読書の記録

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クラスメイツ

2019年02月23日 | 小説・文芸

クラスメイツ

 

森絵都

角川文庫

 

 

北見第2中学校1年A組の24人の生徒それぞれにフォーカスした24章による連作小説である。全編を通して4月の入学式から翌年3月の終業式までの1年間が流れていく。この1年の間にはいろいろなイベントや事件があって、それをA君の目線、Bさんの事情、Cさんの気持ちで多面的に描かれることになる。このあたりのしかけもふくめて、瀬尾まいこの「あと少し、もう少し」と近い世界観の小説といっていいだろう。(はて、どちらが先なのかな?)

もちろんこの小説の見どころは、思春期の入り口に入った多感な中1男女の立ち振る舞いである。中1というのは13才。僕が思うに、年齢的にいちばんぐちゃぐちゃしやすいのは中2すなわち14才である。13才というのは中学1年生というよりはむしろ小学7年生くらいの感じもするのだが、いわば「14才」という試練のプレ期が中学1年生と位置付けることもできる。前厄みたいなものだ。

 

この小説に出てくる中1の登場人物でもそこかしこに出てくるが、この時期のメンタリティの特有のひとつに自分中心の天動説感覚というのがある。自分が面白いものは相手も面白い。自分がくだらないものは相手もくだらない。自分が正しいと思うことは相手も正しいと思ってくれる。自分の話は相手は聞いてくれる。それも素直に、無自覚的に天動説なのであって、いきがっているわけでも開き直っているわけでもない。小学生高学年あたりから中学1年生あたりの子どもが容易に持ちやすい感覚だ。これは転じて、間違っているのは他人のほうである、歩み寄るべきは他人である、サブカルなのは他人のほうである、くだらないのは他人のほうである、身分不相応なのは他人のほうであるという感覚もよびおこすことになる。

ところが本当のところはこの世の中は地動説である。A君もBさんも、質量も組成も、その温度も、抱えている衛星の数もそれぞれが異なるひとつひとつの個性をもった惑星である。

これらの地動説の中心、太陽にあたるものの正体は非常につかみにくい。公共、空気、時によっては大人の事情とか呼ばれる輪郭のぱっとしないガス星雲みたいなものである。

思うに、中学生も2年生つまり14才くらいになると、なにやら自分ではない正体不明なものこそが中心にあり、自分よりも他人のあの人のほうが美しい惑星だったり中心点に近い惑星だったりすることに気づくようになる。そして自分は決して中心体ではないことを知り、それに傷ついたり自己肯定感を下げてしまったりする。

中学1年生というのはその手前、”なにかうまくいかないことが多くなった気がする”を知覚するあたりだろう。なぜうまくいかないかはわからない。相手が自分と同じ気持ちになっていないことには気づいているが、自分が相手の気持ちによりそってみるという判断心は降ってこない。ただ、なんかぎくしゃくする、親の言うこともしっくり腹落ちせず気に入らない、とにかくなんだかうまくいかないというのが身体感覚的に気づいていく。やがて、どうやら世の中は思い通りではないことに突き落とされるのが中2である。

逆に「うまくいっているとき」の幸福感は、相対的に非常に大きいものになる。仲間うちでの異常なもりあがりは、自分が中心点にいられていることの安堵からの解放感のようなものだろう。

そういう観点からみれば、中1というのは「14才」とはまたべつに実に切ない期間である。

この小説の舞台である1年A組も、24人それぞれが、なにかうまくいかない。期待と失望、刹那的な大もりあがり、いつまでも続く沈黙がある。24人それぞれが「プレ14才」の時期として身体感覚的にもどかしさをひとり抱え込む。

このあとには24人それぞれの「14才」の試練が待っていることになる。

 

しかし、地動説だからといってそれぞれの惑星は孤立しているのではない。万有引力よろしく、惑星は惑星同士でもはかなげながらも牽引しあい、作用しあっているのである。自分のふるまいが他人を動かし、他人の言動が自分の選択を決めていたりする。そしてそれらのエネルギーが実は得体のしれない中心部の力学にもなんらかの影響を与えている。

この小説でも、24人のたちふるまいは、本人の気づきとはべつに、実は他のクラスメイツの言動が牽引しあい、作用しているものだったりもするのだ。そして24人それぞれの不器用なたちふるまいと決意が、実は1年A組という社会の変容をゆっくりと動かしていている。このクラスにただよう空気ーー4月の入学式から始まって翌年3月の終業式に至るまでの空気が、当初はてんでばらばら各個人の気持ちと事情で始まった物語が、実は少しずつこなれていい塩梅のところに着地していく様が見て取れる。

そのこと自体に24人のクラスメイツはあまり気づいていないかもしれないかもしれない。だけれど、もしこの小説を中学1年生が読んで(中学2年生でもよいけれど)、自分も他人も、あんがい捨てたもんじゃないことにちょっとでも気づいてもらえれば、その先の「14才」にダークな気分に落ち込んだときもちょっとは乗り切るエネルギーになるんじゃないかと思うのである。

 


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