノルウェー国ブリーネ市の教会で開催された在住日本人のクリスマスパーティーに出席後、行方不明となっています。

《鹿児島県警公開特定失踪者・赤田清隆さんについて》
◆氏名:赤田 清隆
(あかだきよたか)
◆当時の年齢:22歳(昭和56年当時)
◆当時の住所:新潟県長岡市
◆職業:当時大学生
◆身長168.6cm
◆体重:59.7kg
◆特徴:
1)中肉
2)筋肉質
3)面長
4)コンタクトレンズ使用
◆足のサイズ:25.5cm

【失踪状況】
新潟県長岡市所在の大学に在学中の昭和56年3月11日、帰省先の鹿児島から大学寮に戻り、実家の母親に電話をした後、行方不明となっています。

《鹿児島県警公開特定失踪者・末吉和幸さんについて》
◆氏名:末吉 和幸
(すえよしかずゆき)
◆当時の年齢:14歳(平成3年当時)
◆当時の住所:鹿児島県姶良市
◆職業:当時中学生
◆身長:167cm
◆当時の服装:
1)黒のジーンズ
2)記名ありの靴(ジャガーシグマ)

【失踪状況】
平成3年3月28日の昼、同級生の川上 聡さんと2人で思川河口からボートで釣りに出かけた後、行方不明となっています。
ボートについては、鹿児島湾海上に無人状態で発見されています。

《鹿児島県警公開特定失踪者・川上 聡さんについて》
◆氏名:川上 聡
(かわかみさとし)
◆当時の年齢:14歳(平成3年当時)
◆当時の住所:鹿児島県姶良市
◆職業:当時中学生
◆身長:168cm
◆体重:55kg
◆当時の服装:
1)水色トレーナー
2)黒のジーンズ
3)靴(ジャガーシグマ)

【失踪状況】
平成3年3月28日の昼、同級生の末吉和幸さんと2人で思川河口からボートで釣りに出かけた後、行方不明となっています。
ボートについては、鹿児島湾海上に無人状態で発見されています。

《鹿児島県警公開特定失踪者・榮原隆二さんについて》
◆氏名:榮原 隆二
(さかえばらりゅうじ)
◆当時の年齢:5歳(平成5年当時)
◆当時の住所:鹿児島県奄美市
◆職業:当時幼稚園児
◆身長:125cm
◆特徴:
1)中肉
2)坊ちゃん刈り
◆当時の服装:エンジ色体操服半ズボン

【失踪状況】
平成5年7月15日午後、奄美市大熊漁港から約400mの有屋川河口付近で、行方不明となっています。



【拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日(キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員の辛光洙(シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県の曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。
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