思い出の友
K・W君のことをふと思い出した。
彼がわたしの村に転入したのは,中学1年の時だったと思う。両親が亡くなり,天涯孤独となって,叔父さんの家に世話になることになったと聞いた。
歳が1つ上で,体格がよく,しかも運動神経が優れていたので,たちまち花形になった。同じ組で,なんとなくウマが合ってよく話をした。
3年生の時に,正捕手で主将の彼から,野球部のマネージャーを頼まれ,帰り道が同じ方向なので,練習の後ほぼ毎日一緒に帰った。
勉強も良くできた。叔父さんに内緒で彼は,高校の夜間部を受け,合格した。しかし,叔父さんからは許してもらえず,東京に就職することになった。
卒業式の翌々日,彼は近くの私鉄の駅から,行李一つ持って東京へ旅立った。彼を駅に送った帰路,わたしは涙をこらえることができず,家に帰って自分の部屋で声をあげて泣いた。
大学に合格して東京に出て,彼の働いているところに電話した。彼は大変喜んで,遊びに来いと誘ってくれた。大井町駅近くの大きな中華料理屋だった。彼は,親方に,大学に入った友達だ,とわたしを紹介した。親方は,蟹玉をご馳走してくれた。こんなにうまいものは食べたことがないと思った。
その後も,頻繁ではないが,時々電話で話したり,会ったりした。大学がどんなところか見たいというので,研究室に来てもらって,構内を案内したこともある。
40歳前後のころ,彼は小田急線の沿線に店をもった。お祝いをもって遊びに行った。立派な中華料理店で,2階が私宅になっていた。奥さんとお子さんたちにも紹介してもらった。近くに大学があって,教職員や学生で結構にぎわっているとのことで,本当に良かったと,嬉しかった。
その後,時々電話で話すことはあったが,会うことはなかった。55歳ころ,中学同級会の幹事から,K・W君に出した案内状が,受取人不明で戻ってきたとの連絡が入った。早速彼に電話をしたが,全く通じなかった。その後,3・4回かけた電話は,すべて不通だった。
以来,彼の消息はわからない。K・W 君はどうしているだろうと,時々考える。
中秋の名月
9月21日,ベランダからスマホで撮影。
昨夜、家内と中秋の名月を眺めました。
昨晩の中秋の名月を眺めながら。寂しい気持ちで眺める自分に気付きました。
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