読書の記録

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Chat GPTで夏目漱石「坊っちゃん」の感想文を書いてもらう

2023年03月08日 | その他
ChatGPTで夏目漱石「坊っちゃん」の感想文を書いてもらう
 
 今回は久々の番外。話題の自動生成AI「ChatGPT」で夏目漱石の「坊っちゃん」の感想文を書いてもらってみた。夏休みの読書感想文をChatGPTに頼む子ども、今後は増えていきそうである。さてどんなものか。
 
 まずは、シンプルにこうオーダーしてみた。
 夏目漱石「坊っちゃん」の感想文を書きたい。
 
 その結果がこれである。とくとご覧あれたし。
 
夏目漱石の「坊っちゃん」は、明治時代の日本を舞台に、都会育ちの主人公・坊っちゃんが、田舎の小学校での生活を通じて成長していく物語です。
 
 うむ。江戸っ子の坊っちゃんが、愛媛県松山市の学校に赴任する話だ。でも、あれは小学校じゃないぞ。
 
私がこの作品で印象的だったのは、主人公・坊っちゃんの成長過程です。坊っちゃんは、田舎の小学校での生活を通じて、自分自身や周りの人々、社会のあり方について考え、自らの心を磨いていきます。特に、坊っちゃんが教育者としての責任を感じるようになり、子どもたちに対して真剣に向き合う姿勢には、感銘を受けました。
 
 いやいや。坊っちゃんは、教育者としての責任なんかなにも感じてないと思う。無断で教師辞めちゃってるし。子どもたちに対して真摯に向き合ってたか? イナゴ闘争を繰り広げ、生徒の罵詈雑言ばかり書かれているではないか。
 
また、坊っちゃんの父親や恩師、同級生たちとの関係性も、作品の魅力の一つだと思います。それぞれが抱える人間的な葛藤や問題、そして坊っちゃん自身が抱える家族の問題にも触れられており、読者は主人公の成長過程に密接に共感することができます。
 
 まてまて! 父親は序章で坊っちゃんをぶんなぐったあげく、早々に死んでいるんだぞ。恩師とか同級生と呼ばれるような人はそもそも登場してなかったと思うが。
 
また、夏目漱石の描く風景描写も美しく、自然の美しさや四季折々の変化を感じさせてくれます。特に、坊っちゃんが夏休みに訪れる山里の風景が、非常に印象的でした。
 
 坊っちゃん、夏休みにどこかの山里に出かけた事実は確認されてないです。赤シャツと釣りにいったのは海です。
 
総じて、「坊っちゃん」は、主人公の成長や人間関係の描写に加え、風景描写にも魅力がある、文学的価値の高い作品だと思います。私自身も、主人公・坊っちゃんの成長過程を通じて、自分自身や周りの人々、社会について深く考えるきっかけを与えてくれた作品であると感じています。
 
 うまく抽象的な言い方で結論づけてきたな。しかし坊っちゃんって、これなにか成長したのだろうか??
 
 お前読んでないだろ! という感想文はすぐにわかるとよくいわれるが、どうやらChatGPTさんは「坊っちゃん」を読んでいないようだ。ChatGPTはウェブ上のあらゆるテキストから目星をつけて生成していくそうなので、青空文庫とかのオリジナルもスキャンはできているはずだが、情報選択の重み付けアルゴリズムがまだ充分ではないのだろうか。
 
 ただ、ChatGPTは具体的に質問したほうが、答えの精度が増すという。そこでこんな聞き方をした。
 
 夏目漱石の「坊っちゃん」を、清との関係に注目した感想文を書きたい。
 
 「坊っちゃん」の妙は、実家に住み込んでいた下女であった「清」との関係性にある。「坊っちゃん」とは、清がこの主人公に名付けたあだ名であり、本名はついぞわからない仕掛けになっている。そのあたり、ChatGPTはどう返してくるか。
 
夏目漱石の「坊っちゃん」において、主人公である坊っちゃんが、清との関係に焦点を当てる場面が多く見られます。清は、坊っちゃんの初恋の相手であり、彼女の存在が坊っちゃんの成長や変化に大きな影響を与えることになります。
 
 うーん。清が、坊っちゃんの初恋の相手だったというのはずいぶん深読みだ。ただ、彼女の存在が坊っちゃんの精神形成になんらかの影響を与えてはいるのかもしれない。
 
まず、清との出会いの場面では、坊っちゃんは彼女の美しさに魅了され、彼女に対する思いが高まっていきます。彼女との交流を通じて、坊っちゃんは恋愛に対する憧れや、女性とのコミュニケーションの重要性を学び、自己成長に繋がっていくのです。
 
 いやいや。清はばあさんのはずである。美しいばあさんももちろんいるのだろうけど、この描写はちと違わないか。というより、出会いもなにも清は、坊っちゃんの小さいころからの住み込みである。なにを勘違いしたんだろ?
 
一方で、清の存在が坊っちゃんにとって苦しい場面もありました。清との交流において、坊っちゃんは自分自身の未熟さや無力さを感じることがあり、自己肯定感を失うこともありました。また、清が他の男性との交流を持っていることを知り、嫉妬心や独占欲が芽生え、自分自身を見失ってしまうこともありました。
 
 なんと、清が他の男性と交流を持っている! 新事実の発覚である!! すごいぞChat GPT。断片的な情報からこれを突き止めたというのか! その結果坊っちゃんは「嫉妬心や独占欲が芽生え、自分自身を見失ってしまうこともありました。」これが坊っちゃんの生卵投げつけ暴走につながっているのか。なるほど。
 
しかし、坊っちゃんは清との別れを経て、自分自身を見つめ直し、成長していくことになります。清との関係を通じて、自分自身や周りの人々、社会について考えるきっかけを得たことが、坊っちゃんの成長に繋がっていったのです。
 
 さらに驚くべき新事実! 坊っちゃんは、清と別れてしまったのだ! どこにそんな手掛かりが? いやいや。「坊っちゃん」の最終章で清はもう亡くなっていることが明かされている。この「別れ」とは今生の別れのことを指しているに違いない。ということは、清との別れを経て自分自身を見詰めなおし、成長していくとは? これはエピソードでは書かれなかった「坊っちゃん」のその後である。「坊っちゃん」の最終のくだりでは清の墓が小日向にあることを記してさりげなく終わる。実は、清が既にもうこの世の人ではなく、本小説のメインと思われた松山のエピソードの数々は回顧録であったことが最後まで伏せれれているのが、この「坊っちゃん」なのだ。要するにこの小説は「清が亡くなったことを契機に、思うことのあったこの物語の書き手である『俺』の手記である」という夏目漱石の大仕掛けな時空間ミラクルこそがこの小説の真髄であり、それをChatGPTは読み取ったのだ。すごい。すごすぎる!
 
私は、坊っちゃんと清の関係を通じて、恋愛や人間関係について深く考えさせられました。自分自身が恋愛や人間関係において抱える問題や課題を見つめ直す機会になりました。また、清というキャラクターが、坊っちゃんの成長や変化に大きな影響を与えることを通じて、個人としての影響力や責任の重要性についても考えさせられました。
 
 清の「坊っちゃん」に対しての影響力や重要性。なるほど。この小説の主人公である「俺」は清によってアイデンティファイされている(だから小説のタイトルが「坊っちゃん」なのである)というのは、研究者からも指摘されている説だ。しかし、この小説を読んで坊っちゃんではなくて清に学ばせてもらった、というのはなかなか斬新な切り口である。この小節から清と坊っちゃんの恋愛関係を読み取るのはなかなかすさまじいが、ChatGPTさん、意外に芯を突いている気がしてきたぞ。僕も人に接するときには清のような姿勢を見習わなくてはならない気がしてきた。なんにせよ自分として得るものがあったのならばそれがなんであれ、おっしゃる通りその本は名著である。よかったね!!
 
 うーむ。だけどまあ、この読書感想文をそのまま提出したら、熟慮の末というよりは出鱈目の産物として落第するのは間違いなさそうだな。学校の先生は決して夏目漱石の研究者ではないし、江藤淳や吉本隆明や小森陽一がどんな探求をしてきたかまではカバーできていないだろう。(そもそも事実誤認が多すぎるので使い物にならないわけだが)
 全体的な印象としては、ChatGPTは読書感想文に必要な文脈とでもいうか、お約束ごとみたいなものは学習している感じがする。物語全体のテーマや特色を規定し、とくに、それが現れているところを指摘しつつそこに自分の関わりを入れ、最後に自分の学びとする。WEBにあふれる読書感想文の構造を読み取ったということだろうか。
 想像するに、ChatGPTの知識の源泉はWEBだとすると、日本語で記された情報はまだ蓄積が足りないのかも知れない。英語の文献が大量にある分野のほうが精度が高い可能性はある。聖書とかシェークスピアとか。このあたりは今後の検証ポイントとして覚えておこうかと思う。
 
 
 だいぶ以前だが、「ウェブは菩薩である」という本があった。
 2008年の刊行だから15年前の本である。当時、読書感想文や大学のレポートをネットで検索してそれっぽい文章を借用ないしまるパクリする行為が問題になっていたころだ。しかしウェブというのは本質的には情報を無限大に溜め、人々に対してひたすら提供してく装置であって、すなわちその本質は菩薩なのである、という内容の本だった。
 
 ChatGPTはまさに菩薩の具現化に至らしめたわけである。15年前はそのデータをたぐりよせる「検索のあり方」に技術的制約があったわけだが、おそるべきムーアの法則は、ついにこの領域に達したのだった。
 とはいえ、ChatGPTがデータベースにしているWEBの世界。そもそもここの情報がほんまに真実か、となるとこれはなかなか難しい。AI開発でも、いきなりネオナチな発言をしたとか、強固な人種差別ロジックに支配されてしまった、とかなかなか思い通りにはならないらしい。もちろん吐き出した解答の妙に対し、AIはなにも語らない。菩薩はただ微笑むのみだ。
 というわけで今のところ、読書感想文に利用される方は十分に気を付けられたしだ。読書感想文をChatGPTに書かせようという人は、たぶん本文を読まないだろうから、ChatGPTの吐き出した内容のどこが真っ赤な嘘でどこがちゃんと本文に基づいているかがわからないだろう。少なくとも本文は自力でしっかり読んだ上で、ChatGPTの出した答えの正誤を確認する作業が必要である。
 とはいえ、これは過渡期の現象だ。ChatGPTはOpenAI社のGPT-3.5というモデルを用いているが、ChatGPTのリリースからたった半年で、GPT-4がローンチされた。精度は飛躍的に向上した。指数関数的な成長を呼び起こす業界である。来年の今頃はGPT-7くらいになって感動的な名感想文を吐き出しているかもしれない。
 
 

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