気がつけばもう11月も中旬に差し掛かってきた。
11月と言えば学園祭の季節。
先日出張時にある大学の前を通ると学園祭だった。
青春じゃ!!
すると小生も90年代の法政学園祭の記憶を思い出した。
小生 大学時代 某運動系のサークルにいた。
そこは平素からとにかく酒を飲む。そして狂ったように一気飲みばかり。
上下関係もあり、注がれた酒は断ることや息継ぎなどはご法度じゃ。
だから下級生は辛い。
そして一番飲むのが学園祭。
特に前夜祭は今でもはっきり覚えているくらい飲む。
こんな飲みはもう出来ないし、やりたくない。
今は違うのだろうが、当時の法政の学園祭は一日中昼夜を問わず学園祭をやっていた。
学生は学校(部室)に泊り込みも出来た。
前夜祭含め4日間、一日中酒を飲み、酔っ払いがあちこちで増殖し、キャンパス内を
彷徨っていた。
昼は屋台やバンド、学生プロレス、そして全く知らないギャラの安そうなB級アイドルのコンサートなど普通の学園祭風景。
しかし夜になると泊り込み可能だから酔っ払いが増殖し、群がり始める。
学館ホールではオールナイトで映画をやっていたし、
外でも星空の元で上映していて、「タイガーマスク」「巨人の星」「あしたのジョー」といった映画が上映されていた。
観ている者が酔っ払っていたから、大騒ぎだ。
例えば「あしたのジョー」が上映されるや、酔っ払い共が冒頭の主題歌から盛り上がり、「サンド~バ~グに~浮んで~・・・♪」と大合唱。酔っ払い共が繰り広げる怪しい光景。傍から見れば危ない集団としか思えない。
夜が深まるとキャンパス内は酔っ払いだらけで、まるで無法地帯のようだった。その証拠に、学校の周りは機動隊が取り囲む異常な光景。良くこんなことが許されていたなとも思う。
話は前後するが、小生1年生の時。大学生になって初めての学園祭。そして前夜祭だ。
我々の部だけでなく、多くの部の学生が泊り込んで早い時間帯から酒を飲んでいた。
小生たちは遅く20時過ぎ頃から飲み始めたが、とにかくその前から飲んでいる学生が多く、その頃にはキャンパス内が異様になっていた。
小生たちが飲み始める直前にキャンパスを見渡せば、多くの酔っ払いが芝や植え込み等、いたるところに倒れこみ、例えは悪いが空襲の焼け野原のように酔いつぶれて人が倒れている。
建物に入れば、部室に通じるエレベーターに乗る。目指す階につき扉が開くや否や、そこにはゾンビのように、泥酔した者が立ち並んで肩を組み大声で日本語にならない会話をしている。
今でも笑えるのだがこの者達、二人で肩を寄せて支え合っている。一方が吐きそうな素振りをしていた。すると片方がいきなりこう叫んだ!!
「○○(人の名前)!! 吐きたければ俺に吐け~!!」
全くの酔っ払いである。全く理解不能なことを言っていた。
すると相棒はそいつの胸に向かって全く遠慮もせずに勢いよくファイヤー。
瞬く間にゲロだらけ。
そしてその二人は崩れ落ちていた。
勿論知り合いであったが、この時は他人のフリをした。
翌日、吐きつけられた者は惨めな姿だった。
記憶にないのにもの凄い汚さ。髪の毛はパリパリ。納得出来ない様子だった。
前夜祭ではこんな酔っ払いがいっぱいなのである。
その他にも泣きわめく者、廊下につぶれている者、トイレに立て篭もる者等たくさんいた。
中には某運動系の部の女子学生が多数酔いつぶれて汚い廊下に恥も外聞もなく、つぶれている。
ありえん光景!!
よく襲われなかったものじゃ。
今の学生たちは決して経験することがないであろう壮絶な光景だった。
少なくとも当時18歳だった少年には強烈過ぎた。
そして小生初めて記憶が飛ぶデビューをしたのは、この前夜祭だ。
1年生の為、OBに自己紹介を兼ねて酌をすると同時に飲まされる。
酒は悪魔の水 日本酒。
OBの先輩が金粉入りの高そうな酒を持ってきて、飲ませてくれた。
酒を注いでくれるのだが、金粉が入らない場合には、「折角だから金粉を飲まないと・・」
と訳のわからない悪魔の「こじつけ」で、コップを空けさせ次々と注いでいく。
小生 冷のため一気飲みし易く、高い酒だけあって旨くさえ感じた。
しかしこれが命取り。
開始30分で何の前触れも無く記憶が飛んだ。
まさしく「強制終了」って感じで崩れ落ちた。「轟沈」であった。まったく記憶に無い。
もっとも小生の同期には、どんぶりで三杯一気して、小生よりも速い撃沈をとげた者もいたが・・・。
そして翌日の空を良く覚えている。
快晴じゃった。
猛烈な二日酔い。「空が割れる・・・」と言った感覚を覚えている。
初めて日本酒の怖さを知った。
小生、記憶をなくす酒は今日に至るまで他にもあれど、何故か日本酒だけは今でもこの時の事がトラウマとなって好きにはなれない。
そして現在に至るまで、11月が来ると大学を卒業してからかなり時間が経っているのに、学園祭=日本酒という思いが頭をよぎり、懐かしく思うのである。
学生が学校に泊り込んで4日間友と、先輩、後輩、他大学のライバル達と酒を酌み交わし、酔っ払い、無法地帯のようになる。
よく大学側が許してくれたと思うし、急性アル中の死人が出なかったと思う(後年不幸にも死亡事故が起こり、このような泊り込んでの学園祭は出来なくなったと聞いたが真偽は不明)。
悪い点もあったが、こんな学園祭を4年間もさせてもらった法政大学には感謝している。
滅茶苦茶だったけど、大学側も寛容で、学生だけに許される特権のような学園祭だった。
とはいえ学生側も自由ではあったが、最低限のルールを守った運営をしていたと思う。
当時は大変に思ったが、凄く楽しい学園祭だった。
今の学生も、我々とは違った学園祭を楽しんでいると思うが、どんな学園祭であれ良い思い出になる学園祭を楽しんで欲しいと思う。
11月と言えば学園祭の季節。
先日出張時にある大学の前を通ると学園祭だった。
青春じゃ!!
すると小生も90年代の法政学園祭の記憶を思い出した。
小生 大学時代 某運動系のサークルにいた。
そこは平素からとにかく酒を飲む。そして狂ったように一気飲みばかり。
上下関係もあり、注がれた酒は断ることや息継ぎなどはご法度じゃ。
だから下級生は辛い。
そして一番飲むのが学園祭。
特に前夜祭は今でもはっきり覚えているくらい飲む。
こんな飲みはもう出来ないし、やりたくない。
今は違うのだろうが、当時の法政の学園祭は一日中昼夜を問わず学園祭をやっていた。
学生は学校(部室)に泊り込みも出来た。
前夜祭含め4日間、一日中酒を飲み、酔っ払いがあちこちで増殖し、キャンパス内を
彷徨っていた。
昼は屋台やバンド、学生プロレス、そして全く知らないギャラの安そうなB級アイドルのコンサートなど普通の学園祭風景。
しかし夜になると泊り込み可能だから酔っ払いが増殖し、群がり始める。
学館ホールではオールナイトで映画をやっていたし、
外でも星空の元で上映していて、「タイガーマスク」「巨人の星」「あしたのジョー」といった映画が上映されていた。
観ている者が酔っ払っていたから、大騒ぎだ。
例えば「あしたのジョー」が上映されるや、酔っ払い共が冒頭の主題歌から盛り上がり、「サンド~バ~グに~浮んで~・・・♪」と大合唱。酔っ払い共が繰り広げる怪しい光景。傍から見れば危ない集団としか思えない。
夜が深まるとキャンパス内は酔っ払いだらけで、まるで無法地帯のようだった。その証拠に、学校の周りは機動隊が取り囲む異常な光景。良くこんなことが許されていたなとも思う。
話は前後するが、小生1年生の時。大学生になって初めての学園祭。そして前夜祭だ。
我々の部だけでなく、多くの部の学生が泊り込んで早い時間帯から酒を飲んでいた。
小生たちは遅く20時過ぎ頃から飲み始めたが、とにかくその前から飲んでいる学生が多く、その頃にはキャンパス内が異様になっていた。
小生たちが飲み始める直前にキャンパスを見渡せば、多くの酔っ払いが芝や植え込み等、いたるところに倒れこみ、例えは悪いが空襲の焼け野原のように酔いつぶれて人が倒れている。
建物に入れば、部室に通じるエレベーターに乗る。目指す階につき扉が開くや否や、そこにはゾンビのように、泥酔した者が立ち並んで肩を組み大声で日本語にならない会話をしている。
今でも笑えるのだがこの者達、二人で肩を寄せて支え合っている。一方が吐きそうな素振りをしていた。すると片方がいきなりこう叫んだ!!
「○○(人の名前)!! 吐きたければ俺に吐け~!!」
全くの酔っ払いである。全く理解不能なことを言っていた。
すると相棒はそいつの胸に向かって全く遠慮もせずに勢いよくファイヤー。
瞬く間にゲロだらけ。
そしてその二人は崩れ落ちていた。
勿論知り合いであったが、この時は他人のフリをした。
翌日、吐きつけられた者は惨めな姿だった。
記憶にないのにもの凄い汚さ。髪の毛はパリパリ。納得出来ない様子だった。
前夜祭ではこんな酔っ払いがいっぱいなのである。
その他にも泣きわめく者、廊下につぶれている者、トイレに立て篭もる者等たくさんいた。
中には某運動系の部の女子学生が多数酔いつぶれて汚い廊下に恥も外聞もなく、つぶれている。
ありえん光景!!
よく襲われなかったものじゃ。
今の学生たちは決して経験することがないであろう壮絶な光景だった。
少なくとも当時18歳だった少年には強烈過ぎた。
そして小生初めて記憶が飛ぶデビューをしたのは、この前夜祭だ。
1年生の為、OBに自己紹介を兼ねて酌をすると同時に飲まされる。
酒は悪魔の水 日本酒。
OBの先輩が金粉入りの高そうな酒を持ってきて、飲ませてくれた。
酒を注いでくれるのだが、金粉が入らない場合には、「折角だから金粉を飲まないと・・」
と訳のわからない悪魔の「こじつけ」で、コップを空けさせ次々と注いでいく。
小生 冷のため一気飲みし易く、高い酒だけあって旨くさえ感じた。
しかしこれが命取り。
開始30分で何の前触れも無く記憶が飛んだ。
まさしく「強制終了」って感じで崩れ落ちた。「轟沈」であった。まったく記憶に無い。
もっとも小生の同期には、どんぶりで三杯一気して、小生よりも速い撃沈をとげた者もいたが・・・。
そして翌日の空を良く覚えている。
快晴じゃった。
猛烈な二日酔い。「空が割れる・・・」と言った感覚を覚えている。
初めて日本酒の怖さを知った。
小生、記憶をなくす酒は今日に至るまで他にもあれど、何故か日本酒だけは今でもこの時の事がトラウマとなって好きにはなれない。
そして現在に至るまで、11月が来ると大学を卒業してからかなり時間が経っているのに、学園祭=日本酒という思いが頭をよぎり、懐かしく思うのである。
学生が学校に泊り込んで4日間友と、先輩、後輩、他大学のライバル達と酒を酌み交わし、酔っ払い、無法地帯のようになる。
よく大学側が許してくれたと思うし、急性アル中の死人が出なかったと思う(後年不幸にも死亡事故が起こり、このような泊り込んでの学園祭は出来なくなったと聞いたが真偽は不明)。
悪い点もあったが、こんな学園祭を4年間もさせてもらった法政大学には感謝している。
滅茶苦茶だったけど、大学側も寛容で、学生だけに許される特権のような学園祭だった。
とはいえ学生側も自由ではあったが、最低限のルールを守った運営をしていたと思う。
当時は大変に思ったが、凄く楽しい学園祭だった。
今の学生も、我々とは違った学園祭を楽しんでいると思うが、どんな学園祭であれ良い思い出になる学園祭を楽しんで欲しいと思う。
私も階段で気を失い、どこかの
「収容部屋」に運ばれた口です。
二日酔いどころか三日以上残った
記憶があります。
学生プロレスに映画上映、何でも
盛り上がりましたね。
状況を知人に説明するときに
「渋谷の交差点を歩いている人が
全員泥酔している状態」
と言った記憶があります。
法政の学園祭のことを話すと周りの人は
信じられないよな顔をするだけに、
分かっている方がいるのは嬉しいです。
マグロさんも階段で倒れていましたか・・。
私は廊下だったような・・・。
懐かしいですね。渋谷の交差点の人の例え。
まさしくそんな感じでした。
今はこんな学園祭はないでしょうが、
お互い 良い思い出になっていますから、
良かったんでしょうね。
時代は激しく動くんですね。
今の学園祭は22時という、これからという時に閉まってしまうんですね。それが今の時代では
正解だと思います。
少し寂しい気もしますが、時代ですね。
また、我々の時にも当然ナンパはありましたけど、それ以上は露骨に人前ではなかったですね(笑)
天さんは4年生ですか。もうすぐ卒業ですね。
社会人になったらなったで楽しいこともいっぱいありますが、人にもよりますけど、小生は学生時代の時間は、人生の中でも最も宝の時間だと思っています。
残りの学生生活 思いっきり楽しんでくださいね。
卒業したら同じOBとして、法政の誇りを胸にラグビーはじめ母校を共に応援して行きましょう。