読書の記録

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ドビュッシーはワインを美味にするか?  音楽の心理学

2019年03月03日 | 芸術

ドビュッシーはワインを美味にするか?  音楽の心理学

ジョン・パウエル 訳:濱野大道
早川書房


 ずいぶん以前だが、モーツァルトを聴くとアタマがよくなるという都市伝説が出回った。

 それで胎教とか、勉強のBGMとかでモーツァルトがやたらに担ぎ出された。

 

 本書によるとべつにモーツァルトでなくてもよいそうである。

 つまり、自分の気分があがるものならば他の作曲家でもよいし、ロックやポップスでもよい。それどころか落語や朗読でもよいということだ。

 ただ、脳生理学的には、作業効率を高める、つまり脳みそがそれなりにやる気と集中力を出す分泌物を輩出するには「長調の音階を持っていて高めのピッチのメロディ」であることと、「比較的はやい速度のメロディ」があるとよいらしい。前者は気分を前向きにし、後者はアッパーとでも言おうか覚醒の効果がある。

 確かにモーツァルトにはこの両者の条件がそろっている曲が多い。しかしそうでない曲もあるので(有名な交響曲40番や「レクイエム」など)、モーツァルトならばすべて作業効率がよくなるわけでもない。

 そもそも西洋音楽の音階であるドレミファソラシド(平均律)になじんでいない人だと妙に聞こえてしまって落ち着かないだろう(民俗音楽や古楽にはドレミファソラシドとピッチが異なるものもある)。平安時代の日本人にモーツァルトを聴かせてもけったいな音の戯れ以外の何物でもなかっただろう。

 

 いずれにせよ、大方のヒトは音楽が好きである。もちろん個人の好きレベルは様々であり、さして興味のない人も多いに違いないが、人間というものは生理学的には音楽に心地よさをもつベースがあるらしい。それは世界中のどの民族にも音楽らしきものがあるし、古代の遺跡や遺物からも楽器らしきものが発見されるからだ。本書はダーウィンの進化論を引用しており、「特定の活動が非常に古くから広く普及しているとすれば、その活動が種の生存にとって役立つものだったから」という観点から音楽は人類の生存に好ましい影響を与えたものだったにちがいないと推測する。

 気分の覚醒だけでなく、ストレス解消とか、仲間内の団結力の向上とか、音楽にはさまざまな力がある。音楽を構成するメロディ、リズム、ハーモニーにその力が隠されていることを本書は説いているがたぶん因果関係は逆で、古代の人類社会には、気分を高めたり落ち着かせたりする必要が先にあって、音をつかってそれを行うことでメロディ、リズム、ハーモニーにあたるものが徐々に方法として確立していったということなのだろう。

 結果として音楽をたしなむ人は人間社会の機敏に敏感になるとも言える。また、そういう繊細な人がいい音楽をやるというのも納得しやすい。本書によれば音楽の訓練を受けた人は、受けていない人よりも「他者が表現する感情の機敏をみきわめるのがほかの人よりもやや得意」「言語能力のテストにおける成績がいい」「語彙を覚えるスピードが速い」「視空間能力に優れている」のだそうである。

 

 なお、今も昔も日本はピアノを習う子どもが多い。その上達はまちまちである。楽器の演奏や上達には人によって「才能」の差があるかないか。本書の研究結果によると”ほんの一部の天才”を除けばさして差はないとのことである。上達はすなわち「練習時間」に比例する。もし、才能やセンスというものが関係あるとすればどうやらここがポイントらしく、”長時間の練習に耐えるセンス、集中力”こそが才能の正体ということである。楽器演奏に限らず、すべてに通用しそうな話だ。

 また、かなりの腕前に上達した人に共通するのは「初めについた先生はとにかく楽しくフレンドリー」「次についた先生は厳しくとも技術を会得させるスキルがある人」なのだそうである。ここらあたりも習い事全般、あるいは学業全般、新入社員の教育なんかも含めてなんだか納得するものがある。



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