今日も晴天。でもなぜか私の心は晴れず鬱が続いている
今朝目が覚めた時、師のゲリーの夢を見たのをはっきりと覚えていた
私は特別に寵愛されていて、彼は私に頬をあて、私の悲しみを癒そうとしていた
泰三さんの49日の前日、ゲリーに会うことができた時に
ゲリーは私に近づき、愛を示してくれていた
それで夢の中のゲリーは何か探している人がいるんだろう?と言って
見つけてあげるから、その人の名前を教えて・・・と言った
日本の地図を広げ、何箇所も赤い紙で印をつけた
ゲリーには泰三さんに会いたいと心の中で言っていた
日本では今日は15日。泰三さんの月命日にあたる
携帯が時間ぴったりに光るのは知っていたが、不思議なことが起きていた
11:11
3:33という時間に光って消える
こんなことは有り得ない
見るとぞろ目
まるでこの時間を見なさいと言っているかのようだった
ゲリーが言っていた
「宇宙のすべては数で出来上がっている」
それから夢で666666・・・・
何で6なのかは分からないけれど、フランスに来た次の日にこの数字の夢を見ている
キリストを信じる人たちの間では6は悪魔の数といわれているが
宇宙の摂理の6は一体どういう意味なのかを見てみた
私は既存のデーターを読むのは好きではない
独自の直接の宇宙からの情報を下ろしたいのだ
6は繋がり、人間を意味する
調和、バランス、協調・・・・・・・
沢山ヴィジョンが出てきたので、ここで止める
私にどんな風に下りるかというと
映像と色、音、匂い、幾何学で見える
これを言葉に変換するのが難しい時があるので、イメージで説明することになるのだ
宇宙の謎解きをするのは、既存のデーターよりも、
自ら受け取る方がダントツに面白い
泰三さんが生きていたら、こんな話で盛り上がっただろう
彼は天才だったから、彼がいると私の直感もヴィジョンも
冴えるのだ
二人が一緒にいることは、お互いの能力を無限に引き出すことに等しい
ソウルメイトとは一人の力が無限になり、お互いがお互いを呼びあうことになる
よりパワーアップ、というより自らの光が増すのだ
14日、パリで一番高い丘、モンマルトルに行ってきた
「モンマルトルは、長い間、パリから独立した村だった。
モンマルトルの名は、『Mont des Martyrs(殉教者の丘)』が由来である。
紀元272年ごろ、この丘の付近で、後にフランスの守護聖人となったパリ最初の司教聖デニス(サン・ドニ)bと
二人の司祭ラスティークとエルテールの3人が首をはねられて殉教したと伝えられている。
ヤコブス・デ・ウォラギネの「黄金伝説」によれば、首をはねられたサン・ドニは、
自らの首をかかえながら北のほうに数キロ歩き、息絶えたという。
その場所がサン=ドニのサン=ドニ大聖堂になったとされる。
安いアパートやアトリエ、スケッチのできる屋外風景を求める画家達が後に続き、
19世紀末の世紀末芸術の時代にはモンマルトルは芸術家の集まる街へと変貌した。」ウィキペデア抜粋
あちこちで画家が絵を売っていたり、絵を描いたりしていた
さすが芸術の街
サクレ・クール寺院 はすごかった
ずっと座っていたい気持ちにさせられた
修道女がいてここを守っているのだろう
明日は泰三さんの月命日なので、モンサンミッシェルへ行く予定
ここは彼がとても懐かしく感じる場所だと思う
モンサンミッシェルは、もともとモン・トンブ(墓の山)と呼ばれ先住民のケルト人が信仰する聖地
アヴランシュ司教オベールが夢のなかで大天使ミカエルから
「この岩山に聖堂を建てよ」とのお告げを受けたが、悪魔の悪戯だと思い信じなかった。
再び同じ夢を見たが、また信じなかった。
ついに3度目には大天使はしびれを切らし、
今度はオベールの額に指を触れて強く命じたところ、
オベールは稲妻が脳天を走る夢を見た。
翌朝、オベールは自分の頭に手を置くと脳天に穴が開いていることに気づいて愕然とし、
ここに至って大天使ミカエルのお告げが本物であると確信してここに礼拝堂を作ったのが始まりである
フランス革命時に修道院は廃止され1863年まで国の監獄として使用され、
その後荒廃していたが、ヴィクトル・ユゴーの紹介がナポレオン3世を動かし、
1865年に再び修道院として復元され、ミサが行われるようになった。
ウィキペディア参照
泰三さんは過去生、修道士だった
彼をどうしてもこの地に連れていかねばならない
遺骨を持ち、彼と共に早朝出る
夕方から夜になるのを待って、パリの私の大好きな場所あたりを歩いた
夜の20時半にようやく暗くなり始める
19時はまだ明るすぎる
美しいライトアップされたパリ
長い時間、このライトアップのパリの街を見るために
公園で待っていた
パリに来て不思議なのはグラーチェと言われることだ
それは私をイタリア人に間違えているということなのだ
面白い
セーヌ川では船が乗客を乗せて行き来している
バラの花束を持って、うろつき公園で売る人
ビールや飲み物を売る人
あちこちでミュージックが流れている
ざわついた人波の中で私は目を閉じていた
風の流れだけが私の身体の中をかけていった
今朝目が覚めた時、師のゲリーの夢を見たのをはっきりと覚えていた
私は特別に寵愛されていて、彼は私に頬をあて、私の悲しみを癒そうとしていた
泰三さんの49日の前日、ゲリーに会うことができた時に
ゲリーは私に近づき、愛を示してくれていた
それで夢の中のゲリーは何か探している人がいるんだろう?と言って
見つけてあげるから、その人の名前を教えて・・・と言った
日本の地図を広げ、何箇所も赤い紙で印をつけた
ゲリーには泰三さんに会いたいと心の中で言っていた
日本では今日は15日。泰三さんの月命日にあたる
携帯が時間ぴったりに光るのは知っていたが、不思議なことが起きていた
11:11
3:33という時間に光って消える
こんなことは有り得ない
見るとぞろ目
まるでこの時間を見なさいと言っているかのようだった
ゲリーが言っていた
「宇宙のすべては数で出来上がっている」
それから夢で666666・・・・
何で6なのかは分からないけれど、フランスに来た次の日にこの数字の夢を見ている
キリストを信じる人たちの間では6は悪魔の数といわれているが
宇宙の摂理の6は一体どういう意味なのかを見てみた
私は既存のデーターを読むのは好きではない
独自の直接の宇宙からの情報を下ろしたいのだ
6は繋がり、人間を意味する
調和、バランス、協調・・・・・・・
沢山ヴィジョンが出てきたので、ここで止める
私にどんな風に下りるかというと
映像と色、音、匂い、幾何学で見える
これを言葉に変換するのが難しい時があるので、イメージで説明することになるのだ
宇宙の謎解きをするのは、既存のデーターよりも、
自ら受け取る方がダントツに面白い
泰三さんが生きていたら、こんな話で盛り上がっただろう
彼は天才だったから、彼がいると私の直感もヴィジョンも
冴えるのだ
二人が一緒にいることは、お互いの能力を無限に引き出すことに等しい
ソウルメイトとは一人の力が無限になり、お互いがお互いを呼びあうことになる
よりパワーアップ、というより自らの光が増すのだ
14日、パリで一番高い丘、モンマルトルに行ってきた
「モンマルトルは、長い間、パリから独立した村だった。
モンマルトルの名は、『Mont des Martyrs(殉教者の丘)』が由来である。
紀元272年ごろ、この丘の付近で、後にフランスの守護聖人となったパリ最初の司教聖デニス(サン・ドニ)bと
二人の司祭ラスティークとエルテールの3人が首をはねられて殉教したと伝えられている。
ヤコブス・デ・ウォラギネの「黄金伝説」によれば、首をはねられたサン・ドニは、
自らの首をかかえながら北のほうに数キロ歩き、息絶えたという。
その場所がサン=ドニのサン=ドニ大聖堂になったとされる。
安いアパートやアトリエ、スケッチのできる屋外風景を求める画家達が後に続き、
19世紀末の世紀末芸術の時代にはモンマルトルは芸術家の集まる街へと変貌した。」ウィキペデア抜粋
あちこちで画家が絵を売っていたり、絵を描いたりしていた
さすが芸術の街
サクレ・クール寺院 はすごかった
ずっと座っていたい気持ちにさせられた
修道女がいてここを守っているのだろう
明日は泰三さんの月命日なので、モンサンミッシェルへ行く予定
ここは彼がとても懐かしく感じる場所だと思う
モンサンミッシェルは、もともとモン・トンブ(墓の山)と呼ばれ先住民のケルト人が信仰する聖地
アヴランシュ司教オベールが夢のなかで大天使ミカエルから
「この岩山に聖堂を建てよ」とのお告げを受けたが、悪魔の悪戯だと思い信じなかった。
再び同じ夢を見たが、また信じなかった。
ついに3度目には大天使はしびれを切らし、
今度はオベールの額に指を触れて強く命じたところ、
オベールは稲妻が脳天を走る夢を見た。
翌朝、オベールは自分の頭に手を置くと脳天に穴が開いていることに気づいて愕然とし、
ここに至って大天使ミカエルのお告げが本物であると確信してここに礼拝堂を作ったのが始まりである
フランス革命時に修道院は廃止され1863年まで国の監獄として使用され、
その後荒廃していたが、ヴィクトル・ユゴーの紹介がナポレオン3世を動かし、
1865年に再び修道院として復元され、ミサが行われるようになった。
ウィキペディア参照
泰三さんは過去生、修道士だった
彼をどうしてもこの地に連れていかねばならない
遺骨を持ち、彼と共に早朝出る
夕方から夜になるのを待って、パリの私の大好きな場所あたりを歩いた
夜の20時半にようやく暗くなり始める
19時はまだ明るすぎる
美しいライトアップされたパリ
長い時間、このライトアップのパリの街を見るために
公園で待っていた
パリに来て不思議なのはグラーチェと言われることだ
それは私をイタリア人に間違えているということなのだ
面白い
セーヌ川では船が乗客を乗せて行き来している
バラの花束を持って、うろつき公園で売る人
ビールや飲み物を売る人
あちこちでミュージックが流れている
ざわついた人波の中で私は目を閉じていた
風の流れだけが私の身体の中をかけていった