1918年7月15日(旧暦7月2日)
ビザの手配をアメリカ領事を通して並行して始めることにした。そうしないと、オボリスキーからの電報を秋まで待つことになりかねない。やむをえず領事を訪ねる。獣のような人物を想像していたが(ビザの件ではどれだけのロシア人が苦労したことか)、年老いた領事はとても親切で、申請書に記入させて、それを東京のアメリカ大使館に送ってくれた。大使館でもやはり親切にされ、マコーミクの推薦状は十分であること、もちろんビザはもらえることがわかった。しかし悲しいかな2本あるケーブルのうち1本が切れていて、もう1本は電報でふさがっているため、返事がくるのに三週間はかかるという。電報代に75円とられたが、200円用意してきたので、私にとって思わぬ贈り物。金欠なのでとても助かる。
ビザの手配をアメリカ領事を通して並行して始めることにした。そうしないと、オボリスキーからの電報を秋まで待つことになりかねない。やむをえず領事を訪ねる。獣のような人物を想像していたが(ビザの件ではどれだけのロシア人が苦労したことか)、年老いた領事はとても親切で、申請書に記入させて、それを東京のアメリカ大使館に送ってくれた。大使館でもやはり親切にされ、マコーミクの推薦状は十分であること、もちろんビザはもらえることがわかった。しかし悲しいかな2本あるケーブルのうち1本が切れていて、もう1本は電報でふさがっているため、返事がくるのに三週間はかかるという。電報代に75円とられたが、200円用意してきたので、私にとって思わぬ贈り物。金欠なのでとても助かる。