もずの独り言・goo版

半蔵ともず、gooでも独り言です。『もずの独り言』はこれからも戦い続けます。

【みんな生きている】文京シビックホール(1)-1/田口八重子さん

2016-04-19 18:50:36 | 日記
飯塚繁雄(田口八重子さんの兄、家族会代表)


■帰国に結びつく実質的な協議が是非必要

皆様、こんばんは。
今日はここで国民大集会を開催しましたところ、かなり多くの皆様がご出席いただき、拉致問題を一緒に考えているという雰囲気がひしひしと伝わってきます。
今、司会から話があったように、昨年以来、「最終決戦の時」と言ってきたわけですが、今年になってしまったという経過があります。当然ながら、今この時点での状況を見ますと、まさに拉致問題、被害者を取り巻くあらゆる環境が変わりつつあります。
こういう状況の中で、北朝鮮は数ある蛮行を重ね、国際社会や日本政府や国民に対し、かなりの刺激を与えてきています。これには何らかの目的があると思いますが、私たちとしては、日本人拉致被害者を返すかどうか、取り返せるかどうかがまず論点です。
国際社会は北朝鮮に対して、相当非難を強くし、相当の制裁を課してくると思います。当然ながら、わが日本政府は独自に制裁を課し、また国際社会、国連と歩調を合わせながら北朝鮮に相当強い圧力を与えています。
しかし、これが本当にどれだけ効果があるのかは、今後を見なければ分かりませんが、今までにない相当きつい圧力になると思います。
今北朝鮮で待っている被害者たちは、「本当に帰れるのかしら」と思っていると思います。あらゆる手を使って、日本政府と国民、そして被害者の家族が、何とかして被害者を助け出そうという運動や動きが強いということを察していると思います。
しかしながら、30数年も、あの厳寒の地に捕われの身となって苦しんでいる。
この姿は全く前と変わりません。
従って私たちはよく、「一刻でも早く」、「少しでも早く」ということを訴えていますが、解決の道にはちょっと難しい点もありますが、日本が国際社会と共に制裁をかけている理由は、核・ミサイル・拉致、我々からすれば拉致・核・ミサイルです。その3つの「包括的解決」ということも謳われています。
しかし、拉致問題をかかえているのは日本です。韓国もそうですが。そういう意味では国際的な取り組み以外に、日本独自の対応を取っていくことが必要ではないかと思います。
そういう意味では、北朝鮮との交渉は、あくまでも実質的な協議で、なんとかつながりをつけていただいて、日本独自の協議がうまくまわって、帰国に結びつく実質的な協議が是非必要だと思います。


■今こそ取り返すチャンス

水面下で色々やっていただいているとは思いますが、我々の最終的な目的は被害者の帰国です。我々としてはこれ以上ありません。確かに核・ミサイルは脅威ですが、まず目先にはっきりとした問題として見えるのは拉致です。長年かかっている今こそ取り返すチャンスだと私たちは見ています。
隣の韓国でも、拉致被害者を相当数抱えています。その辺の協力体制を含めて、是非前向きに、能動的に動いていただいて、強力な姿勢を是非示していきたいと思います。北朝鮮に対する圧力を含めた強いカードを示すことにも結び付くと思います。今こそ拉致問題の解決、被害者の帰国にとっていい機会であるというとらえ方で、今後も早急に対応していただけますよう、日本が全国一丸となって解決への取り組みを目指していきたいと思います。
宜しくお願いいたします。
ありがとうございました。

■政府拉致問題HP
http://www.rachi.go.jp/
■警察庁HP
http://www.npa.go.jp/
■救う会全国協議会HP
http://www.sukuukai.jp/
■特定失踪者問題調査会HP
http://www.chosa-kai.jp/



◆昭和53(1978)年6月頃
李恩恵(リ・ウネ)拉致容疑事案
被害者:田口八重子さん(拉致被害時22歳)
昭和62年11月の大韓航空機(KAL)爆破事件で有罪判決を受けた元北朝鮮諜報員金賢姫(キム・ヒョンヒ)氏は「李恩恵(リ・ウネ)」という女性から日本人の振る舞い方を学んだと主張している。この李恩恵は行方不明となった田口さんと同一人物と考えられる。
北朝鮮側は、田口さんは1984(昭和59)年に原 敕晁さんと結婚し、1986(昭和61)年の原さんの病死後すぐに自動車事故で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
平成21年3月、金賢姫氏と飯塚家との面会において、金氏より田口さんの安否にかかる重要な参考情報(注)が新たに得られたことから、現在、同情報についての確認作業を進めている。
(注)金氏の発言:「87年1月にマカオから帰ってきて、2月か3月頃、運転手から田口さんがどこか知らないところに連れて行かれたと聞いた。86年に一人暮らしの被害者を結婚させたと聞いたので、田口さんもどこかに行って結婚したのだと思った」

※「八重子さんが北朝鮮の南浦港に着いたとき、女性通訳に“私には子供が二人いて、どうしても日本に帰らなくてはならないので、返してほしい”と何回も言ってお願いしたそうです。八重ちゃんの思いは最初から最後まで子供のことでいっぱいでしたし、今でも間違い無く“今、彩ちゃんはいくつになって、耕ちゃんはいくつになった”と毎年計算して、どんな大人になったか知りたがっているはずです。すごく会いたがっていると思います」
(拉致被害者・地村富貴恵さんの証言)
■埼玉県警HP
http://www.police.pref.saitama.lg.jp/
■救う会埼玉HP
http://sukuukai.gozaru.jp/
■拉致問題を考える川口の会HP
http://kawaguchi.aikotoba.jp/list.htm

◆昭和55(1980)年6月中旬
辛光洙(シン・グァンス)事件
被害者:原 敕晁さん(拉致被害時43歳)
宮崎県内で発生。
本件については、北朝鮮工作員・辛光洙(シン・グァンス)が韓国当局に対し、原さん拉致を認める証言をしている。
捜査当局は辛光洙について、これまで原さんに成りかわった容疑で逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求してきたが、平成18年4月には、新たに拉致容疑の主犯として逮捕状が発付されている。
北朝鮮側は身柄の引渡しに応じていないどころか、同人を「英雄」として称えている。
また、捜査当局は原さん拉致容疑の共犯者である金吉旭(キム・キルウク)についても逮捕状の発付を得ており、国際手配を行うなどの所要の措置を講じている。
北朝鮮側は、原さんは1984(昭和59)年に田口八重子さんと結婚し、1986(昭和61)年に肝硬変で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。

※「辛光洙は原 敕晁さんになりすますために、原さんについてのあらゆることを調べあげた。それこそ、チャーハンの作り方まで調べあげた」
(石高健次さん)
■大阪府警HP
http://www.police.pref.osaka.jp/
■宮崎県警HP
http://www.pref.miyazaki.lg.jp/police/



【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.

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【みんな生きている】文京シビックホール(1)-2/田口八重子さん

2016-04-19 18:45:47 | 日記
飯塚耕一郎(田口八重子さんの長男、家族会事務局次長)


■話を聞いて、会いたいなという気持ちがものすごく強くなった

皆さん、こんばんは。
本日は夜の時間帯にも関わらず、お出でいただきありがとうございます。
本来ならば、北朝鮮の1月の核実験やミサイル発射、それに対する日本独自の制裁及び国連の安保理決議における北朝鮮に対する経済制裁の採択等で圧力が強まった中で、日本がどういう形で北朝鮮と交渉していくかという話をしようかと思ったんですが、曽我ひとみさんや横田早紀江さんの「諦めないでください」という言葉にものすごく心をうたれてしまって、感情的になってしまっています。
私は、ただ八重子さんに会いたいなという気持ちが、今ものすごく強くなってしまいました。そして八重子さんにも親父に会ってほしいし、そして勝叔父さんにも、もうはげてしまいましたが、会ってほしいなという気持ちです。そして他の叔父、叔母や、私の姉に、八重子さんの孫ですが、絶対会ってほしいなという心がものすごく強くなってしまいました。
私から八重子さんに伝えたいことは、「必ず救うから生きていて待っててほしい」という一言に尽きると思います。そしてこの気持ちは私だけではないはずだと思っています。ここにいる家族の方々や、日本の多くの方々が、必ず八重子さんを含めた北朝鮮にいる被害者の方々を救うんだという強い気持ちで、頑張っていただけると考えています。
皆様に具体的に私から伝えたいことは、これから何かの段階で、日本と北朝鮮が交渉のフェーズに入る可能性があります。それが表なのか水面下なのか、いつ始まるかは全く分かりませんが、皆様にご理解いただきたいのは、今仮に交渉が始まったとしたら、ストックホルム合意に基づいた交渉の形になると思わざるをえません。
私は去年もずっと申し上げましたが、拉致問題を解決することが最優先であるということ。そして拉致問題の解決というのは、被害者の帰国以外にありえないということです。この2点を改めて心に刻んでいただきたいと思います。
私個人は、ストックホルム合意を遵守することは全く意味がなく、2年間物事が進まなかったので、それに基づいて話を進めることは意味はないと思っています。しかしこれは政府側が考えることですので、拉致が最優先であること、帰国以外にありえないということを心に刻んでいただければと思います。
最後になりますが、めぐみさんや、八重子さんや、それ以外の被害者の家族と、こういう会場でお会いするようにご協力いただければと思います。
ありがとうございました。

【西岡 力(補足)】
実のお母さんを八重子さんとまだ呼んでいらっしゃるんですね。1歳の時にお母さんを取られて、飯塚さんの家で育って、お母さんが二人いるという状況だと思います。
では北朝鮮は何と言っているか。「田口八重子さんは、宮崎の海岸で工作員とばったり会って、『観光旅行に北朝鮮に行きたい』と言って、ゴムボートに乗っていった」と。これが北朝鮮の公式の説明です。
子どもを残して、親がハンドバッグ一つで観光旅行に行くと、親子の愛情を引き裂くようなテロです。そして嘘の説明だと思っています。
八重子さんは、金賢姫(キム・ヒョンヒ)の証言によると、「いつも子どもたちの年齢を計算して、夜泣いていた」と。
今晩も、「何歳になっただろうか」、「孫は生まれているんだろうか」というふうに、絶対なっていると思います。助けてあげなければいけないと思っています。

■政府拉致問題HP
http://www.rachi.go.jp/
■警察庁HP
http://www.npa.go.jp/
■救う会全国協議会HP
http://www.sukuukai.jp/
■特定失踪者問題調査会HP
http://www.chosa-kai.jp/



◆昭和53(1978)年6月頃
李恩恵(リ・ウネ)拉致容疑事案
被害者:田口八重子さん(拉致被害時22歳)
昭和62年11月の大韓航空機(KAL)爆破事件で有罪判決を受けた元北朝鮮諜報員金賢姫(キム・ヒョンヒ)氏は「李恩恵(リ・ウネ)」という女性から日本人の振る舞い方を学んだと主張している。この李恩恵は行方不明となった田口さんと同一人物と考えられる。
北朝鮮側は、田口さんは1984(昭和59)年に原 敕晁さんと結婚し、1986(昭和61)年の原さんの病死後すぐに自動車事故で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
平成21年3月、金賢姫氏と飯塚家との面会において、金氏より田口さんの安否にかかる重要な参考情報(注)が新たに得られたことから、現在、同情報についての確認作業を進めている。
(注)金氏の発言:「87年1月にマカオから帰ってきて、2月か3月頃、運転手から田口さんがどこか知らないところに連れて行かれたと聞いた。86年に一人暮らしの被害者を結婚させたと聞いたので、田口さんもどこかに行って結婚したのだと思った」

※「八重子さんが北朝鮮の南浦港に着いたとき、女性通訳に“私には子供が二人いて、どうしても日本に帰らなくてはならないので、返してほしい”と何回も言ってお願いしたそうです。八重ちゃんの思いは最初から最後まで子供のことでいっぱいでしたし、今でも間違い無く“今、彩ちゃんはいくつになって、耕ちゃんはいくつになった”と毎年計算して、どんな大人になったか知りたがっているはずです。すごく会いたがっていると思います」
(拉致被害者・地村富貴恵さんの証言)
■埼玉県警HP
http://www.police.pref.saitama.lg.jp/
■救う会埼玉HP
http://sukuukai.gozaru.jp/
■拉致問題を考える川口の会HP
http://kawaguchi.aikotoba.jp/list.htm

◆昭和55(1980)年6月中旬
辛光洙(シン・グァンス)事件
被害者:原 敕晁さん(拉致被害時43歳)
宮崎県内で発生。
本件については、北朝鮮工作員・辛光洙(シン・グァンス)が韓国当局に対し、原さん拉致を認める証言をしている。
捜査当局は辛光洙について、これまで原さんに成りかわった容疑で逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求してきたが、平成18年4月には、新たに拉致容疑の主犯として逮捕状が発付されている。
北朝鮮側は身柄の引渡しに応じていないどころか、同人を「英雄」として称えている。
また、捜査当局は原さん拉致容疑の共犯者である金吉旭(キム・キルウク)についても逮捕状の発付を得ており、国際手配を行うなどの所要の措置を講じている。
北朝鮮側は、原さんは1984(昭和59)年に田口八重子さんと結婚し、1986(昭和61)年に肝硬変で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。

※「辛光洙は原 敕晁さんになりすますために、原さんについてのあらゆることを調べあげた。それこそ、チャーハンの作り方まで調べあげた」
(石高健次さん)
■大阪府警HP
http://www.police.pref.osaka.jp/
■宮崎県警HP
http://www.pref.miyazaki.lg.jp/police/



【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.

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【みんな生きている】文京シビックホール(2)/平沼赳夫編

2016-04-19 18:40:35 | 日記
平沼赳夫(拉致議連会長)

[メッセージ/代読・西岡 力]


■拉致問題を解決するほか途はない、と金正恩に思い知らせるとき

北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟会長の平沼赳夫です。
本日の国民大集会への参加ができませんことを、まずもって深くお詫び申し上げる次第です。
主催者の一人として、一言メッセージをお届けさせていただきます。
本日お集まりの皆様におかれましては、拉致被害者救出のため、日頃より弛みない活動をいただいておりますことに、心から敬意と感謝を申し上げます。
普通に暮らしていた家族が、友人が、知人が、同じ国に住んでいる同胞が、無法にも拉致されたままになっている。国家として、どんな手段を使ってでも無事に取り戻すこと以上に優先すべきことなど他にありません。
一昨年7月、北朝鮮が特別調査委員会による調査を開始してからも拉致問題は何ら進展していません。私たちは、「拉致被害者を即刻返せ」と怒りの声をぶつけてきましたが、それに対する北朝鮮の応えは、核実験と弾道ミサイルの発射であり断じて許せません。
安倍内閣は、拉致議連の要請を踏まえ、世界で最も厳しい制裁措置を実施しました。拉致議連としても、これを強く支持します。そして、これまでにない強力な内容の制裁決議が国連安保理で採択されました。今こそ、国際社会とスクラムを組んで、北朝鮮に対する圧力を最大限にまで高め、拉致問題を解決するほか途(みち)はない、と金正恩(キム・ジョンウン)に思い知らせるときです。
全ての拉致被害者を家族のもとへ、一刻も早く取り戻すべく、私たちは皆様と心をひとつにして戦い抜いて参ることをお誓い申し上げます。
平成28年4月9日

【西岡 力(補足)】
主催者を代表して、拉致議連の平沼赳夫先生にご挨拶をいただくといころですが、平沼先生は2度目の病気で倒れられました。
1度目の時は回復されて、我々と一緒に海外に行かれたのが2008年でした。アメリカがテロ国家指定解除をするとの情報があり、ヒルさんに会いに、病身を押して行ってくださいました。どの病気も身体にあまりよくないと思うんですが、行ってくださいました。
大臣もされた方なのに、ホワイトハウスに入る時は我々と共に、普通の人たちと同じように並んで入ってくださって、命がけで取り組んでくださったのだなあと思います。
しかし、もう一度倒れられました。今はリハビリをされているということです。
拉致議連の会長としてのメッセージをいただいてきました。
それを代読させていただきます。

■政府拉致問題HP
http://www.rachi.go.jp/
■警察庁HP
http://www.npa.go.jp/
■救う会全国協議会HP
http://www.sukuukai.jp/
■特定失踪者問題調査会HP
http://www.chosa-kai.jp/



◆昭和53(1978)年6月頃
元飲食店店員拉致容疑事案
被害者:田中 実さん(拉致被害時28歳)
欧州に向け出国したあと失踪。
平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。
平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。
■兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
■救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html

《特定失踪者・金田竜光さんについて》
◆氏名:金田 竜光
(かねだたつみつ)
◆失踪年月日:昭和54(1979)年ごろ
◆生年月日:昭和27(1952)年
◆性別:男
◆当時の年齢:26歳
◆身長:180cm
◆当時の身分:ラーメン店店員
◆当時の住所:兵庫県神戸市東灘区青木
◆失踪場所:神戸市東灘区

【失踪状況】
金田さんは韓国籍。
田中 実さん(昭和53年に拉致)と同じ施設で育った。
昭和52年ごろ、田中 実さん拉致実行犯・韓竜大(ハン・ヨンデ)が経営するラーメン店「来大」に就職。昭和53年に田中 実さんを「来大」に紹介し、ともに働く。同年、韓竜大の誘いにより、田中 実さんがオーストリア・ウィーンに出国。
半年ほどして、田中 実さんが差出人になっているオーストリアからの国際郵便を受け取る。その内容は「オーストリアはいいところであり、仕事もあるのでこちらに来ないか」との誘いであった。
田中さんの誘いを受け、打ちあわせと言って東京に向かったが、以後一切連絡がなく、行方不明となる。
連絡がないことを不思議に思った友人が、この間の事情を知る韓竜大に再三説明を求めたが、「知らない」と繰り返す。
その後失踪した2人を知る友人たちの間で「2人は北朝鮮にいる」との噂が広まり、韓竜大に近づく者がいなかった。
「救う会兵庫」は平成14年10月に韓竜大、15年7月にその共犯である曹廷楽(チョ・ジョンガリ)についての告発状を兵庫県警に提出している。
■兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
■救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html



【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.

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【みんな生きている】文京シビックホール(3)/安倍晋三編

2016-04-19 18:35:35 | 日記
安倍晋三(内閣総理大臣、拉致問題対策本部長)


■特別調査委員会の解体は断じて受け入れられない

「国民大集会」開催に当たり、一言、ご挨拶申し上げます。
拉致問題の解決は安倍内閣の最重要課題です。最優先で取り組んでいます。しかしながら、北朝鮮が特別調査委員会による調査を開始してからまもなく2年になろうとしていますが、拉致問題に進展が見られないことは極めて遺憾であります。
このような中、本年1月、北朝鮮は核実験を行い、さらに2月には「人工衛星」と称する弾道ミサイルの発射を強行し、その後も挑発行為を続けています。これらの行為は明白な国連安保理決議違反であり、わが国に対する直接的な脅威であり、断じて容認することはできません。
このような状況を踏まえ、拉致・核・ミサイルといった諸懸案の包括的解決に向け、政府は断固たる独自の措置を決定しました。これに対し北朝鮮は特別調査委員会の解体などを宣言しましたが、わが国としてストックホルム合意を破棄する考えはなく、断じて受け入れることはできません。
先般成立した制裁強化の安保理決議は、国際社会の北朝鮮に対する明確なメッセージです。決議にはわが国の考え方が十分に盛り込まれており、人道上の懸念が訴えられました。わが国は国際社会と協力してこの決議を厳格に実施して参ります。
その後の各首脳会談においては、厳格に国際社会がこの決議を実行していくことが重要であると訴え続けてきております。今般の核セキュリティ・サミットの際には、私はバラク・オバマ(Barack Hussein Obama II)大統領、韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領と意見交換を行い、拉致問題をめぐる日本の立場を説明しました。そして両大統領から改めて日本の取り組みに対する理解と支持を得ることができました。
しかし、北朝鮮は国際社会に耳を傾けることなくICBM(大陸間弾道ミサイル)の燃焼実験など挑発的な行為を続けています。
北朝鮮の最高指導者に対しては、「このような挑発行為には必ず厳しい代償が伴うのであり、拉致・核・ミサイルといった諸懸案を解決しない限り、北朝鮮は明るい未来を描くことはできない」ということを明確に確認させる必要があります。


■「対話のための対話」では意味がない

拉致問題の解決には、「対話のための対話」では意味がありません。同時に対話もしなければ拉致問題は解決しません。
政府としては「対話と圧力」、「行動対行動」の原則の下、国際社会と連携して北朝鮮に厳しい圧力をかけながら、同時に対話の窓口を閉ざすことなく、拉致問題の解決に向けて全力を尽くして参ります。
被害者の方々とご家族の皆様が抱き合うことができる日が来るまで、私たちの使命は終わりません。
われわれは常に拉致被害者、そしてご家族の皆様と共にあります。
一刻も早く拉致被害者の皆さんをご家族のもとに取り戻すべく、これからも国民の皆様とともに全力を尽くしていくことをお誓い申し上げまして、内閣総理大臣としての挨拶とさせていただきます。
皆さん一緒に頑張って参りましょう。

■政府拉致問題HP
http://www.rachi.go.jp/
■警察庁HP
http://www.npa.go.jp/
■救う会全国協議会HP
http://www.sukuukai.jp/
■特定失踪者問題調査会HP
http://www.chosa-kai.jp/



◆昭和53(1978)年6月頃
元飲食店店員拉致容疑事案
被害者:田中 実さん(拉致被害時28歳)
欧州に向け出国したあと失踪。
平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。
平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。
■兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
■救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html

《特定失踪者・金田竜光さんについて》
◆氏名:金田 竜光
(かねだたつみつ)
◆失踪年月日:昭和54(1979)年ごろ
◆生年月日:昭和27(1952)年
◆性別:男
◆当時の年齢:26歳
◆身長:180cm
◆当時の身分:ラーメン店店員
◆当時の住所:兵庫県神戸市東灘区青木
◆失踪場所:神戸市東灘区

【失踪状況】
金田さんは韓国籍。
田中 実さん(昭和53年に拉致)と同じ施設で育った。
昭和52年ごろ、田中 実さん拉致実行犯・韓竜大(ハン・ヨンデ)が経営するラーメン店「来大」に就職。昭和53年に田中 実さんを「来大」に紹介し、ともに働く。同年、韓竜大の誘いにより、田中 実さんがオーストリア・ウィーンに出国。
半年ほどして、田中 実さんが差出人になっているオーストリアからの国際郵便を受け取る。その内容は「オーストリアはいいところであり、仕事もあるのでこちらに来ないか」との誘いであった。
田中さんの誘いを受け、打ちあわせと言って東京に向かったが、以後一切連絡がなく、行方不明となる。
連絡がないことを不思議に思った友人が、この間の事情を知る韓竜大に再三説明を求めたが、「知らない」と繰り返す。
その後失踪した2人を知る友人たちの間で「2人は北朝鮮にいる」との噂が広まり、韓竜大に近づく者がいなかった。
「救う会兵庫」は平成14年10月に韓竜大、15年7月にその共犯である曹廷楽(チョ・ジョンガリ)についての告発状を兵庫県警に提出している。
■兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
■救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html



【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.

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【みんな生きている】文京シビックホール(4)/加藤勝信編

2016-04-19 18:30:35 | 日記
加藤勝信(拉致問題担当大臣)


■国際社会との連携を一層加速化

皆さん、こんばんは。
本日は国民大集会に多くの皆さん方が足を運んでいただきました。拉致問題担当大臣として、心から御礼を申し上げたいと思います。
また国民大集会を開催していただきました家族会、そして救う会、拉致議連、そして知事の会、地方議会全国協議会の皆さん方にも改めて御礼を申し上げたいと思います。
北朝鮮による拉致問題は、わが国の主権、そして国民の生命と安全を脅かした重大な問題です。同時に、将来に夢を持ち、希望を持っていた多くの拉致被害者の方々のそうした思いを打ち砕き、家族の皆さん方との貴重な時間を切り裂いてしまった人権上も人道上も許しがたい犯罪です。
先ほど安倍総理からもお話を申し上げましたが、安倍政権では、拉致問題の解決を最優先の課題として、そして政府の責任において取り組むべき課題であると位置づけています。
私も就任以来、拉致被害者の方々の一日も早い帰国実現をめざして取り組んでいます。しかし残念ながら、北朝鮮はこの拉致問題に誠実に対応しないばかりか、核実験をし、また弾道ミサイルを発射した。これを受けて、わが国として独自の北朝鮮措置を講じたところであります。
そしてその際にも、拉致をその理由として掲げました。これに対し北朝鮮は、「特別調査委員会による調査を中止する」と、また「調査委員会を解体する」と。
こうした話は、我々としては全く受け入れられない。強く抗議するとともに、一日も早い拉致被害者の帰国を強く要求しているところです。
今、北朝鮮に対する国際社会の圧力は、かつてないほど高まりを見せています。
先般の強い内容を含んだ国連決議も然りです。北朝鮮に対する、こうした拉致問題を含めた人面問題で、さらに圧力をかけていくことが非常に大事です。
さらに1月に、マルヅキ・ダルスマン(Marzuki Darusman)という国連北朝鮮人権状況特別報告者と面会しました。彼の活躍も、こうした国際社会の圧力を高めることに大変貢献しています。そして拉致問題の解決に向け、互いに協力することを約束しました。
そして先月下旬、このダルスマン特別報告者の報告を踏まえて採択された国連人権理事会の決議、この中においては北朝鮮における人道問題の犯罪の説明責任を、説明メカニズムを追及する専門家グループの設置を求める、大変強い内容になっています。
こうした国際社会との連携を一層加速化し、そして国際広報においても強化をはかり、拉致問題について、世界に向けて発信し、国際的な理解と連携を求め、解決の気運を高めていこうと思っています。
この集会が始まる前に、拉致被害者のご家族の皆さんとお話をする機会をいただきました。ご家族の皆さんからは、何ら進展がないまま一日一日、一刻一刻と時が経ち、その重み、負担を直接伺いました。そして一日も早く、拉致被害者の方々に会いたいという痛切な思いを聞かせていただきました。
このようなご家族の皆さん方の思いを、しっかり胸に刻み共有するとともに、また北朝鮮において一日も早い帰国を待っておられる拉致被害者の方々の思いに、しっかりと思いをはせていきたいと思っています。
我々としても、ぶれることなく、「対話と圧力」、「行動対行動」の原則を貫き、北朝鮮から誠実な行動をしっかりと引き出していくように、そして認定の有無に関わらず、すべての拉致被害者の方々の一刻も早い帰国の実現に向けて、その強い決意を持って、安倍総理を先頭に政府一体として取り組んでいきたいと思っています。
どうか本日の国民集会においても、拉致は許さないと、そして一日も早く拉致被害者を帰国させよという、国民の皆さん方の一つの強い思いを、一致団結してお示しいただきたいと思います。
皆さんの声をとともに、先ほど安倍総理が申し上げた「政府一体として」取り組んでいくことをお誓い申し上げて、私のご挨拶とさせていただきます。
今日はありがとうございました。

■政府拉致問題HP
http://www.rachi.go.jp/
■警察庁HP
http://www.npa.go.jp/
■救う会全国協議会HP
http://www.sukuukai.jp/
■特定失踪者問題調査会HP
http://www.chosa-kai.jp/



◆昭和53(1978)年6月頃
元飲食店店員拉致容疑事案
被害者:田中 実さん(拉致被害時28歳)
欧州に向け出国したあと失踪。
平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。
平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。
■兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
■救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html

《特定失踪者・金田竜光さんについて》
◆氏名:金田 竜光
(かねだたつみつ)
◆失踪年月日:昭和54(1979)年ごろ
◆生年月日:昭和27(1952)年
◆性別:男
◆当時の年齢:26歳
◆身長:180cm
◆当時の身分:ラーメン店店員
◆当時の住所:兵庫県神戸市東灘区青木
◆失踪場所:神戸市東灘区

【失踪状況】
金田さんは韓国籍。
田中 実さん(昭和53年に拉致)と同じ施設で育った。
昭和52年ごろ、田中 実さん拉致実行犯・韓竜大(ハン・ヨンデ)が経営するラーメン店「来大」に就職。昭和53年に田中 実さんを「来大」に紹介し、ともに働く。同年、韓竜大の誘いにより、田中 実さんがオーストリア・ウィーンに出国。
半年ほどして、田中 実さんが差出人になっているオーストリアからの国際郵便を受け取る。その内容は「オーストリアはいいところであり、仕事もあるのでこちらに来ないか」との誘いであった。
田中さんの誘いを受け、打ちあわせと言って東京に向かったが、以後一切連絡がなく、行方不明となる。
連絡がないことを不思議に思った友人が、この間の事情を知る韓竜大に再三説明を求めたが、「知らない」と繰り返す。
その後失踪した2人を知る友人たちの間で「2人は北朝鮮にいる」との噂が広まり、韓竜大に近づく者がいなかった。
「救う会兵庫」は平成14年10月に韓竜大、15年7月にその共犯である曹廷楽(チョ・ジョンガリ)についての告発状を兵庫県警に提出している。
■兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
■救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html



【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.

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