プロコフィエフの日本滞在日記

1918年、ロシアの若き天才作曲家が、大正期のニッポンで過ごした日々

コンサート告知

1918-06-30 | 日本滞在記
1918年6月30日(旧暦6月17日)

 東京は暑くて埃っぽくて不愉快だ。横浜に行ってきたが、やはり向こうに移りたい。グランドホテルは値が張るが、居心地はいいし、太平洋を望むテラスがある。そのためだけに移ってもいいくらいだ。

 私のコンサートの最初の告知が出る。
 サンドイッチ諸島〔ハワイ〕とニューヨークに行きたくてたまらない。

フジヤマ

1918-06-29 | 日本滞在記
1918年6月29日(旧暦6月16日)

 朝、急行列車の展望車両に乗って、東京に向かった。美しく洒落た日本を満喫しながら再び日中移動する。土地という土地は、いい場所もさほどよくない場所も、ヨーロッパではお目にかかれないほど丹念に愛情こめて耕されている。カーブにさしかかったときにほんの何度か、フジヤマが霧のなかから姿を現した。円錐形で暗い感じだ。実物が見られて嬉しい。

 東京ステーションホテルの同じ部屋に泊まった。ロシアからは手紙一通来ていない。チェコスロバキア軍団によるシベリア鉄道〝封鎖〟のせいで、何も期待できそうにない。

再び京都

1918-06-28 | 日本滞在記
1918年6月28日(旧暦6月15日)

 明日は東京に発つので、京都に移動した。コンサートに備えてそろそろ練習しないと。もっともこんな客相手では努力に値しないのだが。それにしても、もう二ヵ月半もピアノを弾いていない。

 骨のない人間をテーマにした小説のアイデアが浮かぶ。

ショーペンハウエル

1918-06-27 | 日本滞在記
1918年6月27日(旧暦6月14日)

 生活は幾分もたつきながら、どしゃぶりの雨の中で続いている。ショーペンハウエルをとても興味深く読んでいる。最後の一冊『意志と表象としての世界』のことであるが、彼の悲観主義は受入れられない。

 私の友人たち、特にB・ヴェーリン、アサフィエフ〔ボリス・ウラジーミロヴィチ、1884~1949、作曲家・音楽史家〕、スフチンスキーのことを、とても懐かしく思い出す。

女友達

1918-06-26 | 日本滞在記
1918年6月26日(旧暦6月13日)

 今日、ピアストロと可愛いガールフレンドが内輪喧嘩をした。まったくもって、リーナもコーシツもエレオノーラ〔ダムスカヤ、ぺテルブルク音楽院の同級生でハープ奏者〕もここにいなくて本当によかった。結局のところ、二人はおとなしくなったけれど。

作家性

1918-06-25 | 日本滞在記
1918年6月25日(旧暦6月12日)

 自分の作家性をどう思うか? とにもかくにも言えることは、文章を書くことは、単純にとても好きだ。この答えだけで十分だろう。もしもそれに加えて、かなりいい線をいっているとしたら(困ったことに、単にいいものを書くのはまっぴらなのだが)私のしていることは極めて正しいことになる。作曲のための時間と労力を奪われることに関しては、率直にこう言える。最近私は数多くの曲をつくったし、今は小休止するとしても、それは有益な気分転換になるし、そのあとの仕事はもっとはかどるだろう、と。

 自分の作家性がそう優れたものではないことは認めるが、今はまだ、どこがどう悪いのか自分ではまるでわからない。


珍しい話

1918-06-24 | 日本滞在記
1918年6月24日(旧暦6月11日)

 ピアストロがマルーシャと一緒にやってくる。二人に会えて嬉しかった。散歩したり、カクテルを飲んだり、ビリアードをしたりした。ピアストロは、たびたびコンサートを開いたジャワやシャム、インドの珍しい話を聞かせてくれた。

 珍しい話といえば、ここのホテルの壁という壁には、風景画などの絵が飾ってあるが、今書いている小説のためにプリンス諸島を探そうとしてヨーロッパの地図を見たいと思ったのに、ヨーロッパの地図などどこにもないのだ。世界の中心たるヨーロッパなどご勝手に。ここの世界は、ヨーロッパなしで成り立っているのだ。

退屈

1918-06-23 | 日本滞在記
1918年6月23日(旧暦6月10日)

 奈良はいいところだが、少し退屈だ。一人でいることに退屈するとは自分でも驚きだが、その原因は、今は何も書く気がしないし、作曲もする気にならないからだ(ちょっとした休憩といったところか)。それに手元にある本はショーペンハウエル一冊だけ。『意志と表象としての世界』をまた読み始め、大いに満足を得たが、この本は少しずつしか読めない。せいぜい一日に一、二時間。だから何もしないでいる時間が多いのだ。

日本の聴衆

1918-06-22 | 日本滞在記
1918年6月22日(旧暦6月9日)

 京都に行ってきた。ストロークがホノルルの興行主に手紙を書いてくれたので、ひどく嬉しい。

 メローヴィチとピアストロのコンサートでは、日本人は安い席(五十銭)に集中している。日本人の反応は(概してここでのコンサートの特徴は、あまり知られていない西洋音楽に関心を持ち始めている日本人に、本物の音楽を聞かせる機会を与えることにある)、一方で非常に注意深く聞いているが、その一方で、どんなに注意を払っても分かっていないのは明らかで、彼らにベートーベンのソナタを聞かせようが演奏者の即興を聞かせようが、違いが分かりはしないのである。日本人の気をひくのは上っ面の面白さ。例えばバイオリンのピチカートとか、玉を転がすようなピアノの演奏など。こうした聴衆の前で二度ほど弾くのは面白かろうが、それ以上やる気にはなれない。

四重奏

1918-06-21 | 日本滞在記
1918年6月21日(旧暦6月8日)

『白い友人』がはかどる一方、フォルチオ〔『許しがたい情熱』の登場人物〕の話は第三章でつまずいてしまった。だがこの話はとても気に入っている。

 ロシアからの電報によると、チェコスロバキア軍がシベリア鉄道のトムスクからサマラまで占領し、ボリシェビキと戦闘中だという。私は最後の列車に乗って無事やりすごせたが、もしコーシツを待っていたら、どうなっていただろう! 一方、それ以前の特急に乗っていたら、辿り着きはしたものの、いやな捜査や圧迫を受けることになっただろう。私は奇跡的にやりすごしたのだ。

『白い四重奏』のアイデアが復活した。少し書き留めたところで、古いテーマ(主要パートの)を思い出した。