日本音楽集団代表・指揮者の田村拓男さんより、
貴重な音楽資料として、『三善晃「会話」誕生記』のご寄稿を頂きました。
ここに掲載いたします。心より感謝申し上げます。
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三善晃「会話」誕生記
~1962~1965、東京マリンバグループの活動とともに~ 田村拓男
三善晃の「会話」は、今やマリンバ界ではスタンダードな曲となっていますが、その誕生した頃の経緯を記しておきたいと思います。
1961年は、ガガーリン(ソ連軍人)が人類初の宇宙飛行を行った年。
その頃のマリンバ界では、意気盛んなマリンバ奏者らが編曲ものを主流に活動をしていました。しかし、マリンバが発展するためには、マリンバのオリジナル曲を作ることが不可欠だとの考えのもとに安倍圭子、石川静子、田村拓男、長谷川典子、水野与旨久、吉川雅夫らが集まり、東京マリンバグループを結成、当時第一線で活躍する作曲家らに皆で委嘱のお願いをしてまわりました。私は会の推進役的立場でもあり、三善晃、外山雄三、湯山昭、山内忠氏らにお願いし、第1回目の発表会が下記のようなプログラムで実現しました。
★東京マリンバグループ第1回発表会/1962年11月20日、第一生命ホール(日比谷)
☆安倍圭子 組曲「会話」/三善 晃
☆石川静子 マリンバとピアノのための小奏鳴曲/湯山 昭
☆田村拓男 セレナータ・マリンバーナ/外山雄三
☆長谷川典子 Structure pour Marimba et 3 instruments /山内 忠
☆水野与旨久 Concertino for Marimba/Paul Creston
☆吉川雅夫 Conception for Marimba/日暮雅信
★ 組曲「会話」のエピソード
三善さんがマリンバ曲を書いてくださることが決まり皆大喜びでした。そしてマリンバについていろいろ話を聞きたいとのことで我が家を訪ねてこられたのには恐縮しました。私は当時、麹町の狭いアパートに暮らしていました。三善さんと話をしているところに、2歳そこそこの息子が入ってきて、話し相手になって欲しいとばかりに、盛んに私の膝をつついたり、わけの分からない声を上げてはアクションを繰り返すのですが、私は生返事をするばかり…。三善さんがお帰りになる時「田村さん、作品の内容がきまりました。」といわれたのです。プログラムに寄せられた三善さんの文章です。
三善 晃
田村さんからマリンバの楽しさを教えられて居たので、書くのがとても楽しかった。
『子供の居る家庭の、いろいろな会話。今日一日何の事件は起こらなかった。みんな御機嫌よくて、いたわりの気持ちに満ちた優しい会話(一)。いいことがあった。もう何度も「良かったね」をくりかへした。それでもまた、「あれ、ほんとによかったね」(二)。坊やが外から走り込んでくる、くやしいことがあった。それを言ふのに、それでね、それでね、と早口でくり返すのだが、聞いてる方にはよく解らない。坊やのくやしさはつのるばかり(三)。
いいことを話そうと思って語りかけるのだが対手は新聞など読んで居て生返事ばかり。話す方が焦がれても怒っても叫んでも、うーむ、と同じこと(四)。会話はにぎやか。だが、てんでんに物を言うのでどうもくいちがう。何かかんか、言ってることが楽しいんだ(五)。』
※そんなわけで「会話」の初演は安倍さんが、また「セレナータ・マリンバーナ」は私が受け持つことになりました。因みに第2回東京マリンバグループ演奏会での「会話」は私が担当。第2回目は、新たに柳原徳蔵氏が参加、安倍圭子、水野与旨久、吉川雅夫、田村拓男の4人により、下記のようなプログラム(要約)で開かれました。
★ 東京マリンバグループ第2回発表会/1965年10月26日 ヤマハホール
Ⅰ部(再演曲など)
☆田村拓男 組曲「会話」/三善晃
☆水野与旨久 エチュード/マッサー・「セレナータ・マリンバーナ」/外山雄三
☆柳原徳蔵 遊園地にて/柳原徳蔵
☆安倍圭子 練習曲「雨蛙」/安倍圭子・「秋」/富田勲
Ⅱ部(委嘱・初演)
☆水野与旨久 マリンバのための断章/田中利光
マリンバのための三つの小品/三宅榛名
☆柳原徳蔵 波と粒子/柳原徳蔵
☆安部圭子 トルスⅢ(TORESⅢ)/三善晃
☆田村拓男・水野与旨久
二つのマリンバのためのコントラスツ/林 光
以上、マリンバ界の歴史の一こまを紹介させて頂きました。マリンバ・打楽器界のますますのご発展をお祈りしています。
○田村拓男さんプロフィール
1964年、打楽器奏者として日本音楽集団の創立に参加後、指揮者として活躍。多数の
国内外公演に参加。斉藤秀雄(指揮)、山田一雄(指揮)、石桁真礼生(作曲)、藤舎華鳳(長唄囃子)氏らに師事。元東フィル在籍。現在、日本音楽集団代表(‘92年より)、NPO邦楽指導者ネットワーク21代表理事など。
貴重な音楽資料として、『三善晃「会話」誕生記』のご寄稿を頂きました。
ここに掲載いたします。心より感謝申し上げます。
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三善晃「会話」誕生記
~1962~1965、東京マリンバグループの活動とともに~ 田村拓男
三善晃の「会話」は、今やマリンバ界ではスタンダードな曲となっていますが、その誕生した頃の経緯を記しておきたいと思います。
1961年は、ガガーリン(ソ連軍人)が人類初の宇宙飛行を行った年。
その頃のマリンバ界では、意気盛んなマリンバ奏者らが編曲ものを主流に活動をしていました。しかし、マリンバが発展するためには、マリンバのオリジナル曲を作ることが不可欠だとの考えのもとに安倍圭子、石川静子、田村拓男、長谷川典子、水野与旨久、吉川雅夫らが集まり、東京マリンバグループを結成、当時第一線で活躍する作曲家らに皆で委嘱のお願いをしてまわりました。私は会の推進役的立場でもあり、三善晃、外山雄三、湯山昭、山内忠氏らにお願いし、第1回目の発表会が下記のようなプログラムで実現しました。
★東京マリンバグループ第1回発表会/1962年11月20日、第一生命ホール(日比谷)
☆安倍圭子 組曲「会話」/三善 晃
☆石川静子 マリンバとピアノのための小奏鳴曲/湯山 昭
☆田村拓男 セレナータ・マリンバーナ/外山雄三
☆長谷川典子 Structure pour Marimba et 3 instruments /山内 忠
☆水野与旨久 Concertino for Marimba/Paul Creston
☆吉川雅夫 Conception for Marimba/日暮雅信
★ 組曲「会話」のエピソード
三善さんがマリンバ曲を書いてくださることが決まり皆大喜びでした。そしてマリンバについていろいろ話を聞きたいとのことで我が家を訪ねてこられたのには恐縮しました。私は当時、麹町の狭いアパートに暮らしていました。三善さんと話をしているところに、2歳そこそこの息子が入ってきて、話し相手になって欲しいとばかりに、盛んに私の膝をつついたり、わけの分からない声を上げてはアクションを繰り返すのですが、私は生返事をするばかり…。三善さんがお帰りになる時「田村さん、作品の内容がきまりました。」といわれたのです。プログラムに寄せられた三善さんの文章です。
三善 晃
田村さんからマリンバの楽しさを教えられて居たので、書くのがとても楽しかった。
『子供の居る家庭の、いろいろな会話。今日一日何の事件は起こらなかった。みんな御機嫌よくて、いたわりの気持ちに満ちた優しい会話(一)。いいことがあった。もう何度も「良かったね」をくりかへした。それでもまた、「あれ、ほんとによかったね」(二)。坊やが外から走り込んでくる、くやしいことがあった。それを言ふのに、それでね、それでね、と早口でくり返すのだが、聞いてる方にはよく解らない。坊やのくやしさはつのるばかり(三)。
いいことを話そうと思って語りかけるのだが対手は新聞など読んで居て生返事ばかり。話す方が焦がれても怒っても叫んでも、うーむ、と同じこと(四)。会話はにぎやか。だが、てんでんに物を言うのでどうもくいちがう。何かかんか、言ってることが楽しいんだ(五)。』
※そんなわけで「会話」の初演は安倍さんが、また「セレナータ・マリンバーナ」は私が受け持つことになりました。因みに第2回東京マリンバグループ演奏会での「会話」は私が担当。第2回目は、新たに柳原徳蔵氏が参加、安倍圭子、水野与旨久、吉川雅夫、田村拓男の4人により、下記のようなプログラム(要約)で開かれました。
★ 東京マリンバグループ第2回発表会/1965年10月26日 ヤマハホール
Ⅰ部(再演曲など)
☆田村拓男 組曲「会話」/三善晃
☆水野与旨久 エチュード/マッサー・「セレナータ・マリンバーナ」/外山雄三
☆柳原徳蔵 遊園地にて/柳原徳蔵
☆安倍圭子 練習曲「雨蛙」/安倍圭子・「秋」/富田勲
Ⅱ部(委嘱・初演)
☆水野与旨久 マリンバのための断章/田中利光
マリンバのための三つの小品/三宅榛名
☆柳原徳蔵 波と粒子/柳原徳蔵
☆安部圭子 トルスⅢ(TORESⅢ)/三善晃
☆田村拓男・水野与旨久
二つのマリンバのためのコントラスツ/林 光
以上、マリンバ界の歴史の一こまを紹介させて頂きました。マリンバ・打楽器界のますますのご発展をお祈りしています。
○田村拓男さんプロフィール
1964年、打楽器奏者として日本音楽集団の創立に参加後、指揮者として活躍。多数の
国内外公演に参加。斉藤秀雄(指揮)、山田一雄(指揮)、石桁真礼生(作曲)、藤舎華鳳(長唄囃子)氏らに師事。元東フィル在籍。現在、日本音楽集団代表(‘92年より)、NPO邦楽指導者ネットワーク21代表理事など。