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白雲楼、起雲閣、日本タイプライター、康楽寺

白雲楼、起雲閣、日本タイプライターは全て父桜井兵五郎の資産からなり、父個人の寺「康楽寺」に寄付したものである。

桜井工業高校(2)

2006年10月20日 15時41分24秒 | 私の父
昭和15年5月8日  北国毎日新聞

私費300万円を投じ工業高校を開設 川崎に校舎3万坪
6月から仮校舎で授業
「気鋭エンジニアの払底時代
桜井高等工業学校
政界実業界に勢力以って活躍する同氏が聖紀を祈念して教育報国に乗り出したもので
3万坪を買収し認可のあり次第校舎建築に着工開校する予定
本科 航空、機械、電気

柳田村にも5万円
企業引退の土産に7日朝新緑の麻布の邸に於いて語った

私は来年8月で還暦になるので、これを機会に17、8の会社に関係しているのを引退したい
と念じていたので、幸いにも各会社にも立派な後継者も出来たので,この機会に実現したい・
日本タイプライターもこの5月の総会で社長の椅子を専務に譲り、単に会長となって第一線
を退く考えである。

父が桜井工業高校を設立

2006年10月12日 15時37分59秒 | 私の父

昭和18年3月28日ビルマ新聞(読売新聞がビルマで発行しいた)立川市砂川町で、学校を私費で開校した昭和工業学校は既に3年を経過し二千名の生徒も成長したので、高等工業及び工業大学を建設することになり隣接する石川島造船所の2万坪の買収交渉を開始したと発表された。 http://homepage2.nifty.com/hakuunrou/newpage4.html

 http://blog.goo.ne.jp/stendhal_ht/d/20060713


私の流転したサラリーマン時代(5)

2006年03月16日 09時17分52秒 | 私の父

  財団康楽寺            西武発展(コクド、西武鉄道、プリンス・ホテル)の資金源になったのが、財団 康楽寺である

 

私の日本タイプ時代は昭和33年から35年頃までであった。この頃ようやく父の事や祖母桜井トキのことを思い出したたのである。
残念ながら脳味噌が破壊されていたため、私の母三条西治子のことを思い出すこと
が不可能であった。
私のその頃の精神構造はどのようなものであったか、今考えると不思議である。
私の高校2年の時金沢国立第一病院で鼻の手術を受けた時、私の高校の国語の
中村というう先生が私の鼻の手術をしたことは既にはなしたが、当時はそんなことは
あり得ないと否定する気持ちが強かった。
よく似ている人であると思っていたのである。
しかしその偽医者は国立病院から消えていた。
私が同級生の浜谷徹雄から必要に鼻の手術を迫られ、とうとう受ける羽目になった
経緯についえも記述した。
私を保護をすべき人間が、私の脳の破壊を狙った工作ししていたことは私の思考
を超えるものであった。
しかも国立病院の院長の下で行なわれた手術である
当時の私の思考力に欠陥があったのであろう。
そこを弁谷家一族はねらったのである。
第一に私の友人を私か遠離け、浜谷徹雄のみ私の友人として、私に近付けたこと
である。
もっと広く友人を交際できればこんな事態に至らなかった。
弁谷ハシが私に毒薬を飲ませ、神経を予め、鼻の手術を受ける前にある程度
破壊状態にしておいたのである

弁谷ハシが私の味噌汁の中に薬を入れる現場を見た事については既に記述して
ある。
世界的鼻の手術の名医、国立病院これに、私は惑わせられたのである。
 弁谷貞造が白雲楼を百数十億の抵当権をつけて、最後は5千万円で落札
金沢市に寄付させたこととその手法が似ている

父桜井兵五郎が国から財団として認められた康楽寺を、法人として父の資産を
横流しし、日本観光を破産に落とし入れた手口と似ている。
その裏では地元の有力政治家を使い、また投資事業組合をとうして流失資金
をプール、全国にホテル展開をさせるなど、今のライブドアー以上である。
 日本タイプはいまをときめくキャノンに資本、業務提携と偽り、会社を売り渡し
日本文化を担っていた伝統ある日本タイプを地上から消滅させた。
日本タイプは日本の文化である日本語の機械化、合理化、標準化ひては東洋
文化であるアジアにいたる文化の絆を深める目的の会社である。
単に利益至上主義とは一線か画していた。

そうゆう日本タイプと日本の文化、美を世界の広める役割を担っていた日本観光
を、同時に地上から消し去ろうとしている

これは日本国を地上から消し去ろうとしている、似非経済人と同じである。

これらは一に私を鼻の手術追い込んだ時から始まるのである。
そして私を日本タイプに入社させ、退社させる流転する私のサラリーマン時代
の始まりとなる。

http://blog.so-net.ne.jp/hakuun_r/2006-05-02


私の流転したサラリーマン時代(4)

2006年03月14日 15時24分41秒 | 私の父

  財団康楽寺            西武発展(コクド、西武鉄道、プリンス・ホテル)の資金源になったのが、財団 康楽寺である

 

私が下宿していた桜井清次宅は、私の父の本邸をドイツ大使館の邸宅として
堤康次郎の仲介で日本国政府に売却した金で、父が辨谷栄に贈与した
北陽土地産業株式会社が管理会社として売却代金の一部で買ったものである

現在は六本木ヒルズの近くで、ここも西武不動産の仲介で買ったのであろう。
桜井清次は父より金沢市の彦三に土地を貰い、そこが北陽土地産業の本拠地
となっていた。
元々この会社は山陽土地株式会社といって、昭和初期没落した三井、三菱
に次ぐ土地に投機していた渡辺冶衛門の整理会社であったが、戦後広島から
金沢市に移転して社名を変更したのである。

この会社が父の土地管理会社として、麻布の父の本邸を管理していた。
父は麻布の本邸を金沢の郊外の白雲楼ホテルと並んで、建築した康楽寺
の本殿を建てるために康楽寺に寄付をしていたのである。
このことについては、2005年5月31日に書いた通りである。
父が亡くなる時は、中央区京橋の日本タイプビルを生活の拠点とし、そこに住んでいたのである。
父が昭和26年2月11日亡くなると、この父の本邸は辨谷貞造,昌造が二人が移り住んでいた。
父の本邸にあった国宝級の雪舟の書画等は辨谷栄が能登の家に持ち帰り、
一人で楽しんでいたのである。
そのほかの父の家に高級家具や敷物等は、会社の重役連中がそれぞれ
家に持ち帰ったのである。
この頃私は弁谷ハシより毒薬を盛られ、鼻の手術で頭を破壊されたのである
一方辨谷貞造、昌造は父の本邸で豪華な暮らしをしていた。
貞造は桜井清次の秘書をしており、父の本邸な売却の後、清次の東京の住まい
を父の本邸売却の一部の資金で探していたのである。
それが私が下宿していた桜井清次宅となる。
辨谷栄は康楽寺の本殿の計画は無かったとして、妻ハシと共同で偽造文書を
作成するのである。この件については2005年6月4,5,7日に私の鼻の手術の項
で、書いた。

桜井清次は父より金沢に土地、建物を貰いうけているので、父の本邸の資金
の一部で東京の麻布で家を一軒買ったが、すぐ自分の名義にすることなく、
辨谷栄が昭和29年に亡くなると、貞造を自分の子分として一緒に事を運んだ
のである。
このような状況の中私のサラリーマン時代が始まり、気違の欲ボケの者どもに
サンザンな目に遭わされて行くのである。

http://blog.so-net.ne.jp/hakuun_r/2006-05-01


私の流転したサラリーマン時代(3)

2006年03月13日 15時25分34秒 | 私の父

  財団康楽寺            西武発展(コクド、西武鉄道、プリンス・ホテル)の資金源になったのが、財団 康楽寺である

 

当時は私は麻布の桜井清次宅のガレージの改造した、陽の当たらない窪地に生活していたのだが、浅草のヤクザの会社を2ヶ月で止めた。貞造の友人が勤めているとの話であったが、その友人は私の面倒など全然関心の無い男であった。いつ会社に来ていつ退社するのかも、会社は感知しないようであった。
本当に友人なのかヤクザなのか、全く分からない存在であった。
貞造はそれ以降一向に、私に関心を示さなく、会社を紹介しても我関せずの態度であった。もっとも貞造は日本観光を破産させることを平気でやる男であるから、私のような者はチョロイ存在だったのだろう。会社を潰して入った金は妻の智子の相続だとすることを平気でやえる男である。金のためならヤクザや政治家を、操るこては慣れていたのであろう。人を使って私を陥れることなぞ、朝飯前だったに違いない。
後年日本観光が総会屋の巣窟になり、それを利用して会社を倒産させたからである。
父が必ず遺言書を残してあるはずだと、弁谷ハシに詰め寄った時、ハシは桜井清次が持っているというので、それを見せろというと、お前の名前は遺言状には出てこない。自分の子供は誰と誰かその中に書いてあり、お前の名前は全然出てこないとぬかしたのである
恥ずかしい話であるが、私はそれに反論する気力に欠けていた。
私の母三条西治子が何故私のことを心配していたのか、この時は既に遅かったのである。私はそれ以前4~5年前に頭を破壊されていたからである。
私と母が別れる時母の嫁ぐ先の三条西の名前を忘れると、大変なことになるといったことが現実となったのである。
私は過去を失い、自分を失い、ハシに手篭めにされたのである。
今日あるのを見越して、ハシや貞造、桜井清次は対処していたのである。いかに私が馬鹿であるかを世間に知らしめるこのに、専念していたのである。
私は自分の母である三条西治子のことを、忘却しハシを自分の母を思っていた程の馬鹿者であった。
このため私は人生を高校1年の時、自分が地獄の奈落に突き落とされたことがハシの姦計であったことを自覚できない程、毒薬を飲まされていたのである。辨谷栄が呼んで私を占わせた通りになったのである。年増が私の人生を滅茶苦茶にすると言ったが、彼らはその通り実行したのである。占い師に言わせ、私にある暗示を掛けたのである。人間はおかしな者で、人に言わせておくとまさか自分に降りかかるとは思わないものである。魔性の人間はそれを人に言わしめて、実行するのである。自分が直接手を下さなくても、他人を利用し、毒薬を利用したり、神経作戦を旨く利用するのである。絶えず念力と言うか、威圧感や恐怖感を与えていけば弱い物は自分の思うままになるのである。

http://blog.so-net.ne.jp/hakuun_r/2006-04-28