プロコフィエフの日本滞在日記

1918年、ロシアの若き天才作曲家が、大正期のニッポンで過ごした日々

(本日の日記はありません)

1918-07-21 | 日本滞在記
1918年7月21日(旧暦7月8日)

*本日の日記はありません。


訳者注:日本滞在中、プロコフィエフが日記を書いていないのは、唯一この日だけ。軽井沢での休暇をよほど満喫していた、ということでしょうか。

日本人

1918-07-20 | 日本滞在記
1918年7月20日(旧暦7月7日)

 あちこちを散歩した。軽井沢はとりたてて美しいわけではないが、本物の日本の田舎で過ごすのは気持ちがいい。主人夫妻は親切で、新しい音楽に専念しているが、子供たちが忌わしくわめき散らすので腹が立つ。感心なことに、日本の子供たちはまったく叫んだりしない。概して日本人は幸せそうで、ニコニコしていて、決して口論などしない。心の内を隠し、ずる賢いところさえなければ、まったくもって魅力的な人々だろうに。


軽井沢

1918-07-19 | 日本滞在記
1918年7月19日(旧暦7月6日)

 毎朝モダン音楽を弾かせてもらっているイギリス人に誘われて、軽井沢に出かけた。煙とススと暑さのなかを行くこと6時間、ニッポンのど真ん中、標高3000フィートの地にある。標高のおかげで、そこは横浜のフライパンよりはるかに涼しく、それが何よりも魅力的だ。イギリス人(あるいはオーストラリア人かも)は、左右に開く壁のある質素な日本家屋を借りていて、そこに彼の妻が住んでいる。

シベリア出兵

1918-07-18 | 日本滞在記
1918年7月18日(旧暦7月5日)

 ロシアのルーブルがシベリア出兵によって高騰。私の500ルーブル札3枚は、375円に両替できるだろう。となると、私の財産は600円相当ということになる。これでビザがおりるまで乗り切り、二等クラスでホノルルにたどり着くことができるし、さらに200円ほど残る勘定になる。お金のことは、これで少しは安心した。


私書箱23号

1918-07-17 | 日本滞在記
1918年7月17日(旧暦7月4日)

 今の私にとって最も関心のある場所は、私あての手紙が届くホテル事務所の私書箱23号。オボリスキーからの電報、あるいはベール男爵によれば私に作曲を注文したがっているという徳川氏からの手紙を待っているのだ(作曲の注文は即ち日本円を意味する。まったくもっていまいましい)。

牧神の午後

1918-07-16 | 日本滞在記
1918年7月16日(旧暦7月3日)

 ともにスペイン人のグラナドス〔エンリケ、1867-1916、作曲家・ピアニスト〕とアルベニス〔イサーク、1860-1909、作曲家・ピアニスト〕はいい感じだが、中身が薄く、技巧的に青くさいところがある。ドビュッシーの『牧神の午後への前奏曲』は、素晴らしく繊細で詩的だ。もっとも、どこまでも無駄を繰り返してはいるが。彼の初期の作品群はけっこうお粗末だ。

 夜、ブリッジで31円すってしまった。よりによってこんな時に。

アメリカ領事

1918-07-15 | 日本滞在記
1918年7月15日(旧暦7月2日)

 ビザの手配をアメリカ領事を通して並行して始めることにした。そうしないと、オボリスキーからの電報を秋まで待つことになりかねない。やむをえず領事を訪ねる。獣のような人物を想像していたが(ビザの件ではどれだけのロシア人が苦労したことか)、年老いた領事はとても親切で、申請書に記入させて、それを東京のアメリカ大使館に送ってくれた。大使館でもやはり親切にされ、マコーミクの推薦状は十分であること、もちろんビザはもらえることがわかった。しかし悲しいかな2本あるケーブルのうち1本が切れていて、もう1本は電報でふさがっているため、返事がくるのに三週間はかかるという。電報代に75円とられたが、200円用意してきたので、私にとって思わぬ贈り物。金欠なのでとても助かる。

世界は喜び

1918-07-14 | 日本滞在記
1918年7月14日(旧暦7月1日)

 私の人生はずっと待ちぼうけ。いつになったら次に進めるのか。そのせいでイライラした気分で、何もする気が起きず、それゆえに退屈だ。この事態を哲学的にとらえるよう努力しており、それは驚くほど気分に影響を与える。どのみちいくら泣き言を言ったところで電報が早く届くわけじゃない。

『意志と表象としての世界』を読み終わった。ショーペンハウエルはもちろん私の人生における一大事であるが、この本にはまったく賛同できない。彼の思想を否定しないし、逆に魅了されてもいるが、私は世界は苦しみではなく、喜びだととらえている。

モダン音楽

1918-07-13 | 日本滞在記
1918年7月13日(旧暦6月30日)

 イギリス人宅には、モダン音楽の素晴らしい楽譜コレクションがある。今日は作曲はしないで、レーガー〔マックス、1873~1916、ドイツの作曲家〕、ロジェ〔デュカス・ジャン、1873~1954、フランスの作曲家〕、ラヴェル〔モーリス、1875~1937、フランスの作曲家〕、メトネル〔ニコライ、1880~1954、ロシアの作曲家〕を弾いた。とても満足した。どの曲も、モダンという評判にもかかわらず、とても響きがよく、じつによくできていて心地よい。ただし深みがない。私のほうがもっといい。

徳川侯爵

1918-07-12 | 日本滞在記
1918年7月12日(旧暦6月29日)

 とあるイギリス人が、ベヒシュタインのピアノと空き部屋を提供してくれた。毎朝、弾きに行き始めた。ざっと書いたバイオリン・ソナタに目を通す。今までピアノで作曲することから遠ざかり、何もしていなかったが、このソナタはなかなかよくなりそうだ。第一楽章は最初から最後まで全部破棄。

 東京に行き、徳川侯爵のところで昼食をとった。若くて非常に面白い日本人で、西洋音楽にとても入れ込んでいる。日本の貴族とはどんなものか、興味をもって見たが、侯爵はまったくもってヨーロッパ的な人物で、じつに魅力的で飾り気がなく、東洋をまるで感じなかった。