もずの独り言・goo版

半蔵ともず、gooでも独り言です。『もずの独り言』はこれからも戦い続けます。

【みんな生きている】古屋圭司編/産経新聞

2013-08-11 16:28:28 | 日記
《古屋大臣、子供たちに「絶対に許さないと声を上げることが必要」》

古屋圭司拉致問題担当相は8月8日、北朝鮮による拉致問題に関する理解を深めてもらおうと、夏休み恒例の「子ども霞が関見学デー」で内閣府を訪れた小・中学生13人らと意見交換した。
古屋大臣は子供たちの質問を受け

「(拉致問題は)間違いなく進展している。安倍晋三首相は国会議員で一番、拉致に思い入れが深い。『この内閣で解決できなければ、もう解決できない』という気持ちでやっている」

等と語った。
そして、

「みんなが『絶対に許さない』と声を上げることが解決につながる」

と協力を呼びかけた。
子供たちからは「解決してくれると期待しています」等のエールが送られていた。

《特定失踪者・平本和丸さんについて》
◆氏名:平本 和丸
(ひらもとかずまる)
◆失踪年月日:昭和23(1948)年7月
◆生年月日:昭和3(1928)年1月2日
◆性別:男
◆当時の年齢:20歳
◆身長:165cm~167cm
◆当時の身分:終戦後大洋漁業のトロール船に乗っていた。昭和23年頃本社勤めになった。
◆失踪場所:九州

【失踪状況】
7月20日以降、当時広島県安芸郡に居住していた実弟・敏昭を尋ね「船で遠洋に出るため当分会えない。お別れに来た」と言って7日~10日間逗留。
その後大分県中津市の朝鮮在住時代の友人宅に行き何日か逗留した後、失踪。
勤務していた会社にも連絡なし。
朝鮮から引き揚げ者で、中学生まで咸鏡南道咸興に居住していた。
親の反対を押し切って海軍予科練に内地で入隊し、終戦を迎えた。

《特定失踪者・平本敏昭さんについて》
◆氏名:平本 敏昭
(ひらもととしあき)
◆失踪年月日:昭和25(1950)年9月21日
◆生年月日:昭和4(1929)年6月19日
◆性別:男
◆当時の年齢:21歳
◆身長:180cm
◆当時の身分:広島県内で小学校教諭
◆失踪場所:大分県中津市

【失踪状況】
8月17日10時頃、学校へ出勤したまま行方がわからなくなる。
9月7~8日頃学校から電話で出勤していないことを知る。
その後しばらくして、大分県中津市の朝鮮在住時代の友人宅にに9月21日頃まで逗留していたと判明。
兄・和丸(昭和23年失踪)を探していたとのこと。

《特定失踪者・永田 進さんについて》
◆氏名:永田 進
(ながたすすむ)
◆失踪年月日:昭和39(1964)年8月25日
◆生年月日:昭和18(1943)年2月13日
◆性別:男
◆当時の年齢:21歳
◆身長:170cm~172cm
◆当時の身分:会社員
◆特徴:右足に火傷痕
◆失踪場所:大阪市住吉区長居東

【失踪状況】
近くの銭湯に行くと言って1人で寮を出たまま行方不明。
1967年9~10月頃、本人のペンフレンドの女性(関西方面在住)の手紙を見つけ、状況をしたためたが、返事なし。

《特定失踪者・小丸勝義さんについて》
氏名 小丸 勝義
(こまるかつよし)
◆失踪年月日:昭和40(1965)年4月10日
◆生年月日:昭和17(1942)年12月24日
◆性別:男
◆当時の年齢:22歳
◆当時の住所:大阪府堺市
◆身長:170cm
◆体重:60kg
◆当時の身分:造船会社勤務
◆特徴:右肩の中心に縫合痕あり
◆失踪場所:東京または舞鶴

【失踪状況】
大阪の大学を卒業して舞鶴の造船会社に就職が決まり、東京本社で研修を終えて赴任地舞鶴までの切符をもらって以後行方不明。
汽車に乗ったのかどうかも分からない。

《特定失踪者・山本正樹さんについて》
◆氏名:山本 正樹
(やまもとまさき)
◆失踪年月日:昭和41(1966)年7月11日
◆生年月日:昭和12(1942)年6月1日
◆性別:男
◆当時の年齢:29歳
◆身長:160cm
◆当時の身分:会社員
◆失踪場所:大阪府枚岡(現・東大阪)市

【失踪状況】
同年3月自動車で軽い人身事故を起こした。
7月に家族が大阪の自宅アパートを訪ねたところ「数日友達の所へ行ってきます。誰が訪ねてきても行方不明と言ってくれ」というメモがあった。
隣室の人に聞くと「2日前にスーツケースを持って出て行くのを見た」と言っていた。
その後消息なし。
交通事故の裁判があったがそれにも出てこなかった。

《特定失踪者・宮脇留義さんについて》
◆氏名:宮脇 留義
(みやわきとめよし)
◆失踪年月日:昭和41(1966)年9月30日
◆生年月日:昭和14(1939)年3月15日
◆性別:男
◆当時の年齢:30歳
◆身長:165cm
◆当時の身分:製鉄所社員
◆当時の住所:山口県光市
◆特徴:
1)中肉中背
2)骨組みがっちり
3)手足大きめ
4)左目尻に1cmくらいの傷あり
5)右足膝下に5cmくらいの切り傷あり
6)話し方に時々鹿児島弁訛りが出る
◆失踪場所:山口県光市

【失踪状況】
鹿児島県出身。
福岡や名古屋の会社で働いた後、山口県光市の製鉄所で昭和38年から勤務していたが昭和41年9月下旬、会社から「居なくなったが、帰省していないか」旨の手紙が実家に届き、失踪が判明した。
事後の調べで郵便貯金が同年9月30日付で全額引き出されていたが、本人が引き出したかは判明していない。

《特定失踪者・坂本英明さんについて》
◆氏名:坂本 英明
(さかもとひであき)
◆失踪年月日:昭和42(1967)年11月20日
◆生年月日:昭和10(1935)年11月15日
◆性別:男
◆当時の年齢:32歳
◆身長:165cm
◆体重:50kg
◆当時の身分:会社員。その前は航空自衛隊に6年勤務。
◆失踪場所:大阪府大阪市西区立売堀

【失踪状況】
免許の更新に行くと言って会社の独身寮から外出したまま外出したまま戻らず。更新の手続きはされていない。

《特定失踪者・矢野和幸さんについて》
◆氏名:矢野 和幸
(やのかずゆき)
◆失踪年月日:昭和45(1970)年3月9日
◆生年月日:昭和26(1951)年8月20日
◆性別:男
◆当時の年齢:18歳
◆当時の身分:宮崎県延岡工業高校卒業直後。川崎市に就職が決まっていた。
◆特徴:
1)左右は不明だが眉に小さい頃怪我をした跡がある
2)鼻のへこんだところに傷跡が少しある
3)耳たぶの左右どちらかの少し上に小豆大の痣がある
◆失踪場所:大阪府大阪市港区三和銀行を出てから

【失踪状況】
和幸さんが高校2年のときに両親が仕事の都合で宮崎県延岡市から大阪市港区港晴に引っ越し、卒業まで父の妹宅にいる。
川崎市の会社に就職が決まり、布団その他を会社宛に送った。
失踪当日午後2時頃、旅費と小遣いを三和銀行で下ろし、そのまま行方不明。

《特定失踪者・佐藤益一さんについて》
◆氏名:佐藤 益一
(さとうますいち)
◆失踪年月日:昭和45(1970)年6月15日
◆生年月日:昭和20(1945)年3月31日
◆性別:男
◆当時の年齢:25歳
◆当時の身分:会社員(日立製作所勤務)
◆当時の住所:大阪府池田市
◆特徴:縮毛
◆失踪場所:大阪府池田市か?

【失踪状況】
6月13日に「淡路島に遊びに行く」と連絡があった。背広のポケットから同日付のフェリー切符が見つかる。
池田警察署で付近の川・池・沼を捜索、親族で箕面公園一帯を捜したが見つからず。

《特定失踪者・木村秋男さんについて》
◆氏名:木村 秋男
(きむらあきお)
◆失踪年月日:昭和47(1972)年頃
◆生年月日:昭和23(1948)年12月19日
◆性別:男
◆当時の年齢:23歳
◆身長:167cmくらい
◆体重:60kgくらい
◆当時の身分:無職(会社退職後)
◆特徴:やや細い
◆失踪場所:大阪府堺市

【失踪状況】
昭和46年頃、姉が京都にいたとき友人とともにやってきたのが家族の会った最後。
堺市の会社を友人らと一緒に辞めたようだが、その後消息がない。

《特定失踪者・山口浩一さんについて》
◆氏名:山口 浩一
(やまぐちこういち)
◆失踪年月日:昭和48(1973)年5月
◆生年月日:昭和29(1954)年9月28日
◆性別:男
◆当時の年齢:18歳
◆当時の住所:大阪府東大阪市
◆血液型:O型
◆失踪場所:青森県十和田湖か?

【失踪状況】
青森の十和田湖のホテルから「お金が足りない」と連絡のあと、女性とともに行方不明。

《特定失踪者・江藤健一さんについて》
◆氏名:江藤 健一
(えとうけんいち)
◆失踪年月日:昭和48(1973)年8月19日
◆生年月日:昭和28(1953)年5月27日
◆性別:男
◆当時の年齢:20歳
◆当時の住所:千葉県千葉市幕張町
◆身長:175cm
◆当時の身分:会社員・千葉大工業短期大学部印刷工学科2回生
◆特徴:
1)体型は普通
2)小指の片方が曲がっている
3)髪の毛は縮れ毛
4)一重瞼
◆失踪場所:千葉県千葉市幕張町か?

【失踪状況】
失踪当日朝8時、勤務先に「明日から出社する」と電話。
友人3人がアパートに来たが留守。次の日の正午まで待つが帰らず。
直前の8月13日、大阪の実家に帰省している。

《特定失踪者・竹内久美子さんについて》
◆氏名:竹内 久美子
(たけうちくみこ)
◆失踪年月日:昭和50(1975)年3月23日
◆生年月日:昭和37(1942)年2月25日
◆性別:女性
◆当時の年齢:13歳
◆血液型:B型
◆当時の身分:小学校卒業直後
◆当時の住所:大阪市住吉区
◆特徴:右足ふくらはぎに5cmの薄い火傷痕
◆失踪場所:大阪市住吉区

【失踪状況】
当日15:20頃「靴下を履き替える」と言った。
その後貯金箱を揺らす音がした。
それ以後行方不明。
2カ月程前から「私に誰かから電話がなかった?」と何度も聞いた。自宅の電話料金が1月から急に高くなった。



【拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日(キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員の辛光洙(シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県の曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。

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【みんな生きている】古屋圭司編/JNN

2013-08-11 16:24:34 | 日記
夏休み恒例の「子ども霞が関デー」で8月8日、小・中学生が古屋圭司拉致問題担当大臣のもとを訪れ、拉致問題の進展について大臣に鋭い質問を浴びせました。

「安倍内閣になってから拉致問題について事態に進展はあったんですか?」
(小学4年生の男子児童)

「なるほど。これはなかなか鋭い質問だね。間違いなく動いてます。でも、まだ拉致被害者が日本には帰って来ていない」
(古屋圭司拉致問題担当大臣)

小学生から拉致問題の進展について聞かれた古屋大臣は
「北朝鮮と国交のあるモンゴルやベトナム等外国にも協力をお願いし、水面下で交渉をしている。被害者が帰ってくる方向に向け事態が大きく動き始めていることは間違いない」
と答えました。
子供たちは、古屋大臣に
「北朝鮮が、自分たちのために拉致で日本人を巻き込んだのはひどいと思う」
等と自分たちの考えを伝えました。
これに対し古屋大臣は
「金正恩(キム・ジョンウン)第1書記や側近に拉致被害者を帰すよう伝えるため、あらゆる手段をとっている」
と説明しました。

《特定失踪者・阿比留健次さんについて》
◆氏名:阿比留 健次
(あびるけんじ)
◆失踪年月日:昭和55(1980)年1月
◆生年月日:昭和20(1945)年2月16日
◆性別:男
◆当時の年齢:34歳
◆身長:165cm
◆体重:58kgくらい
◆当時の身分:運送業
◆特徴:耳に黒いホクロ
◆特技:大型・普通・自動二輪・牽引・高圧ガス移動監視者講習修了
◆失踪場所:大阪府大阪市港区

【失踪状況】
車(トラック)持ち込みで働いていた。
昭和50年夏に家族が会って以来連絡がつかなかったが、55年1月に警察から家族に車が放置されているとの連絡があった。
以後行方不明。

《特定失踪者・藤山恭郎さんについて》
◆氏名:藤山 恭郎
(ふじやまやすろう)
◆失踪年月日:昭和57(1982)年12月14日
◆生年月日:昭和35(1960)年1月13日
◆性別:男
◆当時の年齢:22歳
◆当時の住所:大阪府大阪市
◆血液型:B型
◆当時の身分:大学中退直後
◆失踪場所:大坂府大阪市?

【失踪状況】
昭和57(1982)年12月14日、本人から実家に荷物と手紙が来てそれ以来、音信不通。
親子関係は良好だったが、昭和57年夏、帰省中に大学を中退したい、郵政省の試験を受けたいなどと話す。
昭和57年12月9日大学に中退届け。
失踪後約1年間、毎月15日前後に呼び鈴が2~3回なりすぐ切れる電話があった。
一度、父親が出ると声が聞き取れずにすぐに切れた。

《特定失踪者・山内和弘さんについて》
◆氏名:山内 和弘
(やまうちかずひろ)
◆失踪年月日:昭和58(1983)年12月28日
◆生年月日:昭和40(1965)年10月5日
◆性別:男
◆当時の年齢:18歳
◆身長:170cm
◆体重:60kg
◆当時の身分:高校3年生
◆特徴:
1)近眼のため度の強いメガネを使用
2)髪がやや縮れている
◆失踪場所:大阪府堺市の自宅

【失踪状況】
12月28日の夜か早朝家を出た模様。
机の中には大学受験の共通一次の受験票や二次の受験用申し込み書がカッターで切ってあった。

《特定失踪者・亀谷博昭さんについて》
◆氏名:亀谷 博昭
(かめたにひろあき)
◆失踪年月日:昭和61(1986)年1月11日
◆生年月日:昭和37(1962)年7月14日
◆性別:男
◆当時の年齢:23歳
◆身長:168cm
◆体重:55kg
◆当時の身分:会社員・精密機器組み立て
◆失踪場所:大阪府

【失踪状況】
朝自宅から交野市の会社へ出勤したまま行方不明。
いつもと全く変わった様子はなかった。

《特定失踪者・尾上民公乃さんについて》
◆氏名:尾上 民公乃
(おのうえみこの)
◆失踪年月日:昭和62(1987)年6月6日
◆生年月日:昭和41(1966)年11月26日
◆性別:女性
◆当時の年齢:20歳
◆身長:161cm
◆体重:49kg
◆当時の身分:スナックのアルバイト
◆当時の住所:大阪府八尾市
◆失踪場所:大阪府南区(現中央区)心斎橋

【失踪状況】
5日午後11時30分頃、大阪市北区内のスナックへ行った後、友人の車に同乗。
その友人は午前3時50分頃心斎橋の路上に停車、エンジンをかけたまま尾上さんを助手席に残し、近くのビルの飲食店にいる知人と連絡をとりに行った。
その友人が約30分後に戻ると車ごと消えていた。
尾上さんは免許を取得したばかりで運転歴殆どなし。
翌朝、福岡市博多港の沖浜町中央埠頭東側岸壁から乗っていた車が海中に落ちるところを釣り人が目撃。
ドアはいずれも閉まっていたが助手席の窓は開いていた。
遺体は発見されていない。
車内には友人のセカンドバックがあったが、なくなっていた。
北朝鮮にいるとの不確定情報がある。

《特定失踪者・崎山 実さんについて》
◆氏名:崎山 実
(さきやまみのる)
◆失踪年月日:昭和63(1988)年11月24日
◆生年月日:昭和39(1964)年5月24日
◆性別:男
◆当時の年齢:24歳
◆当時の身分:会社員
特徴:
1)小柄
2)猫背ぎみ
3)八重歯
◆失踪場所:大阪府

【失踪状況】
突然家族との連絡がとれなくなった。
部屋へ行ってみると荷物はそのままだった。
沖縄出身。

《特定失踪者・森本規容子さんについて》
◆氏名:森本 規容子
(もりもときよこ)
◆失踪年月日:平成3(1991)年9月22日
◆生年月日:昭和47(1972)年11月25日
◆性別:女性
◆当時の年齢:18歳
◆身長:160cm
◆体重:43kg~45kg
◆当時の身分:会社員
◆特徴:やせ型で色白
◆失踪場所:兵庫県西宮市から大阪市にかけて

【失踪状況】
大阪市梅田の本屋に行くと自宅を出て失踪。
家での心当たりなし。
失踪前日の21日夜に友人と電話で29日に映画を観る約束をしている。
当時の所持金少々。金銭トラブル、人間関係のトラブルなし。
失踪後連絡なし。
失踪状況は福山ちあきさんと類似している。
北朝鮮にいるとの不確定情報がある。

《特定失踪者・福山ちあきさんについて》
◆氏名:福山 ちあき
(ふくやまちあき)
◆失踪年月日:平成3(1991)年11月3日
◆生年月日:昭和48(1973)年9月16日
◆性別:女性
◆当時の年齢:18歳
◆当時の住所:大阪府大阪市浪速区
◆身長:156cm
◆体重:45kg~46kg
◆当時の身分:高校3年生
◆特徴:
1)右の目の上のまぶたの上に子供の時ベッドから落ちたときの傷がかすかにある
2)前歯は2本少し大きい
◆失踪場所:大阪市

【失踪状況】
アルバイト先から帰宅途中、大阪市営地下鉄動物園前駅で友人と別れ、それ以後行方不明。
就職も決まっていた。
生活道具は一切そのまま。
北朝鮮にいるとの不確定情報がある。

《特定失踪者・植村留美さんについて》
◆氏名:植村 留美
(うえむらるみ)
◆失踪年月日:平成7(1995)年3月26日
◆生年月日:昭和46(1971)年7月14日
◆性別:女性
◆当時の年齢:23歳
◆当時の住所:大阪府堺市美原区
◆身長:165cm
◆体重:74kg
◆当時の身分:無職
◆特徴:
1)近視
2)色白
3)小太り
◆靴のサイズ:24.5cm
◆失踪場所:大阪府南河内郡美原町の自宅付近

【失踪状況】
同日朝6時ごろ、散歩に出たまま行方不明。
昼頃、駅など心当たりを探したが見つからないので夕方に警察に届けを出す。
近所の人たち、父の会社の社員など30人で川、山、小屋、空き家などを10日ほど探すが手がかり、目撃者なし。
当時、軽装で遠出する服装でなく、財布、バックも持たない。

《特定失踪者・金田祐司さんについて》
◆氏名:金田 祐司
(かなたゆうじ)
◆失踪年月日:平成8(1996)年8月22日
◆生年月日:昭和35(1960)年7月22日
◆性別:男
◆当時の年齢:36歳
◆当時の住所:大阪府堺市
◆当時の身分:学生(直前まで大阪府職員)
◆失踪場所:大阪府

【失踪状況】
平成8年7月、MBA取得のため渡米。
8月14日に留学先のロサンゼルス着の電話が実家にあったが、24日に「病気になったので帰国して治療する」との手紙(19日付)が実家に届く。
入管、関空に問い合わせると、20日に関空に帰国していることが分かった。
また、帰国後ATM等から預金を引きだしている(防犯カメラにて本人であることを確認)。
以後行方が分かっていない。

《特定失踪者・武内 卓さんについて》
◆氏名:武内 卓
(たけうちたかし)
◆失踪年月日:平成8(1996)年1月14日
◆生年月日:昭和32(1957)年1月20日
◆性別:男
◆当時の年齢:38歳
◆当時の住所:神奈川県横浜市
◆血液型:O型
◆当時の身分:警備員
◆失踪場所:神奈川県愛甲郡清川村丹沢大山国定公園

【失踪状況】
平成7年9月にアメリカより帰国し、同12月1日に横浜市で警備員の仕事に就く。
翌年1月12・13日の連休にレンタカーを借りて出かける。13日夕方に車を返す予定だったが、同日夕方に返却を1日延ばして欲しい旨の連絡がレンタカー会社に入るが翌日になっても戻らず。
14日の夜からは夜勤があった。
レンタカーは神奈川県の丹沢大山国定公園の駐車場で発見され、警察でも山を中心に捜索を行なった。
1月23日朝に勤務先から実家に電話があって失踪したことがわかった。
レンタカーの中には本人のジャンパーと地図、パンなどを食べた包紙があり、ガソリンスタンドのレシートもあった。
14日朝8時、丹沢の山麓のガソリンスタンドで満タンにしている。



【拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日(キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員の辛光洙(シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県の曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。

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【みんな生きている】山谷えり子編

2013-08-11 16:20:26 | 日記
自民党の「北朝鮮による拉致問題対策本部」本部長の山谷えり子参院議員は8月7日、日本維新の会のアントニオ猪木参院議員が、北朝鮮に対する国際連携による圧力強化に否定的な発言をしたことを批判しました。
山谷議員は
「国際社会が連携してこそ、解決に進む。これまでの経緯を無視した発言だ」
と、同本部会合後、記者団に指摘しました。
猪木議員は8月5日の日本外国特派員協会での記者会見で「拉致は2国間の問題だから、世界を回って訴える話ではない」と述べていました。

《特定失踪者・賀上大助さんについて》
◆氏名:賀上 大助
(かがみだいすけ)
◆失踪年月日:平成13(2001)年12月22日
◆生年月日:昭和53(1978)年8月17日
◆性別:男
◆当時の年齢:23歳
◆当時の住所:大阪府大阪市淀川区、阪急十三駅近くの社員寮
◆身長:169cm
◆体重:64kg
◆当時の身分:会社員
◆特徴:
1)左目下に小さいほくろ
2)近眼
3)本来は左利きだが筆記と箸は右
4)虫垂炎の手術跡
5)音楽好きでピアノが弾ける
◆失踪場所:大阪府大阪市の会社の寮

【失踪状況】
22日午後2時頃帰寮したのを防犯カメラで確認。
午後9時に電子メールを出している。
午後10時18分、部屋のドアを施錠したあと、足取り不明。
夜出歩くタイプではない。
眼鏡、携帯充電器が残されている。
財布、携帯電話くらいしか持って出ていない。
預金も手つかず、携帯からの発信は22日午前零時以降なし。
友人との約束、上司との会話から年末は徳島県の実家に帰るつもりでいたことが窺える。
帰省に備え預金5万円を別の銀行に移している。

《特定失踪者・沖田徳喜さんについて》
◆氏名:沖田 徳喜
(おきたなるき)
◆失踪年月日:平成15(2003)年2月1日
◆生年月日:昭和35(1960)年4月14日
◆性別:男
◆当時の年齢:42歳
◆身長:167cm
◆体重:75kg
◆当時の身分:海運業(自営で貨物船を所有)
特徴:
1)中肉中背
2)左頬にほくろ
3)右こめかみに小豆大のイボ
4)目が二重で大きい
◆失踪場所:大阪府大阪市大正区の大阪港

【失踪状況】
当日大阪の泉北で荷物を半分揚げ、午後3時30分頃大阪鉄鋼埠頭に入港。
大阪で行きつけの居酒屋でお酒を飲み、さらにその店の従業員と近所の居酒屋で飲む。
その後その従業員が車で岸壁の近くの水門の前まで送った。
翌々日の3日に残りの荷物を揚げる時間になっても帰らず。
海に転落したと思い2月4日から5日間海中・海上を探した。
その付近は表面は流れがあるが潮の流れがなく、ほとんど見つかるとのこと。

《大阪府警公開特定失踪者・冨田弘子さんについて》
◆:冨田 弘子
(とみたひろこ)
◆当時の年齢:23歳(昭和32年当時)
◆当時の住所:大阪市都島区
◆当時の職業:会社員
◆身長153cm
◆特徴:中肉

【失踪状況】
昭和55年8月1日、自宅から行方不明となっています。

《大阪府警公開特定失踪者・前 弘光さんについて》
◆氏名:前 弘光
(まえひろみつ)
◆当時の年齢:25歳(昭和34年当時)
◆当時の住所:東京都杉並区
◆当時の職業:工員
◆身長:160cm
◆特徴:中肉

【失踪状況】
昭和34年3月12日、自宅を出た後、行方不明となっています。

《大阪府警公開特定失踪者・寺田正弘さんについて》
◆氏名:寺田 正弘
(てらだまさひろ)
◆当時の年齢:19歳(昭和38年当時)
◆当時の住所:大阪市城東区
◆当時の職業:会社員
◆身長:168cm
◆体重:50kg
◆特徴:やせ型

【失踪状況】
昭和38年5月頃、勤務していた大阪市内の会社を退職した後、行方不明となっています。

《大阪府警公開特定失踪者・槙野國貞さんについて》
◆氏名:槙野 國貞
(まきのくにさだ)
◆当時の年齢:19歳(昭和38年当時)
◆当時の住所:大阪府大阪市
◆職業:会社員(運送業)
◆身長:155cmくらい

【失踪状況】
昭和38年12月6日の午後6時30分頃、大阪市内で運送の仕事を終え、同市内の道路上に自動車を放置したまま、行方不明になっています。

《大阪府警公開特定失踪者・菅原秀夫さんについて》
◆氏名:菅原 秀夫
(すがはらひでお)
◆当時の年齢:21歳(昭和39年当時)
◆当時の住所:大阪府東大阪市
◆当時の職業:運送業
◆身長:170cm
◆特徴:中肉で面長

【失踪状況】
昭和39年10月頃、自宅を外出した後、行方不明となっています。

《大阪府警公開特定失踪者・西島稔治さんについて》
◆氏名:西島 稔治
(にしじまとしはる)
◆当時の年齢:24歳(昭和40年当時)
◆当時の住所:大阪市東淀川区
◆当時の職業:大工
◆身長:165cm
◆特徴:
1)中肉
2)後頭部に2cmの打撲痕

【失踪状況】
昭和40年8月上旬頃、自宅を外出した後、行方不明となっています。

《大阪府警公開特定失踪者・北庄司悦男さんについて》
◆氏名:北庄司 悦男
(きたしょうじえつお)
◆当時の年齢:24歳(昭和44年当時)
◆当時の住所:大阪府岸和田市
◆当時の職業:公社勤務
◆身長:170cm

【失踪状況】
昭和44年2月16日、自宅から行方不明となっています。

《大阪府警公開特定失踪者・牧薗典夫さんについて》
◆氏名:牧薗 典夫
(まきぞののりお)
◆当時の年齢:21歳(昭和44年当時)
◆当時の住所:兵庫県西宮市
◆当時の職業:工員
◆身長:161cm
◆体重:55kg

【失踪状況】
昭和44年1月20日、勤務先の寮から行方不明となっています。

《大阪府警公開特定失踪者・下寺 弘さんについて》
◆氏名:下寺 弘
(しもでらひろし)
◆当時の年齢:38歳(昭和45年当時)
◆当時の住所:兵庫県尼崎市
◆当時の職業:会社員
◆身長:151cm
◆体重:55kg
◆特徴:
1)やせ型
2)左手首に2cmの火傷痕

【失踪状況】
昭和45年9月5日、勤務していた尼崎市内の会社を退職した後、行方不明となっています。

《大阪府警公開特定失踪者・竹村達也さんについて》
◆氏名:竹村 達也
(たけむらたつや)
◆当時の年齢:37歳
◆生年月日:昭和10年7月11日
◆当時の住所:茨城県那珂郡
◆当時の職業:公務員
◆身長:165cm
◆体重:55kg

【失踪状況】
昭和47年3月1日、茨城県下の勤務先を退職した後、行方不明となっています。

《大阪府警公開特定失踪者・山本恭子さんについて》
◆氏名:山本 恭子
(やまもときょうこ)
◆年齢:24歳(昭和48年当時)
◆当時の住所:大阪府堺市
◆当時の職業:会社員
◆身長153cm
◆血液型:O型
◆特徴:
1)中肉
2)色白
3)右肩と右肘に火傷痕

【失踪状況】
昭和48年8月6日、堺市内の自宅から300メートルほど離れた歯医者で治療を受け、午後7時頃に同医院を出てから行方不明となっています。

《大阪府警公開特定失踪者・山本正之さんについて》
◆氏名:山本 正之
(やまもとまさゆき)
◆当時の年齢:33歳(昭和50年当時)
◆当時の住所:大阪市
◆当時の職業:会社員
◆身長:180cm
◆血液型:O型
◆特徴:やせ型

【失踪状況】
昭和50年3月3日、「仕事を探しに行く」と言って自宅を出た後、行方不明となっています。

《大阪府警公開特定失踪者・阪口明寛さんについて》
◆氏名:阪口 明寛(さかぐちあきひろ)
◆当時の年齢:43歳(昭和54年当時)
◆当時の住所:大阪府泉南市
◆当時の職業:会社員
◆身長:165cm
◆体重:65kg
◆血液型:O型
◆特徴:鼻右側にイボ

【失踪状況】
昭和54年1月23日、勤務先(泉南市内)から自宅に戻って昼食をとった後、「仕事の段取りがある」と言って自転車で家を出たまま行方不明となっています。

《大阪府警公開特定失踪者・村田栄一さんについて》
◆氏名:村田 栄一
(むらたえいいち)
◆当時の年齢:31歳(昭和57年当時)
◆当時の住所:大阪府藤井寺市
◆当時の職業:クリーニング店の店員
◆身長:168cm
◆特徴:やせ型

【失踪状況】
昭和57年8月上旬頃、住んでいたアパートに家財道具等を残したまま行方不明となっています。

《大阪府警公開特定失踪者・肥田珠紀さんについて》
◆氏名:肥田 珠紀(ひだたまき)
◆当時の年齢:22歳(平成6年当時)
◆当時の住所:大阪府
◆当時の職業:アルバイト
◆身長:160cm
◆体重:47kg
◆血液型:A型
◆特徴:やせ型

【失踪状況】
平成6年9月29日、自宅を出た後、行方不明となっています。

《大阪府警公開特定失踪者・吉井真三さんについて》
◆氏名:吉井 真三
(よしいしんぞう)
◆当時の年齢:26歳(平成6年当時)
◆当時の住所:大阪府東大阪市
◆当時の職業:アルバイト
◆身長:175cm
◆血液型:A型
◆特徴:やせ型

【失踪状況】
平成6年2月20日、フランスへ渡航した後、同年3月初旬の家族への電話連絡を最後に行方不明となっています。

《大阪府警公開特定失踪者・梅本征雄さんについて》
◆氏名:梅本 征雄
(うめもとまさお)
◆当時の年齢:57歳(平成11年当時)
◆当時の住所:大阪市淀川区
◆当時の職業:会社員
◆身長:168cm
◆体重:68kg

【失踪状況】
平成11年2月23日頃から、一人住まいの自宅に戻っておらず、行方不明となっています。

《大阪府警公開特定失踪者・山本勘市さんについて》
◆氏名:山本 勘市
(やまもとかんいち)
◆当時の年齢:60歳(平成11年当時)
◆当時の住所:大阪市阿倍野区
◆当時の職業:自営業(建設業)
◆身長:148cm
◆体重:48kg
◆血液型:A型
◆特徴:左手甲に13cmの創傷痕

【失踪状況】
平成11年4月27日、仕事から帰宅後、「滋賀の方へ行ってくる、連休明けには帰る」と言って外出した後、行方不明となっています。



【拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日(キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員の辛光洙(シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県の曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。

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【みんな生きている】COI編

2013-08-11 16:16:24 | 日記
《COI、来日》

国連人権理事会が設置した拉致を含む北朝鮮の人権侵害に関する調査委員会(COI)のメンバーが8月下旬に来日することが決まった。
日本人拉致問題に関する情報収集が目的で、安倍晋三首相や古屋圭司拉致問題担当相とも会談する予定。
これは、自民党の「北朝鮮による拉致問題対策本部」本部長の山谷えり子参院議員が8月7日の同本部会合で明らかにした。
関係者によると、調査委のカービー委員長(オーストラリア)や北朝鮮人権問題に関する国連特別報告者のダルスマン氏(インドネシア)たちが8月27日頃に来日する。
COIは拉致被害者家族会の飯塚繁雄代表や横田めぐみさん(拉致被害時13歳)の父・滋さんたちから意見を聴取する予定だ。
調査委は、安倍政権の強い働きかけで日本政府と欧州連合(EU)が今年3月に共同提案し、設置された。今回の来日やこれに先立つ韓国での調査結果等を踏まえ、9月に国連総会や人権理事会で中間報告を行い、来年3月に最終活動報告書を提出する。
安倍首相は拉致問題について
「自分の政権のうちに完全に解決する」
と明言しており、国際社会と連携して北朝鮮に圧力をかける姿勢を強めている。調査委との面会を通じ、日本人拉致問題の存在を広く国際社会に周知し、解決に向けた協力を働きかけたい考えだ。
対策本部会合に出席した古屋拉致担当相は
「しっかり北朝鮮に対する包囲網を形成していくことが何よりも大切だ」
と強調した。

◆昭和53(1978)年6月頃
元飲食店店員拉致容疑事案
被害者:田中 実さん(拉致被害時28歳)
欧州に向け出国したあと失踪。
平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。
平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。

《特定失踪者・金田竜光さんについて》
◆氏名:金田 竜光
(かねだたつみつ)
◆失踪年月日:昭和54(1979)年ごろ
◆生年月日:昭和27(1952)年
◆性別:男
◆当時の年齢:26歳
◆身長:180cm
◆当時の身分:ラーメン店店員
◆当時の住所:兵庫県神戸市東灘区青木
◆失踪場所:神戸市東灘区

【失踪状況】
金田さんは韓国籍。
田中 実さん(昭和53年に拉致)と同じ施設で育った。
昭和52年ごろ、田中 実さん拉致実行犯・韓竜大(ハン・ヨンデ)が経営するラーメン店「来大」に就職。昭和53年に田中 実さんを「来大」に紹介し、ともに働く。同年、韓竜大の誘いにより、田中 実さんがオーストリア・ウィーンに出国。
半年ほどして、田中 実さんが差出人になっているオーストリアからの国際郵便を受け取る。その内容は「オーストリアはいいところであり、仕事もあるのでこちらに来ないか」との誘いであった。
田中さんの誘いを受け、打ちあわせと言って東京に向かったが、以後一切連絡がなく、行方不明となる。
連絡がないことを不思議に思った友人が、この間の事情を知る韓竜大に再三説明を求めたが、「知らない」と繰り返す。
その後失踪した2人を知る友人たちの間で「2人は北朝鮮にいる」との噂が広まり、韓竜大に近づく者がいなかった。
「救う会兵庫」は平成14年10月に韓竜大、15年7月にその共犯である曹廷楽(チョ・ジョンガリ)についての告発状を兵庫県警に提出している。

《特定失踪者・藤田 進さんについて》
※国連人権理事会が調査要請を受理した事案
◆氏名:藤田 進
(ふじたすすむ)
◆失踪年月日:昭和51(1976)年2月7日
◆生年月日:昭和31(1956)年6月16日
◆性別:男
◆当時の年齢:19歳
◆当時の身分:東京学芸大学教育学部1年生
◆特徴:
1)家ではあまりしゃべらないタイプ
2)ギターがうまかった
◆失踪場所:埼玉県川口市の自宅

【失踪状況】
失踪当日6:30~7:00頃、以前から言っていた新宿のガードマンのバイトに行くといって服を持って家を出たまま帰らず。
後に新宿にある全ての警備会社に電話で問い合わせたが該当者はいなかった。
脱北者が北朝鮮から持ち出した写真が鑑定の結果、藤田 進さんである可能性が極めて高いことが判明。
平成16年1月28日、埼玉県警に告発状提出。

《特定失踪者・上田俊二さんについて》
◆氏名:上田 俊二
(うえだしゅんじ)
◆失踪年月日:昭和56(1981)年7月14日
◆生年月日:昭和6(1931)年11月20日
◆性別:男
◆当時の年齢:49歳
◆身長:174cm
◆当時の身分:翻訳業
◆特徴:
1)喫煙
2)飲酒
3)趣味はテニス
◆失踪場所:東京都日野市の自宅を出て

【失踪状況】
当日、本人宛に誰かから電話があり出かけたまま失踪。
通帳、パスポートはそのまま。
失踪後1~2年後に友人宅に差出人不明の金正日(キム・ジョンイル)をたたえるパンフレット数種類の入った小包みが届く。

《特定失踪者・香月正則さんについて》
◆氏名:香月 正則
(かつきまさのり)
◆失踪年月日:昭和60(1985)年2月6日
◆生年月日:昭和23(1948)年7月11日
◆性別:男
◆当時の年齢:36歳
◆身長:165cm
◆体重:58kgくらい
◆当時の身分:寿司職人
◆失踪場所:東京都江戸川区

【失踪状況】
当時ボルチモアから帰国してビザの書き換えに大使館に通っていた。日数がかかって困ると言っていた。
少しの間連絡がなく、突然宅配便で日用品や背広が入ったスーツケースが送られ、その後連絡が途絶える。
結婚すると言って写真を持ってきていた。
宅配便業者は「変わった女性が持ちこんだのと、変わった名前だったのでよく覚えている」と後日訪ねた家族に話した。

《特定失踪者・秋田美輪さんについて》
◆氏名:秋田 美輪
(あきたみわ)
◆失踪年月日:昭和60(1985)年12月4日
◆生年月日:昭和39(1964)年1月29日
◆性別:女性
◆当時の年齢:21歳
◆身長:155cm
◆体重:43kg
◆当時の身分:神戸松陰女子大学文学部国文科4回生
◆当時の住所:兵庫県川西市湯山台
◆特徴:両眼とも眼鏡をかけて視力1.2
◆失踪場所:兵庫県神戸市神戸松陰女子大学校門(阪急神戸線六甲)

【失踪状況】
大学で午前の授業を受けた後、1時過ぎに学食で友人と食事をとり校門近くで友人と別れた。
夜8時過ぎに「友人宅へ泊まる」との電話が家にある(実際には泊まっていない)。
翌日朝8時15分兵庫県警城之崎署から竹野町弁天浜で本人のバッグ発見との連絡。
当時は自殺とされたが、何も見つかっていない。
バックの置いてあったところから海岸に10メートル位足跡があった。
発見される前に雨が降ったがバックも近くにあった本人の靴も濡れていなかったという。
地形や潮の流れから入水自殺であれば遺体が上がるはず。
竹野浜、竹野駅、城崎駅で目撃者がいなかった。
平成15年11月13日、兵庫県警に告発状提出。
秋田美輪さんをただ単に行方不明者とするには、あまりにも不自然ないくつかの疑問点が残されている。
まず、残された美輪さんのバッグの中には急行券があった。
この急行券の使用距離範囲は大阪駅から150km。これではせいぜい城之崎までしか行けず、弁天浜までは30km程度足りない。
この急行券は、当時の改札口を通過したことを示す入挟・押印が無く、未使用のままだった。また、財布の中には定期代の1万8千円がそのまま残っていた。
そして、神戸松蔭女子学院大学内の美輪さんのロッカーの中から、失踪日の数日後に提出することになっていたレポートが発見される。
これらは状況証拠に過ぎないが、それでも単なる行方不明者として考えるには疑問を持たざるを得ない。
さらに、美輪さんが行方不明になった前後、現場付近の浜辺でスーツ姿の男が無線機のような機器を使って朝鮮語で交信していたことが『産経新聞』の記事で明らかになっている。
この男は北朝鮮の工作員とみられる。



【拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日(キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員の辛光洙(シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県の曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。

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【みんな生きている】曽我ひとみさん・横田めぐみさん

2013-08-11 16:12:32 | 日記
新潟県佐渡市の曽我ひとみさんが北朝鮮に拉致されてから8月12日で35年が経つのを前に、8月7日、拉致問題解決を願う県民集会が新潟市で開かれました。集会は「救う会新潟」等が企画し、およそ400人が会場を訪れました。
曽我ひとみさんは1978年の8月12日に母親のミヨシさんと一緒に北朝鮮に拉致され、ミヨシさんの行方は分かっていません。
曽我さんは、高齢の母親を気遣い、一刻も早い解決を求めました。

「誰でもいい。私の母の行方を教えてほしい。あの日以来、一時も母のことを忘れたことはありません」
(曽我ひとみさん。拉致被害者・曽我ミヨシさんの娘)

また、新潟市で拉致された横田めぐみさんの母・早紀江さんは
「拉致被害者が帰国するまで絶対に諦めない」
と訴えました。

◆昭和53(1978)年8月12日
母娘拉致容疑事案
被害者:曽我ひとみさん(拉致被害時19歳)
被害者:曽我ミヨシさん(拉致被害時46歳)
「2人で買い物に行く」と言って出かけて以来失踪。
ひとみさんは平成14年10月日本に帰国。
ひとみさんの夫(ジェンキンス氏=アメリカ人)と2人の娘も平成16年7月に渡日・帰国。
北朝鮮側は、曽我ミヨシさんは北朝鮮に入境していないとしている。
捜査当局は、拉致実行犯である北朝鮮工作員・通称キム・ミョンスクについて、平成18年11月に逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求している。

◆昭和52(1977)年11月15日
少女拉致容疑事案
被害者:横田めぐみさん(拉致被害時13歳)
新潟市において下校途中に失踪。
平成16年11月に開催された第3回実務者協議において、北朝鮮側はめぐみさんが1994(平成6)年4月に死亡したとし「遺骨」を提出したが、めぐみさんの「遺骨」とされた骨の一部からは同人のものとは異なるDNAが検出されたとの鑑定結果を得た。
平成18年4月には日本政府の実施したDNA検査により、横田めぐみさんの夫が昭和53年に韓国より拉致された当時高校生の韓国人拉致被害者・金英男(キム・ヨンナム)氏である可能性が高いことが判明した。

◆昭和53(1978)年6月頃
元飲食店店員拉致容疑事案
被害者:田中 実さん(拉致被害時28歳)
欧州に向け出国したあと失踪。
平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。
平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。

《特定失踪者・金田竜光さんについて》
◆氏名:金田 竜光
(かねだたつみつ)
◆失踪年月日:昭和54(1979)年ごろ
◆生年月日:昭和27(1952)年
◆性別:男
◆当時の年齢:26歳
◆身長:180cm
◆当時の身分:ラーメン店店員
◆当時の住所:兵庫県神戸市東灘区青木
◆失踪場所:神戸市東灘区

【失踪状況】
金田さんは韓国籍。
田中 実さん(昭和53年に拉致)と同じ施設で育った。
昭和52年ごろ、田中 実さん拉致実行犯・韓竜大(ハン・ヨンデ)が経営するラーメン店「来大」に就職。昭和53年に田中 実さんを「来大」に紹介し、ともに働く。同年、韓竜大の誘いにより、田中 実さんがオーストリア・ウィーンに出国。
半年ほどして、田中 実さんが差出人になっているオーストリアからの国際郵便を受け取る。その内容は「オーストリアはいいところであり、仕事もあるのでこちらに来ないか」との誘いであった。
田中さんの誘いを受け、打ちあわせと言って東京に向かったが、以後一切連絡がなく、行方不明となる。
連絡がないことを不思議に思った友人が、この間の事情を知る韓竜大に再三説明を求めたが、「知らない」と繰り返す。
その後失踪した2人を知る友人たちの間で「2人は北朝鮮にいる」との噂が広まり、韓竜大に近づく者がいなかった。
「救う会兵庫」は平成14年10月に韓竜大、15年7月にその共犯である曹廷楽(チョ・ジョンガリ)についての告発状を兵庫県警に提出している。

《特定失踪者・藤田 進さんについて》
※国連人権理事会が調査要請を受理した事案
◆氏名:藤田 進
(ふじたすすむ)
◆失踪年月日:昭和51(1976)年2月7日
◆生年月日:昭和31(1956)年6月16日
◆性別:男
◆当時の年齢:19歳
◆当時の身分:東京学芸大学教育学部1年生
◆特徴:
1)家ではあまりしゃべらないタイプ
2)ギターがうまかった
◆失踪場所:埼玉県川口市の自宅

【失踪状況】
失踪当日6:30~7:00頃、以前から言っていた新宿のガードマンのバイトに行くといって服を持って家を出たまま帰らず。
後に新宿にある全ての警備会社に電話で問い合わせたが該当者はいなかった。
脱北者が北朝鮮から持ち出した写真が鑑定の結果、藤田 進さんである可能性が極めて高いことが判明。
平成16年1月28日、埼玉県警に告発状提出。

《特定失踪者・上田俊二さんについて》
◆氏名:上田 俊二
(うえだしゅんじ)
◆失踪年月日:昭和56(1981)年7月14日
◆生年月日:昭和6(1931)年11月20日
◆性別:男
◆当時の年齢:49歳
◆身長:174cm
◆当時の身分:翻訳業
◆特徴:
1)喫煙
2)飲酒
3)趣味はテニス
◆失踪場所:東京都日野市の自宅を出て

【失踪状況】
当日、本人宛に誰かから電話があり出かけたまま失踪。
通帳、パスポートはそのまま。
失踪後1~2年後に友人宅に差出人不明の金正日(キム・ジョンイル)をたたえるパンフレット数種類の入った小包みが届く。

《特定失踪者・秋田美輪さんについて》
◆氏名:秋田 美輪
(あきたみわ)
◆失踪年月日:昭和60(1985)年12月4日
◆生年月日:昭和39(1964)年1月29日
◆性別:女性
◆当時の年齢:21歳
◆身長:155cm
◆体重:43kg
◆当時の身分:神戸松陰女子大学文学部国文科4回生
◆当時の住所:兵庫県川西市湯山台
◆特徴:両眼とも眼鏡をかけて視力1.2
◆失踪場所:兵庫県神戸市神戸松陰女子大学校門(阪急神戸線六甲)

【失踪状況】
大学で午前の授業を受けた後、1時過ぎに学食で友人と食事をとり校門近くで友人と別れた。
夜8時過ぎに「友人宅へ泊まる」との電話が家にある(実際には泊まっていない)。
翌日朝8時15分兵庫県警城之崎署から竹野町弁天浜で本人のバッグ発見との連絡。
当時は自殺とされたが、何も見つかっていない。
バックの置いてあったところから海岸に10メートル位足跡があった。
発見される前に雨が降ったがバックも近くにあった本人の靴も濡れていなかったという。
地形や潮の流れから入水自殺であれば遺体が上がるはず。
竹野浜、竹野駅、城崎駅で目撃者がいなかった。
平成15年11月13日、兵庫県警に告発状提出。
秋田美輪さんをただ単に行方不明者とするには、あまりにも不自然ないくつかの疑問点が残されている。
まず、残された美輪さんのバッグの中には急行券があった。
この急行券の使用距離範囲は大阪駅から150km。これではせいぜい城之崎までしか行けず、弁天浜までは30km程度足りない。
この急行券は、当時の改札口を通過したことを示す入挟・押印が無く、未使用のままだった。また、財布の中には定期代の1万8千円がそのまま残っていた。
そして、神戸松蔭女子学院大学内の美輪さんのロッカーの中から、失踪日の数日後に提出することになっていたレポートが発見される。
これらは状況証拠に過ぎないが、それでも単なる行方不明者として考えるには疑問を持たざるを得ない。
さらに、美輪さんが行方不明になった前後、現場付近の浜辺でスーツ姿の男が無線機のような機器を使って朝鮮語で交信していたことが『産経新聞』の記事で明らかになっている。
この男は北朝鮮の工作員とみられる。



【拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日(キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員の辛光洙(シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県の曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。

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