もずの独り言・goo版

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【みんな生きている】横田めぐみさん

2013-03-24 09:20:18 | 日記
国連人権理事会が拉致を含む北朝鮮の人権侵害について調査委員会を設置したことに関し、北朝鮮による拉致被害者家族の横田 滋さん・早紀江さん夫妻は拉致問題解決に期待を寄せました。

「人権問題の中に拉致も盛り込んで頂き、感謝しております」
(横田 滋さん。拉致被害者・横田めぐみさんの父)
「拉致問題が国際的にもきちんと発信され、ありがたく思っている。これからが大事な時で、ようやくここまで来たんだと」
(横田早紀江さん。拉致被害者・横田めぐみさんの母)

国連人権理事会で採択された決議案では「調査委員会は、他国民の拉致を含む強制失踪等の人権侵害について調査を行う」という表現で拉致問題も調査対象となりました。

「北朝鮮の人権問題の中に拉致が個別的に入ってくるのは非常に大きいと。人権状況の改善の一環の中で、拉致問題解決への大きな弾みになっていくことを私は期待しております」
(古屋圭司拉致問題担当大臣)

また、古屋大臣も
「世界の人々が、拉致問題への認識を持つことが北朝鮮への圧力になる」
として調査対象に「拉致」が盛り込まれたことの意義は大きいと述べました。

◆昭和52(1977)年11月15日
少女拉致容疑事案
被害者:横田めぐみさん(拉致被害時13歳)
新潟市において下校途中に失踪。
平成16年11月に開催された第3回実務者協議において、北朝鮮側はめぐみさんが1994(平成6)年4月に死亡したとし「遺骨」を提出したが、めぐみさんの「遺骨」とされた骨の一部からは同人のものとは異なるDNAが検出されたとの鑑定結果を得た。
平成18年4月には日本政府の実施したDNA検査により、横田めぐみさんの夫が昭和53年に韓国より拉致された当時高校生の韓国人拉致被害者・金英男(キム・ヨンナム)氏である可能性が高いことが判明した。

◆昭和53(1978)年6月頃
元飲食店店員拉致容疑事案
被害者:田中 実さん(拉致被害時28歳)
欧州に向け出国したあと失踪。
平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。
平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。

《金田竜光さんについて》
◆氏名:金田 竜光
(かねだたつみつ)
◆失踪年月日:昭和54(1979)年ごろ
◆生年月日:昭和27(1952)年
◆性別:男
◆当時の年齢:26歳
◆身長:180cm
◆当時の身分:ラーメン店店員
◆失踪場所:神戸市東灘区

【失踪状況】
金田さんは韓国籍。
田中 実さん(昭和53年に拉致)と同じ施設で育った。
昭和52年ごろ、田中 実さん拉致実行犯・韓竜大が経営するラーメン店「来大」に就職。昭和53年に田中 実さんを「来大」に紹介し、ともに働く。同年、韓竜大の誘いにより、田中 実さんがオーストリア・ウィーンに出国。
半年ほどして、田中 実さんが差出人になっているオーストリアからの国際郵便を受け取る。その内容は「オーストリアはいいところであり、仕事もあるのでこちらに来ないか」との誘いであった。
田中さんの誘いを受け、打ちあわせと言って東京に向かったが、以後一切連絡がなく、行方不明となる。
連絡がないことを不思議に思った友人が、この間の事情を知る韓竜大に再三説明を求めたが、「知らない」と繰り返す。
その後失踪した2人を知る友人たちの間で「2人は北朝鮮にいる」との噂が広まり、韓竜大に近づく者がいなかった。
「救う会兵庫」は平成14年10月に韓竜大、15年7月にその共犯である曹廷楽についての告発状を兵庫県警に提出している。

《新潟県の特定失踪者について》

(1)中村三奈子さん
◆氏名:中村 三奈子
(なかむらみなこ)
◆失踪年月日:平成10(1998)年4月6日
◆生年月日:昭和54(1979)年9月18日
◆性別:女性
◆当時の年齢:18歳
◆身長:163cm
◆体重:56Kg
◆当時の身分:高校を卒業して予備校に行く準備中
◆特徴
1)足のサイズ24cm
2)硬式テニスをやっている
3)その他のスポーツも好き
4)色白、えくぼがある
◆失踪場所:新潟県長岡市の自宅
【失踪状況】
4月6日午前中、予備校に入学金50万円を納めに行く予定がそのまま帰宅しない。
後日入学金の中から「3万円借ります」というメモとともに47万円が見つかる。
身支度は普段着のまま。持ち物は自分の白い財布だけ。所持金は5~8万円程度と思われる。
通常出かけるときは自転車を利用するがこのときは置いていった。
3月25日に自らパスポートを申請し、4月3日交付。長岡ではなく新潟の旅券センターまで行っている。
大韓航空で出国状況を問い合わせると、7日9時にソウルへ出国していた。搭乗券を購入していた旅行会社によると、中村三奈子の名前で中年のハスキーな声の女性で搭乗券の依頼あり。
旅行は慣れているので新潟空港で出発当日搭乗券を受け取る。帰りの便やホテルは必要ないと言った。
出発当日の朝、中村三奈子の名前で派手なブラウスを着た女性に搭乗券を渡したとのこと。

(2)大澤 孝司さん
◆氏名:大澤 孝司
(おおさわたかし)
◆失踪年月日:昭和49(1974)年2月24日
◆生年月日:昭和21(1946)年6月21日
◆性別:男
◆当時の年齢:27歳
◆当時の身分:新潟県佐渡農地事務所勤務
◆失踪場所:新潟県佐渡郡新穂村
【失踪状況】
自宅独身寮から約400m離れた飲食店で夕食を済ませ、知人宅に寄った後行方不明。
当時事務所には50人~60人が勤務、うち15人~20人程度が本土から単身赴任で来ていた。
失踪時期は観光がオフシーズンだったため、最も忙しい時期に拉致された曽我ひとみさん母子と違い警察もかなり大規模に捜査してくれた。
事務所では失踪後まもなく「あれは北朝鮮にやられたのではないか」との話で持ちきりになったが、やがてぴたりと止んだという。
元同僚の話では「失踪の2~3日前、一緒の船で新潟から帰ってきた。船中では飲む話、食べる話などをしていて自殺や失踪のそぶりは全くなかった」とのこと。
北朝鮮製と思われるマッチが寮の前あたりに落ちていたという。
平成16年1月29日、新潟県警に告発状提出。

(3)金 姫順さん
◆氏名:金 姫順
(キム・ヒスン)
◆別名:金村 英子
(かねむらえいこ)
◆失踪年月日:昭和37(1962)年1月
◆生年月日:昭和17(1942)年10月2日
◆性別:女性
◆当時の年齢:19歳
◆身長:156cm
◆当時の身分:専門学校生
◆失踪場所:新潟県もしくは富山県
【失踪状況】
友人2人と神戸市内の自宅から家出した。その後友人2人は帰ってきた。
新潟もしくは富山にいたようだ。そこで「良い仕事があるので一緒に行かないか」と誘われ、友人たちは断って帰ったが、英子さんはついていったという。
仕事の内容は不明。
過去に一度家出したことがある。
山田英子と名乗っていたこともある。
失踪から1~2年の間は無言電話があった。「英子」と呼びかけても返答が無かった。

(4)藤田 進さん
※埼玉県川口市の藤田 進さんとは別人
◆氏名:藤田 進
(ふじたすすむ)
◆失踪年月日:昭和40(1965)年3月26日
◆生年月日:昭和23(1948)年3月25日
◆性別:男
◆当時の年齢:17歳
◆身長:160cm
◆当時の身分:新潟県立糸魚川高校1年生(休学中)
◆特徴:
1)おとなしい性格
2)やせ形
3)眼鏡せず
4)前歯がケガで欠けたのでつないでいる
◆失踪場所:信越・新潟県西頸城郡青海町内、自宅から15分、海岸から5分位の映画館
【失踪状況】
自宅から徒歩15分ほどの映画館で開かれる演奏会に、一人で歩いて出かけた。猛吹雪だった。
学生服の上にブルーのアノラックを着ていた。
高校は休学中で登校拒否のようだった。

(5)小山 修司さん
◆氏名:小山 修司
(こやましゅうじ)
◆失踪年月日:平成16(2004)年6月6日
◆生年月日:昭和36(1961)年3月24日
◆性別:男
◆当時の年齢:43歳
◆当時の身分:青果業、漁業
◆失踪場所:新潟沖
【失踪状況】
当日早朝、いつものように一人で新潟西港を出港したが、操業中の僚船が小山さんの航行が不自然だったので無線で呼び出したが応答がなく、人影もないので現場に急行。小山さんの姿はなかった。
船は自動操舵で航行、長靴が片方だけ残されていた。
海上保安部や漁連などが4日間にわたって海上から、または海中に網を入れて捜索したが何も見つからなかった。
当日は波ひとつない鏡のような海で、水温は19度だった。
毎日水を流して甲板を洗っていたはずなのに、長靴の近くに緑色の粘土質の塗料が落ちていた。



【拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日(キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員の辛光洙(シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県の曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。

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【みんな生きている】岸田文雄編

2013-03-24 09:15:17 | 日記
岸田文雄外務大臣は閣議のあと、記者団に対し国連の人権理事会が北朝鮮による人権侵害の実態を調査するための特別委員会の設置を決めたことについて、拉致問題の解決につながることへの期待感を示しました。
国連の人権理事会は3月21日、日本とEU=ヨーロッパ連合が共同で提出した北朝鮮による拉致問題や強制収容所の問題等、人権侵害の実態を調査するための特別委員会を設置する決議案の採決を行い、全会一致で採択されました。
これについて岸田外務大臣は、閣議のあと記者団に対し、
「決議が無投票で採択されたことを高く評価する。早期に特別委員会が立ち上がり、調査が行われることで、拉致問題の早期解決を含め、北朝鮮の人権状況が改善されることを強く期待する」
と述べ、特別委員会の設置が拉致問題の解決につながることへの期待感を示しました。

◆昭和53(1978)年6月頃
元飲食店店員拉致容疑事案
被害者:田中 実さん(拉致被害時28歳)
欧州に向け出国したあと失踪。
平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。
平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。

《金田竜光さんについて》
◆氏名:金田 竜光
(かねだたつみつ)
◆失踪年月日:昭和54(1979)年ごろ
◆生年月日:昭和27(1952)年
◆性別:男
◆当時の年齢:26歳
◆身長:180cm
◆当時の身分:ラーメン店店員
◆失踪場所:神戸市東灘区

【失踪状況】
金田さんは韓国籍。
田中 実さん(昭和53年に拉致)と同じ施設で育った。
昭和52年ごろ、田中 実さん拉致実行犯・韓竜大が経営するラーメン店「来大」に就職。昭和53年に田中 実さんを「来大」に紹介し、ともに働く。同年、韓竜大の誘いにより、田中 実さんがオーストリア・ウィーンに出国。
半年ほどして、田中 実さんが差出人になっているオーストリアからの国際郵便を受け取る。その内容は「オーストリアはいいところであり、仕事もあるのでこちらに来ないか」との誘いであった。
田中さんの誘いを受け、打ちあわせと言って東京に向かったが、以後一切連絡がなく、行方不明となる。
連絡がないことを不思議に思った友人が、この間の事情を知る韓竜大に再三説明を求めたが、「知らない」と繰り返す。
その後失踪した2人を知る友人たちの間で「2人は北朝鮮にいる」との噂が広まり、韓竜大に近づく者がいなかった。
「救う会兵庫」は平成14年10月に韓竜大、15年7月にその共犯である曹廷楽についての告発状を兵庫県警に提出している。

《藤田 進さんについて》
◆氏名:藤田 進
(ふじたすすむ)
◆失踪年月日:昭和51(1976)年2月7日
◆生年月日:昭和31(1956)年6月16日
◆性別:男
◆当時の年齢:19歳
◆当時の身分:東京学芸大学教育学部1年生
◆特徴:
1)家ではあまりしゃべらないタイプ
2)ギターがうまかった
◆失踪場所:埼玉県川口市の自宅

【失踪状況】
失踪当日6:30~7:00頃、以前から言っていた新宿のガードマンのバイトに行くといって服を持って家を出たまま帰らず。
後に新宿にある全ての警備会社に電話で問い合わせたが該当者はいなかった。
脱北者が北朝鮮から持ち出した写真が鑑定の結果、藤田 進さんである可能性が極めて高いことが判明。
平成16年1月28日、埼玉県警に告発状提出。

《大澤孝司さんについて》
◆氏名:大澤 孝司
(おおさわたかし)
◆失踪年月日:昭和49(1974)年2月24日
◆生年月日:昭和21(1946)年6月21日
◆性別:男
◆当時の年齢:27歳
◆当時の身分:新潟県佐渡農地事務所勤務
◆失踪場所:新潟県佐渡郡新穂村

【失踪状況】
自宅独身寮から約400m離れた飲食店で夕食を済ませ、知人宅に寄った後行方不明。
当時事務所には50人~60人が勤務、うち15人~20人程度が本土から単身赴任で来ていた。
失踪時期は観光がオフシーズンだったため、最も忙しい時期に拉致された曽我ひとみさん母子と違い警察もかなり大規模に捜査してくれた。
事務所では失踪後まもなく「あれは北朝鮮にやられたのではないか」との話で持ちきりになったが、やがてぴたりと止んだという。
元同僚の話では「失踪の2~3日前、一緒の船で新潟から帰ってきた。船中では飲む話、食べる話などをしていて自殺や失踪のそぶりは全くなかった」とのこと。
北朝鮮製と思われるマッチが寮の前あたりに落ちていたという。
平成16年1月29日、新潟県警に告発状提出。

《中村三奈子さんについて》
◆氏名:中村 三奈子
(なかむらみなこ)
◆失踪年月日:平成10(1998)年4月6日
◆生年月日:昭和54(1979)年9月18日
◆性別:女性
◆当時の年齢:18歳
◆身長:163cm
◆体重:56Kg
◆当時の身分:高校を卒業して予備校に行く準備中
◆特徴:
1)足のサイズ24cm
2)硬式テニスをやっている
3)その他のスポーツも好き
4)色白、えくぼがある
◆失踪場所:新潟県長岡市の自宅

【失踪状況】
4月6日午前中、予備校に入学金50万円を納めに行く予定がそのまま帰宅しない。後日入学金の中から「3万円借ります」というメモとともに47万円が見つかる。
身支度は普段着のまま。持ち物は自分の白い財布だけ。所持金は5~8万円程度と思われる。
通常出かけるときは自転車を利用するがこのときは置いていった。
3月25日に自らパスポートを申請し、4月3日交付。長岡ではなく新潟の旅券センターまで行っている。
大韓航空で出国状況を問い合わせると、7日9時にソウルへ出国していた。
搭乗券を購入していた旅行会社によると、中村三奈子の名前で中年のハスキーな声の女性で搭乗券の依頼あり。
「旅行は慣れているので新潟空港で出発当日搭乗券を受け取る。帰りの便やホテルは必要ない」と言った。
出発当日の朝、中村三奈子の名前で派手なブラウスを着た女性に搭乗券を渡したとのこと。

《高野清文さんについて》
◆氏名:高野 清文
(たかのきよふみ)
◆失踪年月日:昭和51(1976)年7月30日
◆生年月日:昭和31(1956)年10月31日
◆性別:男
◆当時の年齢:19歳
◆身長:172cm
◆当時の身分:電気通信大学2年生
◆特徴:
1)中肉
2)丸顔
3)鼻は低く口は大きい、眉毛が濃い
◆失踪場所:東京都神津島村の民宿から

【失踪状況】
大学の寮の仲間と神津島へ行き行方不明に。
前日に「山へ行く」と言っていたため、神津島村の天上山を捜索するが発見できず。
7月12日に隣の新島でも若い女性が行方不明になっている。

《山本美保さんについて》
◆氏名:山本 美保
(やまもとみほ)
◆失踪年月日:昭和59(1984)年6月4日
◆生年月日:昭和39(1964)年3月3日
◆性別:女性
◆当時の年齢:20歳
◆身長:160cm
◆体重:51kg
◆当時の身分:大学受験生
◆特徴:
1)左目の下に3針縫った跡
2)左手にしもやけの軽いケロイド
◆靴のサイズ:23.5cm
◆失踪場所:山梨県甲府市の自宅を出て以来消息不明

【失踪状況】
「図書館に行く」と言ってバイクで出かけたまま失踪。甲府駅前にバイクが置かれているのが発見された。
4日後、新潟県柏崎市荒浜海岸にセカンドバックが落ちていたとの連絡。
失踪半年後の11月6日から無言電話が4年半ほど続く。
無言電話はほとんど数秒で切れるものだったが、失踪から3年4ヶ月後と3年6ヶ月後の2回の電話は10分~15分ほど続き、相手はじっと聞いている様子だった。3年6ヶ月後の電話はすすり泣くような声が聞かれた。
平成16年1月29日、山梨県警に告発状提出。

《小山修司さんについて》
◆氏名:小山 修司
(こやましゅうじ)
◆失踪年月日:平成16(2004)年6月6日
◆生年月日:昭和36(1961)年3月24日
◆性別:男
◆当時の年齢:43歳
◆当時の身分:青果業、漁業
◆失踪場所:新潟沖

【失踪状況】
当日早朝、いつものように一人で新潟西港を出港したが、操業中の僚船が小山さんの航行が不自然だったので無線で呼び出したが応答がなく、人影もないので現場に急行。小山さんの姿はなかった。
船は自動操舵で航行、長靴が片方だけ残されていた。
海上保安部や漁連などが4日間にわたって海上から、または海中に網を入れて捜索したが何も見つからなかった。
当日は波ひとつない鏡のような海で、水温は19度だった。
毎日水を流して甲板を洗っていたはずなのに、長靴の近くに緑色の粘土質の塗料が落ちていた。



【拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日(キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員の辛光洙(シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県の曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。

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【みんな生きている】福留貴美子さん

2013-03-24 09:10:17 | 日記
1976年に失踪し、よど号ハイジャック事件の容疑者と結婚させられた高知県出身の福留貴美子さん(当時24歳)は北朝鮮に拉致された疑いが強いとして、「救う会神奈川」の代表たちが国外移送目的略取の疑いで被疑者不詳のまま警視庁に告発状を提出しました。
警視庁公安部に告発状を提出したのは「救う会神奈川」の川添友幸代表です。
福留貴美子さんは76年7月、「幼い頃から憧れていたモンゴルへ行く」と言い残して日本を出国したまま失踪していますが、告発状によりますと、よど号グループ等と共謀した何者かが妻にさせる目的で北朝鮮に連れ去った疑いがあるとしています。
今年2月、民主党の有田芳生参院議員の質問主意書に対し、政府は答弁書で「福留さんについては北朝鮮による拉致の可能性を排除できない事案として捜査・調査している」と回答したことから、川添代表は告発状提出に踏み切ったとしています。



《参考・『東アジア黙示録』2007年4月16日掲載記事を転載》

新たな進展を見せる2児拉致事件。舞台となったユニバース社には「よど号」関係者との複数の接点が浮かび上がる。そこで鍵となるのが特殊事情を持つ“在日2世”の存在だ。
名著『宿命』で「よど号」グループの暗部を抉ったジャーナリストの高沢晧司氏は、謎めいた発言をしていた。「よど号」事件に関する取り扱いについてだ。
「北朝鮮問題の要するに…膿が全部集まったところだ。だから皆、何と言うか、余り手を触りたがらない。
北朝鮮もそこに触られるのを一番恐れている。朝鮮総連もそう。日本政府もそうだ。知らんぷりしている」
「膿」とは何か?
なぜ朝鮮総連ばかりか、日本政府も恐れているのか?
謎だ。答えは判らない。それが我が国と北朝鮮の間に横たわる「闇」なのだろうか?
渡辺秀子さんの2児が拉致された事件で、現在、脚光を浴びる「ユニバース・トレイディング社」。総連エリートの高大基(コ・デキ)が仕切っていたダミー商社だ。
そのユニバース社は「よど号」関係者に繋がる複数の人物が直接関わっていた…
渡辺秀子さんと高大基の長女・敬美ちゃんと剛君の拉致について、新聞各紙は、連日のように新情報を掲載している。だが朝鮮総連との関係性や「よど号」グループとの接点に関しては及腰で、殆ど露出していない。
テレビもそう、雑誌もそうだ。
高沢氏が発言していた通りの展開でもある…

【高大基の失踪直後に退社した】
「よど号」犯の1人・岡本武の妻にされた拉致被害者・福留貴美子さんが、ユニバース社がテナントとして入る西五反田の現TOCビルで一時、働いていたことは既に明らかになっている。
福留さんが、どのようにして北朝鮮と関わってしまったのか、これまで明らかになっていなかった。なぜ「モンゴルに行く」と言い残して出国した福留さんが北朝鮮に足止めされたのか…
謎は少し明らかになってきた。
TOCビル内の勤務で、福留さんがユニバース社の工作員グループに出会っていた可能性は極めて高い。地元高知の高校卒業後に福留さんはSOK=総合警備保障に就職している。昭和45年4月だ。
開催中の大阪万博で会場勤務したが、その年の秋には万博が終了。次いで、福留さんは東京に勤務先が移り、上京した。いつからTOCビル勤務になったのかは不明だが、昭和46年6月にユニバース社は、テナントとして入っている。
その2年後、福留さんはSOKを退社。昭和48年7月と見られる。渡辺秀子さんの夫・高大基が失踪=本国召還された直後だ。ユニバース社はその後も存続したが、朝鮮総連内部の抗争から異変が起きたのはちょうどこの時期だ。
ただし昭和48年当時、北朝鮮が福留さんを必要としていたとは考えられない。“必要”となるのは、もう少し先のことだ…

【「結婚作戦」と福留さんの出国】
昭和50年暮れ、平壌の「よど号」グループに深刻な問題が生じる。
その年の11月、メンバーの1人・小西隆裕を追って交際相手だった福井タカ子が北朝鮮に入国する。福井タカ子は東大病院に勤務してた時、全共闘の活動家だった小西隆裕と知り合っている。昭和44年だ。
当時の小西の肩書きは、東大医学部共闘会議議長。
福井タカ子が小西を追って平壌に現れ、2人が睦まじく暮らすようになって他のメンバーは動揺した。男ばかりの宿舎に女性が現れた…簡単に言えば嫉妬だ。
メンバー内の亀裂を憂慮したリーダーの田宮高麿は、昭和51年春ごろ、結婚問題で会議を開く。
「我々も全員が女性を獲得していかなければならない。これは革命のための任務でもある」
その“任務”は「結婚作戦」と名付けられ、田宮から朝鮮労働党側に提起され、了承される。申し受けたのは労働党内で「よど号」グループを指導・管理する56課。
金正日(キム・ジョンイル)指揮下の特別工作員の手配によって『よど号』の花嫁となるべき女性たちは日本国内から選抜された。
福留貴美子さんがパスポートを取得したのは、昭和51年6月。工作員グループが動き出した時期とほぼ重なる。恐らく、この特別工作員と密接に関わっていたのが、ユニバース社の社員だ。
TOCビルで接触していた福留さんに白羽の矢を立てたと考えられる。ただ、騙して日本から平壌に連行し、結婚させるのは余りにも強引で、大きな禍根を残したようだ。
福留さん以降の「よど号」妻は、殆どが総連傘下の「主体思想研究会(チュチェ研)」の関係者だった。女性たちは昭和52年初めに一斉にパスポートを取得し、相次いで日本を出国している。
その中の1人がユニバース社とただならぬ関係にあった。

【よど号妻の兄が社員だった】
2児拉致の舞台となったユニバース社と「よど号」グループの相関図を朝日新聞が掲載していた。判り易い図説だが、渡辺さん一家と死亡者を除き、実名が伏せられている。
この図からも、ユニバース社の男性社員2人が「よど号」グループと関係していることが分かる。その中で点線で兄妹とされている部分があった。妹とされるのは、今年1月1日に日本国内で死亡した田中義三の妻。
水谷協子である。有本恵子さんの“教育”担当者として知られる女だ。
昭和31年生まれ、愛知県出身の水谷協子は、愛知大学在学中から北朝鮮に興味を持ち、サークル「朝鮮文化研究会」のメンバーとなった。
昭和52年3月中旬にパスポートを取得し、3月末に香港に向け出国。北朝鮮に入るまでのルートは不明だが、約1ヵ月後に平壌で田中義三と結婚している。
その水谷協子の兄がユニバース社の社員だったのだ。ダイレクトに繋がっているケースである。
水谷には2人の兄がいる。長兄の水谷誠文(せいぶん)と次兄の水谷しんじ(漢字不明)だ。ユニバース社に勤めていたのがどちらの兄なのか明らかになっていない。
しかし、平成16年に帰国、逮捕された水谷協子の公判では、次兄の水谷しんじが「朝鮮文化研究会」に所属していたことが明かされている。ユニバース社に居たのは恐らく次兄の「しんじ」だ。
水谷しんじが工作にどう関わっていたかは不明だが「朝鮮文化研究会」に属していたことから、思想的な背景を元に同社に参加したと想像できる。
その一方、なぜ水谷兄妹がそろって総連系サークルに参加していたのか、疑問は残る。兄妹そろって北朝鮮にシンパシーを覚えたのか…
水谷協子は、日本の旅券を手にしていた事からも“日本人”だ。しかし、両親共に日本人であったかどうか?

【在日の父と日本人の母】
ユニバース社は、朝鮮総連に直結する在日朝鮮人が中心となっていたが、日本人も社員の中に含まれていたことが分かっている。
4月13日付け産経新聞で警察幹部は、こう指摘している。
「ユニ社は本国の指示で対韓国へのテロも画策していた。在日のうち、両親のどちらかが日本人で、日本国籍を取得できる者が集められた」
人材募集で入社した一般社員とは別に、ユニ社の中核であるドミトルグループには、特殊な国籍事情の要員が集められたというのだ。ユニ社との関係は不明だが、よど号妻の中には、そのような国籍ホルダーが1人判明している。
リーダー田宮高麿の妻となった森 順子(よりこ)だ。
森 順子は在日朝鮮人の父と日本人の母の間に生まれている。パスポートを取得していることからも日本国籍の所有者だったが、北朝鮮では“在日2世”として迎えられている。
森 順子は北朝鮮に入国した理由について、父親の遺骨を祖国に戻すことだと公言していた。自分は「日本人」だと言う一方、平壌でこうも語っている。
「ここはわたしにとって祖国でもありますからね」
国籍の取り扱いは難解だ。両親の国籍が異なる場合、厳格な国籍法とは別に、本人の言い様で“日本人”にもなれば“外国人”にもなれる。とりわけ特別永住権を持つ在日韓国・朝鮮人が絡むと複雑だ。
この辺りはマスコミが表現上、必要以上に神経を使う部分だろう。ユニバース社のケースでは、それを逆手に取っているようにも感じられる。
森 順子を「在日2世」と表現するメディアはないが、実像は複雑なのだ。そして、石岡 亨さんや松木 薫さんは、そのような人物によって拉致された。
「よど号」事件をめぐって日本政府が触れたくない部分とは、国籍に絡んだ要素と密接に関係しているのかも知れない。

【国内潜伏「よど号」犯と消えた男】
警察庁は4月12日、高 敬美ちゃん剛くん拉致で合同捜査本部を設置した。捜査本部に加わったのは、警視庁公安部と兵庫県警だ。
なぜ、兵庫県警が登場するのか?
それがユニバース社と「よど号」犯グループを直接結びつけるものだ。
昭和63年5月6日早朝。兵庫県警外事課は内定を続けていた人物を新宿区三栄町のアパート前で確保する。逮捕された男は自宅アパートに「A.NAKAO」の手書き表札を掛けていた。
「中尾晃」
兵庫県警外事課は「中尾 晃」を北朝鮮の秘密工作員と見ていた。ところが身柄を神戸に移送して取り調べを続けた結果、公安に衝撃が走る事態となる。
中尾 晃を名乗る男の正体は「よど号」犯・柴田泰弘だったのだ。ハイジャック事件から18年目の意外な逮捕劇だった…

【消えた中尾 晃は何人だったのか】
柴田泰弘が注目される中、忘れ去られたのが「中尾晃」だ。実在する中尾 晃は、柴田逮捕の10数年前に日本を出国し、北朝鮮に渡ったと見られている。
そして、この中尾 晃の実の兄が、ユニバース社の社員であった。更に実兄の妻も同じく社員として働いていた。しかも、中尾 晃の義姉にあたる、この妻が2児拉致に直接関わっている疑いも出てきている。
前述の13日付け産経新聞の記事に付随している相関図を見ると、2児を北朝鮮に移送した女が「よど号」グループに“旅券偽造に便宜”となっている。素直に読むと、この移送役の女は中尾 晃の義姉だ。
移送役の女は、福井県小浜から2児を北朝鮮東部の清津(チョンジン)まで連れて行き、その後、再入国して都内で暮らしていることが分かっている。
そこで再び問題となるのが、中尾 晃の国籍だ。
柴田泰弘に旅券を使わせていたことから、中尾 晃が日本国籍の所有者だったことは明らかだ。しかし中尾 晃もまた森 順子と同じく二つの祖国を持つ者だったのではないか。
もちろんユニバース社に在籍した中尾 晃の実兄も同様だ。国籍を使い分けられる境遇だったと考えられる。
ユニバース社の工作員には、日本人に成り済ますことが出来る“在日2世”が多く抜擢されていたようだ。工作が露見しても「日本人の犯行」に装えるメリットがあるからだという。
渡辺秀子さんの子ども2人は、拉致被害者と断定されたが、日本政府認定の被害者からは未だ漏れている。朝鮮籍だった為だ。
しかし、被害者が“在日”とされる一方で、加害者側の中尾 晃や、石岡さん松木さん拉致に関与した森 順子が“日本人”となっている。
大きな矛盾だ。
曖昧な朝鮮籍の存在にこそ問題の根があるが、二つの祖国を持つ者を悪用したのが朝鮮総連であり、北朝鮮だった。
国家と民族をクロスオーバーする特殊な“在日2世”…
メディアは今後も巧妙に避けるだろうが、そこにユニバース社事件の核心がある。

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【みんな生きている】全国軽工業大会編

2013-03-24 09:05:20 | 日記
《『デイリーNK』が伝える北朝鮮全国軽工業大会》

北朝鮮当局は「戦時態勢」に準ずる大規模軍事訓練を実施する一方、異例的に「全国軽工業大会」を開催した。
『労働新聞』は3月19日、全国軽工業及び関連部門の労働者が参加した軽工業大会の記事を通し「社会主義強盛国家建設の要求に合わせ軽工業を発展させる上でのいくつかの問題」という金正恩(キム・ジョンウン)の演説前文を掲載した。
同紙は同日、6面の内、1~5面を軽工業大会に関する記事で埋めた。これは金正恩政権が人民生活向上のための「経済強国建設」に邁進していることを強調するためのプロパガンダと読み取れる。
金正恩は演説で

▲軽工業発展を通した人民経済向上
▲人民消費品生産の奨励
▲軽工業部門の現代化と科学化

等を強調した。今年の新年辞で提示した内容の繰り返しである。
ただ、軽工業部門の問題点を細かく指摘した点に注目が寄せされる。金日成(キム・イルソン)・金正日(キム・ジョンイル)時代には成果を水増しし、成果部門と展望・課題に分けられた報告書が一般住民に公開されていた。しかし、今回は問題点を隠すことなく公表した点で異なる。
金正恩は演説を通し「現在、軽工業工場では生産を正常化させるための偉大な将軍様の遺訓を貫徹できずにいる」「現在の軽工業部門での深刻な問題のひとつが原料、資材の輸入依存度が高い点である」等と金正日の指示と方針がきちんと遂行されていないと叱責した。
また、労働者に対しては「現在最も問題となっているのは、我が労働者が事業がうまくいかないことに対する責任を感じず、敗北主義に陥り努力しないことである」「我が労働者の中に現れている輸入病は軽工業発展の障害物」等と指摘した。
しかし、金正恩の演説は北朝鮮軽工業の根本的な問題は指摘せず、関連労働者に責任を転嫁していると指摘される。
北朝鮮では1960年代初頭、軍事・経済平行路線が採用され、北朝鮮内の全ての物資や資材が軍需分野に優先的に供給されるようになり軽工業は急激に衰退していった。
よって軽工業の不振は軍需分野中心の政策が原因であって、関連する労働者の問題ではない。北朝鮮当局が財源と物資の支援を中断するや、各工場企業所は自主的な努力によって辛うじて運営を維持してきた。
脱北者のパク・チョルジン(仮名)氏は

「今回の金正恩の演説は中央の財源調達などの根本的な改善対策はみられず、先代の統治者の過ちを軽工業部門の労働者に転嫁する内容ばかり。過去、金正日は『飴はなくとも銃弾はなければならない』として、住民に生活を切り詰めるよう奨励した。軽工業予算まで軍事分野につぎ込んだせいで人民生活は急激に厳しくなった」

と指摘した。



※「親北勢力は胸に手を当てて考えて欲しい。もし、あなたの子供たちが食べ物に飢えて栄養失調になり、骨だけの痩せ細った体で勉強を諦め、市場のゴミ捨て場を漁っていたら、どんな気持ちになるだろうか。そうせざるを得ない社会に憧れを持つことなど出来るだろうか」
(脱北者Aさん。脱北者手記集より)

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【みんな生きている】中・朝関係編

2013-03-24 09:00:21 | 日記
《韓国メディアが伝える中・朝のビミョ~な「隙間風」》

韓国のメディアが3月22日に北京発で伝えたところによると、中国外務省は習近平国家主席の就任に対する各国首脳からの祝電で北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)第1書記を4番目に紹介した。
中国は「血盟関係」とする北朝鮮に対してはこれまで1990年代の江沢民氏をはじめ、国家主席就任への外国からの祝電を伝える際は“不動の1位”で紹介してきた。
今回の異例の“格下げ”について、韓国メディアは核実験強行後の北朝鮮に対する中国の不満の表れではないかと分析している。祝電紹介の順位はロシアのプーチン大統領がトップで、次いでパキスタン、ナミビア、北朝鮮の順という。
中国は北朝鮮の核実験に対する国連安全保障理事会の制裁強化決議に同調する等、このところ対北朝鮮姿勢に微妙な変化がうかがわれる。国内メディアにも北朝鮮批判が登場し、一部では反北朝鮮のデモさえ伝えられている。
一方、韓国の朴槿恵(パク・クンヘ)大統領は3月20日に習主席と電話会談し、就任を祝うとともに北朝鮮への説得を要請したのに対し、習主席は「努力したい」と語っている。しかし習主席と金第1書記が通話したとの報道はない。



※「親北勢力は胸に手を当てて考えて欲しい。もし、あなたの子供たちが食べ物に飢えて栄養失調になり、骨だけの痩せ細った体で勉強を諦め、市場のゴミ捨て場を漁っていたら、どんな気持ちになるだろうか。そうせざるを得ない社会に憧れを持つことなど出来るだろうか」
(脱北者Aさん。脱北者手記集より)

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