もずの独り言・goo版

半蔵ともず、gooでも独り言です。『もずの独り言』はこれからも戦い続けます。

【みんな生きている】加藤勝信編[ニューヨーク]/ABS

2016-12-19 07:22:13 | 日記
《インチキ遺骨ではなくて、拉致被害者を返せ!加藤拉致問題担当相、国連で拉致問題解決訴え》

加藤勝信拉致問題担当相がアメリカ・ニューヨークで開催された北朝鮮の人権状況に関するパネルディスカッションに参加し、「解決にはスクラムが重要」と国際社会の協力を求めました。
日本時間12月2日未明にニューヨークの国連本部で開催されたパネルディスカッションには加藤大臣の他、アメリカのロバート・キング (Robert R. King) 北朝鮮人権問題担当大使や韓国、国連の関係者たちが出席しました。

「拉致問題の解決に向けた具体的な進展がない状況が継続しております。日本政府として、こうした北朝鮮の対応を全く受け入れることは出来ません。この解決には国際社会がスクラムを組んで対応していくことが重要です」
(加藤勝信拉致問題担当相)

加藤大臣は

「被害者も待っている家族も高齢化しており、一刻の猶予も無い」

と述べ、解決に向けた国際社会の協力の重要性を訴えました。
また、ディスカッションでは「核やミサイルといった安全保障問題の解決を優先することで、人権の問題が置き去りにされてはならない」等の意見が出されました。

■政府拉致問題HP
http://www.rachi.go.jp/
■警察庁HP
http://www.npa.go.jp/
■国連HP
http://www.unic.or.jp/
■国連日本政府代表部HP
http://www.un.emb-japan.go.jp/jp/
■秋田県警HP
http://www.police.pref.akita.jp/
■救う会秋田HP
http://sukuukai-akita.com/
■救う会秋田facebook
http://ja-jp.facebook.com/sukuukaiakita/
■救う会全国協議会HP
http://www.sukuukai.jp/
■特定失踪者問題調査会HP
http://www.chosa-kai.jp/
■北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会HP
http://hrnk.trycomp.net/
■特定失踪者・北朝鮮人権ネットワークfacebook
http://www.facebook.com/nknet2015
■加藤 健ブログ「天を回せ!ロビー活動で挑む」
http://kenkato.blog.jp/
■北朝鮮を離れて自由へ★イ・エラン★のブログ
http://blog.goo.ne.jp/aeran2000



《特定失踪者・木村かほるさんについて》
◆氏名:木村 かほる
(きむらかおる)
(Kaoru Kimura)
◆失踪年月日:昭和35(1960)年2月27日
◆生年月日:昭和13(1938)年8月27日
◆性別:女性
◆当時の年齢:21歳
◆当時の住所:秋田県秋田市中通
◆当時の身分:日赤秋田高等看護学校3年生
◆特徴:
1)中肉中背
2)色白でいつも微笑みをたたえ優しい感じ
◆失踪場所:秋田市内

【失踪状況】
戸籍上は「かをる」だが、日常は「かほる」としていた。
看護学校の卒業式を10日後に控えていた。
「ちょっと出かけてくる」と寮の同室の友人数人に言って出て行ったきり戻らず。
平成16年9月29日、青森県八戸署に告発状を提出。
■青森県警HP
http://www.police.pref.aomori.jp/

《特定失踪者・石田 清さんについて》
◆氏名:石田 清
(いしだきよし)
(Kiyoshi Isida)
◆失踪年月日:昭和44(1969)年9月末~10月初め頃
◆生年月日:昭和18(1943)年3月16日
◆性別:男
◆当時の年齢:26歳
◆当時の住所:秋田県能代市二ツ井(旧二ツ井町)
◆当時の身分:自動車板金工
◆身長:158cm
◆体重:56kgくらい
◆特徴:片方の黒目が若干欠けている
◆失踪場所:秋田県山本郡二ツ井町(現在能代市)自宅アパートから

【失踪状況】
実家に稲刈りの手伝いに来て「明日も来る」と言っていたが、翌日来なかった。
自宅アパートの隣の家に寝巻きが投げ捨てられており、電線(もしくは電話線)が切られていたことから、事件ではないかと警察に通報した。
また日時は不明だが、二ツ井高校近くのバス停の鷹巣方面、藤里方面行き乗り場に立っていたという目撃情報もあった。

《特定失踪者・薩摩勝博さんについて》
◆氏名:薩摩 勝博
(さつまかつひろ)
(Katsuhiro Satsuma)
◆失踪年月日:昭和48(1973)年1月
◆生年月日:昭和24(1949)年10月11日
◆性別:男
◆当時の年齢:23歳
◆当時の住所:秋田県山本郡八峰町(旧峰浜町)
◆当時の身分:農業・牛乳販売店勤務
◆農閑期の勤務先:東京都杉並区
◆失踪場所:秋田県峰浜村(現八峰町)の実家から能代市に向かったのが最後

【失踪状況】
失踪当時は農閑期だったため、勝博さんは出稼ぎで東京都杉並区の牛乳販売店に勤めていた。
そこを頼っていった同じ村落出身の女性(能代市居住)としばらく同居していた。
二人は結婚の意思を固め、失踪前夜に勝博さんの実家を揃って訪れるが父や親戚に反対される。
その夜は実家に泊まり、翌朝「彼女を能代市内に送ってくる」と行ったまま戻らず。
車も発見されていない。
■警視庁HP
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

《特定失踪者・佐藤正行さんについて》
◆氏名:佐藤 正行
(さとうまさゆき)
(Masayuki Satou)
◆失踪年月日:昭和61(1986)年10月29日
◆生年月日:昭和33(1958)年12月11日
◆性別:男
◆当時の年齢:27歳
◆当時の住所:愛知県名古屋市千種区
◆当時の身分:製薬会社勤務
◆秋田県秋田市新屋出身
◆身長:170cm
◆体重:60kg
◆特徴:
1)やや面長
2)眼鏡とコンタクトレンズを併用
◆失踪場所:愛知県名古屋市千種区の自宅マンション

【失踪状況】
外食店で買い求めた弁当をアパート自室で食事中、部屋着の軽装で外出したまま行方不明。
部屋には財布、自動車免許など一切の身の回りのものは残されていた。
■愛知県警HP
http://www.pref.aichi.jp/police/

《特定失踪者・松橋恵美子さんについて》
◆氏名:松橋 恵美子
(まつはしえみこ)
(Emiko Matsuhashi)
◆失踪年月日:平成4(1992)年1月15日
◆生年月日:昭和40(1965)年5月15日
◆性別:女性
◆当時の年齢:26歳
◆当時の住所:秋田県北秋田郡合煎町三里字屋布岱74-3(現・北秋田市)
◆当時の身分:縫製工場勤務
◆失踪場所:秋田県能代市能代浜

【失踪状況】
祖母に「鷹ノ巣に行って来る」と告げて車で出かけたまま、その日は戻らなかった。
友人の家に行ったのだろうと思っていたら、翌朝出勤していないことがわかる。
家族で探したところ、能代市の海岸で車が見つかる。
車内には身の回りのものが全て残っていた。
北朝鮮にいるとの不確定情報がある。

【松橋恵美子さんの捜索状況】
失踪後、能代浜を中心に、象潟から深浦に至る150kmの日本海沿岸と、生家の周辺の川や野山を10数日にわたり、隈無く捜索したにもかかわらず、発見に至っていない。

◆昭和53(1978)年6月頃
元飲食店店員拉致容疑事案
被害者:田中 実さん(Minoru Tanaka)
(拉致被害時28歳)
※This person was Abduction by North Korea
欧州に向け出国したあと失踪。
平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。
平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。
■兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
■救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html



【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 【みんな生きている】加藤勝... | トップ | 【みんな生きている】加藤勝... »
最新の画像もっと見る

日記」カテゴリの最新記事