プロコフィエフの日本滞在日記

1918年、ロシアの若き天才作曲家が、大正期のニッポンで過ごした日々

興行師去る

1918-07-10 | 日本滞在記
1918年7月10日(旧暦6月27日)

 ストロークが去った。彼に「良きことあれ」と言われたので、「何をおいても、良き興行師あれ」と答えてやった。彼は、暑さやらオフシーズンであることやらを引き合いにして、我々のコンサートがああも不名誉だったことに大いなる不満を示し、自分は常に「第一級のものしか」やらないのに、と言う。そこで私はこう答えた。「ある日、神があなたに本物の一流芸術家を遣わしたとしても、あなたには何ひとつできないでしょうね」

 古い知人のコーンシン家を訪ねた。横浜から電車で一時間のところに、大家族全員で住んでいる。とても楽しく一日を過ごした。陽気でとてもお洒落なお嬢さんや奥さんが何人もいた。