読書の記録

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誰にも見えない

2010年05月19日 | 小説・文芸
誰にも見えない (たぶん未読でも差支えないはずだがでもやっぱりネタばれ)

 藤谷治


 「船に乗れ!」がかなり面白かったので、文庫で彼の小説が出たことを広告で知って、手軽なので読んでみた。

 いわゆる「14才もの」である。いわゆる、なんて言ってるけど、今勝手に命名しただけである。

 世の風評を見ても、自分自身を省みても、「14才」というのは人生においてもっともめんどくさい時期のひとつではある。「14才」をどう乗り越えるかで、その後の人生や人格、品格までもが決まるといっても過言ではない気がする。俗に「中二病」、もっともこれは男子の場合であって、女子の場合は「小六病」といったりもするらしいが、とにかく純度の高い思考能力と身体能力とそれが起こす欲求、そこにまだまだ人生の場数が足りなくて圧倒的に不足している社会対応能力の、この温度差を持てあます時期である。


 中二病の原点は「誰も私をわかってくれない」という点にある。

 ここから派生して、「だから私は孤独で親友と呼べるような人がひとりもいない」となったり、、「あの人は私をわかってくれる」と信じ込んでのめっていったり、「分かっているような顔して全然わかってねーんだよ、バーロー」という人物評価(特に親に対して)になったり、「あの人とこの人はわかりあえている」と疎外感を募らせたり、「あいつ、わかってやれるやつが一人もいないんだってよ」という視線に恐怖を感じたりする。特に異性からの承認は「わかってくれる」の象徴であり、こいつに「わかってもらえてんだぜ」というのが周囲へのアピールになる。これらが転じて「私の居場所がない」とか「私は必要とされてない」となっていく。

 で、なまじ純粋的な思考能力だけは伸び盛りで、耳から入ってくる情報はどんどん吸収してくるから頭でっかちになり、「誰も私をわかってくれない」症候群となっていく。

 なぜ、「誰も私をわかってくれない」という思考に陥るかというと、それまでの「子供」時代は、なんとなくみんな「わかってくれていた」ような気がしていたからである。天上天下唯我独尊。ところが、少しずつ世の中の仕組みが見えてきて、教室内のいろんな意味での生存競争が発生してきたりするうちに、だんだん「必ずしも、自分の味方にならないこともある。いやそれどころか、自分の味方にならないことのほうがずっと多い」なんてことを学習してくる。それも理由がはっきりしていればいいが、案外、理不尽なことが多いものである。

 昔は、兄弟の数も多かったから、もう少しここらへんは自分を相対視できたのだが、最近の平均兄弟人数は確か2.0人を下回っているはずだから、本書の主人公である瑠奈のように一人っ子のまま14才を迎えるのもめずらしくはないわけである。


 で、オトナはだいたい知っているのだが、本当に「わかってくれる人」なんてのはなかなかいないものである。「世界の中でただ一人、私のことを考えている」瑠奈の母でさえ、この体たらくである。長い人生かけて多くて数人得られるかどうかだろう。


 だが、もうひとつのこの年頃の特徴は、「誰も私をわかってくれない」一方で、「相手をわかろう」という努力義務にはまったく及んでいないこともある。そこまで精神的発達が至ってないとも言える。「相手をわかろう」とするのが面倒くさい、のではなく、「相手をわかろう」としなければならない、という理由がまだわからない、のである。

 で、本書の登場人物はみな、この空疎な「わかりあえなさ」と「わかったふり」にもがくことになる。ちなみに、主人公の瑠奈は、大学付属の私立女子中に通い、趣味は読書で、話のかみ合わない「親友」にふりまわされ、家に帰れば父親はエリート、母親は「マニュアルお受験ママ→子供が合格したら朝カル族」という、前述の「中2病」をもろに誘発しそうな環境下で生活している。

 「親友」であるところの愛子は、典型的な「自分をわかって頂戴」タイプであり、他人をわかろうという概念が未だ根本から育っていない例である。その具体例が、瑠奈と、同級生の浅川博子が会話していたあと、瑠奈に「ねーねー、博子とさっき、何話してたの?」と尋ね、「本の話」と答えると、「あ、本か」と“1秒で引いた”場面に現れる。

 その瑠奈も、浅川博子(美人だそうだ)に対し、自分の日記で、

  「浅川博子 よく分からない。貸してくれた本は、私にはつまらなかった。」

 と断じられてしまい、自分の立ち位置からは一歩も前へ出ていない人物評に留まっている。




 さて、物語は、いろいろあったおかげですっかり「誰も私をわかってくれない」自家中毒を起こしてしまった瑠璃がある行動を起こそうとする途中で、とある出会いがあって、聞いたことも考えたこともないような初めての「考え方」に出会い、目覚め、そしてある人物に対してとある行動を起こすのであるが・・・ なんのこっちゃらそれこそ全然わからないな、これでは。


 要するに「14才越え」の物語である。
 余はいかにして「14才」を越えたか? なんて特集があったら、読んでみたいとも思う。

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