眼前のことに夢中になる

必修科目の履修漏れ、11県65校で…読売新聞調査(読売新聞) - goo ニュース

 きっと昔からある履修漏れの問題ですが、極めて日本的な気もします。現実問題、高校が大学進学のための場所と化している今日、必修なんて形骸化した「儀式」のようなものでしょう。やりたい学校だけやっていれば良いのではないでしょうか。
 これらの学校が、目先の大学受験だけを考えているように、スポーツでも目先の大会だけを考えてしまうことはよくありますね。甲子園で勝つために、エースに連投を課す。国立に行くために、ケガをおしてもピッチに立つ、一試合でも多く勝つために、休みもなく練習を重ねる、などなど。中学・高校でスポーツをしてきた人は、良かれ悪かれ、こうした無理をいくらかはしてきたのではないでしょうか。
 中高と軟式テニス部だった私も、下手なりに、盆・正月以外は毎日練習に明け暮れていました。おかげで、見事に浪人もしたし…。ん、もしかして、それはうちの高校が、必修をすべて履修させてたせいかも(笑)。
 そんなことはさておき、人が生きていくにあたっては、いくつかの視座が必要です。直近の大会に勝ちたい、高校生活最後の大会で良い成績を収めたい、とにかく上手くなりたい、死ぬまでずっとテニスを続けていたい…。長短それぞれのスパンで、複合的に時間を捉え、スポーツを捉えることが大切です。
 そういう意味では、中学・高校であんまり眼前の勝ち負けにだけとらわれるのは、美しいことではないかも知れません。でも、「目の前の試合に勝ちたい」、これがスポーツの、あるいは向上心を生むエネルギーの源泉ですよね。このエネルギーに身をゆだねて、一心不乱に競技に、勉強に取り組むことは、中学・高校時代にはあっても良いことだと思います。その刹那的な、悪く言えば目先だけしか見えない生き方は、どこか破滅主義的で、この年代に特有の美学なのです。
 もちろん無理をしてケガをすることはあってはならないし、そうした事態が起きないよう、教育者・コーチ陣は万全のケアをしてあげるべきです。今回の履修騒動で言えば、「卒業問題」なんかに巻き込まれないように、教師陣がケアしてあげるべきだったでしょう。
 人生って、本当にいろいろなことがあって、大学受験なんてほんの些細なことなのに、その大学受験で頭が一杯になっている高校がたくさんある。ん~、やっぱり甲子園に夢中になる日本ならではの話ですよね。
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