もずの独り言・goo版

半蔵ともず、gooでも独り言です。『もずの独り言』はこれからも戦い続けます。

【みんな生きている】バラク・オバマ編《伊勢志摩サミット》/NHK[全国]

2016-05-26 04:58:37 | 日記
《伊勢志摩サミットを前にNHKがオバマ大統領に単独インタビュー 北朝鮮核問題への言及も》

【5月22日19時28分】
アメリカのバラク・オバマ(Barack Hussein Obama II)大統領は、今月25日から日本を訪れるのを前に、NHKの単独インタビューに応じました。全容は次のとおりです。


NHK(以下、Q):今回の訪日で何を期待しますか?
オバマ大統領(以下、A):今回の訪問の主な目的はG7サミットです。G7は、われわれの最も近い友人や同盟国とともに、さまざまな地球規模の課題について話し合うすばらしい場となっています。そして、今年は安倍晋三総理大臣が議長を務めます。安倍総理大臣は私と同じように、世界の成長を拡大するために、われわれ皆が協力し、民主国家として国際的な法とルールを守らなければならないと信じていると思います。さらに中東や南シナ海といった不安定な地域や、北朝鮮と核拡散の問題について話し合う機会もあると確信しています。さらに、世界の開発に向けた共通の目標について話し合う機会もあるでしょう。例えば、女性の教育をどのように促進し、彼女たちに、より多くの経済的な機会を与えることができるのか。世界の保健医療を推進するために、われわれはどのような協力ができるのかということです。人々が世界中をこれほど頻繁に移動する現在の環境の中で、保健医療が整っていない非常に貧しい国で病気が発生すれば、エボラ、ジカ熱、SARSなどの病気のように、あっという間に感染が広がってしまいます。このため、話し合うことはたくさんあります
。私にとって、アメリカと日本の非常に強力な同盟関係を再確認する、すばらしい機会でもあるのです。日米同盟は、われわれの安全保障の礎の一つであり、われわれが、これまで何十年もの間享受してきた平和と繁栄と安定の創造に貢献してきました。

Q:現在の世界経済を鑑みて、伊勢志摩サミットでは世界に向けて、どのようなメッセージを発信したいと考えていますか?
A:経済成長は、すべての国が雇用の創出や、地球規模の商取引と貿易の拡大を推進するための適切な措置を取ることにかかっている、ということを認識することが重要だと思います。安倍総理大臣とともに、私が主導する最も重要な取り組みの一つが、TPP=環太平洋パートナーシップ協定です。これは、日米両国がアジア太平洋地域全体と協力して、基準を引き上げ、環境保護や、知的財産の保護を強化しようと努力していることを示す例です。こうした、あらゆる措置を取ることで、われわれは同じ競争条件の下で貿易を行うことができます。それは、アメリカの労働者にとってよいことであり、日本の労働者にとってもよいことであり、われわれの経済全体にとって、よいことなのです。われわれがやらなければならないことは、短期的には一つの国に利益をもたらすものの、長期的には地域全体、そして世界全体の成長をより困難にするような行動を取る国に対して警戒することです。

Q:広島訪問という大統領の歴史的な決断を歓迎します。なぜ今回、広島に行こうと決めたのですか?訪問の目的は何ですか?
A:適切なタイミングだと考えています。今回のG7開催地は広島、そして平和公園にも近いです。私が初めて日本を訪れたときに、広島訪問に関心があると述べました。大統領の任期が、あと僅かとなるなか、戦争の本質をじっくりと考えるよい機会になると思いました。私の目的は、単に過去を振り返るのではなく、罪のない人々が戦争の犠牲になったこと、世界中で平和と対話を進めるために、できるかぎりのことをすべきだということ、われわれは引き続き、『核兵器のない世界』を追い求めて努力すべきだということを訴えることです。それは、私が大統領に就任して以来、ずっと取り組んできたことです。そしてこれは、かつての敵どうしが、いかにして世界で最も緊密な関係を築き、最も緊密な同盟国になったかを示す、すばらしい物語です。そして、そのことは、われわれが互いの違いを乗り越え、われわれの子どもや孫たちのために、よりよい未来を作れることを教えてくれています。それは、歴史を無視するのではなく、それを理解し、認識し、よりよい未来をともに目指すことで実現できるのです。

Q:2009年11月のNHKとのインタビューで当時、大統領は広島と長崎を訪問したいと述べました。しかし、それから7年かかりました。広島訪問を最終的に決断するのに、なぜ7年かかったのですか?障害や困難があったのでしょうか?
A:特に障害はありませんでした。アメリカ大統領というのは、とても忙しいのです。私が外国を訪問するときは二国間協議や首脳会談、報道関係者のインタビューなど、数多く行事があります。今回は最も適したタイミングだと思ったのです。しかし、日本とアメリカの国民は戦争がもたらした廃墟と、すべての人が受けた痛みを乗り越えて、同盟関係を結ぶという高まいなビジョンを持つに至りました。こうして、私たちは協力して国際秩序を再構築し、両国の国民に多大な機会をもたらしたのです。今の時代は多くの意味で、世界は狭くなっています。われわれはかつてないほど、互いにつながり合い、依存しています。しかし、そのことは、また、新たな危険、新たな脅威、国境を越えたテロ、テロ組織の手に大量破壊兵器が渡る可能性をもたらしています。だからこそ、私たちは協力していくことが重要であり、現存する核兵器の備蓄の安全性をどのように確保するのかが、喫緊の課題だと感じることが重要なのです。まさに、このことが核セキュリティーサミットの場で、安倍総理大臣が私やほかの多くの国々とともに、取り組んできたことなのです。しかし、世界で、やがては
核の備蓄を削減していくなかで、このことを私たちは留意していかなければならないのです。

Q:広島では何をしますか?
A:平和公園を訪れることになると思います。簡潔な所感を述べるでしょう。平和公園は核兵器と戦争のむごさを強烈に思い起こさせる場所だと思います。長い演説は行わないと思いますが、どうすれば世界中で、よりよい平和を築くことができるのか、日本とアメリカの関係を手本にすることで、どのように前進できるのかについて、みずからの見解を述べたいと思います。そして、私の訪問がきっかけとなり、あらゆる問題について、新たな協力の機会が増えることを期待しています。

Q:被爆者の方たちは大統領との面会を強く望んでいます。広島で被爆者の方たちと会いますか?
A:日程はまだ最終的に決まっていません。まだ、はっきり分かりません。しかし、私の目的は日本の人々に語りかけることであり、この地域の人々、アジアの人々、アメリカの人々、世界中の人々に語りかけることです。こうしている間にも、多くの人が、今なお戦争で苦しんでいます。私の目的の1つは、戦争では罪のない人たちが巻き込まれ、とてつもない苦難に見舞われると認識することです。それは単なる過去の話ではなく、今も世界の多くの場所で起きていることなのです。私たちは、それぞれ自分の国を守るために、できるかぎりのことをすると同時に、人類という観点から考えなくてはならないのです。私はアメリカ軍を、この上なく誇らしく思っています。彼らは防衛力を提供し、日本、韓国、その他の同盟国を支援する、よき軍隊として、アジア太平洋地域の平和と繁栄に貢献しています。私たちが前回、日本で大規模なオペレーションを展開したのは、福島の悲劇からの復興を支援するためでした。それは、アメリカ軍の優秀な兵士たちが集団的かつ共通の安全を守り、平和を維持するためのよき軍隊だとみなされることを、私がいかに望んでいるのかを示す例なので
す。

Q:広島、長崎の人たちにどのようなメッセージを伝えますか?
A:何を発言するかはまだ決めていません。全体的には先ほど述べたように、戦争の悲惨さ、「核兵器のない世界」の必要性、われわれが前進していくうえで成功例となる日米同盟についてお話しすることになると思います。

Q:メッセージに謝罪は含まれますか?
A:含まれません。戦争のさなかに指導者はあらゆる決定を下すということを忘れてはなりません。それについて、疑問を呈し、検証するのは歴史家の仕事です。7年半の間、同じ立場に身を置いた者として、どんな指導者でも、とりわけ戦争のときには、極めて難しい判断を迫られることを知っています。ですから、私は今回、どうすれば、われわれは前に進むことができるかについて強調すると思います。同時に、先ほど述べたように、人々が戦争でひどく苦しんだという事実を強調し、平和と外交を重視するかたちで、人間らしい対応と制度を進化させていく必要があるということを強調したいと思います。

Q:「核兵器のない世界」についてお尋ねします。世界の核軍縮の現状について、どう見ていますか?
A:僅かながら進展はあったと思います。核兵器の保有量が大きく増えることはありませんでした。核を保有する大国の中では、新たな兵器の増強に重きは置かれていないと思います。私はロシアとの交渉を試みてきました。大統領に就任した当初は、核軍縮条約の「新START」を締結し、米ロ両国の核兵器の保有を削減することができました。私は、さらなる削減が可能だと思いますが、ロシアはこれまでのところ関心を示していません。現在の核兵器を巡る最大の課題は、北朝鮮の核開発計画の脅威です。北朝鮮は無謀で挑発的なかたちで、核兵器だけでなく、核兵器の運搬手段の開発も続けています。国際社会は、その態度を理由に北朝鮮を孤立させようとしているが、これまでのところ、北朝鮮は態度を変えていません。懸念している理由の1つは、北朝鮮には核技術を拡散させた過去があるからです。われわれには、まだやるべきことがあります。北朝鮮は最悪の事例ですが、世界にはとても危険な新たな核技術を開発している国もあります。そして、今日、われわれの能力は非常に高くなっており、いかなる国も新たな兵器を作ることなく、核の保有を増やすことができると
認識することが重要です。その一方で、われわれが取り組んでいくべきは、人々が必要とする経済成長、食料、保健医療、子どもたちへの教育といった分野への投資なのです。

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【みんな生きている】安倍晋三編/NHK[全国]

2016-05-26 04:54:39 | 日記
《インチキ遺骨ではなくて、拉致被害者を返せ!首相、拉致問題解決へ痛み感じる圧力を》

【5月19日14時16分】
安倍晋三総理大臣は、北朝鮮による拉致問題の解決に向けた政府と与野党の協議会で、北朝鮮に対し、国際社会と連携して痛みを感じる圧力をかけながら、対話の窓口は閉ざさず、拉致被害者全員の帰国に向け全力を尽くしていく考えを示しました。
この中で、安倍総理大臣は

「北朝鮮は1月の核実験、2月のミサイル発射後も挑発行為を繰り返し、先般の党大会でも国連安全保障理事会の決議や日朝平壌宣言等を順守することなく、核・ミサイル開発を継続する姿勢を示した。わが国に対する重大な脅威であり、断じて許せない」

と述べました。
そのうえで、安倍総理大臣は

「拉致問題の解決は安倍政権にとって最重要課題だ。『対話と圧力』、『行動対行動』の原則の下、国際社会と連携し、安保理決議の厳格な履行をはじめ、痛みを感じる圧力をかけていく。同時にわが国としてストックホルム合意を破棄する考えはなく、対話の窓口を閉ざすことない」

と述べ、拉致被害者全員の帰国に向け全力を尽くしていく考えを示しました。
また、岸田文雄外務大臣は

「来週の伊勢志摩サミットは、8年ぶりにアジアで開催されるサミットであり、北朝鮮問題や拉致問題についても率直な意見交換が行われることを期待する」

と述べました。

■政府拉致問題HP
http://www.rachi.go.jp/
■警察庁HP
http://www.npa.go.jp/
■外務省HP
http://www.mofa.go.jp/mofaj/
■救う会全国協議会HP
http://www.sukuukai.jp/
■特定失踪者問題調査会HP
http://www.chosa-kai.jp/
■北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会HP
http://hrnk.trycomp.net/
■特定失踪者・北朝鮮人権ネットワークfacebook
http://www.facebook.com/nknet2015



◆昭和53(1978)年6月頃
元飲食店店員拉致容疑事案
被害者:田中 実さん(拉致被害時28歳)
欧州に向け出国したあと失踪。
平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。
平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。
■兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
■救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html

《特定失踪者・金田竜光さんについて》
◆氏名:金田 竜光
(かねだたつみつ)
◆失踪年月日:昭和54(1979)年ごろ
◆生年月日:昭和27(1952)年
◆性別:男
◆当時の年齢:26歳
◆当時の住所:兵庫県神戸市東灘区青木
◆当時の身分:ラーメン店店員
◆身長:180cm
◆失踪場所:神戸市東灘区

【失踪状況】
金田さんは韓国籍。
田中 実さん(昭和53年に拉致)と同じ施設で育った。
昭和52年ごろ、田中 実さん拉致実行犯・韓竜大(ハン・ヨンデ)が経営するラーメン店「来大」に就職。昭和53年に田中 実さんを「来大」に紹介し、ともに働く。同年、韓竜大の誘いにより、田中 実さんがオーストリア・ウィーンに出国。
半年ほどして、田中 実さんが差出人になっているオーストリアからの国際郵便を受け取る。その内容は「オーストリアはいいところであり、仕事もあるのでこちらに来ないか」との誘いであった。
田中さんの誘いを受け、打ちあわせと言って東京に向かったが、以後一切連絡がなく、行方不明となる。
連絡がないことを不思議に思った友人が、この間の事情を知る韓竜大に再三説明を求めたが、「知らない」と繰り返す。
その後失踪した2人を知る友人たちの間で「2人は北朝鮮にいる」との噂が広まり、韓竜大に近づく者がいなかった。
「救う会兵庫」は平成14年10月に韓竜大、15年7月にその共犯である曹廷楽(チョ・ジョンガリ)についての告発状を兵庫県警に提出している。
■兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
■救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html

《特定失踪者・藤田 進さんについて》
※国連人権理事会が調査要請を受理した事案
◆氏名:藤田 進
(ふじたすすむ)
◆失踪年月日:昭和51(1976)年2月7日
◆生年月日:昭和31(1956)年6月16日
◆性別:男
◆当時の年齢:19歳
◆当時の住所:埼玉県川口市南町
◆当時の身分:東京学芸大学教育学部1年生
◆特徴:
1)家ではあまりしゃべらないタイプ
2)ギターがうまかった
◆失踪場所:埼玉県川口市の自宅

【失踪状況】
失踪当日6:30~7:00頃、以前から言っていた新宿のガードマンのバイトに行くといって服を持って家を出たまま帰らず。
後に新宿にある全ての警備会社に電話で問い合わせたが該当者はいなかった。
脱北者が北朝鮮から持ち出した写真が鑑定の結果、藤田 進さんである可能性が極めて高いことが判明。
平成16年1月28日、埼玉県警に告発状提出。
■埼玉県警HP
http://www.police.pref.saitama.lg.jp/
■救う会埼玉HP
http://sukuukai.gozaru.jp/
■拉致問題を考える川口の会HP
http://kawaguchi.aikotoba.jp/list.htm

《救う会認定拉致被害者・福留貴美子さんについて》
◆氏名:福留 貴美子
(ふくとめきみこ)
◆失踪年月日:1976(昭和51)年7月18日または19日
◆生年月日:1952(昭和27)年1月1日
◆当時の住所:東京都渋谷区恵比寿
◆当時の身分:アルバイト
◆最終失踪関連地点:海外

【失踪状況】
1976(昭和51)年7月中旬、同居していた友人に「モンゴルに行く」と言い残して出国後、行方不明となる。
1980(昭和55)年3月、突然同居していた渋谷区恵比寿の友人宅に現れた後、横浜市の友人宅に2泊した後、「大阪に行く」と言い残して再び行方不明となるが、後に北朝鮮に渡ったよど号犯の岡本 武と結婚し2児をもうけていたことが明らかになる。
1996(平成8)年夏によど号犯グループの小西隆裕から実家に「1988(昭和63)年夏に土砂崩れで死亡したと北朝鮮側から知らせを受けた」旨の手紙が送られてきたが、真相は不明のままである。
■警視庁HP
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp
■神奈川県警HP
http://www.police.pref.kanagawa.jp/
■大阪府警HP
http://www.police.pref.osaka.jp/
■高知県警HP
http://www.police.pref.kochi.lg.jp/

《新潟県警・愛知県警公開特定失踪者・渡邉浩成さんについて》
◆氏名:渡邉 浩成
(わたなべひろまさ)
◆当時の年齢:23歳(昭和60年当時)
◆当時の住所:愛知県名古屋市中区
◆新潟県三条市出身
◆当時の職業:郵便局員
◆身長:170㎝くらい

【失踪状況】
昭和60年12月、岐阜県岐阜市の職場を出た後、行方不明になっています。
■新潟県警HP
http://www.police.pref.niigata.jp/
■愛知県警HP
http://www.pref.aichi.jp/police/
■岐阜県警HP
http://www.pref.gifu.lg.jp/police/



【拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日(キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員の辛光洙(シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県の曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。

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【みんな生きている】朝鮮労働党大会編《分析》/NHK[全国]

2016-05-26 04:50:38 | 日記
《NHKの分析、朝鮮労働党大会で見えたもの》

【5月9日23時55分】
北朝鮮は5月6日から朝鮮労働党大会を開催しました。1980年以降行われていなった党大会をなぜ今になって開催したのか。そして、金正恩(キム・ジョンウン)第1書記のねらいはどこにあったのか。平壌で取材にあたっている中国総局の長砂貴英記者が伝えます。


■外国取材団を受け入れ

朝鮮労働党大会に合わせて北朝鮮は外国メディアの平壌訪問を受け入れました。
日本やアジア各国、それに欧米等から総勢120人が訪れました。私たちNHK取材班も、5月3日に平壌に入りました。私たちは、北朝鮮での取材を金正恩体制の変化を直接うかがう重要な機会と考えていました。


■朝鮮労働党大会とは

北朝鮮では、憲法で朝鮮労働党が国家や政府を指導すると規定されています。この朝鮮労働党の最高指導機関、つまり最高意思決定機関が党大会です。党大会では、最高指導者によって事業の成果が報告される他、党の政策の展望が示されます。また、党幹部の人事等が決定されます。
党大会の開催は今回7回目ですが、過去6回の党大会はいずれも金日成(キム・イルソン)主席の時代に開かれました。
このうち1980年の前回の大会は、3,000人余りが出席し、5日間にわたって開催されました。この大会は、のちに総書記に就任する金正日(キム・ジョンイル)氏が後継者として初めて公の場に姿を現すという重大な節目となりました。
その後、党大会は1度も開かれませんでした。北朝鮮に詳しい専門家からは、経済の低迷や大規模な自然災害、それに深刻な食糧難等で、党大会を大々的に開くだけの余裕がなかったのではないかといった見方が出ています。
金正日総書記も党大会を開こうとしたことはありました。2000年、南北首脳会談の際に韓国の金大中(キム・デジュン)大統領にその意思を明らかにしながら、そののちに「南北情勢の流動化」を理由に取りやめています。
金総書記もできなかった党大会を金第1書記が開く…
北朝鮮にとって、満を持しての開催だったはずです。


■金第1書記の「党委員長」選出

ところが、平壌入りした私たち外国記者団は、当初、北朝鮮当局によって当惑させられることになります。初めのうち、党大会が取材できなかったからです。案内される場所は、元兵器工場跡の記念施設、真新しい高層マンションが立ち並ぶ通り、科学技術の学習施設、経済建設の模範となっている工場等、党大会とは直接関係のないものばかりでした。
党大会4日目の9日、ようやく会場で直接取材する機会が訪れました。ホテルからバスで平壌中心部にある「人民文化宮殿」のホールに案内され、安全検査を受けたあと、「4・25文化会館」に入りました。しばらく待っていると、突然、行進曲が響き始め、着席していた代表らがはじかれたように立ち上がりました。
「万歳」と拍手のなか、スーツにネクタイ姿の金第1書記がひな壇に姿を現し、中央に着席したのでした。そして、金永南(キム・ヨンナム)最高人民会議常任委員長が、「朝鮮労働党委員長である金正恩同志を首班とする党中央委員会政治局と政治局常務委員会が組織された」と述べ、金第1書記が新たに設けられたポストの「党委員長」に選出されたことを
告げたのでした。


■金第1書記が語ったもの

金第1書記は党大会の初日と2日目にかけ「党中央委員会活動総括報告」とする計3時間に及ぶ演説を行いました。
北朝鮮国営の朝鮮中央テレビは「特別重大放送」として演説を金第1書記の肉声で伝えました。
注目されたのは核開発を巡る発言です。「国際社会において、核兵器の拡散を防止する義務を誠実に履行し、世界の非核化を実現するために努力するだろう」と述べ、「世界の非核化」に言及しました。その一方で、4年前の就任直後に憲法を修正して明らかにした、北朝鮮は「責任ある核保有国」だとする立場を改めて示しました。
さらに、核開発と経済の立て直しを並行して進める「並進路線」について、「恒久的に堅持すべき戦略的な路線だ」と述べ、今後も核・ミサイル開発を進めていく考えに変わりがないことを強調しました。
金第1書記の発言を読み解けば、「自分たちはアメリカの非核化を含めた『世界の非核化』を目指しているが、実際にはそうはいかないので、仕方なくみずから身を守るために核開発をしている。われわれの核はあくまでも自衛のためのものだ」というものでしょうか。金日成主席や金正日総書記は語っていた「朝鮮半島の非核化」には言及もしませんでした。国際社会を改めて失望させる結果となりました。
この他、経済に関しては、今年から2020年までの「5か年戦略」を推進し、持続的な発展のための土台を作り上げるとしています。また、韓国に対しては、アメリカ等の外勢を排除して民族が大団結する立場から連邦制による統一の実現を改めて呼びかけました。
一方、金第1書記は、演説の中で日本について、「わが民族への過去の罪悪を反省し、謝罪すべきで、南北統一を妨害してはならない」と述べましたが、拉致問題等、日・朝間の懸案に関する言及はありませんでした。

■政府拉致問題HP
http://www.rachi.go.jp/
■警察庁HP
http://www.npa.go.jp/
■救う会全国協議会HP
http://www.sukuukai.jp/
■特定失踪者問題調査会HP
http://www.chosa-kai.jp/
■北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会HP
http://hrnk.trycomp.net/
■特定失踪者・北朝鮮人権ネットワークfacebook
http://www.facebook.com/nknet2015



◆昭和53(1978)年6月頃
元飲食店店員拉致容疑事案
被害者:田中 実さん(拉致被害時28歳)
欧州に向け出国したあと失踪。
平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。
平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。
■兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
■救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html

《特定失踪者・金田竜光さんについて》
◆氏名:金田 竜光
(かねだたつみつ)
◆失踪年月日:昭和54(1979)年ごろ
◆生年月日:昭和27(1952)年
◆性別:男
◆当時の年齢:26歳
◆当時の住所:兵庫県神戸市東灘区青木
◆当時の身分:ラーメン店店員
◆身長:180cm
◆失踪場所:神戸市東灘区

【失踪状況】
金田さんは韓国籍。
田中 実さん(昭和53年に拉致)と同じ施設で育った。
昭和52年ごろ、田中 実さん拉致実行犯・韓竜大(ハン・ヨンデ)が経営するラーメン店「来大」に就職。昭和53年に田中 実さんを「来大」に紹介し、ともに働く。同年、韓竜大の誘いにより、田中 実さんがオーストリア・ウィーンに出国。
半年ほどして、田中 実さんが差出人になっているオーストリアからの国際郵便を受け取る。その内容は「オーストリアはいいところであり、仕事もあるのでこちらに来ないか」との誘いであった。
田中さんの誘いを受け、打ちあわせと言って東京に向かったが、以後一切連絡がなく、行方不明となる。
連絡がないことを不思議に思った友人が、この間の事情を知る韓竜大に再三説明を求めたが、「知らない」と繰り返す。
その後失踪した2人を知る友人たちの間で「2人は北朝鮮にいる」との噂が広まり、韓竜大に近づく者がいなかった。
「救う会兵庫」は平成14年10月に韓竜大、15年7月にその共犯である曹廷楽(チョ・ジョンガリ)についての告発状を兵庫県警に提出している。
■兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
■救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html

《特定失踪者・藤田 進さんについて》
※国連人権理事会が調査要請を受理した事案
◆氏名:藤田 進
(ふじたすすむ)
◆失踪年月日:昭和51(1976)年2月7日
◆生年月日:昭和31(1956)年6月16日
◆性別:男
◆当時の年齢:19歳
◆当時の住所:埼玉県川口市南町
◆当時の身分:東京学芸大学教育学部1年生
◆特徴:
1)家ではあまりしゃべらないタイプ
2)ギターがうまかった
◆失踪場所:埼玉県川口市の自宅

【失踪状況】
失踪当日6:30~7:00頃、以前から言っていた新宿のガードマンのバイトに行くといって服を持って家を出たまま帰らず。
後に新宿にある全ての警備会社に電話で問い合わせたが該当者はいなかった。
脱北者が北朝鮮から持ち出した写真が鑑定の結果、藤田 進さんである可能性が極めて高いことが判明。
平成16年1月28日、埼玉県警に告発状提出。
■埼玉県警HP
http://www.police.pref.saitama.lg.jp/
■救う会埼玉HP
http://sukuukai.gozaru.jp/
■拉致問題を考える川口の会HP
http://kawaguchi.aikotoba.jp/list.htm



【拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日(キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員の辛光洙(シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県の曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。

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