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ポルトガルの空の下で

ポルトガルの町や生活を写真とともに綴ります。また、日本恋しさに、子ども恋しさに思い出もエッセイに綴っています。

犬が食わないのは夫婦喧嘩だけではない

2018-09-06 15:39:08 | ポルトガルよもやま話
2018年9月6日 


あらら、植物が・・・^^;飼っている4匹ネコのうち一番若いゴロー


我が家は二人の子どもが家を出て独立し日本で職を得ているので、家族揃ってと言っても夫婦二人きり。ウィークデイの朝は昔から夫はポルトガル式の朝食を好み、焼きたてのパンにバターとジャムをつけ、Café com leite(カフェ・コン・レイテ=ミルクコーヒー)を自分で淹れる。わたしはと言えば、近頃は、ご飯に味噌汁を中心の日本食もどきなのである。

日曜日を除いては毎日日本語を教える仕事があるので、晩御飯はあまり凝らずにできる食事を用意するが、日曜日の昼食は少しだけ気合を入れて作ってきた。それも近頃は夫が気を配ってか、外へ食べに行こうよと誘う日が多くなった。なにしろ、一週間でわたしが終日授業をしないのは日曜日だけだからであろう。

しかし、日曜日に家で昼食をする時は、朝食が遅いので午後2時ころからワインかビールを開けてゆっくり食べるのが慣わしだ。それが、たまに途中からアパート内がかしましくなったりすることがある。我が家は、ポルトガルではCondominioと呼ばれる分譲フラットである。各フラットのドアを開けて話そうものなら、エコーで響き、家の中に居ながらにして、聞きたくもないのに全てを聞き取ることができるのである。

さて、ある日のこと、昼食をとっていると、階下がなにやら騒々しい。
「何だろうね・・・」と夫と話しながら食べていたのだが、そのうち姦しかった声が更に大きくなり、どうやら女性二人の応戦抗戦が始まったようなのだ。おおおお、やっとるやっとる(笑)

階下、向かい合ったお宅二人の奥方同士は反目する仲なのである。やりあっている現場を目前にしたことはないが、お二方がそれぞれの窓から顔を出して激戦している様を二階の我が窓から、こっそり身を乗り出して見たことはある(笑)

こういう場合、典型的なポルトガルおばさんなら一言二言言って間に割って入るであろう。が、こちらは日本人おばさん、あちらのお二方が派手にガナルほどに、我が家はシーンと静まりかえり、思わず聞き耳を立てていたりする。そしてこういう時は、なぜだか知らないが、我が動きはおのずと抜き足差し足状態になっているから不思議だ。

聞き耳を立てるのは最初の頃だけで、後は聞きたくもないののしり合いであるからして、後半は、わたしは窓をピシャンとしめて、激戦終了を待つのみ。

向かい合ったフラットのドアを開けてガンガンやっている階下の隣人の姿を想像しながら、これでストレス発散し、また当分はやりあいがないだろうと思った次第。日本の「騒音おばさん」たちよりは大分マシであろう。

それにしてもお二人の夫たちが口を出さないで放っておくとは、犬が食わないのは夫婦喧嘩だけではないようだ。はははは。

お粗末さまでございました。

ママの桃の木

2018-09-03 16:55:01 | ポルトガルよもやま話
2018年9月3日 

借家住まいだった頃の、古い我が家の小さな庭の一本の桃の木の話です。ほったらかしで手をかけたことがありません。

それでも一年おきに甘い見事な桃の実を提供してくれました。最高で80個ほどの実を収穫したことがあります。自分の庭でもぎとった果物を食卓に運ぶのは格別な幸せがあります。

ところが、この桃の木、実は私たちの家族は誰も植えた覚えがないのであります。庭の真ん中に、ある日、ひょろりひょろりと伸びている植物を見つけて、始めは「抜いちゃおうか。」と思ったのですが、庭師のおじいさんがやって来る日が近かったものでそのままにしておきましたら、おじいさん、抜かないで行ったんですね。庭師のおじさんが抜かないというのは何かの木であろうと、のんきなものです、そのままにして様子をみることにしました。
   
それから丁度に3年目!見上げるような一人前の木になり、ある早春の朝、二階の我が家の窓から木の先々に薄ぼんやりと見えたもの、

「あれ?なにやらピンクの花が咲いてるぞ?」と発見。
「時節柄からして、桃の花?」と、あいなったのであります。何しろ床にゴミが落ちていてもかなり大きなのでない限り、見えないほどド近眼のわたしです。
   
さぁて、台所のドアから庭に続く外階段を下りていくと、案の定、まぁ、ほんとに桃の花でありました。桃の実そのものは食べても、桃の花なども、最期に見たのがいつであったかを思い出せないくらい長い間目にしていません。小枝を少し折っては家の中に飾り、子供たちと多いに喜んで観賞したのでした。

その年の夏は、気づかないうちにいつのまにか面白いほどたくさんの見事な実がなり、子供たちと木に登りワイワイもぎとったのでした。ひとつひとつ枝から手で摘むその感覚ときたら、それはもう、童心に帰ったような嬉しい気持ちと満足感がありました。我が家にあるカゴも箱もいっぱいで、80個以上も摘んだのです。
 
とても食べきれず、生ものですから長期保存はできないので、階下のマリアおばさんにもおすそ分け。
で、「本当言うと、植えた覚えがないんですよ。」と言いましたら、おばさんいわく、「あら、じゃ私が食べた後に窓から捨てた桃の種の一つがついたんじゃなぁい?」
「え?・・・・・・」   

あらま、道理で。
わたしたちの借家は3階建てで3家族がそれぞれの階を借りていました。庭の敷地も低い石垣で三つに区切られ、それぞれが使っていたのですが、車庫つきのわたしたちの庭はそのなかで一番大きい庭でした。

引越しする前からカーラがたくさん植えられてあり、それにわたしが大好きなバラと紫陽花をたくさん加えて、季節になるときれに咲いていました。が、りんごの芯やらタバコの吸い殻やらが、庭を掃除しても後から後から落ちているのです。
   
ははん、これは階下のおじさんだな・・・ひょっとして灰皿の吸殻を窓から全部庭に捨てているのかも。自分の庭がうちのすぐ横にあるんだから、なぁんでそこに捨てないのかね。自分のところはこれでもか!というくらいきれいにしといて、ゴミ、ガラクタ類はみな、外よそ様のところへ押しやって、って輩が結構こちらにはいるのでありまして・・・・

家の入り口を掃除するも、ゴミを箒で通りへ掃きだすのが、当時はこちらの普通のやり方ではありました。チリさらいひとつで内へ持ち込んでゴミ袋に入れればいいのにと、何度も思ったことですが(笑)
   
でもまぁ、こうしてマリアおばさんが食った桃の種を窓から我が家に放り投げたお陰で今まで持ったことのない桃の木の所有者になった訳だし、今回のところは帳消しにしとこう!と相成ったのでした。

2年続けて桃の木は、立派な実をわたしたちにくれました。我がモイケル娘などは、木登りをし、車庫の屋根づたいに裏にあるだだっ広いジョアキンおじさんのCampo(カンポ=畑)の大きな大きな木にまでたどり着き、際どい遊びを楽しんだものです。

そうそう、我が家の子猫がその木のてっぺんに上ってしまい、それにはホトホト手も焼いた。一晩木の上で過ごし、翌日、モイケル娘が木の枝ギリギリのところまでのぼって、ようやっと胸に抱きしめることができたのでした。

3年目にも入ると、以前ほどの実をつけなくなりました。何しろまったく手をかけなかったものですからね。すると、我が家のお掃除のベルミーラおばさん、

「ドナ・ユーコ、これはお仕置きをしないと!」
お、お仕置き?木にですか?
   
「そうです。木の根元に大きな石を置くのです。んまぁ(笑)しかし、その大きな石をどこから手にいれまする?ろくすっぽ世話をしないのですから、毎年たくさんの実をもらおうとすること自体厚かましいと言うもの。結局、お仕置きはなし。

もう昔になりました。ママこと、わたしくの桃の木にまつわる話でした。


ポルトガルの愛情表現と挨拶

2018-07-29 16:05:59 | ポルトガルよもやま話
2018年7月29日 

その国によって多少の違いはあるだろうが、欧米では、しばしの別れや暫らくぶりの再会の場では、「気をつけていってらっしゃい。」「会いたかったわぁ。」の思いを、抱擁や軽いキスなどのスキンシップで表現することが多い。

中には、しばしの別れと言っても、10時間ほど家を留守にするだけの別れ、つまり夫の朝の出勤時から帰宅時までですら、キスを交わして愛情表現をすることもあります。

ポルトガルはと言うと、お互いのほっぺとほっぺを軽くくっつける「beijinho(ベイジーニュ)」が日常茶飯事見られます。

例えば、街で偶然知り合い同士が出会ったとき、「あら~こんにちは^^」でbeijinho。どこかのお宅に招待され、到着して玄関先での挨拶も「いらっしゃい」のbeijinhoで、初対面の挨拶も多くはそれで始まります。

また家族同士でも、誕生日、母の日、父の日などの祝い事で。我が家では、息子や娘がポルトに帰ってきた時や再びそれぞれの生活の場に帰って行く時、夫が国内外にかかわらず出張で出かける時と帰宅した時などなど、beijinhoは愛情表現はもとより、挨拶がわりでもあるのです。

ポルトガルの人たちは生まれた時からこれをしているのですから、beijinhoの仕方が板についており、その場その場に応じてごく自然にできるわけです。

ところが、こういう習慣に慣れていない日本人のわたしは、最初は戸惑うばかりでした。まず、「どっちのほっぺを出せばいいの?」と迷っているうちに、beijinhoがすれ違って合わなかったことも度々(笑)
つまり、向き合って右と右、左と左のほっぺをくっつけるのですからね、相手が右を出すのに左のほっぺを出したらくっつくわけないのであります(笑)

こういうことを繰り返しているうちに39年、それでもまだ板についたとは言い難いわたしのポルトガル式挨拶ですが、面白いことに、日本に帰国した時に大好きな友人たちと久しぶりに会った時など、思わずほっぺたを突き出しそうになる自分にハッと気づいたりするのでした^^

この挨拶の仕方を、好きでもない人とするのは嫌だ、と一時は鬱陶しく思ったこともありますが、家族、親しい間柄の枠内では、さりげないようで情のこもったジェスチャーだと、ここ数年思い始めたのでした。
もちろん、日本人の愛情表現には、慎ましさがうかがわれ、時としてたおやかな美しさをわたしは感じることがあり、それもまたいいものだと思う気持ちに変わりはありません。 

ここに一枚、「beijinho」と題する、幼いジョン・ボーイ(息子)と今は亡き叔母のスナップショットがあります。わたしの好きな写真の一枚です。


nuikooba2-1.jpg
 
ところで、大事な事を付け加えませんと(笑)
異性同士、女性同士はbeijinhoをしますが、男性同士はしません。男性同士は軽く抱き合い、肩や背中を叩き合うのが男性同士の親しみをこめた挨拶の仕方です。

本日はこれで。

ポルトガル式チゴイネルワイゼン

2018-06-24 22:58:47 | ポルトガルよもやま話
2018年6月24日

題して「ポルトガルのジプシー」として書いたのだが、ジプシーと言う言葉は今では差別語に属するとのこと、「ロマ」と呼ぶのだそうで、原題を変えたが、エッセイ中ではそのまま使っている。

ロマに対する差別意識は大してないのをご承知願いたい。「大して」と書くところを見ると、多少はあるんじゃないすかと、すかさず言ってくるのもいるので、断り書きしておきたい。

ヨーロッパで起こる事件にはロマが絡むものも多かった。それで多少の恐れをもっていたのがわたしの正直な気持ちだ。「恐れ」が差別意識に入るとは思わないがその部分を加味して「大して」を付け加えた。

以下、古い思い出です。


近頃では、交差点で見かけるジプシーがめっきり減った。かつては、信号のある交差点は、ジプシーのいないところはないくらいで、赤信号で停車ともなれば、たちまちにして男のジプシー、赤ん坊を抱いた女のジプシー、子供のジプシーのいずれかに、「お金おくれ。」とせがまれるのであった。

男のジプシーは、たいていA3くらいの大きさのダンボール紙にそのまま「赤んぼも含めてこどもが5人いますだ。めぐんでくだされ。」等と書いて、お金を入れてもらうプラスティックの箱を突き出してくる。

女のジプシーは、赤ん坊を腕に抱き、そのままニュッと手を出し、「ミルク代、おくれよ。」と来る。子供のジプシーにいたっては、これが一番タチが悪いのだが二人一組で来る。車窓を閉めたままでも、小うるさくコンコン窓ガラスを叩き、爪が黒くなった汚れた手をぬぅっと突き出して、
「ねぇ、おくれよぉ。おくれったらぁ。」としつこい。「小銭持ってないから、だめだよ。」などと言おうものなら、腹いせに、垂らしていた鼻水、鼻くそまで窓ガラスにくっつけて行ったりするのがいるから、小憎らしい(笑)

我が子たちが学校へ通っていた時は、毎日車で迎えに行くのが日課だったから、行きも帰りも赤信号で停車となると、それが年がら年中だ。よって外出時には彼らに手渡す小銭を用意して出るのが常だった。

わたしには、顔馴染みのジプシーがいた。いや、顔馴染みと言うなら、毎日通る殆どの交差点のジプシーがそうなるのだが、このジプシーは言うなれば「ひいきのジプシー」とでも言おうか。恐らく当時は30代であろう、男のジプシーで、かれらの族の例に洩れず目つきはするどい。小柄でどこか胡散臭いのだが、なにやら愛想がよろしい。

言葉を交わした最初が、「中国人?日本人?」であった。
こう聞かれると返事をしないではおれない。「日本人よ。」
すると、「やっぱり思った通りだ。ちょっと違うんだよね。」で、彼はここでニコッとやるわけです。用心は当然するけれども、わたしはこういうのに吊られるタイプでどうしようもない。

それがきっかけで、その交差点を通るたびに、「こんにちは。今日は調子どう?」と挨拶を交わすようになってしまった。

我が家の古着や使わなくなった子供の自転車、おもちゃ、食器など不要になった物、時には食べ物なども時々その交差点のあたりで停車して手渡したりしていた。

たまに、その交差点に、かの贔屓のジプシーがおらず、別のジプシーを見ることがあって、そういう時は、おそらく縄張りをぶん捕られたか、縄張り交代なのだろう。変わりに立ってるジプシーはたいてい人相が悪いのだ。

ある日、同乗していた、中学も終わる頃の息子が、そのようなわたしを見て言うことには、
「ああやって小銭をもらって稼いでるジプシーには、借家のうちなんかより立派な自分の家に住んでることがあるんだよ。」「3日やれば乞食はやめられない」と日本でも言う・・・・家に帰ってシャワーを浴び、こぎれいになっているそのジプシーの一家団欒を想像してなんだか可笑しくって仕方がなかった。

息子はリスボンへ、娘はバスでダウンタウンにあるポルトガルの私立高に通学するようになって以来わたしはそのジプシーに会うことはなくなった。

その間、東ヨーロッパの国々がEC加入し、気がつくといつのまにやら交差点からは、小銭をせびるジプシーたちの姿が消え、代わりにポルトガルに流れ込んで来た東ヨーロッパ人達が目立つようになった。彼らは、「要らん!」と言うこちらの言葉にお構いなく、車のフロントガラスにチュ~ッと洗剤をかけ、拭き始めるのである。そして「駄賃おくれ」と来る。

「昨日、洗車したばっかよ!」と、頼みもしないのに強引にする輩には絶対小銭を渡さない。しつこく手を出されても赤信号から青に変わるまで、わたしは頑張るのだ(笑)それに、近頃は、もう交差点の輩には小銭をあげないと、決心した。小銭を車窓で受け取り、うっかり落としたふりをし、運転している者の油断をついて、ひったくったり脅したりの犯罪が増えてきたからである。

ある日、家の近くの交差点で、数年ぶりにかの「贔屓のジプシー」に遭遇した。わたしが駆っている車種も車の色もあの頃のとは変わっているのだが、即座にわたしを見つけ、「奥さん、久しぶり。お住まいこっちの方で?お子さん達元気?」と来た。少しやつれている。歳をとったのだ。

閉めていた車窓を開けた。「E você?」(で、あなたは?)助手席のバッグを引き寄せ、小銭を出して手渡しながら、信号待ちの間のしばしの会話。やがて、信号が変わりわたしは他の車の流れに乗って動き出した。バックミラーに、車の発進でその身をグリーンベルトに寄せるジプシーの少しやつれた姿が映って、それがあっという間に遠くなった。

世界広し言えども、「贔屓のジプシー」を持っている日本人などそうざらにいるものではあるまい。夫は知らない。

黄色いお化け

2018-06-18 15:10:10 | ポルトガルよもやま話
2018年6月18日

創立当時から22年間講師として携わって来、1年間のボランティア名誉校長職も退いて9年が過ぎた補習校時代の思い出を紹介します。題して、「黄色いお化け」

引率する身は、事故がおこらないようにとの気遣いでくたびれ果ててしまう修学旅行も、子供達にとっては楽しみで仕方がなかったようだ。
   
わたしが職場とした小さな補習校は、今ではその行事も中止してしまったが、わたしたいた頃は、毎年一度、小学1年生から全員希望者を引き連れて、ポルトガルのいろいろな町を一泊で訪れたものである。その場所を選ぶのも楽ではない。

一般的な観光地はポルトガル滞在中に子供たちは親と行くことが多いので対象外にする。とにかく子供達が日本へ帰国しても「ポルトガルでのあの頃は楽しかった」と記憶に残るような一泊旅行をと、わたしたちは案を練り、準備として事前視察もしたものだ。

わたしは時々、我が妹に今回の旅行・運動会ではこんなことを計画してる、あんなことをしてみる予定だ等と、メールなどで書いたものだ。すると、夫が中学校の学校長をしていた彼女、「そんな面白い案はあんたでないと出ないね。今の日本の学校では、とてもそんなことをさせてくれないよ。」とよく羨ましがられたものである。
   
今日あげる思い出話はそのひとつである。
   
ポルトガルにあるもうひとつの補習校と、一度だけ合同修学旅行を仕組んだことがある。生徒数が総勢でも30名になるかならないかである。行き先は両校の中間点に当たる海岸近くの、キャンプ場だ。こんもりとした松林の中にバンガローがあり、その林を抜けきった向こうには海が開けている。
   
その日、わたしたち補習校のが練り上げたお楽しみは、題して「肝試し」。参加できるのは、小学4年以上から最高学年の高校1年まで。

男女一組ずつが手をつないでその林を抜け切り、海辺に出たところで、そこに小さな模型の塔を立てて待っている先生の一人から、確かにそこへたどり着いたという証拠のお札をもらって帰ってくるのである。

松林は夜になると灯りがないので真っ暗だ。暗闇の松林のあちこちには、わたしたち講師たちが隠れていて、海辺に向かって手をつないで歩いていく二人を「ヒュ~ドロドロ」とお化けの如く脅かすのである^^;

相手校の先生3人、それにわたしが木の陰に隠れて、やがてやってくるカップルを待ちかまえている。(←こういう役割はなぜだか、いつもわたしがする羽目になるのだった^^;) 

みんな特別の格好をして隠れるわけではないのに、わたしだけはどういう訳か寸前に同僚Kさんから、
「これを着て隠れてよ」と手渡され、
「ほい、いいわよ」と調子よく受け取ったのはまっ黄色い雨合羽。着てみると、
「ちょっと長いじゃん、コレ。すそ引きずるし・・・」
「だ~いじょうぶ、だいじょうぶ。」
「そ、そう?」と少し気にはなったものの、そこが浅はかなわたし、黄色いオバケよろしくそれをまとって松の木の陰にかがんで隠れていた。
 
さて、向こうのバンガローがある松林の入り口のところでは、我が同僚I氏が、カップルを組み合わせておりまするが、なかなかこちらへやって来ない。そのうち、キャーキャー、ガーガーと耳をつんざくような奇声が聞こえてきた。かなりしつけの悪いのがいるようで、同僚のI氏、御しかねているようだ。

木の陰に隠れて、今か今かとかがんで待ち構えているのも楽なものではない。
「早よ、こ~い」と暗闇の中、気をもんでいるというのに、彼方の騒ぎは一向に収まりそうもなく、他校の先生、誰も注意に行こうとはしない。

キャンプ場である。テントを張っている他のお客もいるはずだ。少しぐらいの騒ぎなら子供のご愛嬌で済ませるものの、これは行き過ぎだ!こういうのは、ガツンとやらないとダメなのである。
   
待ちくたびれたのと頭に来たのとで、わたしはやおら木の陰から飛び出して、林道に一歩踏み出した。
とたん、!雨合羽のすそを踏んづけてしまったではないか!く○!(悪い言葉ゆえ^^;)
可愛い黄色いオバケは前につんのめり両手を突き出して地べたに転んだ。(だから、だから、すそが長いって言ったのに・・・)
   
林道を挟んで向かい側に隠れていた他校の幽霊男先生が慌てて飛び出して来て、
「だいじょうぶですか?」と言う。
それを言うなら、もっと早く飛び出して来て、あっちをなんとかすれ~!

「い、いいんです!」と、恥ずかしいのと腹立ちとで、プンプンのプン!顔には転んだ時につけた砂そのままに、雨合羽のすそを両手でたくし上げ、怒りに任せて入り口へ向かいドンドン歩き、着くなり、

「おまえら、こぉらーーー!なにやってんだ!」
(スンマセン。とても女講師とは思えないようで。家で息子を怒鳴りつけてる地が出てしまったんでありました^^;)

聞くと他校の生徒の中に、I氏の言うことをなかなか聞かないのがいて、それにその取り巻きも加勢しての騒音である。  
「おっかさん、怒ると地声がドス効いててコワイわ」と我がモイケル娘も太鼓判を押す大きな声に、他校にはそんな柄の悪い先生がいないのであろう、騒いでいた生徒たちが一瞬しーんとなった。
  
やっと騒ぎも収束したのだが、黄色いオバケのネタもそれでバレてしまい、木陰から出て林の中をフラフラユラユラ歩いても生徒たちからは「ちっとも恐くなぁい」と言われ、ホンマ腹の立つこと。
   
しかし、子供達はとても面白かったらしく、特に「男女組み合わせで手をつなぐ」このルールが、人数の少ない学校にいて異性と接触する機会がない彼らにとっては、後々の愉快な思い出になったようだ。

黄色いオバケは後になって転んだ時の痛みが両手足にズンときたのであった。