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ポルトガルの空の下で

ポルトガルの町や生活を写真とともに綴ります。また、日本恋しさに、子ども恋しさに思い出もエッセイに綴っています。

わたしの「ねずみのアナトール」

2018-06-15 17:03:26 | ポルトガルよもやま話
2018年6月15日

「ねずみのアナトールは、フランス一、しあわせもの。
パリのちかくの、小さなねずみ村におくさんのドセットと
六人の かわいい子どもたちといっしょに、すんでいます。」


と始まる小学生向けの本があります。

ある夜、いつものように、家族のためにえさを
漁っていると、自分たちの種族が「フランスの恥!」とまで言われて、
人間から忌み嫌われていることを知ります。


 
プライドのある「ねずみのアナトール」は、その言葉に傷つき悲しみ、なんとかできないものかと知恵をしぼり、食べ物をもらう変わりに毎夜忍び込むチーズ工場に、「最高においしい」「まずい」と、チーズの味の感想を書き込んだカードを残して行くことを考えつきます。

工場では、まさかねずみが残すカードとは夢知らず、その感想を参考に味を改良していき、チーズはやがて大いに売れることになるのですが・・・

かつての週末の我が職場、補習校でも4年生の国語で取り上げられ、子供たちと一緒に楽しんだたことがありますが、さすが食文化のフランス、なかなかにウィットに富んだお話でした。

実は、我が家にも「ねずみのアナトール」がいるのです^^

え? spacesisさんとこ、飼い猫が4匹もいるのに、ねずみもいるんですか?なんて聞かれそうですが、うふふ^^ ご覧ください、下の写真をば。




チーズをかじっている我が家のアナトール君です(笑)

これはいつだったか、年末に人さまからいただいたチーズ・トレイなのですが、わたしが好きなセラミック会社「Bordallo Pinheiro」社
のものです。

Bordallo Pinheiro社は、キャベツ模様をその製品に取り入れることで有名ですが、このトレイは違っていて、珍しい作品ではないでしょうか。

夫はチーズ好きで食後には必ずと言っていいほど食べるのですが、中にはかなりきつい匂いのものもあり、こういう時にはこの蓋つきチーズトレイはとても助かります。また、30cmX22cmの大きさで、チーズの塊が大きいポルトガルではちょうどいいのです。

ふたを持ち上げる時は、アナトール君をつまみます(笑)絵をよく見ると、ネズミを追いかけるネコまでちゃぁんと描かれていて、わたしはとても気に入っています。これを下さった方は、わたしの好みを知ってでもいるかのよう^^

さて、下は・・・・我が台所に掛けてある、同じくBordallo Pinheiro独特のカラー、ゴールデン・イエローのキャベツの気に入りの皿。



「アナトール君」のチーズトレイ、キャベツの皿を紹介したところで、次回はポルトガルの民芸品について書きたいと思います。


クリスタル公園の孔雀と夕日

2018-02-19 16:18:12 | ポルトガルよもやま話
2018年2月19日  

今日はビアハウスは休みます。


クリスタル公園内にあるアルメイ・ガレッテ市立図書館の夕方コースを開講していたころのことだ。

授業が終わる6時には、外が真っ暗だったのが、日々日が長くなり、このごろは夕闇が迫りかかる頃で、図書館を後に足早に駐車場に向かおうとすると、木々の間からこぼれる夕焼けの美しさについ目を奪われ、教材カバンを提げながら、その足を園内でも一番見晴らしのいい場所へと運んでみる。



ドウロ川にかかるアラビダ橋の向こうは大西洋。左側は隣町ガイアだ。今、日が沈もうとしている。絵に描かれたような赤く染まっ景色に見入る。


 
と、帰路に就こうと体の向きを変えたわたしの前を、孔雀が横切ろうとしている。



バッグから取り出したカメラを向けると、「なに?」とでも言うかのように首をまっすぐ伸ばし、こちらに視線を向けてくる。うっ!お、襲ってこないかしらん?そう思いながらも何度かシャッターを切った。



時にはその美しい羽根を広げて、公園を訪れる人たちを喜ばせてくれる、クリスタル公園の主の彼は誇り高い。わたしの目の前でも何度か見事な姿を見せてくれた。引きずる尾もまた色鮮やか。

こんな夕暮れ時に、公園などへ来ることはまずないわたしだ。なんだか得をしたような気になり、授業の疲れも吹っ飛んだ。

ポルトガルの犬

2018-02-11 09:09:11 | ポルトガルよもやま話
2018年2月11日 

今日はビアハウスの話を離れて。

これは、今から30数年ほど以上も前の、わたしが住んでいたポルトの通りでの話です。

この頃は、ポルトの街の至る所で野良犬を見かけました。当時はまだ犬を放し飼いにしてはいけない、という法律ができていなかったのです。ちょっと見だけでは、野良犬なのか飼い犬なのか見分けがつかないことも多かったのでした。犬はたいていは、近所の子供たちの良き遊び相手でした。

今では、日本同様、近所の子供達が外で遊んでいる姿も見かけなくなりましたが、当時は表通りで、サッカーをしたり祭りの焚き火をしたりして、子どもたちは暗くなるまで大声を出して遊んでおり、野良犬たちも一緒にボールを追いかけたり、焚き火の周りをぐるぐる走り回って喜んでいたものです。しかし、ご近所みなさんが犬好きだと思うのは間違いです。

決まって、とある犬嫌いのおばさんが、定期的に保健所へ電話をするのです。そうやって捕獲されて二度と通りに帰らない犬はたくさんいました。

さて、わたしのお気に入りだった野良犬の「クラウディウ」がそうやって捕獲されて、夫と二人で、とある病院からこっそり救出した事件以来、誰が言い出したのか、いつのまにかこの通りでは次のような不文律ができあがっていました。

すなわち、保健所の犬捕獲車を見かけたら、すぐさま表通りに面したそれぞれの家の小さな鉄格子ドアを開けて、路上の野良犬たちをドアの内側に引き入れること。ドアの内側にはたいてい小さな庭があり、そこは私有地になるのですから、捕獲車は侵入するわけにはいきません。

野良犬と言えども近隣の大人子供たちから、どの犬もめいめい勝手な名前をつけられて呼ばれ、えさを差し入れてもらっているのです。飼い犬ではないにしろご近所共有の路上に住む犬たちです。

通りに放されていない限り、犬を捕獲することはできないのですから、なかなかいいアイディアではありませんか^^で、捕獲車が去ってしまった後に、再びドアを開けて通りへ出す、というわけです。

ある日のこと、やってきました捕獲車!目ざとく見つけた人から順繰りにドアを開けて、早々とそこら辺の犬たちを呼んで各々の庭に招き入れました。これで安心だと思いきや、一匹が入り遅れてウロウロしてるではありませんか!しまった!と皆思ったものの、時すでに遅し。

黄色い制服を着た犬獲りびとが二人、大きな捕獲網を張りながらジリジリとその犬を追い込んで行きます。窓から顔を出しながらこの光景をわたしたちはみな固唾を飲んで見ていました。
「おお、coitadinho!」(コイタディーニュ=可哀相に)。
ポルトガル語で哀れみを表す言葉があちこちの窓辺やベランダから聞こえてきます

追い詰められてとうとう網にかかってしまった犬は網の中でまだ必死にもがいて抵抗していました。しかし、敵は扱い慣れて見事なものです、あらよあらよという間に網を絡めたまま、捕獲車の方へ運んで行き、檻に入れようと二人の犬獲りびとが網を空中に持ち上げた、まさに瞬間、奇跡は起こった!

犬が暴れて網が破れでもしたのでしょうか、スルリと犬が地面に投げ出されるように抜け落ちたのです!その瞬間、固唾を飲んで見ていた人々の口から、「ワー!」っと大きな歓声と拍手があがりました。もちろんわたしもその一人です。九死に一生を得たその犬は、一目散にいずこかへと逃げ去ったのでした。

大きな歓声があがった方向をギロリ睨みながら、苦虫をつぶした顔をして二人の犬獲りびとは我が通りを後にしたのでした。

今はと言えば、野良犬への規制もすっかり厳しくなり、路上で見かけることはなり、かつて生ごみは路上に置いていたのが、コンテナに入れて出すようになり、野良犬、野良猫、カモメまで、餌を得るのは簡単ではありません。

道路が清潔なことに、勿論、異を唱えるのではありませんが、あの頃のことを思い出すにつけ、環境がきれいになって住みよいのは確かにいいのだけれど、あまりにも整然としてしまうと、犬猫好きなわたしなどは、どこか冷たく感じられたりします。

人間の生活もそこそこに整い、抜けているところがあった方が生きやすい、というのがわたしの思うところであります。

人生色々:対称的な二人の90歳代女性

2018-01-14 12:49:16 | ポルトガルよもやま話
2018年1月14日

安楽死が法律で許可されている国は、それなりの条件があるのですが、世界にオランダ、ベルギー、アメリカのオレゴン州を初めとする4州、これに近年カナダ、オーストラリアのビクトリア州が加わったそうです。

この問題に関してはわたし自身の結論が出ていないので、今日はそれについて書くことを避けるのですが、以前こんな二つの話を耳にしたのです。

ーベルギー、アントワープに住む93歳の安楽死を希望する女性が、法律的にその希望が受け入れてもらえず、ハンガーストライキに入った。93歳のこの女性は、病気をしているわけでもないのだが、
「もう生きているのがイヤになった」のだと言う。ー

すると、同じ頃、ポルトガルのラジオ番組で、ポルトガル南部、アルガルヴ地方に住む91歳のアンゴラ(アフリカ系)女性の話が話題にのぼりました。アンゴラからの移民で苦労のしづくめ。学校へ行くこともなくずっと文盲で来たところ、一念発起、小学校1年生から勉強を始めるのだそうです。

91歳の女性が、果たして小学校での勉強にちゃんとついて行いけるのか、体力面で継続できるのかなどの疑問は別として、わたしはこの二つの話に、なんと言う人生のとらえ方の違い!としばらくの間、考えさせられたのであります。
そして、わたしが時々、いっちょ前に人を励ますときに使う例え話を思い出したのでした。

自分の好きなスピリッツ(精神とお酒の二つの意味がありますね)が3分の1入ったグラスを手にして、「あと三分の1しか残ってない」と見るか、「あと3分の1も残ってる」と見るか。

これは、物事をネガティブにとらえるかポジティブにとらえるかの違いでしょうか。どちらのとらえ方をするかによって、人生もまた大きなうねりを見せて違っていくような気がします。

アントワープの女性については、もっと詳しい情報が入ってこないのでなんとも言いがたいのですが、ふと、この女性は子供とか孫とかの家族は、愛する人はいないのだろうか、これまでどんな人生を送
って来たのだろうか、と、苦労の連続の人生だったであろう、ポルトガルのアンゴラ女性のそれよりも、わたしは興味を覚えてしまいます。

夫の母は14年間寝たきりで、後半の7、8年は流動食も飲み込むことができなくなり、鼻チューブを通して栄養をとり、家族が話しかけても反応がなく、意識がないようで眠る月日でしたが、時々そういう義母のことを知っている人が言うのには「それは生きているとは言えない。死んだほうがましかも知れない。」

言うことが分からないわけではありませんが、ただ、それに対してわたしは思ったものです。本人は言葉を発することも、なにかの意思信号を送ることもできないのだから、彼女の本心は周囲のわたしたちには分からない。

意識がなく眠っているだけだと思っているのは周囲の人間の思い違いであって、実際には周りで何が起こっているのか、周囲の人間がどんな話をしているのか、彼女は全て知っているのかも知れない、と義母を見ながらわたしは思ったものです。

わたしたちは毎日生きているには違いないけれでも、確実に日々死という未来に向かって時間を刻んでいるのもまた事実です。彼岸のことは、誰一人として帰ってきた者がいないので、「死」が果たしてどういうものであるかは、想像だにできない。このニュースは、安楽死を望むベルギーの93歳の女性のことが、なにかと頭をよぎっては離れない対照的な二つのニュースではありました。

spacesisさんはどっちのタイプかって?う~ん、その身になってみないと分りませんが、多分、「どれ、孫も一人前になったところで、経済的に余裕もできたし、念願の大学へでも行こうかいな?」てなことも、言い出しかねないかしら。

おっと、その前に孫がいなければならないのでしたっけ(笑)

本日はこれにて。

遠山の金さん

2018-01-09 22:56:43 | ポルトガルよもやま話
2018年1月9日

今日は創立時から22年間、ポルトに在住していた子供たちと学んだ補習校時代の思い出話です。

週に一度の我が職場、中1の子供達と一緒に児童文学作家吉橋道夫氏の「ぬすびと面」という話を読んだときのことです。

狂言の面打ち師が、これまで誰も打ったことが無いという「ぬすびと」の面をどうしても打てないでいる。このぬすびと面は、狂言の内容からして、「どこか滑稽で間が抜けており、それでも一目見ただけで人を震え上がらせるような顔」でなければならない。

そんなある夜、面打ち師の家に恐ろしい顔をした盗人が押し込む。しかし、どういうわけか、物は盗らず、代わりに赤ん坊を押し付けて行ってしまう。うむと気張った恐ろしい顔の裏に、もうひとつの別の顔があるような気がして、「これや、この顔や!」とその時の盗人の顔をしっかり記憶に刻みこんだ面打ち師は、ようやくノミを振り上げ面を仕上げる。

壬生大念仏狂言の始まるその日に、竹矢来を組んだ特別の場所に、牢屋敷の囚人達も集められると聞き、面打ち師とその女房は、もしかしたら件の盗人もその中にいるかもしれぬ。それなら一目、無事に自分達に育てられている子を見せてあげようと連れて行く。

ところが、肝心のその盗人は、チラとこちらをみただけど、何のかかわりもないという顔をして、うむと気張って座っている。

拍子抜けした面打ち師が役人にその盗人のことを訊ねると、「ちょいと、変わったことをやりよって。」盗んだのではなくて、間引きされそうになった子供を助けて、育ててくれそうな家へ無理矢理押し付けて配って回った、とのこと。

面打ち師は改めて、この世の、どうしても許しておけないことに対する、盗人の、怒りを込めて人々を睨みつけている顔を見、もう一度「ぬすびと面」を打ち直そうと思う
。(要約spacesis)

ざっとこういう話なのですが、さて、時代物の物語の中に、海外で生まれ育つとどうしても耳慣れない言葉が出てくるわけでして、「狂言、竹矢来、奉行所、間引き」などがそれです。

説明が「奉行所」に及んだとき、「今で言えば警察ですね。」と一言で終われるものを、亡くなった母の影響で子どもの頃は時代劇や講談が好きだったわたし、話の成り行きで、ついついお奉行様までいってしまいました^^;

お奉行様といえば言わずと知れた遠山の金さんこと刺青判官!海外に在住する子どもたちのほとんどは、現代物の日本マンガやビデオアニメは見るものの、時代物はまずなく、当然知るわけがございません。そこでわたしはインスタント講談師に(笑)

着流しで市井にその身をしのばせ、悪漢どもを退治。最後はお見事、片肌脱いで

「えぇぇい、往生際の悪いヤツめ。この桜吹雪がお見通しでぇい!」とご存知18番。


2009年子供たちと一緒に行った日光江戸村でのシーン

大丈夫、大丈夫ですってば。なんぼなんでもこのわたし、片肌脱いだわけではありません。

で、最後が「これにて一軒落着~。」と終わるのです、と講談が終わったところで、ジリジリーと授業終了の鐘も鳴りました。

すると、ポルトガル生まれでポルトガル育ちのY君、「学校に遠山の金さんのビデオないの?」と来たもんだ。うん、分かる分かる、その気持ち。見て見たいもんだよね。残念ながらまだ日本でその番組が放映されてるかどうかも、分からなかった。

○HKの大河ドラマは古いものではあるけれど、結構そろっているたものの、あれを見こなすのは、彼らには少し難しい。しかし、毎回のストーリーもほぼ同じで筋を追いやすく、勧善懲悪の時代物というのは、この「遠山の金さん」を始め「銭形平次」なども、痛快でここにいる子供にも受けるのではないかと思うのは、わたしだけだろうか。

かつて、我が娘に、「任侠清水の次郎長、森の石松、金毘羅代参」三十石船のくだりを話し聞かせたことがある。

♪ 旅ゆけば、駿河の国に茶の香り~と始まる広沢とら造の浪曲、

相手を石松とは知らぬ客、清水一家で一番強いのを忘れてたと石松の名をやっと最後にあげる。内心大喜びの石松。

石松「呑みねえ、え、オイ。鮨を食いねえ。江戸ッ子だってねえ」
客「神田の生まれよ」
石松「そうだってねえ、いいねえ。……ところで石松ッてのはそんなに強えか」
客「強いのなんのって、あんな強いのは二人とはいめえ」
石松「おい、いくらか小遣をやろうか。……なに、あるのかい。
   そうかい。そうかい。 ふーん、石松ってのは、そんなに強いかえ」
客「ああ、強え。強えは強えが、しかし、あいつは、少々頭のほうが
  薄いときてる」
石松「なに……頭のほうが薄いだと」
客「馬鹿だよな。みんないってるぜ。あのへんの子守りでさえもが唄って
  るぜ。聞いてみな。東海道じゃ一等バカだ」
石松「馬鹿だとねエ。べらぼうめ。へッ。どんな唄か聞かねえが、お前さん、
   その文句知ってるのかい」
客「知ってるともよ。聞かしてやるか」

♪ お茶の香りに東海道、清水一家の石松はしらふのときはよいけれど、お酒
呑んだら乱れ者、喧嘩早いが玉に庇。馬鹿は死ななきあ、なおらない~


やはり彼女も面白がって、その映画を観てみたいと言ったものである。その語呂合わせ、リズムの痛快さに、カッコいいと心弾ました子供の頃の自分をY君や我が娘にチラと重ねて見たような気がしたのでした。

ここまで書いて思い出したことがあります。
昔、ポルトのテレビ局が取材に来たときのこと。

その日は日本の知人が送ってくれた「声に出して読みたい日本語」を子供たちに紹介しがてら、中の「白波5人男」の一人、弁天小僧菊之助が泥棒の正体を現し開き直って言うセリフ。子供らを前に、
   
   知らざぁ言って聞かせあしょう。
   浜の真砂と五右衛門が、歌に残せし盗人の
   種は尽きねぇ七里ガ浜ぁ。
   ~~~(略w)
   名さえゆかりの 弁天小僧菊之助たぁ、おれがことだぁ~あぁ。

と、歌舞伎調で、首も振ってジェスチュアーよろしくやっていましたら、ギョ !廊下からカメラがジィ~ッと回っていたのに気づき、赤くなったり瞬時青くなったりして大いに困った経験があります。
幸いその場面は放映されず、数秒のインタビューが出たのでよかったものの、放映日が来るまで気が気でならず生きた心地もしませんでした

そうなんです、こういう七五調の、ビシッと決まったセリフがスカッとして
わたしは大好きなのですが、皆様はいかに。