読書の記録

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風姿花伝

2013年05月07日 | 芸術

風姿花伝

世阿弥

 

思うことあって、「風姿花伝」を読む。

「風姿花伝」は、本来は「能楽」の指南書であるが、能楽に限らず、広く芸術美学において、あるいは人生訓ともいうべきものの普遍性を示すものとして尊重されている古典である。

そのもっとも有名なところは「秘すれば花なり。秘せずは花なるべからず」であるが、このたび改めて読み返したのは「年来稽古条々」の箇所である。

 

「年来稽古条々」は、年齢ごとの心得で、こんなことが書いてある。

 

1)能楽の稽古は7才からはじめるとよい。このころは、変に型や作法にしばられず、何でも当人が気に入っている部分をやりたいように、好きにさせるがよい。いちいち「良い」「悪い」と指導してはならない。

2)12、3才になると、いろいろ演目を教えていってよい。このころは見た目も愛らしいし、歌声もかわいいし、なかなか魅力的に見える。ただ、所詮子どもなので手のこんだものや本格的なものは逆に不釣り合いなので、簡単にできる芸のほうがより子どもならではの魅力を発揮できる。ただし、この時期の魅力は所詮「時分の花」に助けられた、その時限りの魅力であり、これを本来の能力と思ってはならない。

3)17、8才は、苦悩の時期になる。子どもらしさがとれてかつてのような愛嬌が通用しなくなるし、かといって一人前の大人ほど芸がこなれているわけでもない。つまり、今まで通りのやり方が通用しなくなって壁にぶちあたる。この時期の稽古は、ひたすら、人さまに笑われようともそんなことは気にせずに、粛々と稽古をし、意志を強く持つしかない。

4)24、5才は、最初に成功する年齢である。この時期は声もよく、姿勢もよく、若いエネルギーが切れ味よく発揮できて、しばしば年配ベテランの役者を打ち負かす。ただし、これもまた「時分の花」である。いわばちょうど勢いに乗ったところで、観客も新鮮を感じるという好条件がそろいやすい時分なのである。実はここで自分の才能を過大評価してしまったり、独善的になったりしやすい。たとえ周囲が賞賛し、年配の名役者に勝ったとしても、これは一時期的なマジックであって、稽古はなおいっそう精進しなければならない。

5)34、5才が絶頂期である。ちゃんと稽古をしていけば、きっと天下に認められて、名声をはくしているはずである。もしもこの時期に人気や名声がいまひとつであれば、才能がないと見切るべきである。というのはこれから40代以降になると原則的に芸は下がっていくからである。この時期にいわゆる「まことの花」を咲かせていなければ、この後、天下に認められることは非常にむつかしい。

6)44、5才になると、名声を博し、芸の奥義を身に着けていたとしても、すぐれた控えの役者をそばに置いておいたほうがよい。なぜなら、芸は下がらなくても、次第に年齢が高くなることから姿の魅力、観客のもてはやしも失せていく。この年あたりからはあまり手の込んだ能をしてはならず、年齢相応の能を、らくらくと無理なく、二番手の役者に多くの演目をゆずり、自分は控え目に出演するのがよい。この年頃までなくならない芸があったら、それこそが「まことの花」になっていくはずである。

7)50才以上は、なにもしないのが一番よい。「麒麟も老いては駄馬に劣る」ともいう。しかし、本当に奥義に達した名人ならば、できる演目はほとんどなくなっても、わずかに残る芸の中に、魅力がみえるはずである。これこそ「まことの花」なのである。

 

いかがだろうか。

僕がこれをもういちど読み返したのは、会社で人事マネジメントのプロジェクトにかかわったからである。そこで、あらためて会社の新人、若手、中堅、先輩の人を眺めながら、或いは自分のこれまでをふりかえりながら、いろいろ気づくことがあったからである。

それはいちいち、上の「風姿花伝 年来稽古条々」の通りだなあと思ったからだ。

 

僕は途中で転職しているのでそのままの条件にはならないが、社会人になってから通しで考えてみると、社会人8、9年目くらいに非常に勢いにのったことがある。難しい案件の仕事をとってきたり、大きなライバル会社に競り勝ったこともある。だけど、そのあと非常に伸び悩んでしまった。

やがてそのうち、いくつか自分ならではの領域というか方法みたいなのをなんとかみつけて、ほぼそれを踏襲しながら山あり谷ありで今に至っているという感じだ。

 

改めて、会社を見渡すと、このパターン多いなと思うのだ。

新人というのはきわめてどんくさいわけだが、たしかにかわいがられるし、ある部分的な領域を試しに任せてみると、何回に一回かは意外にいいものをつくってきたりする。そうやって新人は育っていく。このへんは上の(1)に相当する。

やがて、小さな仕事、あるいは失敗してもあまり損がない仕事だと任せてみたりする。まわりもフォローしたりするから、あてがった仕事が彼の力量にあった適切なものであれば、ちゃんと成果もだす。これが(2)だ。

ところが、所詮それはまだまだ守られた中での活躍であり、ちょっと支援経路が途切れたり、変化球になる、つまり実際の仕事では非常によくある局面になるとまだまだ未熟さが露呈され、壁にぶちあたってしまうのである。ここで転職したり、配置換えを希望する人も多い。僕もここで転職してしまった。これが(3)である。

さて、「年来稽古条々」の白眉は実は(4)の指摘だと思うのだが、やがて10年目前後あたりの社員で若手ホープとなって注目されるような人が出てくる。が、ここの過ごし方いかんでその後の命運が決まってくるななどと、今や社会人◯◯年目の自分はかえりみる。最新のトレンドをつかむアンテナやリテラシー、徹夜作業をものともしない体力、探求心や怖いもの知らずな面もここではよく働いて最大加速化される。

思うに僕の好調期もこれだったんだろうなあ、と思う。「時分の花」だったのだ。

僕自身はその後、なんとなく失速し、最新テクノロジーの知見に遅れをとったり、徹夜作業がきつくなったり、プライベートで守るものが増えたりしながら、一進一退でようやく「この領域はオマエの仕事だ。」などと言われるものを「小さな花」として見つけながら、もしくはおしつけられながら、一方で後輩や部下の育成にミッションがわりあてられるようになっていって、けっきょく幅広い芸の「花」はつけられずに(5)を過ぎてしまい、小さな花のまま管理職として(6)をむかえてしまったようにも思う。

ただ、仕事のできる人は、(5)あたりに相当する40代くらいの代貸しあたりで絶好調となって売れっ子となる。守備範囲の広さと、それなのに奇妙に自分のものにしてしまうすべみたいなのが(5)ができている人にはあるが、こういう人は(4)の段階で、独善に陥らず、問題意識を持って、広く人の意見や世の中の状況を観察してきた人だった。

 

だから、スキルアップという点では、まずは(4)の状況までいかにもっていき、そして(4)を体験させながら、この時期をいかにすごすかが、重要ということになる。ここをうまく通過すれば、会社にとって有能な人材であり、資産ともいえる(5)がやってくる。(5)のあとは、管理職の(6)となって、後継をつくっていく。

で、(4)の状態にもっていくには、(3)の経験が不可欠だし、(3)に至るには、(2)が必要であり、(2)の手前には(1)がなくてはならない。けっきょくこういったプロセスにどうのせていくかが人事マネジメントとしての要諦なんだろうな、と思う。

 

 


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