読書の記録

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アーティストのためのハンドブック 制作につきまとう不安との付き合い方

2019年03月12日 | 芸術

アーティストのためのハンドブック 制作につきまとう不安との付き合い方

デイヴィッド・ベイルズ テッド・オーランド 訳:野崎武夫
フィルムアート社


 この本はアーティストの自己啓発書とでもいうべきものである。アーティストーー画家であれ、音楽家であれ、写真家であれ、パフォーマーであれ、その他ジャンルによらない何であれ、芸術家を自称する人が幸福に生きるための心構えを説いている。”幸福”というのがポイントで、”社会的成功”するための指南書ではない。

 つまり、金銭的成功や社会的名声はあくまで”場合によっては最終的に副産物としてついてくる”ものであり、そんなものとは縁がないままに一生を終わるアーティストは多い。本人の死後に名声を得る例も多いが、生前も死後も無名のままにおわるアーティストはもっと多い。

 さらにもっと多いのは、芽が出ず、社会的な評価もされず、無視され続けた結果、アート活動を辞めてしまうという場合だろう。アート活動を辞めてしまった人はもはやアーティストではない。(本書でも出てくるが、社会的に猛烈な批判を浴びるアーティストは、黙殺されるよりもはるかに「アート」している)。

 本書は、そんな挫折感に苛まされそうなアーティスト、それに怯えるアーティストのための本と言えよう。金銭的成功や社会的名声にたどり着くよりもずっとずっと手前のところの心構え。つまり「アーティストでい続ける」ための本である。

 

 そのココロは、究極的には「自分の制作プロセスを信じ、とにかく取り組み続ける」ということに尽きる。

 アートというのは制作物そのものだけれど、それをアート足らしめているのは制作の過程(プロセス)そのものにある。したがって制作の過程にウソがない限り、制作物はアートだし、制作の担い手はアーティストなのだ。なにやら禅問答のようだけれど、本書の強調はほとんどこれである。それもひとつの作品の制作過程に限らない。ひとつの作品すなわち制作物は次につくる制作物の礎になり、次につくる制作物はそのまた次につくる制作物の糧になる。あのときの失敗作はつぎの作品に経験値として取り込まれ、若いころに次々と場当たり的に手を出した技法は将来においてなんらかのかたちで収斂し、本人さえ気づかないところでカタチに現れていたりする。制作のプロセスに無駄な回り道も余計な寄り道もない。だから大事なのは途中で挫折したり諦めたりせず、作品を制作し続けるということなのである。

 

 そして、そのとき制作している作品というのは、決して理想的なゴール像が掲げてあってそこをめがけて逆算して制作プロセスを算段して着手するーーつまりビルを建てる工程表とプロジェクトマネジメントのようなものでもない。なんとなくあいまいなままの見切り発車、成り行き任せなのである。つくっている最中にいろいろ思い至ることがあったり、考えを変えたりすることもある。どこがゴールなのかもわからない。むしろアートに「完成」や「完璧」はない。そのプロセス自体がアートなのだ。アートとはプロセスなのである。とにかく中断せずに手を動かし、ひたすらその中で手探りしながら次に進む。どうしてもその作品が前に進まなくなったら、また新しい次の作品に挑む。

 しかし、そんな見切り発車で本当にいいのか。いいのである。そのとき、自分が何の衝動や誘惑に駆られて着手したのか。ここにウソがなければよい。

 

 その誘惑の誘い手は何か。「ウソ」のない着手とは何か。

 それはアーティスト本人がかかえるところの社会性、時代性ということと、アーティスト本人が固有に抱える感受性とでもいったことになる。こう書くとなんだかよくわからないが、自分のよく知らないことはアートにできないということだ。自分の知らない社会、時代、あるいは誰にでも通用しそうな普遍的な美をモチーフにしたところで、理屈っぽくなったり頭でっかちになったり借り物のままになったりしたままであり、そんな制作はけっきょく長続きしないということだ。長続きしなければプロセスが続行できないから、アーティストを続けられない。アーティストを続けるためには何がなくとも「自分がよく知っていること」「自分がよく感じること」をモチーフにし、方法論にしていく(これが転じて習慣となり、さらには芸風となる)ということなのである。

 自分がよく知っていること、よく感じることを信じて、ひたすら作品を作り続ける。これがアーティストでい続けられるための秘訣なのだ。

 

 ところで僕はアーティストであったことはこの人生で一度もない。普通の大学を出て普通の企業でデスクワークをする会社員である。業務においてデザインとかクリエーティブとかいうものとかにもほとんど縁がない。

 そんな会社員にとって本書は敷衍できる本かというと、それもけっこう微妙である。この本はやっぱりアーティストのための本だと思う。僕がこの本を手にしたのはどちらかというと厚顔無恥、傲岸不遜なアーティストかぶれの人間に最近手を焼くことが多く、彼らのインサイトを得ようと思ったからなのだが、彼らのコンプレックスを垣間見たようには思う。本書はアーティストに広く支持された本なのだそうである。

 

 それにしても翻訳が生硬というか、英語の教科書の直訳みたいで頭に入りにくいのが弱点。訳者のあとがきにはスタバで90分で読める本と書いてあるがそれは無茶である。



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