読書の記録

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渡り鳥たちが語る科学夜話

2023年02月20日 | サイエンス
渡り鳥たちが語る科学夜話
 
全卓樹
朝日出版社
 
 前作「銀河の片隅で科学夜話」が大変に知的興奮を刺激する面白さで続編を待ち望んでいた。書店で平積みを発見して小躍り。こういう本の買い方久しぶりである。
 
 前作では最終章に渡り鳥のエピソードが載った。正確な飛行ができなくなった渡り鳥を人間がエスコートする話だった。本作ではタイトルにその「渡り鳥」が冠され、本書最終章にまた渡り鳥の話が選ばれている。これまた、ヒマラヤを越えてモンゴルとインドの間を飛ぶ渡り鳥アネハヅルと、その習性に人為が関与したとあるエピソードだ。
 著者は、渡り鳥になにか感じるものがあるのだろう。渡り鳥という習性から観察される壮大な行動範囲と繊細な判別コントロールに、科学の神髄、つまりはこの世の不思議の神髄をみるのかもしれない。
 
 もともと古来から人間は「鳥」というものに得も言われぬアンビバレントな感情を抱いた。本書でも人類最古の詩は鳥をうたったものと紹介されている。また、笛という楽器は鳥の鳴き声から由来したものという説もある。そして鳥は空を飛ぶというその特徴。大空を舞うその姿は、森昌子や加藤登紀子の歌に現れるように、人間に狂おしい切望を迫った。
 渡り鳥は、先祖からの習性によって備わった本能と機能でもって、巧みにその長旅を遂行していく。空を行き交う美しい姿のみならず、あまりにも奇跡的にみえるその正確なふるまい。鳥への希求とは科学者の夢の象徴なのだろう。
 そして人間もまた動物である。人間のなりわいに見て取れる諸現象を裏で支配する数式があるのではないか。本書はそんな科学者の夢を追求する。しかし、その夢はどれもちょっとばかり危険な香りがするものばかりだ。
 
 たとえば、前作に続いて登場するのは多数決による世論形成シミュレーションであるところのガラム理論だ。前作では、極めて強い意見を持つグループが母集団の17%いれば、残りの83%が浮動層だとしてもオセロをひっくり返していくようにやがて全体がその当初17%の意見に染まるという話を紹介していた。本作では、なんにでも反対する「逆張り層」という存在が、世論形成でどのように作用するかを紹介している。たいへん興味深いことに「逆張り層」ががんばればがんばるほど、本来の意見(反対しているはずの意見)に全体世論としては集約していくというパラドクスだ。本書に紹介されているロジックを読めば、それは決して複雑なものではない。
 しかし、TwitterやYouTubeなどで見かける「なんでも反対するアカウント」は、むしろ意思決定の強固に寄与しているのだというのはなんとも不気味である。ひょっとしてそこまで見越して当局が派遣しているのではないかとまで思ってしまう。
 
 一方で、「なんでも反対する層は大事にすべし」という教えもある。満場一致の意見、すべてがゼロサムに収れんされる意見というのは、社会運営のうえで何かどこかがおかしいわけだ。ユダヤ教は満場一致を信用しないとか(ガセネタともいわれているが)、シェークスピアの世界などに登場する王室における道化に役割なんかは、これすべて機構を維持するための人間の叡智なのである。本書では「逆張り層」の上手なマネジメントが、健全な世論形成、健全な民主主義を左右するものとして指摘している。
 
 なんてことは、教訓としても教条としてもよくわかっている。しかし、人というのは弱いもので、いつのまにかイエスマンだけで囲んでしまうガバナンス機構の例は枚挙に暇がない。反対分子は退けられ、満場一致の様式美が支配する。しかし、やがてそれは内部から腐敗し、脆弱化し、そして何かをきかっけに瓦解する。歴史の宿命である。
 驚くべきことに、この勃興と崩壊のサイクルにメカニズムを読み取って数式化してしまう試みが本書で紹介される「帝国興亡方程式」だ。本当に人間ってのものは方程式を追求したくなる誘惑にあらがえないのだなあ。三体運動のようなシミュレーションはなかなか興味深い。破滅の因子が初めからプログラムされているかのごとくである。ここで紹介されているのは古代中国、唐王朝から元王朝までのシミュレーションだが、現代中国でやってもらいたいものである。
 
 科学者が諸現象に方程式を見つけ出したくなる誘惑というものは、芸術家が美の真理を見極めたいという気持ちと同じ魂のなせるものだと思う。
 しかし、魅せられた対象が原子力とかになると要注意だ。手段と目的の逆転があっという間に死の世界を引き寄せることになる。本書で紹介されるのは、眼前にチェレンコフ光(いわゆる青い光)を発生させてしまったデーモンコアのエピソードだ。無邪気がもたらす恐怖のホラーである。
 しかし、原子力ならまだいいのだ(?)。本書の前半でとりあげられているようなブラックホールなどに魅せられると本当に危険である。いまはまだ宇宙の深淵にあるものを観測するだけだが、卓上で再現される小型ブラックホール、などというのは頼むからやめてほしい。SFでは既におなじみだが恒星間宇宙旅行を実現させる推進エンジンが実現する前に、地球が太陽系ごと無くなりかねない。
 科学者にはせめて、鳥に対しての文系的感受性ーーそこに平和の象徴を見るような想像力も併せて持っていてほしいものである。

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