飯塚繁雄(田口八重子さんの兄、家族会代表)
■帰国に結びつく実質的な協議が是非必要
皆様、こんばんは。
今日はここで国民大集会を開催しましたところ、かなり多くの皆様がご出席いただき、拉致問題を一緒に考えているという雰囲気がひしひしと伝わってきます。
今、司会から話があったように、昨年以来、「最終決戦の時」と言ってきたわけですが、今年になってしまったという経過があります。当然ながら、今この時点での状況を見ますと、まさに拉致問題、被害者を取り巻くあらゆる環境が変わりつつあります。
こういう状況の中で、北朝鮮は数ある蛮行を重ね、国際社会や日本政府や国民に対し、かなりの刺激を与えてきています。これには何らかの目的があると思いますが、私たちとしては、日本人拉致被害者を返すかどうか、取り返せるかどうかがまず論点です。
国際社会は北朝鮮に対して、相当非難を強くし、相当の制裁を課してくると思います。当然ながら、わが日本政府は独自に制裁を課し、また国際社会、国連と歩調を合わせながら北朝鮮に相当強い圧力を与えています。
しかし、これが本当にどれだけ効果があるのかは、今後を見なければ分かりませんが、今までにない相当きつい圧力になると思います。
今北朝鮮で待っている被害者たちは、「本当に帰れるのかしら」と思っていると思います。あらゆる手を使って、日本政府と国民、そして被害者の家族が、何とかして被害者を助け出そうという運動や動きが強いということを察していると思います。
しかしながら、30数年も、あの厳寒の地に捕われの身となって苦しんでいる。
この姿は全く前と変わりません。
従って私たちはよく、「一刻でも早く」、「少しでも早く」ということを訴えていますが、解決の道にはちょっと難しい点もありますが、日本が国際社会と共に制裁をかけている理由は、核・ミサイル・拉致、我々からすれば拉致・核・ミサイルです。その3つの「包括的解決」ということも謳われています。
しかし、拉致問題をかかえているのは日本です。韓国もそうですが。そういう意味では国際的な取り組み以外に、日本独自の対応を取っていくことが必要ではないかと思います。
そういう意味では、北朝鮮との交渉は、あくまでも実質的な協議で、なんとかつながりをつけていただいて、日本独自の協議がうまくまわって、帰国に結びつく実質的な協議が是非必要だと思います。
■今こそ取り返すチャンス
水面下で色々やっていただいているとは思いますが、我々の最終的な目的は被害者の帰国です。我々としてはこれ以上ありません。確かに核・ミサイルは脅威ですが、まず目先にはっきりとした問題として見えるのは拉致です。長年かかっている今こそ取り返すチャンスだと私たちは見ています。
隣の韓国でも、拉致被害者を相当数抱えています。その辺の協力体制を含めて、是非前向きに、能動的に動いていただいて、強力な姿勢を是非示していきたいと思います。北朝鮮に対する圧力を含めた強いカードを示すことにも結び付くと思います。今こそ拉致問題の解決、被害者の帰国にとっていい機会であるというとらえ方で、今後も早急に対応していただけますよう、日本が全国一丸となって解決への取り組みを目指していきたいと思います。
宜しくお願いいたします。
ありがとうございました。
■政府拉致問題HP
http://www.rachi.go.jp/
■警察庁HP
http://www.npa.go.jp/
■救う会全国協議会HP
http://www.sukuukai.jp/
■特定失踪者問題調査会HP
http://www.chosa-kai.jp/
◆昭和53(1978)年6月頃
李恩恵(リ・ウネ)拉致容疑事案
被害者:田口八重子さん(拉致被害時22歳)
昭和62年11月の大韓航空機(KAL)爆破事件で有罪判決を受けた元北朝鮮諜報員金賢姫(キム・ヒョンヒ)氏は「李恩恵(リ・ウネ)」という女性から日本人の振る舞い方を学んだと主張している。この李恩恵は行方不明となった田口さんと同一人物と考えられる。
北朝鮮側は、田口さんは1984(昭和59)年に原 敕晁さんと結婚し、1986(昭和61)年の原さんの病死後すぐに自動車事故で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
平成21年3月、金賢姫氏と飯塚家との面会において、金氏より田口さんの安否にかかる重要な参考情報(注)が新たに得られたことから、現在、同情報についての確認作業を進めている。
(注)金氏の発言:「87年1月にマカオから帰ってきて、2月か3月頃、運転手から田口さんがどこか知らないところに連れて行かれたと聞いた。86年に一人暮らしの被害者を結婚させたと聞いたので、田口さんもどこかに行って結婚したのだと思った」
※「八重子さんが北朝鮮の南浦港に着いたとき、女性通訳に“私には子供が二人いて、どうしても日本に帰らなくてはならないので、返してほしい”と何回も言ってお願いしたそうです。八重ちゃんの思いは最初から最後まで子供のことでいっぱいでしたし、今でも間違い無く“今、彩ちゃんはいくつになって、耕ちゃんはいくつになった”と毎年計算して、どんな大人になったか知りたがっているはずです。すごく会いたがっていると思います」
(拉致被害者・地村富貴恵さんの証言)
■埼玉県警HP
http://www.police.pref.saitama.lg.jp/
■救う会埼玉HP
http://sukuukai.gozaru.jp/
■拉致問題を考える川口の会HP
http://kawaguchi.aikotoba.jp/list.htm
◆昭和55(1980)年6月中旬
辛光洙(シン・グァンス)事件
被害者:原 敕晁さん(拉致被害時43歳)
宮崎県内で発生。
本件については、北朝鮮工作員・辛光洙(シン・グァンス)が韓国当局に対し、原さん拉致を認める証言をしている。
捜査当局は辛光洙について、これまで原さんに成りかわった容疑で逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求してきたが、平成18年4月には、新たに拉致容疑の主犯として逮捕状が発付されている。
北朝鮮側は身柄の引渡しに応じていないどころか、同人を「英雄」として称えている。
また、捜査当局は原さん拉致容疑の共犯者である金吉旭(キム・キルウク)についても逮捕状の発付を得ており、国際手配を行うなどの所要の措置を講じている。
北朝鮮側は、原さんは1984(昭和59)年に田口八重子さんと結婚し、1986(昭和61)年に肝硬変で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
※「辛光洙は原 敕晁さんになりすますために、原さんについてのあらゆることを調べあげた。それこそ、チャーハンの作り方まで調べあげた」
(石高健次さん)
■大阪府警HP
http://www.police.pref.osaka.jp/
■宮崎県警HP
http://www.pref.miyazaki.lg.jp/police/
【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.
■帰国に結びつく実質的な協議が是非必要
皆様、こんばんは。
今日はここで国民大集会を開催しましたところ、かなり多くの皆様がご出席いただき、拉致問題を一緒に考えているという雰囲気がひしひしと伝わってきます。
今、司会から話があったように、昨年以来、「最終決戦の時」と言ってきたわけですが、今年になってしまったという経過があります。当然ながら、今この時点での状況を見ますと、まさに拉致問題、被害者を取り巻くあらゆる環境が変わりつつあります。
こういう状況の中で、北朝鮮は数ある蛮行を重ね、国際社会や日本政府や国民に対し、かなりの刺激を与えてきています。これには何らかの目的があると思いますが、私たちとしては、日本人拉致被害者を返すかどうか、取り返せるかどうかがまず論点です。
国際社会は北朝鮮に対して、相当非難を強くし、相当の制裁を課してくると思います。当然ながら、わが日本政府は独自に制裁を課し、また国際社会、国連と歩調を合わせながら北朝鮮に相当強い圧力を与えています。
しかし、これが本当にどれだけ効果があるのかは、今後を見なければ分かりませんが、今までにない相当きつい圧力になると思います。
今北朝鮮で待っている被害者たちは、「本当に帰れるのかしら」と思っていると思います。あらゆる手を使って、日本政府と国民、そして被害者の家族が、何とかして被害者を助け出そうという運動や動きが強いということを察していると思います。
しかしながら、30数年も、あの厳寒の地に捕われの身となって苦しんでいる。
この姿は全く前と変わりません。
従って私たちはよく、「一刻でも早く」、「少しでも早く」ということを訴えていますが、解決の道にはちょっと難しい点もありますが、日本が国際社会と共に制裁をかけている理由は、核・ミサイル・拉致、我々からすれば拉致・核・ミサイルです。その3つの「包括的解決」ということも謳われています。
しかし、拉致問題をかかえているのは日本です。韓国もそうですが。そういう意味では国際的な取り組み以外に、日本独自の対応を取っていくことが必要ではないかと思います。
そういう意味では、北朝鮮との交渉は、あくまでも実質的な協議で、なんとかつながりをつけていただいて、日本独自の協議がうまくまわって、帰国に結びつく実質的な協議が是非必要だと思います。
■今こそ取り返すチャンス
水面下で色々やっていただいているとは思いますが、我々の最終的な目的は被害者の帰国です。我々としてはこれ以上ありません。確かに核・ミサイルは脅威ですが、まず目先にはっきりとした問題として見えるのは拉致です。長年かかっている今こそ取り返すチャンスだと私たちは見ています。
隣の韓国でも、拉致被害者を相当数抱えています。その辺の協力体制を含めて、是非前向きに、能動的に動いていただいて、強力な姿勢を是非示していきたいと思います。北朝鮮に対する圧力を含めた強いカードを示すことにも結び付くと思います。今こそ拉致問題の解決、被害者の帰国にとっていい機会であるというとらえ方で、今後も早急に対応していただけますよう、日本が全国一丸となって解決への取り組みを目指していきたいと思います。
宜しくお願いいたします。
ありがとうございました。
■政府拉致問題HP
http://www.rachi.go.jp/
■警察庁HP
http://www.npa.go.jp/
■救う会全国協議会HP
http://www.sukuukai.jp/
■特定失踪者問題調査会HP
http://www.chosa-kai.jp/
◆昭和53(1978)年6月頃
李恩恵(リ・ウネ)拉致容疑事案
被害者:田口八重子さん(拉致被害時22歳)
昭和62年11月の大韓航空機(KAL)爆破事件で有罪判決を受けた元北朝鮮諜報員金賢姫(キム・ヒョンヒ)氏は「李恩恵(リ・ウネ)」という女性から日本人の振る舞い方を学んだと主張している。この李恩恵は行方不明となった田口さんと同一人物と考えられる。
北朝鮮側は、田口さんは1984(昭和59)年に原 敕晁さんと結婚し、1986(昭和61)年の原さんの病死後すぐに自動車事故で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
平成21年3月、金賢姫氏と飯塚家との面会において、金氏より田口さんの安否にかかる重要な参考情報(注)が新たに得られたことから、現在、同情報についての確認作業を進めている。
(注)金氏の発言:「87年1月にマカオから帰ってきて、2月か3月頃、運転手から田口さんがどこか知らないところに連れて行かれたと聞いた。86年に一人暮らしの被害者を結婚させたと聞いたので、田口さんもどこかに行って結婚したのだと思った」
※「八重子さんが北朝鮮の南浦港に着いたとき、女性通訳に“私には子供が二人いて、どうしても日本に帰らなくてはならないので、返してほしい”と何回も言ってお願いしたそうです。八重ちゃんの思いは最初から最後まで子供のことでいっぱいでしたし、今でも間違い無く“今、彩ちゃんはいくつになって、耕ちゃんはいくつになった”と毎年計算して、どんな大人になったか知りたがっているはずです。すごく会いたがっていると思います」
(拉致被害者・地村富貴恵さんの証言)
■埼玉県警HP
http://www.police.pref.saitama.lg.jp/
■救う会埼玉HP
http://sukuukai.gozaru.jp/
■拉致問題を考える川口の会HP
http://kawaguchi.aikotoba.jp/list.htm
◆昭和55(1980)年6月中旬
辛光洙(シン・グァンス)事件
被害者:原 敕晁さん(拉致被害時43歳)
宮崎県内で発生。
本件については、北朝鮮工作員・辛光洙(シン・グァンス)が韓国当局に対し、原さん拉致を認める証言をしている。
捜査当局は辛光洙について、これまで原さんに成りかわった容疑で逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求してきたが、平成18年4月には、新たに拉致容疑の主犯として逮捕状が発付されている。
北朝鮮側は身柄の引渡しに応じていないどころか、同人を「英雄」として称えている。
また、捜査当局は原さん拉致容疑の共犯者である金吉旭(キム・キルウク)についても逮捕状の発付を得ており、国際手配を行うなどの所要の措置を講じている。
北朝鮮側は、原さんは1984(昭和59)年に田口八重子さんと結婚し、1986(昭和61)年に肝硬変で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
※「辛光洙は原 敕晁さんになりすますために、原さんについてのあらゆることを調べあげた。それこそ、チャーハンの作り方まで調べあげた」
(石高健次さん)
■大阪府警HP
http://www.police.pref.osaka.jp/
■宮崎県警HP
http://www.pref.miyazaki.lg.jp/police/
【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.