読書の記録

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東京裏返し 社会学的街歩きガイド

2021年03月28日 | 東京論
東京裏返し 社会学的街歩きガイド
 
吉見俊哉
集英社新書
 
 本書は、7日間にわけて東京都の城北城東地区を街歩きする。このエリアこそ歴史と文化が蓄積された東京の面白さがあるということだ。似たような観点を持ったものとしては森まゆみの「東京ひがし案内」があるが、「東京ひがし案内」がどちらかというとそのあたりの老舗やそこに生きる人々に注目したエッセイであるの対し、こちらは歴史や地勢をふまえた思索的なものだ。
 この「アースダイバー」と「東京の地霊」を足したような着眼点は面白いし、街歩きガイドとしてユニークでいろいろ新しい情報もあったのだが、読んでいてどうにもいちいち気になるのは、やたらに建築や土木や行政に対してのダメ出しが多く、そしてうんざりするほど「何々すべき」という物言いが頻発することである。上野動物園の柵割りの位置はダメ。パンダもダメ。隅田川の堤防デザインはダメ。スカイツリーの商業スペースはダメ。王子駅前の公園はダメ。今の浅草六区はダメ。高層タワーマンションはダメ。地下鉄はダメ。インバウンドはダメ。そして首都高は撤去すべき。都電荒川線は延長すべき。上野駅前は開発しなおすべき。湯島聖堂はもっと展示案内を上手にすべき。いったい何様のつもりなのかとあまりの上から目線ぶりに途中から辟易するようになってしまった。
 ここまでいちいち怪気炎をあげるくらいなら街歩きなんかしなきゃいいんじゃないかとか、こんな意見は挟まずに調べ上げた資料や遺構をもとに事実のみで語らしめたほうがぐっと格調高い東京案内ができたのになと思いながら読了した。
 
 なんでこんなにけんか腰なのかと、あらためて著者のプロフィールや前口上を確認し、頭の中で本書で書かれていたことを再構成していくうちに、どうも本書のねらいは東京散歩ガイドなどではなく、著者の東京改造論のほうにあったのでは、という気がしてきた。
 
 本書において著者は、東京は三度「占領」されたという歴史観をベースにしている。三度というのは「徳川家」「薩長」「GHQ(とその後の日本政府)」と言うことだが、わざわざ「占領」という挑戦的な言葉をチョイスしているように、そこには地域文化の尊重なしの暴力的なガバナンスが中央集権の手によって3回行われた、という歴史観なのである。
 
 中央集権的なガバナンスを行おうとするとき、施政者から見れば邪魔なものとして真っ先に片づけたいのは地域ごとのバラバラな「固有性」だろう。言語・風習・価値観・倫理観・宗教観といったものだ。中央集権制とか国家行政というのは、これらの標準化のことと言ってもいいくらいである。とくに反体制的なものは厳しく制限するだろう。
 「東京」というところは、まさに中央集権のお膝元であり、それも、徳川家、明治政府、GHQ(とその後の日本政府)の3度にわたって「標準化」が繰り返された。そこまで徹底的にやられてはかつて東京にあったであろう「固有性」なんてほとんど消滅したであろうが、それでも「標準化」の荒波をかいくぐって岩礁にしがみつくように生き残った「固有」の東京の痕跡を観察できるところが随所にある。それがとくに城北城東地区にみられる、という、そういう仮説にもとづいた本なのである。
 
 で、こういった街歩きでの観察を引き合いに出しながら、「標準化」される前の時代の東京を尊重し、東京本来の固有性を回復した都市に改造しようという主張こそがどうやら本書のねらいなのだ。そのためには「標準化」の代表である首都高は撤去しなければならないし、「標準化」前の上野の姿を取り戻すために上野公園や不忍池の在り方を再考しなければならないし、東京の様々な「固有性」をいい塩梅に体感させやすい都電は復活させたいし、「固有性」があった時代に活用されていた神田川や墨田川はいまいちど俎上に載せなければならない。
 
 ではなぜ東京をそんな風に改造したいのか。それは現在の東京(GHQ以降3度目の「占領」の東京)が、経済成長時代を前提としてつくられた「東京」の姿形だからである。首都高も地下鉄も治水行政もそうである。しかし、いまや脱成長・縮退の時代であり、その観点では今の東京は時代の温度と合っておらず「使いにくい」ということなのである。
 
 なるほどなるほど。そういう思想の本だったのだ。街歩きガイドのくせにいちいち説教がましいと思ったのは、僕がこれを東京散歩本の類のつもりで手に取って、ずっとその頭で読んでいたからである。本書は街歩きガイドではなくて、いざ四度目の占領を行わせんとする過激な東京改造論なのであり、本書の街歩き部分はいわば四度目の占領のための査察、ロケハンなのである。きっと家康も薩長もGHQもこんな感じで、どこに何をつくるか、どれとどれは取り壊すか、あれは感じ悪いから無くそうなど値踏みしながら東京をロケハンしたんだろうなあ。
 

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