1918年7月23日(旧暦7月10日)
大森のホテル〔望翠楼ホテル〕は静かだが、設備はよくない。ミンステル一家のまわりには、とてもいいフランス人仲間がいて、このホテルに滞在している。ミンステル夫人にしても、若くて素敵な女性で、見た目も素晴らしく魅力的だ。
手紙を何通か書き、『許しがたい情熱』を書いた。驚くほど入念に耕された日本の畑のなかを散歩した。
ビザを待つ心境も落ち着く。
訳注・音楽評論家、大田黒元雄の日記によれば、この日の朝10時すぎ、プロコフィエフは同じ大森に住む大田黒を訪問。「昼頃まで(ピアノを)弾いたり話したりして過す」とある。
大森のホテル〔望翠楼ホテル〕は静かだが、設備はよくない。ミンステル一家のまわりには、とてもいいフランス人仲間がいて、このホテルに滞在している。ミンステル夫人にしても、若くて素敵な女性で、見た目も素晴らしく魅力的だ。
手紙を何通か書き、『許しがたい情熱』を書いた。驚くほど入念に耕された日本の畑のなかを散歩した。
ビザを待つ心境も落ち着く。
訳注・音楽評論家、大田黒元雄の日記によれば、この日の朝10時すぎ、プロコフィエフは同じ大森に住む大田黒を訪問。「昼頃まで(ピアノを)弾いたり話したりして過す」とある。