プロコフィエフの日本滞在日記

1918年、ロシアの若き天才作曲家が、大正期のニッポンで過ごした日々

横浜公演

1918-07-09 | 日本滞在記
1918年7月9日(旧暦6月26日)

 夜、横浜グランドホテルの新しいホールでコンサート。プログラムは東京の初日と同じ。入場料5円。しかしこの値段は、多くの人が手が出せなくて帰ってしまうほど高かった。聴衆はとても少なかった(150人)が、とても興味をもって聞いてくれた。私の手取り収入は……41円。おまけにストロークは、神戸、大阪、そして東京での三度目のコンサートは開けないという手紙を受け取った。

 アメリカ行きのために期待した2000円は、このざまだ。かわりに財布には、850円しか入らない見込み。でも、ストロークと一緒に秋のコンサートを待つなんてまっぴらだ。退屈だし、窮屈だ。なんとしてもニューヨークに行く必要がある。かといってこの金じゃ、二等クラスでニューヨークにたどり着くこともできない。そこで私はホノルルに行って、コンサートを二度ほど開き、ドルの腹ごしらえをしてからニューヨークに行くことに決めた。

 今日のコンサートのとき、ホテルの室内オーケストラで演奏している四人のロシア人音楽家が訪ねてきて、とても丁重にほめてくれた。彼らはホノルルに行ったことがあり、現地ではまともなコンサートが不足しているそうだ。