読書の記録

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成瀬は信じた道をいく (ネタバレ)

2024年02月06日 | 小説・文芸
成瀬は信じた道をいく
 
宮島未奈
新潮社
 
 これは続編出るなと思ったらやっぱり出た。嬉しい。
 
 前作「成瀬は天下を取りにいく」の感想では、「この人変わっているなーと思ったら、その人とは受け止めて仲良くしたほうがよい」ということを書いた。
 これは僕が持っている人生訓のひとつである。
 
 本作にも僕の人生訓に触れたものがあった。
 「審査員特別賞狙い」と「何になりたいかではなく何をやりたいか」だ。
 
 「審査員特別賞狙い」という概念を言語された文章に初めて出会ったのは「生き延びるための作文教室」という本だ。初めて読んだ時、それまで僕がぼんやりと思っていたことが的確に著されていて膝を打った。読書感想文でねらうべき賞は大賞でも参加賞でもなく「審査員特別賞」である、とこの本は説いている。 

 「大賞」をとる作品とは、ある種のオトナの期待に応えたものであることが多い。もちろん他を引き離すぶっとんだものゆえの大賞受賞だってあるが、オトナ、即ち時の権威の予定調和にかなったものが大賞作品には備わっていることのほうが確率論的には多いという肌感がある。そのオトナの期待にどんぴしゃりにこたえることだって大いなる才能だが、ではその「オトナ」なるものが、これからの未来を切り開く上で十二分に参考になり指標になりえる連中かどうかとそれは別問題である。審査員を務めるような人は多かれ少なかれ現世で成功した人だ。しかし、現世で成功する人と次代を切り開く人は必ずしも同じではない。むしろ相反することだってあるに違いない。例の松本人志がM-1グランプリはじめ各種の審査委員長を独占していることの弊害を中田敦彦が訴えたことがあったが、これはあながち見当違いの指摘ではないのである。
 そこで登場するのが「審査員特別賞」だ。一人か二人の審査員に強烈な印象を残す出来具合、これがつまらぬオトナの諸事情に染まらず、かつ自分勝手に堕しているわけでもない、未来の勝ち残りにつながる突破口なのである。この話は読書感想文に限らず、敷衍できる思想なのだ。
 なんてことを僕はずっと思っていた。いま思うと、この価値観を最初に与えてくれたのは、テレビで観ていた「欽ちゃんの仮装大賞」だったような気がする。大学生になっても会社員になってもなんらかの賞とかアワードとかその類のものに参加するはめになったときはいつもそういったなんちゃら賞を狙っていた。

 もちろん、こんなのは大賞なんぞとったことがない僕の負け惜しみバイアスが大量にあってのことだけど、だからそれを言語化した文章に出会ったときは我が意を得たりと思ったのである。
 
 話が長くなった。まさかこの成瀬シリーズで審査員特別賞ネタが出るとは。以下はネタバレである。

 びわ湖大津観光大使になった成瀬あかりは、同じく観光大使になった同僚の篠原かれんと、観光大使ー1グランプリに挑戦する。最初は大賞を狙うべく、減点法に強いというか、みなが期待するイメージ通りの観光大使の立ち振る舞いとしてその完成度を磨き上げようとする。
 だけど色々あって、それは本当に2人がやりたかったものではなかったことに気づく。本番直前で2人は軌道修正して本来彼女らがやりたかったスタイルで審査に挑んだ。成瀬は例の成瀬構文でガイドを行う。篠原に至っては家族にも友人にも封印していた鉄子ネタ、つまりマニアックな鉄道の蘊蓄を審査員やギャラリーの前で解禁する。
 その結果が「審査員特別賞」である。
 
 そう。「何になりたいかではなく何をやりたいか」。前者は「大賞狙い」、後者は「審査員特別賞狙い」の道を拓く。成瀬と篠原は、観光大使ー1グランプリ大賞のホルダーになりたかったのではなく、成瀬構文や鉄子スタイルの観光大使をやりたかったのだ。どちらを狙うのが正しくてどちらかは邪道とか言う話ではもちろんない。どちらにモチベーションを抱くかは人それぞれだろう。ただ、本書を読んで、僕は何をやりたいかを優先させて審査員特別賞を狙っていたなと強く思い出した。それはそんなに悪くない審美眼だったと今にして思う。
 
 
 本書の最終章「探さないでください」の語り手は成瀬の幼なじみである島崎みゆきだ。前作の最終章では、成瀬が事実上の語り手となり、島崎不在による成瀬の不安と混乱が描かれていた。今回はその逆で、その島崎不在のあいだに成瀬が意外にも新しい仲間と新世界を構築しているのを知って、島崎は動揺する。このときの島崎の気持ちがわかる人は多そうだ。
 しかし、やっぱり成瀬にとって島崎は唯一無二の「友達」であった。案外に人は、誰との出会いが今の自分をつくっているか、自分は何でできているか、がよく自覚できているものである。天下を取りに信じた道をいく成瀬も、それをずっと見ていてくれたのが島崎だということは、島崎本人以上にわかっているのだろう。島崎は、成瀬のなりたいものではなく、成瀬のしたいことに常に付き添ってきたのだ。この意味するところを噛みしめたい。
 

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