読書の記録

評論・小説・ビジネス書・教養・コミックなどなんでも。書評、感想、分析、ただの思い出話など。ネタバレありもネタバレなしも。

水車小屋のネネ (ネタバレ)

2024年05月10日 | 小説・文芸
水車小屋のネネ (ネタバレ)
 
津村記久子
毎日新聞社出版
 
 
 ソーシャル・キャピタルという言葉がある。
 キャピタル(capital)とは「資産」にほかならないが、ソーシャルキャピタルは、社会的資産で、つまりは人脈のことである。
 普通は「資産」というと、「お金」を想像するが、お金でなくても生存を支える資産はありえる、という思想がここにはある。
 「お金」というものはクレジットの一種だが、クレジット(credit)とは「信用」と訳すがごとくで、「信用」がお金でなくても形成できるのであれば、物事のやりとりや交換の媒介になるものが「信用」できるものであれば必ずしもそれはお金でなくてもよい。クレジット(credit)は、お金(money)でなくても、技術(skill)でも、人脈(Social capital)によって築くことができる
 
 
 この小説はいろいろ人物が登場するが、主人公は誰かと言えば、律という女性になるだろう。初登場では8才であった。律の姉である理佐が、進学するはずだった短大の入学費を実母に使い込みされ、家出(理佐いわく独立)するところから物語ははじまる。実母の再婚相手は胡散臭い男で、律への虐待のおそれを感じた理佐は、律も実家から連れ出した。
 その後もこの実母と再婚相手は、姉妹を連れ戻そうと追いかけてくるがそれは全て相続をめぐる金目当てであり、金の目途ができると姿を現さなくなる。まさに「金の切れ目が縁の切れ目」である。
 
 その後、姉妹はとある山間の町で古いアパートを借りて新生活を開始する。理佐は賄いつきの蕎麦屋で働くが、お金には苦労する。新生活当初は、冷蔵庫も扇風機も暖房も買えなかった。高校を出て就職した律は、農作物をやりくりする地元の商社(農協のことか?)に就職するが高卒故に安い給料に直面する。しかし、大学に進学するだけの準備金はなかった。ヨウムのネネは思い出したように貧窮問答歌をうたう。姉妹だけではない。外国人実習生は低賃金待遇のために職場を脱走し、母子家庭の中学生である研二は役所でもらった給付金を不良にとりあげられそうになる。
 金がないのは首がないのと同じ、と言ったのは西原理恵子である。現代の日本社会においてこれはかなりの真実を突いた言葉であろう。
 
 しかし、律と理佐の姉妹は貧乏に窮した毎日というわけでもなかった。この地の善意という信用経済に支えられていく。アカデミズム風に言えば贈与経済社会、あるいはついでとダメもとで支え合っている社会と言えるかもしれない。姉妹も、この地に流れ込む人々に当然のように親切を施す。それがまたこの地域社会をまわす。主人公である律や、律の姉である理佐をはじめとして、この物語には様々な人物が去来する。多くは肉親への絶望や消耗などの過去を抱えていたが、彼らはさまざまな交換によって互いに支え合って生きていき、希望を見出していく。
 そうして40年間という長い時間が経過する。
 
 主人公である律は、実の母親との決別のシーンで「貧乏でもいいの?」と投げかけられたが、プライスレスな信用社会で40年生きて、幸福な人生を確認した。「自分はおそらく、これまでに出会ったあらゆる人々の良心でできあがっている」。

 幸福とは何か?

 『私は人生をあるがままに受け入れる。人生とは多くの、より多くの幸福を内蔵しているものだ。たいがいの人は幸福の条件をまず考えるが、幸福とは人間が何の条件を設置しないとき、はじめて感じることができるものだ』

 これは20世紀の大ピアニストであったアルトゥール・ルービンシュタインの名言だ。律は幸福を定義せず、信じることをただやっていた。
 
 
 本屋大賞第2位ということだ。第1位の「成瀬は天下をとりにいく」が快活な成瀬あかりという個人への憧憬だとすれば、「水車小屋のネネ」は、静かな社会的つながりへの憧憬だろう。
 推定するにこの物語の舞台は木曽地方の小さな町だ。ここに憧れの桃源郷をみたのは僕だけではあるまい。比較的に長い小説で、そのわりにとくにドラマティックな起伏に富むわけでもないが、ずーっと読んで浸っていたい、そんな小説だった。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする