ポルトガルの空の下で

ポルトガルの町や生活を写真とともに綴ります。また、日本恋しさに、子ども恋しさに思い出もエッセイに綴っています。

ブックマーク

2018-11-14 17:08:29 | ポルトガルよもやま話
2018年11月14日 

今年もしし座流星群が見られる時期になった。
    
2018年のピークは11月18日とある。

家族が寝静まった1988年11月17日の真夜中に、わたしはベランダに座り込み、ひとり星空を見上げて、生まれて初めて目にした数十の流れ星にただただ感嘆のため息をつき、こんな素敵な贈りものはない、と密かに自分の誕生日に祝杯を挙げたのであった。
    
この流星群をわたしが仰ぐことになったのには、ちょっとしたいきさつがある。
もう20年位も前になろうか、わたしが土曜日だけの補習校という職場で中学1年のK.T.君と国語を勉強していたころだ。

その時、アメリカの児童文学作家、E・L・カニングスバーグの作品、「流星の夜」を一緒に読んだ。それは、ニューヨークの祖母のもとに冬休みを利用して一時滞在にやってきたルイース少年が11月のある夜、その祖母に誘われて、33年に一度しか起こらないと言う、街の夜空いっぱいに輝く、「テンプル・タトル」という彗星の星屑(これをリーオニドと言うのだが)を、セントラル・パークに観に行く、という話である。
   
壮大な星のシャワーを、次にもう一度観れるとしたら、ルイースはその頃は43歳になっており、祖母は63足す33、恐らくもうチャンスはないだろう・・・、と少年が気づくまでに至る、二人の愉快な交流が描かれている。
  
彗星テンプル・タトル・・・
当時まだパソコンを持っていなかったわたしは、帰国時に日本から持ち込んだ天文カレンダーの本を調べ、それが俗に「しし座流星群」と呼ばれるものであること、次に流星群が観られるのは、1998年であることを知った。

「1998年のリーオニドを観ようね」と K.T.君と約束したのである。
  
K.T.君との約束だから、と言うより自分の宇宙への興味に引かれて、それからわたしはカレンダーをめくるたびに、「1998年テンプル・タトル、リーオニド」、と、年初め、そして12月の暦の上に毎年書き続けていった。

それが5、6年続いたのだろうか、1998年の11月17日、わたしはついに星のシャワーを観ることができたのである。 その夜の真夜中2時から3時の間でわたしが数えた流星の数は49個。その日の日記にそう綴った。
  
それを確認しようとわたしは、1年に一度書くか書かないかの、今では日記とは名ばかりになってしまった、記録の始まりが1978年11月17日の古いノートをひも解いてみた。
   
開いたページには数枚の楓の押し葉が挟まれていた。
この押し葉にどんな思い出があったのか、これらが40年も日記に挟まれいることと、日本から持ってきたと言うことを除いては、今ではもう覚えていない。記録の主であるわたしが手に取ってみる押し葉のブックマークは、色褪せながらも、その乾いてしまった葉脈の中に、40年の時の流れを一人じっと湛えて来たのだろう。


日本のどこかで生きているであろう、今では37歳になったあの頃13歳のK.T君が、その後わたしのようにリーオニドを夜空に観たかどうかわたしは知らない。



追記:テンプル・タトルについて

しし座流星群は毎年11月17・18日ごろをピークに数日間見られるが、普段はそれほど多くは見られない。しかし彗星が地球軌道に接近する33年に1度、「流星雨」と呼ばれるほどのたくさんの流星が見られことがあり、その記録は古く、西暦902年に中国の天文学者がしし座流星雨を見たという報告がある。

最近では1966年にアメリカのアリゾナ州キットピークで、突発的に1秒間に40個もの流星が観測されたと言う。(アリゾナ・ツーソンの大学に半年留学したわたしは、キットピークの天文台で巨大な天文観測鏡を見てきたのでした^^)

1998年、しし座流星群の素になるテンプル・タットル彗星が33年ぶりに地球軌道に接近、その年と翌年の秋にはしし座流星群の大出現が各地で期待された。しかし、ヨーロッパでは1999年に1時間当たり3500個の流星が出現したと言われるが、日本では観測時間帯や気候などの影響で流星群の大出現には いたらなかったそうだ。


読んでいただきありがとうございます。では、また。


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