読書の記録

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RITUAL 人類を幸福に導く「最古の科学」

2024年04月18日 | 民俗学・文化人類学
RITUAL 人類を幸福に導く「最古の科学」
 
著:ディミトリス・クシガラタス 訳:田中恵理香
晶文社
 
 
 儀式や行事というものを軽視している人にとって実に蒙を開かれる内容だった。つまり僕のこと。
 
 文化人類学や民俗学でよく事例としてあげられる異文化の民が行う風習や儀式の中には、身体に苦痛を強いたり、多大な苦労を要求されたり、ありえない経済負担を背負うものもある。本書でも素足で炭火の上を歩く火渡りの儀式とか、四つん這いで山を登る行事などが紹介されている。異文化理解をしようとは思うけれど、何をまあ好き好んで・・と思ってしまう自分もいることは否めない。よそさまの民族や宗教だけではない。寒い中の大行列をものともしない初詣、一度しか着ない高価な振袖に気合をいれる成人式、減ったとはいえ家庭の年間郵便使用費の6割を占める年賀状、価格根拠不明な戒名なんてのは、なんでそこまでして・・という不思議な日本の風習とも言えるだろう。
 それぞれの会社や学校にだって独特の儀式や行事がある。オリジナルの乾杯の形式があるとか、毎年何月何日は創業者をしのんで何かするとか、ユニークな社訓や標語を全員で暗唱するとか。
 
 本書は、このような儀式や行事というものが組織や個人に与える効能を科学的に追及したものである。火渡りの儀式の参加者を心電図やサーモグラフィで追跡するのはなかなか痛快だ。
 
 科学的に追求すると、その儀式が要求するストレスが高ければ高いほど、団結力や浄化作用はむしろ強化されるという興味深い結果を本書は述べている。あえて体を傷つけたり、莫大なお布施を支払ったり、朝から晩までみっちり拘束されたり、ひたすら同じことの繰り返しを要求するような儀式が、結果的に彼らの団結力や心の浄化をより強めるのだ。むしろ、ゆるやかで出入り自由で快適でなにやってもやらなくてもいいような「儀式」なんてものは、もはや「儀式」とは言えないのだ。困難な「型」をやり通してこそ儀式であり、この「型の遂行」に、団結力の強化や心の浄化の鍵がある、ということらしい。
 

 では、なぜ儀式とは「型」の遂行なのか。なぜ「型」を遂行すると精神は浄化するのか。団結力が増すのか。本書の白眉はそこである。
 
 本書の仮説はこうだ。20000年の人類の歴史において明日はどこでどんなことが起こるかはわからない、明日は誰が何を言うかわからない、というのが、人類に染みついたDNAの感受性なのである。
 そして、予測不能・先行き不明な中を過ごすということはひどくストレスを呼び起こす。疑心暗鬼になる。予測不能な動きをする相手は信用しにくい。予測不能な天気は著しく行動を制限する。いつ果てるとも知れぬそんな予測不能な環境で生きることは心身を消耗する。
 そこで、そんな無秩序な日々歳月に、人間はあえての秩序を人工的につくりだし、安寧を得ようとする。生まれて生後何日の危なっかしい赤ん坊は、初七日、お食い初め、お宮参りと区切ってその都度確かめることで順調な生育にあることに安心する。子どもになればひな祭りやこどもの日で区切り、七五三で区切って日々の成長が予定通りであることを見出して安心する。入園式卒園式入学式始業式終業式卒業式と区切りをつくって、いまの位置の安定を確かめる。足元の踏み石がぐらついていないか確認するかのように。そしてここからここまでを子ども、ここから先を大人、と定義してその境目に「成人式」なる儀式を設ける。
 儀式というきわめて予定調和な行為に身を委ねることは、予測不能によって消耗するこの心身を回復させ、不安を防御し、決意を新たにするのである。同じ予定調和のプロセスに参加した仲間はより団結心が強くなる。
 そして、儀式というのはそれが身体の苦役、精神的重圧、経済的負担を強いれば強いるほど、結果的に仲間の団結力を高め、そしてその人の「幸福度」を上げてしまうという効果がある。
 過酷な地ほど儀式のしばりが強く、その儀式の敢行がその地で生きる活力を強くするという本書の指摘はなんとも説得力がある。砂漠や熱帯の地域に戒律に厳しいイスラム教が多いのは一種の必然なのだろう。北朝鮮が型にはまった派手な大規模行事をくりかえさせるのも、それくらいしないと先行き覚束なすぎて人心を統一できないからだろう。
 
 僕は、入社式も社長の訓辞もへんな乾杯の音頭もキライで、型通りのことをトレースして悦になってる儀式や行事なんて最低限の最小限でいいと思っている乾燥人間だったのだが、自分がそうだからと言って他人が同じとは限らない。家族や同僚をして、僕のことを物足りない、あるいは離反のリスクがあるのかもしれない、などと本書を読んでちょっと思った次第である。
 

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