泰三さんは映画が好きで、毎日幾つもの映画を見ていた
彼が好きだった映画は幾つかあるが、フランスで眠れない時に、泰三さんのように映画を見ようと
日本から映画をパソコンに入れて持ってきた
これは泰三さんと一緒になって、
泰三さんの映画リストに入ったもの
昨日はなぜか眠れず、映画をみていた
インビクタス/負けざる者
この映画の前に、マンデラの27年間の獄中生活の映画『マンデラの名もなき看守』を見ていたので
ぴったりのタイミングで見ることになった
獄中から出て、大統領になって民族和解、アパルトヘイト問題に取り組む様や、国を思う彼の人生をかけた生き方が
この映画に出ている
この映画では、リーダーシップの価値観とは何なのかをマンデラが若者(ラグビーのキャプテン)に問いかけながら
インスピレーションを与えていく場面がある
「我々は創造性が必要です。国をうまく築くためには、我々みんな 自身の予想を上回らなければ」
そこでインスピレーションを得た若者は、自らの枠を超え絶対無理だと思われるワールドカップ優勝に向けて自らを変化させていく
人を尊重すること、敬意を払うこと、国のため、人々のために命さえも捧げる生き方に
心を打たれた
リーダーシップとは、自らの人生を模範として見せること
簡単に言葉では綴れるが、命を捧げるということがどういうことなのか?
27年間も獄中で、どうしてそんなことができようか・・・・
マンデラの南アフリカ共和国での愛称はマディバ
マディバとは彼の先祖が誰かを象徴する氏族名であり、部族社会の影響が残る南アフリカでは単なる愛称ではなく、尊称に近いもの
いつの時代にも、本当に生きることとはどういうことなのかを
教えてくれた師がいるものだ
師の傍にいくだけで、インスピレーションを与えられ、自らが目覚める
彼らはただ・・・自分自身であり続け、痛みも悲しみも怒りも持ち、迷う人間なのだ
人間であり続けながら、自らの魂に従う
師と共に存在し、そこにいるだけで自らに目覚める
私たちはただ、見て、聞いて、触れて、味わうだけで
彼らが発する生命のエッセンスを受け取る
泰三さんもそんな一人だった
彼はいつでも彼自身であり、まことに人間らしく
迷い、怖がり、痛みを持ち、そして自分の内なる声に従って生きていた
彼といることは、私自身であり続けることであり
彼と私はいつでもダンスを踊っていた
喧嘩をする時も、共に歌う時も、ワークをする時も
私たちはすべての存在と共に踊っていた
彼の温もりが懐かしい
この頃、毎日のように泰三さんが夢に出てくる
私にインスピレーションを与えているのが分かる
執筆はなかなか進まない
でも方向は見える
ただひたすらインスピレーションが下り、書きたくなるのを待つことにしよう
これは泰三さんの携帯で知らない間に撮っていてくれた画像
結婚式の後、救急車で運ばれたとき、泰三さん、心配そうにベッドの横にいてくれた
なんだかとても古い写真
初めてのプリクラ(笑)
泰三さんが愛おしい
泰三さんに会いたい
彼が好きだった映画は幾つかあるが、フランスで眠れない時に、泰三さんのように映画を見ようと
日本から映画をパソコンに入れて持ってきた
これは泰三さんと一緒になって、
泰三さんの映画リストに入ったもの
昨日はなぜか眠れず、映画をみていた
インビクタス/負けざる者
この映画の前に、マンデラの27年間の獄中生活の映画『マンデラの名もなき看守』を見ていたので
ぴったりのタイミングで見ることになった
獄中から出て、大統領になって民族和解、アパルトヘイト問題に取り組む様や、国を思う彼の人生をかけた生き方が
この映画に出ている
この映画では、リーダーシップの価値観とは何なのかをマンデラが若者(ラグビーのキャプテン)に問いかけながら
インスピレーションを与えていく場面がある
「我々は創造性が必要です。国をうまく築くためには、我々みんな 自身の予想を上回らなければ」
そこでインスピレーションを得た若者は、自らの枠を超え絶対無理だと思われるワールドカップ優勝に向けて自らを変化させていく
人を尊重すること、敬意を払うこと、国のため、人々のために命さえも捧げる生き方に
心を打たれた
リーダーシップとは、自らの人生を模範として見せること
簡単に言葉では綴れるが、命を捧げるということがどういうことなのか?
27年間も獄中で、どうしてそんなことができようか・・・・
マンデラの南アフリカ共和国での愛称はマディバ
マディバとは彼の先祖が誰かを象徴する氏族名であり、部族社会の影響が残る南アフリカでは単なる愛称ではなく、尊称に近いもの
いつの時代にも、本当に生きることとはどういうことなのかを
教えてくれた師がいるものだ
師の傍にいくだけで、インスピレーションを与えられ、自らが目覚める
彼らはただ・・・自分自身であり続け、痛みも悲しみも怒りも持ち、迷う人間なのだ
人間であり続けながら、自らの魂に従う
師と共に存在し、そこにいるだけで自らに目覚める
私たちはただ、見て、聞いて、触れて、味わうだけで
彼らが発する生命のエッセンスを受け取る
泰三さんもそんな一人だった
彼はいつでも彼自身であり、まことに人間らしく
迷い、怖がり、痛みを持ち、そして自分の内なる声に従って生きていた
彼といることは、私自身であり続けることであり
彼と私はいつでもダンスを踊っていた
喧嘩をする時も、共に歌う時も、ワークをする時も
私たちはすべての存在と共に踊っていた
彼の温もりが懐かしい
この頃、毎日のように泰三さんが夢に出てくる
私にインスピレーションを与えているのが分かる
執筆はなかなか進まない
でも方向は見える
ただひたすらインスピレーションが下り、書きたくなるのを待つことにしよう
これは泰三さんの携帯で知らない間に撮っていてくれた画像
結婚式の後、救急車で運ばれたとき、泰三さん、心配そうにベッドの横にいてくれた
なんだかとても古い写真
初めてのプリクラ(笑)
泰三さんが愛おしい
泰三さんに会いたい