サポーターはなぜやさしいのか

サッカークラブのサポーターはなぜ心やさしいのか。それは、彼ら自身がつねに敗者であるからです。どんなに強く願っても、祈っても、想いが通じることは稀であるということを彼らは知っているのです。



Jリーグであれば、勝者は18クラブのうちわずか1クラブ。1部に残りたいと、スタジアムで声をあげつづけても、3つのクラブのサポーターは想い通じず降格の憂き目にあってしまいます。これが毎年つづく。



サッカークラブのサポーターであるということは、敗者でありつづけるということなのです。


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戦え日刊スポーツ(on twitter)

twitter(ついったー)に日刊スポーツの公式アカウントがお目見えしました。

このブログを読んでいる方の大半は、twitterかfriendfeedから来ているので、今さら説明はいらないと思いますが…
簡単に説明しちゃうと、twitter(ついったー)というのは、140文字以内のつぶやきを次々と表明していく「ミニブログ」で、その140文字というハードルの低さから、多くの人が日常的に書き込み、交流しているネット上のメディアです。欧米の各新聞社などはもちろん、日本でも朝日新聞毎日新聞、その他、IT系を中心に各メディアも公式に書き込みを行っています。
(もっとちゃんとした説明は、ITmediaさんでどうぞ)

で、そのtwitterに、おそらくスポーツメディアとしては初めて、日刊スポーツが登場したのです。

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子供の好みから日本のスポーツの状況を考える

おもちゃメーカーのバンダイから「お子様の好きなスポーツ選手は?」というアンケート結果が発表されました。5年ぶりの調査なようですが、当時の結果と比べるとずいぶんと様子が変わりました。
5年前にもブログで感想を記していたので、そちらを眺めながら、何が変わったのかを考えてみました。

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書評「ホペイロの憂鬱」


井上尚登さんの「ホペイロの憂鬱 JFL篇」を読みました。

ホペイロというのは、サッカークラブの用具係のことで、選手のスパイクのケアをはじめ、ボールやユニフォーム、練習用具など、サッカーに関するありとあらゆる用具のケアを行うスペシャリストです。実在するホペイロでとても有名なのは、名古屋グランパスの松浦紀典さん


というわけで、「ホペイロの憂鬱」を(サッカー養分満載かな?)とワクワクして、読んだわけです。
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スポーツとコミュニケーションについて病院で考えました

 来月、簡単な手術を受けるので、その事前説明で今日は病院に行って来ました。文字通りの2時間待ちの3分診療。よくある手術なので、ドクターは決まり文句をまくし立てるように、まさに立て板に水。淀みない口調の合間には、質問を挟み込むこともできません。
 まあ、こちらも「派手な治療」ぐらいに思うようにしているので我慢もできますが、あれが他人にメスを入れる人のやり方かと思うと、ちょっぴり怒りと悲しさが湧いてくる瞬間でもありました。

 メッセージを伝える側と伝えられる側に温度差があるというのは、コミュニケーションの大前提です。そこに差があることを認識していなければ、相手のことを思いやる情感に欠け、ディスコミュニケーションが生まれることでしょう。
 「俺はこんなに思ってやっているのに…」
 「いつもいつも、同じことをうざいなぁ…」
 スポーツだってきっと同じことです。フィールド(コート)の上で、チームメイトの考えていること、対戦相手の感じていることを察することができるか。コーチと選手は、温度差を縮める努力ができているか。先輩・後輩は、互いのことを尊重できているか、などなど。スポーツが一人ではできないもの、コミュニケーションの化身である以上、相手の「温度」を察する努力が、そこには不可欠です。

 日常の対人コミュニケーションでは、温度差を計る温度計が見えづらいケースがよくあります。前述のドクターだって、私がどの程度、病気や手術に対して不安を感じているか、計りかねていたのでしょう。
 でもスポーツはそこにゲームがあります。練習もあります。他者が何を思い、何を感じ、何にプライオリティを置いているのか、それを計る(察する)チャンスは、競技の中に見出すことができるはずです。
 あまりに楽観的かも知れませんが、スポーツが対人コミュニケーションを円滑にする切り札になりうるという夢は、まだまだ捨てることができません。昨日のエントリーでhakone-boyさんが指摘してくれたように、スポーツマンもただの人間で、そこにはいじめも犯罪もはびこっています。
 でも、彼らが競技を通じて他者への配慮を身につけることができれば、大きく状況は変わるのではないでしょうか。スポーツが「魔法の杖」にはならないとしても、着実に一歩ずつ、歩みを進めていくための「ただの杖」ぐらいには、なれたら良いなと、そんなことを薬を待つ、再びの長い待ち時間の間に考えていました。
 
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スポーツはいじめをなくすのか?

「スポーツでいじめ撲滅」軟式野球大会で呼び掛け
プロ野球の根来泰周コミッショナーが25日、日本野球機構主催の軟式野球大会(中略)で、参加者の小学生やその家族らに、いじめをなくそうと呼び掛けた。

 根来さん曰く、「スポーツは潤滑油になる」そうで、それはそれで間違っていないのだと思います。競技を通じて、挫折や達成感を共有することは仲間の結びつきを強くするのに役立つし、スポーツ総研の広瀬一郎さんが言うように、スポーツマンシップはいじめそのものを否定するでしょう。
 でも一方で、児童、学生の間では運動能力の高低が差別意識の醸成につながることもしばしばです。体育の時間で同じチーム内に、上手くできない仲間がいれば、侮蔑の視線が注がれることも珍しくありません。
 スポーツの本質というと難しくてよく分からないのですが、戦う相手同士が勝利を希求してプレーすることでスポーツは生まれます。団体競技で、その勝利を阻害する要因があれば、シンプルに「排除したい」という衝動が発することもあるかもしれません。 「スポーツが潤滑油」となって人間関係を構築するには、勝利至上主義を越えた何かをつかまなければならないのでしょう。それは厳しい練習に共に耐え抜いた「戦友的感覚」なのか、部活動などで長い時間を共に過ごした「仲間意識」なのか。あるいは目的を一にし、成果を共有することによる「盟友意識」なのか。勝利を越えて、技能の巧拙を越えて、スポーツを人間関係の構築に役立てるには、「ただ、そこに競技があるだけではダメ」なのです。

 今後、いじめ対策だけでなく、地域における世代間コミュニケーションのツールとしてもスポーツは注目を高めていくでしょう。その時、ただ施設やクラブを作るだけで終わりにしないためにも、今から「スポーツの機能のさせ方」について、真剣に考えておく必要がありそうです。
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アジア大会

アジア大会は何でもっとアジア大会っぽい競技を放映してくれないんだろう?
柔道も体操もサッカーも水泳も良いけど、バドミントンやホッケー、自転車のようなオリンピックスポーツも見たいし、カバディやセパタクロー、ソフトテニスなんていうアジア大会でしか見られないような競技も、放映すれば楽しめると思うんですけどね。
NHKが民放的になっているせいなのでしょうか…。
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相撲の神事性とスポーツ

 先日、フジテレビで放映されていた「たけしの教育白書」なる番組で、「スポーツの品格」が議題に上がっていました。ガッツポーズの是非や大相撲の横綱、プロゴルファーをテーマに、スポーツマンの振る舞いについて品性があるか否かを話し合うという形式。興味深く視聴しました。
 とくに面白かったのが横綱の品格についての話。双葉山の「我、未だ木鶏たりえず」の言葉や相撲研修所での研修の様子など、力士がいかに品格を整えていくかをつぶさにレポートしていました。勝ち負けの世界に暮らしながら、感情を大っぴらにすることを是としない大相撲の世界。そこに暮らす力士の人々は大変そうです。

 ただ気になったのは、大相撲という神事の由来に一切ふれずに「スポーツ」の範疇で一括りにしていた点です。相撲というのは「相撲の節会(すまいのせちえ)」という奉納行事から派生して生まれた興行であって、神前であることが大前提です。だからこそ、力士には(神様に対し無礼にならぬよう)高い品性が求められるのです。これを単に「スポーツ」で一括りにしてしまうと、相撲に対しても、他の競技に対しても、不公平な感が残るのです。
 勝利に喜びつい出てしまうガッツポーズは、たしかに敵に対しては無礼かもしれないけれど、見ている側には爽やかで感動的にうつることもあるものです。悔しくて、グランドを叩く姿にもらい泣きしてしまうことだってあります。これを、横綱の品格を見習わなきゃで、一緒くたにしてしまうのは、何か「スポーツの品格=スポーツマンシップ」をゆがめるような気がしてしまいます。
 日経新聞に時折、掲載される内舘牧子さんのコラムには頻繁に力士に立ち居振る舞いに対する苦言が掲載されています。必ず相撲の神性に焦点をあてて、それにふさわしいか否かで、物事を論じているわけです。私、個人としては、原理的な彼女の言動はあまり好みではないのですが、品格を大事にすることで神性を守っていきたいとする、その姿勢は十分に理解できます。でも、それは相撲の話であって、「たけしの教育白書」のようにスポーツの括りで論ずべき問題ではないのです。
 ここの所、ずっと考えているのは「相撲をスポーツ」の範疇で語るのは、そろそろ止めにしたら良いんじゃないかということです。大相撲が保守的であればあるほど、現代スポーツ的ではなくなります。体を使う、勝ち負けがある、だからってスポーツだというのは、いかがなものかと…。なんて話をすると、「スポーツ」の定義の話になって、非常に面倒くさいので……。
 でも、素人なりにスポーツを語るには、やっぱり自分の物差しとして「スポーツの定義」は持っていないといけないなと感じます。
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前向き人生をつかめ

 最近、考えていることは人生にはスポーツと同じで「モメンタム」があるなということ。何をやっても追い風が吹いて上手くいく時期、逆にやることなすことが裏目に出てドツボにはまる時期。何かに起因する流れが生じて、私の人生を左右している実感があるのです。
 ということは、正体不明のモメンタムの原因を見つけだして、操作することができるようになれば、私の人生も前向きになるに違いありません。仕事だって、プライベートだって充実しまくりじゃないですか。
 「なんてことを考えている」と、アメフト経験者でキャリア豊富な大先輩に話をしたら、「うん、まさにその通り」だと、お墨付きを頂戴しました。トップカテゴリのフットボーラーからビジネスパーソンとなり、数十人の部下を引き連れるその方も、同じようなことを部下に対して説いているそうです。

 モメンタムをつかむことに対し、技術的・精神的なアプローチを確立できれば、前向きな人生も目の前です。そのためにはまず、現状で流れの転換点がどこにあるのか、それを探るところから始めていきたいと思います。
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ママさん選手の活躍

宮本が代表復帰 サッカー日本女子代表(共同通信) - goo ニュース
 日本は世界有数と言えるほど、女性スポーツが盛んな国です。アテネオリンピックでは、野口みずき、吉田沙保里、伊調馨、谷亮子、上野雅恵、阿武教子、塚田真希、柴田亜衣といった選手たちが金メダルを獲得。トリノでも荒川静香が金メダル。メダル獲得数の男女比では、かなり女性の比率が高い国の一つなはずです。
 そんな国ですから、ぜひ宮本ともみのような母親アスリートが、もっともっと第一線で活躍するようになれば、女性が第一線で活躍しづらい社会も少しは変わるんじゃないかなーと期待してしまいます。パパさん選手が活躍しても話題にならないように、ママさん選手も話題にならないようになると良いですね。
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ライバルのいる幸せ

日本、韓国下し2次Lへ バレー世界選手権(共同通信) - goo ニュース

 日本も韓国も気持ちの入った好ゲームでした。片方に流れが傾いても、簡単に試合は決まらない。追いつ追われつの試合で、互いに負けたくない気持ちがコートにあふれていました。
 正直、バレーに限らず、サッカーでも野球でも柔道でもマラソンでも、どんな競技でも韓国には負けたくないと、観ていて思います。別に韓国が特別嫌いなわけではないけれど、でもスポーツでは絶対に負けたくない。良きか悪しきか分からないけれど、唯一無二なライバル国であることは間違いありません。こんなライバルを持てたことは、スポーツライフを送るのに幸せなことです。
 この後、日ハムはアジアシリーズでサムスンと戦うし、ラグビーはW杯予選で韓国代表と雌雄を決します。両方とも実力から行けば負ける相手ではないけれど、敵は日本を相手にすると不思議な力を発揮するお国柄。こちらもしっかり気合いを入れて、ともに勝ちきってもらいたいと思います。
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Lモードの失敗

NTT東西、「Lモード」撤退へ BB普及で利用低迷(朝日新聞) - goo ニュース
 NTT東日本は「ブロードバンド通信の普及スピードが予想を超えた。今後は光ファイバーを使って簡単にネットを利用できるサービスを打ち出したい」としている。

 たしかサービス開始直後から「誰が使うの?」と言われてたような記憶があるんだけど、本当にブロードバンドの普及が原因なんでしょうか。原因というか言い訳っぽいなぁ。素人の見方だけど、i-modeを超える利便性や利用シーンを提案できていなかった方がずっと問題だったと思います。たしかテレビCMでは、黒木瞳演じるお母さんが、会社帰りのお父さんからメールをもらうとか、そんな内容だった記憶が…。でも、そんなの携帯でもいいし、それがなければ電話でいいじゃんっていう話。新たな価値を提供できなかったっていう話です。
 で、スポーツは、という話ですが。昭和の時代にはプロ野球と大相撲ぐらいしか、観戦スポーツはなかったのが、今日はJリーグ、bjリーグが行われ、テレビでは世界中のあらゆるスポーツが放映されています。当然、既存のスポーツファンだけでは、パイが限られるのでスポーツビジネスの底が浅くなってしまう。新たなファン層の開拓が必要です。そこで大切なのは、どんな価値を提供していくか。どんな良さを提案していくか、ということです。
 代用の効く楽しさじゃなくって、スポーツ観戦じゃなきゃ味わえないエモーショナルな瞬間や一体感などを、これまでスポーツになじみのなかった人たちに提供していく。そこが現代的スポーツビジネスの出発点になっているわけです。よく語られるアルビレックス新潟の成功談は、地域の人たちをスタジアムに招くことで、まさに新しい価値を提供することができたということなのです。

 世に「Lモード」的なものは数あります。スポーツだって、もしかしたら近い将来、ひっそりと規模縮小を測ることになるかも知れません。ただでさえプロ野球やJリーグは人気低迷気味とか報道されがちだし……。「Lモード」から学ぶ点は、畑違いのスポーツにも、いっぱいあるのではないでしょうか。
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スポーツマスコミに考える

紋切り型・イメージ報道やめて 民放大会でシンポ アスリートがテレビに苦言 
 荒川(静香)さんは、金メダル獲得後の取材攻勢について「金メダリストの運命と、覚悟ができており、苦ではなかった。私自身は金メダリストを身近に見ていたので、対処法が身に付いていたのだと思う」と振り返り、「家族までもが取材対象になってしまったことの方が心配だった」と話した。
 栃東関は、「はたき込みで勝つとマスコミは『残念ですね』という。勝つためにやっているのに。おれは何のために頑張っているのか」と紋切り型の報道に苦言を呈した。沢野(大地)さんも「優勝しても、持っている日本記録と比較し『三十三センチ届かず』と言われてしまう」と苦悩を明かした。


 スポーツマスコミが暴走するのは、
・広告主優先主義
・過剰な選民意識
の2つが原因です。

<広告主優先主義>
 「スポーツマスコミ」なるものが世に出てきてから、幾日も経っていません。メディアの多チャンネル化によるスポーツの露出増加に対し、メディアは発展途上です。メディアとして確立していない以上、ジャーナリズムよりも広告主貢献の方が、彼らにとっては重大なテーマです。
 キャッチーなフレーズや下世話なネタで目を引こうというのには、視聴率、部数を稼いで、広告主を増やしたい=給料を増やしたい、という発想があるわけです。メディアバリューをはかる物差しが、視聴率・部数しかない今日では、彼らはこれを錦の御旗にして、選手の迷惑や不平も省みず、今日も下世話なネタに走らせるわけです。
 これに対抗するためには、安易なフレーズを多様するメディアを信用しない(見ない、買わない)、下世話なネタには反応しない、という消費者行動が必要です。あるいは批判もしていかなければならないでしょう。健全なメディア批判という新たな物差しが用意されれば、スポーツジャーナリズムも一つのジャンルとして確立されるはずです。

<過剰な選民意識>
 スポーツマスコミで働く人のほとんどは、スポーツが好きな人。それは間違いありません。そもそも悪意があって、選手に迷惑をかけたり、皮肉な報道をする人はいないでしょう。でも悪名高き記者クラブがあったり、スポーツメディアへの参入障壁があるため、彼らには「自分たちは、認められた人間。素人にはできないようなことだって、俺らにはできるんだよ」という意識が芽生えるわけです。
 テレビで車の助手席に乗り込んで、話を聞けるのは俺様だから。選手と直接交渉で取材依頼できるのは、私ぐらい。そんなことを売りにしているディレクター、記者、ライターは大勢います。というか、メディア側(テレビ局、新聞社、雑誌社)が、それを「スキル」として求めています。
 そこに選手の都合は存在しません。「仲が良いんだから良いでしょ」と一方的に思われて、断り切れない人もいることでしょう。でも「仲の良さ」を基盤とした取材の上に、ジャーナリズムは生まれるのか。大いに疑問の残るところです。選手に不快感を抱かせた上で、安易なお涙頂戴ものや裏話独白ものしか作れないのであれば、スポーツジャーナリズムなるものは、永遠に生まれないことでしょう。そして仲が良いはずなのに、その思いこみがかえって選手を不快にするケースも生まれてしまっているのです。

 金子達仁の最大の功績は、読者をロッカールームまで招き入れたことと言われています。彼の作品、それ自体は綿密な取材の下に生まれた著述であり、山際淳司以降、停滞気味だったスポーツノンフィクションに、新たな可能性を提示することに成功しました。問題は、それ以降、多くのライター、ディレクター、そして新聞記者がファンをロッカーへ招く金子的手法を踏襲しようとしたことです。オフ・ザ・グラウンドの選手の独白を独占的に入手できれば、それでスポーツ報道としての価値が生まれると勘違いしてしまったのです。
 本来ジャーナリズムの担い手であるべき「選ばれし民」達は、鋭敏な視座を見いだすことを放棄し(放棄せざるを得ない環境でもあった)、選手とのリレーションづくりという困難でありつつも安易な選択を選んでしまったのです。そこには、批判的視点の欠如という、ジャーナリズムの自己否定しかありません。

 今後、健全なスポーツジャーナリズムを生み出すために、私たちがしなければならないことに、どんなことがあるのか。先に挙げたような消費者活動も一つでしょうし、blog等のCGMを活用することも一つでしょう。スポーツを愛する人が増えてきている今、軽薄なスポーツマスコミを排除することは不可能ではない気がします。ファンの声が大きな波を引き起こして、スポーツに対する報道姿勢が変化する日が早く訪れることが願われます。
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昇格争い、しびれる

神戸引き分けで勝ち点84 Jリーグ2部第47節(共同通信) - goo ニュース

 ここまで来て上位3チーム、しびれる戦いに入ってきました。明日は柏と横浜の直接対決。柏は自動昇格枠に望みをつなぐために、負けられない戦いです。アウェーとはいえ、少し余裕のある横浜が有利か、あるいはホームで柏が気持ちのこもった試合を見せるか。バクスターが帰ってくる神戸も含め、混戦模様、もう一試合も目が離せない昇格争い。
 こんなに戦ってきたのに、このうち1チームは入れ替え戦に行くことになるわけです。昨日の中日もそうですけど、スポーツは残酷なものですね。
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眼前のことに夢中になる

必修科目の履修漏れ、11県65校で…読売新聞調査(読売新聞) - goo ニュース

 きっと昔からある履修漏れの問題ですが、極めて日本的な気もします。現実問題、高校が大学進学のための場所と化している今日、必修なんて形骸化した「儀式」のようなものでしょう。やりたい学校だけやっていれば良いのではないでしょうか。
 これらの学校が、目先の大学受験だけを考えているように、スポーツでも目先の大会だけを考えてしまうことはよくありますね。甲子園で勝つために、エースに連投を課す。国立に行くために、ケガをおしてもピッチに立つ、一試合でも多く勝つために、休みもなく練習を重ねる、などなど。中学・高校でスポーツをしてきた人は、良かれ悪かれ、こうした無理をいくらかはしてきたのではないでしょうか。
 中高と軟式テニス部だった私も、下手なりに、盆・正月以外は毎日練習に明け暮れていました。おかげで、見事に浪人もしたし…。ん、もしかして、それはうちの高校が、必修をすべて履修させてたせいかも(笑)。
 そんなことはさておき、人が生きていくにあたっては、いくつかの視座が必要です。直近の大会に勝ちたい、高校生活最後の大会で良い成績を収めたい、とにかく上手くなりたい、死ぬまでずっとテニスを続けていたい…。長短それぞれのスパンで、複合的に時間を捉え、スポーツを捉えることが大切です。
 そういう意味では、中学・高校であんまり眼前の勝ち負けにだけとらわれるのは、美しいことではないかも知れません。でも、「目の前の試合に勝ちたい」、これがスポーツの、あるいは向上心を生むエネルギーの源泉ですよね。このエネルギーに身をゆだねて、一心不乱に競技に、勉強に取り組むことは、中学・高校時代にはあっても良いことだと思います。その刹那的な、悪く言えば目先だけしか見えない生き方は、どこか破滅主義的で、この年代に特有の美学なのです。
 もちろん無理をしてケガをすることはあってはならないし、そうした事態が起きないよう、教育者・コーチ陣は万全のケアをしてあげるべきです。今回の履修騒動で言えば、「卒業問題」なんかに巻き込まれないように、教師陣がケアしてあげるべきだったでしょう。
 人生って、本当にいろいろなことがあって、大学受験なんてほんの些細なことなのに、その大学受験で頭が一杯になっている高校がたくさんある。ん~、やっぱり甲子園に夢中になる日本ならではの話ですよね。
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