読書の記録

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ビジネス戦略から読む美術史

2021年07月05日 | 芸術
ビジネス戦略から読む美術史
 
西岡文彦
新潮社
 
 
 西岡文彦の著書は久しぶりな気がする。
 
 著者の現在のキャリアは多摩美大の教授だけど、そのスタートは、徒弟制度の下で版画を学んでいたという異色種である。その後、松岡正剛率いる工作舎のメンバーに入って頭角を現した。1990年代前後と著書である「ジャパネスクの見方」とか「デザインの読み方」とかはユニークながらもわかりやすくて大変に興味深い内容で、当時の僕はずいぶん影響を受けた。他にも「編集の学校」とか「図解発想法」など、美術以外の分野でも本を出していた。今はもう美術関係の本をたまに出すだけになったが、彼の著作はおそらく100%おさえているつもりの僕の見立てでは、彼の本質は芸術論というよりは、編集術とか情報伝達技法のようなところにあるのではないかと思う。いったん美術を離れてこのレイヤーで何か新しい著作を手掛けてくれないかなどとずっと思っていた。
 
 そんな中で、久々の新著である「ビジネス戦略から読む美術史」は、彼らしい仕掛けの本であった。「インスタ映え」「リモートワーク」「クラウドファンディング」「インフルエンサー」といった現代用語を当時の美術事情に敷衍する形であてはめていくところはちょっとあざとすぎやしないかとも感じたが、新書で出しているあたりも含めて一般ウケを意識してのことなのだろうか。
 本書のポイントは、美術における地政学とでもいうか、画家の作品やその評価というものを、考える際に、画家の芸術性や主観的センスと同じくらいの影響因子として、当時の社会世相、技術動向、経済状況がある、という着眼点である。彼のこのスタンスは今に始まったことではなくて、出世作である90年代著作の「絵画の読み方」でも既に触れていた。このときは印象派の台頭にチューブ入り絵具の開発が欠かせなかったことを指摘している。
 
 本書でも、油絵具や布地キャンパスの開発といったものが、ルネサンス期の美術に影響を与えたこと(ダヴィンチが意外にもその流れに乗り損ねていること)などに触れている。テクノロジーとしての絵画論である。
 一方で、より強い歴史的視点として、宗教改革によるローマ法王の権威の失墜や、フランスの王制樹立や市民革命による人びとの価値観の変容、それ以上に影響を与えたパトロンの交代や顧客の交代によって、書かれる絵のニーズが変わっていったことを指摘している。こちらはマーケットニーズとしての絵画論である。
 
 つまり、「技術」×「マーケットニーズ」の絵画論である。必要は発明の母というが、それで言うならばテクノロジーは父であろうか。絵画作品にも父母がいて、必要(マーケットニーズ)としての母、テクノロジーとしての父があってこそ、子であるアーティストの美意識や技術もその範疇で活かされることになる。
 
 
 著者は、この「マーケットニーズ」×「テクノロジー」の背景をどう追い風にするかを「戦略」と称している。美術に限らず、「マーケットニーズ」と「テクノロジー」の父母こそは、たしかにビジネス戦略の根幹であろう。
 
 ところで。「マーケットニーズ」と「テクノロジー」は相反しやすい。よく言われることとして、AppleのiPhoneはマーケットニーズなんかなくて、完全にテクノロジー主導でこの世に登場し、爆発的な創発によって市場をつくりあげた。だから技術は既にマーケットに先行する。とはいえ、実はあの手のものは決してiphoneが史上初なわけでもなかったのである。サプライチェーンを巻き込んで究極に洗練させたのがiphoneなのである。そういう意味ではジョブズはやはり天才的な目でマーケットニーズ(人は何に欲望するか)を読んでいたようにも思う。かつてのソニー成功譚の代名詞ウォークマンも技術先行で開発されたとして有名だが、社内の技術者が似たようなガシェットを自前でつくって楽しんでいるのを当時の井深会長が目撃してピンときたとされている。そういう意味では「ニーズをもった人物」を彼は見たのである。
 
 であれば、母である「マーケットニーズ」と父である「テクノロジー」があったとして、蛙の子は蛙となるかトンビが鷹を生むとなるのかはやはりアーティスト本人の才覚が重要になるだろう。彼をしてなぜダ・ヴィンチがダ・ヴィンチになりえたのか、フェルメールがフェルメールになりえたのか。いかにしてナポレオンは美術のプレゼンテーション力に気づいたのか。いかにしてデュラン・リュエルは印象派の売り出し方を編み出したのか。そのあたりも是非掘り下げてもらいたいところである。著者のことだから絶対に「天才だから」では済まさず、そこになんらかの因果を見出すはずである。

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