《人殺しの前に、拉致被害者を返せ!マレーシア警察、猛毒「VX」の入手経路など解明急ぐ》
【2月25日土曜日】
北朝鮮の金正男(キム・ジョンナム)氏がマレーシアで殺害された事件で、現地の警察は犯行で使われた猛毒の化学兵器「VX」の入手経路の解明に全力をあげています。
マレーシアにある北朝鮮の大使館では、休館日の2月25日も頻繁に車の出入りがあり、対応を協議しているものとみられます。
事件をめぐっては、一般には入手が困難な猛毒の「VX」が使われたことが確実となり、マレーシア警察は犯行グループがどのように入手したのか割り出しを進めています。
25日の地元紙は、「警察がきのう、クアラルンプール市内の高級マンションから様々な化学物質を押収した」として、建物に入る危険物処理チームの写真を載せています。ただ、当局はVXがここで作られたものなのか、あるいは国外から持ち込まれたものなのかなど、捜査の詳細は明らかにしていません。
こうした中、警察は犯行現場となった空港のターミナルに専門チームを派遣し、VXが使われた痕跡をくまなく捜索することにしています。特に、実行犯の女が移動した経路に「放射性物質」が残っていないか等を調べるということです。
大使館員の関与等北朝鮮による国家的な犯罪の疑いが濃厚となる中、捜査で事件の真相がどこまで解明されるか注目されています。
■政府拉致問題HP
http://www.rachi.go.jp/
■警察庁HP
http://www.npa.go.jp/
■石川県警HP
http://www2.police.pref.ishikawa.lg.jp/
■救う会全国協議会HP
http://www.sukuukai.jp/
■特定失踪者問題調査会HP
http://www.chosa-kai.jp/
■北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会HP
http://hrnk.trycomp.net/
■北朝鮮人権人道ネットワークfacebook
http://www.facebook.com/nknet2015
■北朝鮮を離れて自由へ★イ・エラン★のブログ
http://blog.goo.ne.jp/aeran2000
■脱北者トーク番組動画
https://www.youtube.com/watch?v=KJZWxe9P-L8&feature=youtu.be
■脱北者・金柱聖さん動画
https://www.youtube.com/watch?v=zCPxzwHK8fQ&feature=youtu.be
◆昭和52(1977)年9月19日
宇出津(うしつ)事件
被害者:久米 裕さん(Yutaka Kume)
(拉致被害時52歳)
※This person was Abduction by North Korea
石川県宇出津海岸付近にて失踪。
北朝鮮側は、久米さんの入境を完全否認している。
捜査当局は主犯格である北朝鮮工作員、金世鎬(キム・セホ)について、平成15年1月逮捕状の発付を得て国際手配しており、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求している。
平成18年2月の日・朝包括並行協議では、北朝鮮側は、金世鎬について「かかる人物は承知していない」としつつ、我が方からの関連情報提供を前提に、同人特定のための調査を行う旨回答している。
■石川県警HP
http://www2.police.pref.ishikawa.lg.jp/
[September 19, 1977: Ushitsu case]
Abductee: Yutaka Kume (52, male, Ishikawa Prefecture)
Disappeared off the coast of Ushitsu in Ishikawa Prefecture.
North Korea denies all knowledge of Yutaka Kume having entered North Korean territory. The Japanese authorities issued an arrest warrant for North Korean agent Kim Se-Ho, the main suspect in this case, in January 2003 and listed him with Interpol. The GoJ demands that North Korea extradite Kim to Japan. In the Japan-North Korea Comprehensive Talks held in February 2006, the North Korean side asserted that it knows nothing of a Kim Se-Ho and has asserted that, if Japan provides all relevant information, North Korea will launch an investigation to identify him.
《特定失踪者・明石靖彦さんについて》
◆氏名:明石 靖彦
(あかいしやすひこ)
(Yasuhiko Akaishi)
◆失踪年月日:昭和50(1975)年5月18日
◆生年月日:昭和35(1960)年6月1日
◆性別:男
◆当時の年齢:14歳
◆当時の住所:石川県珠洲市蛸島町
◆当時の身分:中学3年生
◆身長:165cmくらい
◆体重:55kgくらい
◆血液型:B型
◆失踪場所:石川県珠洲市蛸島町鉢ヶ崎海水浴場付近
【失踪状況】
朝、「すぐ帰る」と言って自転車で出たまま帰宅せず。
鉢ヶ崎海水浴場付近で自転車が発見され、沖合にボートが浮いていてその中に靖彦さんの草履と靴下があった。
ボートは倉庫に保管されていたもの。
■警視庁HP
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp
【荒木和博・特定失踪者問題調査会代表による明石靖彦さん失踪事件の解説】
北朝鮮の拉致を疑わせる事案には度々変な遺留品が登場します。例えば昭和50年(1975)に失踪した明石靖彦さんのケース。失踪後海上で発見されたボートの中に本人の遺留品がありました。
当時町内会長で捜索に当たった方からお話しを伺いましたが、ボートの中には本人の草履と海水パンツがあったとのこと。前の記録は草履と靴下だったので、他の証言と合わせ明石さんの件については他のことも含め今回入手した情報とこれまであった情報を突き合わせなければなりませんが、海水パンツだったとすれば5月18日の能登で海水浴をするはずもなく、海水パンツを脱いで海に飛び込むとも思えません。最初の情報の靴下だったとしても靴下を履いた上に草履を履くとも思えません。どちらにしても不自然です。
これらは本人が海難事故で死亡したことを偽装するためのものである可能性があります。山本美保さんや秋田美輪さんの海岸に落ちていたバッグも本人が自殺したように見せかけるものでしょう。
しかし、何か頓珍漢なところが北朝鮮のやることです。「いちおうマニュアルでは『偽装工作をせよ』と書いてあるが、何人拉致しても何もしてこないんだから、とりあえず何か置いとけば良いだろう」といういいかげんなやり方だったのではないか。そんな気がしてしかたありません。
《特定失踪者・七條 一さんについて》
◆氏名:七條 一
(しちじょうはじめ)
(Hajime Shichijou)
◆失踪年月日:昭和45(1970)年2月10日
◆生年月日:昭和23(1948)年8月22日
◆性別:男
◆当時の年齢:21歳
◆当時の住所:東京都杉並区方南町1-24-12 三枝アパート
◆当時の身分:明治大学政経学部政治学科3年生
◆身長:165cm
◆靴のサイズ:24.5cm
◆特徴:
1)中肉中背
2)右利き
3)眼鏡着用
4)盲腸の手術痕あり
◆失踪場所:石川県金沢市
【失踪状況】
北陸方面を旅行。
8日に能登を回って西宮市の母の実家に立ちより、徳島に帰る予定で、金沢市のユースホステルを出発し、輪島市で宿泊。
9日「能登を回ってバスが遅れ、大阪行きの汽車に遅れた」と同じ金沢市のユースホステルに再度宿泊。
10日朝出発し、以後消息不明。
「雪が降っていたので兼六園の雪景色を見てくると言って10センチ位積もった雪の上を堤防の方に向かって歩いて行った」という証言と「東尋坊・永平寺に回ると言って宿を出る」という証言がある。
2月10日は夕方のフェリーで西宮市の母の実家から祖父母を徳島に連れて帰り、翌日行われる法要に出席する約束をしていた。
事前に東京の下宿から西宮の母の実家に法要出席のための背広を送ってあった。
北朝鮮にいるとの不確定情報がある。
■警視庁HP
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp
■石川県警HP
http://www2.police.pref.ishikawa.lg.jp/
■兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
■徳島県警HP
http://www.police.pref.tokushima.jp/
《特定失踪者・安達俊之さんについて》
◆氏名:安達 俊之
(あだちとしゆき)
(Toshiyuki Adachi)
◆失踪年月日:昭和56(1981)年6月20日
◆生年月日:昭和38(1963)年1月16日
◆性別:男
◆当時の年齢:18歳
◆当時の住所:石川県白山市
◆当時の身分:会社員(金沢国際ホテル)
◆身長:168cm
◆特徴:中肉中背
◆失踪場所:石川県石川郡鶴来町の友人宅を出てから
【失踪状況】
失踪当日、車で母親を歯医者に送りそのまま出勤。午後6時頃、同僚の女性とともに友人宅を訪れるが、友人は不在で家人が対応。
その後午後7時~7時半の間、別の友人が白山町交差点で助手席に女性を乗せている俊之さんの車とすれ違ったのが最後の目撃情報。
その日は帰ってこなかったが、それまでも2~3日家を留守にすることがあったので両親も特段気にとめなかったが、22日か23日に勤務先から無断欠勤しているという連絡があって失踪に気づいた。
通帳も印鑑も持たず、まとまった金銭も持っていない。自動車も見つかっていない。
28日夕方、自宅に電話があり、「俊之つかまっているよ」との内容。幼い女の子のようなたどたどしい言葉だった。
その10分後にも無言電話があった。
《特定失踪者・丸山善昭さんについて》
◆氏名:丸山 善昭
(まるやまよしあき)
(Yoshiaki Maruyama)
◆失踪年月日:昭和41(1966)年3月31日
◆生年月日:昭和18(1943)年8月9日
◆性別:男
◆当時の年齢:22歳
◆当時の住所:石川県加賀市
◆当時の下宿先:福井県坂井郡三国町
◆当時の身分:漁船員(底引き網漁船)
◆身長:160cm
◆特徴:
1)面長
2)優しい人柄
3)酒好き
◆失踪場所:福井県坂井郡三国町三国漁港周辺
【失踪状況】
下宿先に「加賀の実家に行ってくる」と伝言を残して外出したまま失踪。
当日は給料日で、全船出港できる天候だったが出漁せず。
■福井県警HP
http://www.pref.fukui.jp/kenkei/
《特定失踪者・小西能幸さんについて》
◆氏名:小西 能幸
(こにしよしゆき)
(Yoshiyuki Konishi)
◆失踪年月日:昭和29(1954)年4月22日
◆生年月日:昭和8(1933)年9月21日
◆性別:男
◆当時の年齢:20歳
◆当時の住所:石川県輪島市河井町二部12-2
◆当時の身分:家の旅館を手伝っていた
◆身長:165cm
◆失踪場所:石川県穴水町駅
【失踪状況】
自宅を出るとき、下駄履きで荷物も何一つ持たず、母と目を合わせたが一言も話さなかったので、家族は近所にでも出かけたものと思った。
その日、七尾線輪島駅から午前7時半頃の金沢行きに乗り、3つ目の穴水町で下車したのを近所の人が見たとのこと。
前日夜に自室で小銭を数えているような音を旅館の女中が聞いている。
小遣いを貰っていなかったので、所持金は小銭程度と思われる。
身障者の兄が働かなくても生活できるように、母は旅館を開業していた。そのため本人は、自分が邪魔であると感じており、チャンスがあれば家を出ようと思っていたようだ。
《特定失踪者・坂下喜美夫さんについて》
◆氏名:坂下 喜美夫
(さかしたきみお)
(Kimio Sakashita)
◆失踪年月日:昭和38(1963)年
◆生年月日:昭和8(1933)年2月9日
◆性別:男
◆当時の年齢:30歳
◆当時の住所:石川県七尾市
◆当時の身分:乾物屋
◆身長:160cm
◆特徴:中肉
◆失踪場所:石川県七尾市作事町
【失踪状況】
乾物屋の仕事で自転車で配達に出てそのまま失踪。
財布、運転免許証も家に置いたまま。
七尾市に来る前は金沢の自衛隊に勤務していた。
◆昭和53(1978)年6月頃
元飲食店店員拉致容疑事案
被害者:田中 実さん(Minoru Tanaka)
(拉致被害時28歳)
※This person was Abduction by North Korea
欧州に向け出国したあと失踪。
平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。
平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。
■兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
■救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html
■救う会兵庫facebook
http://www.facebook.com/sukuukai078
[In or around June 1978: Former restaurant worker abducted]
Abductee: Minoru Tanaka (28, male, Hyogo Prefecture)
Disappeared after departing Japan for Europe.
The GoJ requested that North Korea provide information on this case at the 12th round of Japan-North Korea Normalization Talks held in Kuala Lumpur in October 2002 and all three Japan-North Korea Working-Level Consultations held in 2004. During the third round of consultations, North Korea asserted that there is no evidence that Mr. Tanaka had ever entered North Korean territory.
Since April 2005, when the GoJ officially identified Minoru Tanaka as an abductee, the GoJ has demanded that North Korea immediately allow him to return to Japan and provide a full accounting of his case. North Korea, however, has not responded.
【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.
【2月25日土曜日】
北朝鮮の金正男(キム・ジョンナム)氏がマレーシアで殺害された事件で、現地の警察は犯行で使われた猛毒の化学兵器「VX」の入手経路の解明に全力をあげています。
マレーシアにある北朝鮮の大使館では、休館日の2月25日も頻繁に車の出入りがあり、対応を協議しているものとみられます。
事件をめぐっては、一般には入手が困難な猛毒の「VX」が使われたことが確実となり、マレーシア警察は犯行グループがどのように入手したのか割り出しを進めています。
25日の地元紙は、「警察がきのう、クアラルンプール市内の高級マンションから様々な化学物質を押収した」として、建物に入る危険物処理チームの写真を載せています。ただ、当局はVXがここで作られたものなのか、あるいは国外から持ち込まれたものなのかなど、捜査の詳細は明らかにしていません。
こうした中、警察は犯行現場となった空港のターミナルに専門チームを派遣し、VXが使われた痕跡をくまなく捜索することにしています。特に、実行犯の女が移動した経路に「放射性物質」が残っていないか等を調べるということです。
大使館員の関与等北朝鮮による国家的な犯罪の疑いが濃厚となる中、捜査で事件の真相がどこまで解明されるか注目されています。
■政府拉致問題HP
http://www.rachi.go.jp/
■警察庁HP
http://www.npa.go.jp/
■石川県警HP
http://www2.police.pref.ishikawa.lg.jp/
■救う会全国協議会HP
http://www.sukuukai.jp/
■特定失踪者問題調査会HP
http://www.chosa-kai.jp/
■北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会HP
http://hrnk.trycomp.net/
■北朝鮮人権人道ネットワークfacebook
http://www.facebook.com/nknet2015
■北朝鮮を離れて自由へ★イ・エラン★のブログ
http://blog.goo.ne.jp/aeran2000
■脱北者トーク番組動画
https://www.youtube.com/watch?v=KJZWxe9P-L8&feature=youtu.be
■脱北者・金柱聖さん動画
https://www.youtube.com/watch?v=zCPxzwHK8fQ&feature=youtu.be
◆昭和52(1977)年9月19日
宇出津(うしつ)事件
被害者:久米 裕さん(Yutaka Kume)
(拉致被害時52歳)
※This person was Abduction by North Korea
石川県宇出津海岸付近にて失踪。
北朝鮮側は、久米さんの入境を完全否認している。
捜査当局は主犯格である北朝鮮工作員、金世鎬(キム・セホ)について、平成15年1月逮捕状の発付を得て国際手配しており、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求している。
平成18年2月の日・朝包括並行協議では、北朝鮮側は、金世鎬について「かかる人物は承知していない」としつつ、我が方からの関連情報提供を前提に、同人特定のための調査を行う旨回答している。
■石川県警HP
http://www2.police.pref.ishikawa.lg.jp/
[September 19, 1977: Ushitsu case]
Abductee: Yutaka Kume (52, male, Ishikawa Prefecture)
Disappeared off the coast of Ushitsu in Ishikawa Prefecture.
North Korea denies all knowledge of Yutaka Kume having entered North Korean territory. The Japanese authorities issued an arrest warrant for North Korean agent Kim Se-Ho, the main suspect in this case, in January 2003 and listed him with Interpol. The GoJ demands that North Korea extradite Kim to Japan. In the Japan-North Korea Comprehensive Talks held in February 2006, the North Korean side asserted that it knows nothing of a Kim Se-Ho and has asserted that, if Japan provides all relevant information, North Korea will launch an investigation to identify him.
《特定失踪者・明石靖彦さんについて》
◆氏名:明石 靖彦
(あかいしやすひこ)
(Yasuhiko Akaishi)
◆失踪年月日:昭和50(1975)年5月18日
◆生年月日:昭和35(1960)年6月1日
◆性別:男
◆当時の年齢:14歳
◆当時の住所:石川県珠洲市蛸島町
◆当時の身分:中学3年生
◆身長:165cmくらい
◆体重:55kgくらい
◆血液型:B型
◆失踪場所:石川県珠洲市蛸島町鉢ヶ崎海水浴場付近
【失踪状況】
朝、「すぐ帰る」と言って自転車で出たまま帰宅せず。
鉢ヶ崎海水浴場付近で自転車が発見され、沖合にボートが浮いていてその中に靖彦さんの草履と靴下があった。
ボートは倉庫に保管されていたもの。
■警視庁HP
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp
【荒木和博・特定失踪者問題調査会代表による明石靖彦さん失踪事件の解説】
北朝鮮の拉致を疑わせる事案には度々変な遺留品が登場します。例えば昭和50年(1975)に失踪した明石靖彦さんのケース。失踪後海上で発見されたボートの中に本人の遺留品がありました。
当時町内会長で捜索に当たった方からお話しを伺いましたが、ボートの中には本人の草履と海水パンツがあったとのこと。前の記録は草履と靴下だったので、他の証言と合わせ明石さんの件については他のことも含め今回入手した情報とこれまであった情報を突き合わせなければなりませんが、海水パンツだったとすれば5月18日の能登で海水浴をするはずもなく、海水パンツを脱いで海に飛び込むとも思えません。最初の情報の靴下だったとしても靴下を履いた上に草履を履くとも思えません。どちらにしても不自然です。
これらは本人が海難事故で死亡したことを偽装するためのものである可能性があります。山本美保さんや秋田美輪さんの海岸に落ちていたバッグも本人が自殺したように見せかけるものでしょう。
しかし、何か頓珍漢なところが北朝鮮のやることです。「いちおうマニュアルでは『偽装工作をせよ』と書いてあるが、何人拉致しても何もしてこないんだから、とりあえず何か置いとけば良いだろう」といういいかげんなやり方だったのではないか。そんな気がしてしかたありません。
《特定失踪者・七條 一さんについて》
◆氏名:七條 一
(しちじょうはじめ)
(Hajime Shichijou)
◆失踪年月日:昭和45(1970)年2月10日
◆生年月日:昭和23(1948)年8月22日
◆性別:男
◆当時の年齢:21歳
◆当時の住所:東京都杉並区方南町1-24-12 三枝アパート
◆当時の身分:明治大学政経学部政治学科3年生
◆身長:165cm
◆靴のサイズ:24.5cm
◆特徴:
1)中肉中背
2)右利き
3)眼鏡着用
4)盲腸の手術痕あり
◆失踪場所:石川県金沢市
【失踪状況】
北陸方面を旅行。
8日に能登を回って西宮市の母の実家に立ちより、徳島に帰る予定で、金沢市のユースホステルを出発し、輪島市で宿泊。
9日「能登を回ってバスが遅れ、大阪行きの汽車に遅れた」と同じ金沢市のユースホステルに再度宿泊。
10日朝出発し、以後消息不明。
「雪が降っていたので兼六園の雪景色を見てくると言って10センチ位積もった雪の上を堤防の方に向かって歩いて行った」という証言と「東尋坊・永平寺に回ると言って宿を出る」という証言がある。
2月10日は夕方のフェリーで西宮市の母の実家から祖父母を徳島に連れて帰り、翌日行われる法要に出席する約束をしていた。
事前に東京の下宿から西宮の母の実家に法要出席のための背広を送ってあった。
北朝鮮にいるとの不確定情報がある。
■警視庁HP
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp
■石川県警HP
http://www2.police.pref.ishikawa.lg.jp/
■兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
■徳島県警HP
http://www.police.pref.tokushima.jp/
《特定失踪者・安達俊之さんについて》
◆氏名:安達 俊之
(あだちとしゆき)
(Toshiyuki Adachi)
◆失踪年月日:昭和56(1981)年6月20日
◆生年月日:昭和38(1963)年1月16日
◆性別:男
◆当時の年齢:18歳
◆当時の住所:石川県白山市
◆当時の身分:会社員(金沢国際ホテル)
◆身長:168cm
◆特徴:中肉中背
◆失踪場所:石川県石川郡鶴来町の友人宅を出てから
【失踪状況】
失踪当日、車で母親を歯医者に送りそのまま出勤。午後6時頃、同僚の女性とともに友人宅を訪れるが、友人は不在で家人が対応。
その後午後7時~7時半の間、別の友人が白山町交差点で助手席に女性を乗せている俊之さんの車とすれ違ったのが最後の目撃情報。
その日は帰ってこなかったが、それまでも2~3日家を留守にすることがあったので両親も特段気にとめなかったが、22日か23日に勤務先から無断欠勤しているという連絡があって失踪に気づいた。
通帳も印鑑も持たず、まとまった金銭も持っていない。自動車も見つかっていない。
28日夕方、自宅に電話があり、「俊之つかまっているよ」との内容。幼い女の子のようなたどたどしい言葉だった。
その10分後にも無言電話があった。
《特定失踪者・丸山善昭さんについて》
◆氏名:丸山 善昭
(まるやまよしあき)
(Yoshiaki Maruyama)
◆失踪年月日:昭和41(1966)年3月31日
◆生年月日:昭和18(1943)年8月9日
◆性別:男
◆当時の年齢:22歳
◆当時の住所:石川県加賀市
◆当時の下宿先:福井県坂井郡三国町
◆当時の身分:漁船員(底引き網漁船)
◆身長:160cm
◆特徴:
1)面長
2)優しい人柄
3)酒好き
◆失踪場所:福井県坂井郡三国町三国漁港周辺
【失踪状況】
下宿先に「加賀の実家に行ってくる」と伝言を残して外出したまま失踪。
当日は給料日で、全船出港できる天候だったが出漁せず。
■福井県警HP
http://www.pref.fukui.jp/kenkei/
《特定失踪者・小西能幸さんについて》
◆氏名:小西 能幸
(こにしよしゆき)
(Yoshiyuki Konishi)
◆失踪年月日:昭和29(1954)年4月22日
◆生年月日:昭和8(1933)年9月21日
◆性別:男
◆当時の年齢:20歳
◆当時の住所:石川県輪島市河井町二部12-2
◆当時の身分:家の旅館を手伝っていた
◆身長:165cm
◆失踪場所:石川県穴水町駅
【失踪状況】
自宅を出るとき、下駄履きで荷物も何一つ持たず、母と目を合わせたが一言も話さなかったので、家族は近所にでも出かけたものと思った。
その日、七尾線輪島駅から午前7時半頃の金沢行きに乗り、3つ目の穴水町で下車したのを近所の人が見たとのこと。
前日夜に自室で小銭を数えているような音を旅館の女中が聞いている。
小遣いを貰っていなかったので、所持金は小銭程度と思われる。
身障者の兄が働かなくても生活できるように、母は旅館を開業していた。そのため本人は、自分が邪魔であると感じており、チャンスがあれば家を出ようと思っていたようだ。
《特定失踪者・坂下喜美夫さんについて》
◆氏名:坂下 喜美夫
(さかしたきみお)
(Kimio Sakashita)
◆失踪年月日:昭和38(1963)年
◆生年月日:昭和8(1933)年2月9日
◆性別:男
◆当時の年齢:30歳
◆当時の住所:石川県七尾市
◆当時の身分:乾物屋
◆身長:160cm
◆特徴:中肉
◆失踪場所:石川県七尾市作事町
【失踪状況】
乾物屋の仕事で自転車で配達に出てそのまま失踪。
財布、運転免許証も家に置いたまま。
七尾市に来る前は金沢の自衛隊に勤務していた。
◆昭和53(1978)年6月頃
元飲食店店員拉致容疑事案
被害者:田中 実さん(Minoru Tanaka)
(拉致被害時28歳)
※This person was Abduction by North Korea
欧州に向け出国したあと失踪。
平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。
平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。
■兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
■救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html
■救う会兵庫facebook
http://www.facebook.com/sukuukai078
[In or around June 1978: Former restaurant worker abducted]
Abductee: Minoru Tanaka (28, male, Hyogo Prefecture)
Disappeared after departing Japan for Europe.
The GoJ requested that North Korea provide information on this case at the 12th round of Japan-North Korea Normalization Talks held in Kuala Lumpur in October 2002 and all three Japan-North Korea Working-Level Consultations held in 2004. During the third round of consultations, North Korea asserted that there is no evidence that Mr. Tanaka had ever entered North Korean territory.
Since April 2005, when the GoJ officially identified Minoru Tanaka as an abductee, the GoJ has demanded that North Korea immediately allow him to return to Japan and provide a full accounting of his case. North Korea, however, has not responded.
【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.