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【みんな生きている】経済担当者粛清編

2011-10-30 21:05:08 | 日記
《自分が経済問題に自信が無いくせに、部下がしくじると粛清する金総書記》

昨年3月に銃殺されたとされる朴南基(パク・ナムギ)前朝鮮労働党計画財政部長に続き、その後任とされていた洪石亨(ホン・ソクヒョン)氏も粛清されたと伝えられたことを受け、韓国政府安全保障関連部処(省庁)の当局者は10月5日、「北朝鮮の権力層の中で、計画財政部長というのは“毒杯を飲まされるポスト”という認識が持たれているようだ」とコメントした。
洪石亨氏は小説家・洪命熹(ホン・ミョンヒ)氏の孫だ。


■朴南基氏は貨幣改革失敗で銃殺

朴南基氏の粛清については、デノミネーション(通貨呼称単位の変更)失敗の責任を負わされたというのが今のところ定説となっている。
北朝鮮は2009年11月、旧貨幣の100ウォンを1ウォンとするデノミを断行して市場経済の活性化を抑えようとしたが、住民の強い抵抗に直面した。全国各地でデノミと市場の弾圧に対する抗議の動きが広まると、北朝鮮は鎮火に乗り出した。
まず、金英逸(キム・ヨンイル)首相が昨年2月5日、平壌の人民文化宮殿で人民班長たちの前で謝罪し、その直後に朴前部長が粛清された。後任の洪石亨氏はデノミ失敗の影響を早期に収拾し、2012年の「強盛大国」の実現に向けて経済的な基盤を固めるという任務が与えられたようだ。
これについて、韓国政府関係者は

「デノミ失敗後、やむなく黙認して来た私的な経済活動への統制を強化するよう指示されていたはずだ」

と話す。


■洪石亨部長、中国と内通した容疑で粛清

しかし、北朝鮮での私的な経済活動はデノミ後も一層活性化し、社会主義計画経済を脅かすほどに規模が拡大している。
韓国政府関係者は

「北朝鮮住民の間では市場への依存度が非常に高まっており、今では生活必需品の80%~90%、食糧の60%~70%を市場で手に入れている」
「経済的に力のある住民は金正日(キム・ジョンイル)・金正恩(キム・ジョンウン)父子の偶像化教育や公安による取り締まりを軽視し始めており、当局による指示や命令も力が弱まっている」

と述べた。
また、来年は「強盛大国」をスタートさせるとして北朝鮮各地で土木工事が行われて来たが、これらも相次いで行き詰まっている。
北朝鮮はこれらの事業に使用する物資や現金を確保するために地下資源を中国に安値で売却している。このような現状を打開するため、洪石亨部長は中国式の経済発展モデルを一部受け入れるよう提案したとの情報がある。
北朝鮮の内部事情に詳しい消息筋は

「金総書記訪中の成果について検討する政治局拡大会議で洪部長は“中国式の経済発展モデルを一部受け入れるよう”という趣旨の発言をした。これを受け、強硬派から“中国と内通している”との批判を受けて更迭されたと聞いている」

と述べた。


■金総書記「経済政策の失敗は部下の責任」

経済問題に自信が無いとされる金総書記は「金日成(キム・イルソン)首領は生前、“経済事業には絶対に巻き込まれてはならない”と自分に何度も言い聞かせた」等と言い訳し、経済問題を官僚たちに一任して来た。ところが、これといって成果が出ないときや改革・解放について話が出て来ると、担当者の首を刎ねることを繰り返した。
このような形で粛清された経済官僚の幹部について、韓国政府は1990年代以降だけで少なくとも9人を把握している。そのうち復権したのは2010年に朝鮮労働党軽工業部第1副部長に就任した朴奉珠(バク・ボンジュ)氏だけで、それ以外は銃殺あるいは今も行方不明となっている。
中でも、餓死者が続出した1997年9月に民衆の不満を抑えるため平壌市民の前で公開銃殺された徐寛煕(ソ・グァンヒ)農業担当秘書等、死亡が確認されたのは3人。市場経済の導入を主張して1998年から姿を消した金正宇(キム・ジョンウ)対外経済協力推進委員長たち5人が行方不明者となっている。


■朝鮮労働党計画財政部とは?

朝鮮労働党秘書局に所属する20の専門部署の1つで、北朝鮮経済の舵取りを担当している。
1990年代前半まで経済計画部・重工業部・建設運輸部・農業部等に分かれていた経済部署を統廃合し、2005年7月に立ち上げられた。
経済秘書の監督を受けながら経済政策を立案し、内閣に指示するのが主な役割とされている。


■洪命熹(ホン・ミョンヒ)氏とは?

日本が朝鮮半島を支配していた時代、李光洙(イ・グァンス)や崔南善(チェ・ナムソン)とともに「朝鮮の三大天才」と呼ばれた人物。
日本留学から帰国後、徽文高等学校や延禧専門学校の教師を務めていたが、小説『林巨正(イム・コッチョン)』を『朝鮮日報』紙に連載したことをきっかけに最高の人気作家となった。
光復後は朝鮮文学家同盟委員長となったが、1948年に北朝鮮に渡って北朝鮮内閣の初代副首相にまで登りつめた。
1968年に死去。

【人民班長】
韓国の洞長に相当。
市や区の下の行政単位の責任者。
【光復】
日本の植民地支配からの解放のこと。



※「朴南基部長は保衛部員に殴られて顔が腫れ上がり、前もきちんと見えていない様子だった」
(処刑目撃談)
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