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世界はシステムで動く いま起きていることの本質をつかむ考え方

2023年03月18日 | サイエンス
世界はシステムで動く いま起きていることの本質をつかむ考え方
 
ドネラ・H・メドウズ 訳:枝廣淳子
英治出版
 
 
 2015年刊行だからちょっと前の本だ。著者の名前は聞き覚えがなくても「世界がもし100人の村だったら」を書いた人と説明すれば、ははあと思うかもしれない。
 
 本書の記述内容はけっこう難解なところもあるが、全体として言わんとしているのは、この世界は因果応報の仕組みで成立しているという話である。サーモスタットで温度設定している部屋は、寒くなるとスイッチが入って部屋の中を暖める。でもそのうち暖かくなりすぎるとスイッチが消えてそしたら自然にまた温度が下がる。サーモスタットは因果の連鎖である。
 ひとつの国が勃興して隆盛して衰退するのも、経済活動が盛んになって二酸化炭素排出量が増えて温暖化して気象異常が激しくなって経済活動を破壊するのも、様々な因果の連鎖によって起こっている。この因果の連鎖を「システム」という。
 
 本書では、そのシステムを成立させる2大ダイナミズムとして「バランス型フィードバック」と「自己強化型フィードバック」を挙げている。
 
 「バランス型フィードバック」というのは、均衡を保とうとする力のことだ。冒頭のサーモスタットは、ある設定した温度に収れんするように機能する。これは均衡を保とうとしている仕組みである。
 生態学の世界では、ある一種類の生物がなにかのはずみで大増殖するとどこかで頭打ちになって急激に数を減らしたりする。これも均衡を保とうとする動きの一種だ。その生物の餌が不足したり、近種交配が進んで生命力を失ったりする。
 最近よく例としてとりあげられるのはウィルスだ。コロナウィルスも人間に感染して爆発的なスピードで増殖したものの、ほとんどの人間に免疫ができてしまうとウィルスのほうは新たな宿主が見つけ出せなくなって増殖が止まり、人間とウィルスによる数の上での均衡状態になる。また、ウィルスはあまりにも殺傷力が強すぎると宿主である人間を早々に殺してしまうことになるため、感染拡大が期待できなくなる。やがてウィルスは弱毒化する方向で進化し、宿主である人間を生き永らえさせることで感染拡大の機会を広げる。これは人間とウィルスによる毒の程度の均衡状態である。大腸菌やピロリ菌など古来から人体に生息する菌はそのようにして定着した経緯があるそうだ
 人間自身もその例にもれず、ジャレト・ダイアモンドの「文明崩壊」では、イースター島の住民は増加しすぎて島の資源を渇化させてしまい、紛争と飢餓に陥って大量死したことを記している。このイースター島による人口増減も人間と資源の因果関係によるシステムである。
 
 生態学の分野だけではなく、経済学の分野でも貨幣の流通量や物価の決まり方などでこの均衡状態に導く「バランス型フィードバック」は発生する。この社会にはバランス型フィードバックが満ち溢れているだろう。
 
 
 一方の「自己強化型フィードバック」とは、いわゆる「富める者はますます富み、貧するものはますます貧する」メカニズムである。かつて「収穫逓増」なんて言葉がビジネスモデル用語として流行った。自己組織化とか自己増殖と呼ばれることもある。赤丸急上昇中の成長企業なんかはうまくこの軌道に乗ったといえるだろう。
 ただ、自己強化型フィードバックの恐ろしいところは、その増加が指数関数、つまりねずみ算のような増え方をするところだ。これはなかなか人間の想像力として苦手なところとするらしく、コントロール不能なことになりやすい。複利式の借金とか、壁にはびこるカビなんかがこのパターンだ。昨今の地球の平均気温の上昇もたぶんにこの自己強化型フィードバックに乗っかってしまったきらいがある。
 
 ネガティブな影響を及ぼす「自己強化型フィードバック」は、十二分に注意せよという話になるわけだが、実はリスクを警戒しなければならないのがポジティブ影響を及ぼす「自己強化型フィードバック」だ。事業がどんどん好転している企業とか、生産量が拡大が見込まれる人口交配の野菜とか。
 というのは「自己強化型フィードバック」の裏側には必ず「バランス型フィードバック」のメカニズムがどこかに張り付いているからである。ある日突然「自己強化フィードバック」は止まって「バランス型フィードバック」に移行するのである。しかも「自己強化フィードバック」の終わり方は、なだらかな減衰ではなく、急に終了することが多くの実例やシミュレーションからわかっている。リーマンショックとか、アンモナイトの大量絶滅とか、フジテレビの視聴率とかがそれである。
 これはすなわち「永遠に成長するものはない」という意味でもある。システム論としてはそれが必然なのだ。
 
 したがって、どんなに成長している企業でもいつかは止まるし、その成長速度が急であれば急であるほど破滅のインパクトもでかいということになる。地球の気温も上がるところまで上がった途端いっきに寒冷化するおそれがある。最後の最後は「バランス型フィードバック」が勝つ。ビッグバンこのかた膨張するこの宇宙も、どこかの到達点で一気に収縮すると言われている。
 
 
 したがって、この世の中で無事に安寧に生きていくには、この「バランス型フィードバック」と「自己強化型フィードバック」を念頭においておく必要があるということだ。
 本書では、どのような対処はシステムに影響を与え、どのような対処はたいして影響がないか、を指南している。
 
 たとえば、会社の業績が低調のときに、単に社長の首を入れ替えただけではうまくいく可能性は低いという。なぜならばシステムというのは、「要素」と「相互のつながり」、そして「機能または目的」で成り立っていて、大きな影響を与えるのはむしろ「相互のつながり」の方なのである。「要素」である社長だけ交代しても、その会社のビジネスモデルやサプライチェーンのありようや社員のモチベーションが変わらなければ、「機能または目的」も不全のままになりやすいのは当然である。「相互のつながり」である人事や組織を入れ替え、取引先を組み直し、生産ラインや企画プロセスを直してはじめて事業は好転する。(もちろんさらに悪化する場合もある)。もし現業の社長がそれらの「相互のつながり」の改善を行えるならば、なにも社長が変わらなくてもよいのである。
 
 しかし、こういう人事と組織改編というのは、現実的にはリストラなどを行うことが多い。それによって会社の「機能または目的」が改善されたとしても、その「相互のつながり」の調整つまりリストラにあった社員にとっては、このシステム改変は「善」とは言えないだろう。大量のリストラが、瞬間的にはその会社の業績を良くしても実は負のフィードバックが「バランス型」として跳ね返ってくる可能性はある。
 そこでむしろ「機能または目的」そのものを変えちまえ、という考え方もある。たとえば富士フイルムという会社は、写真フィルム事業という「機能または目的」をもったシステムだったわけだが、写真フィルムという目的はこの時代にあってはお先真っ暗になってしまった。そこで「要素」つまり今の社員や技術を生かした「化粧品事業」を富士フイルムの「機能または目的」とすることによって、システム全体を維持させることにしたのである。
 
 他にも、ルールをいじるとか、新たな情報ループをつくるとか、いろいろ著者は指摘しているが、共通しているのはシステムを支配しているのは「表から見えにくいところ」ということだ。社長の顔とか、総務課に届けられる経費の削減とか、そういうわかりやすいところだけいじってもなかなかうまくはいかず、むしろ良かれと思ったことが逆に悪化することもしばしばなのである。(雑貨出費の削減が社員のモチベーションを多いに下げ、生産効率をさらに悪化させたりする)。なにしろ店員と客の立ち話をしているかどうかがその店の売上の影響を決めていたなんて例もあったくらいである。(「データの見えざる手」という本によると、店員と客が立ち話している姿が見えると、店員が親切で店内の雰囲気が良く感じられ、店内滞在時間が長くなって一人あたり売上が上がるという効果があったそうだ。陳列方法や品ぞろえよりも売上が上がる効果があったとのこと)
 
 このように、自分のいる組織や地域や国、あるいは生態系がどのようなシステムで成り立っているかを自覚しておくのは、生き延びる上で重要なことだろうと思う。人はどうしても感知された情報だけで限定合理的に動くものだし、どうしても安きに流れるものである。それがシステム上でリスクを高めていることだってありうる。自分が1001日目の七面鳥になっていないかどうかはたまに振り返りたい。

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