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「萌え」に萌えてる人に萌え~

2007-03-01 02:17:00 | Weblog
ゼスト納車&初乗り感想記をまとめました
アップしたらまたホームページ容量を使い切ってしまったので引越し作業をします。今のところ2004年分ツーリングレポートがリンク切れです。

さて「萌え」について(※1)。
先の記事にも書いた「きしめん」は、昔のエロゲーのオープニング動画なのだそうです(リンク先の動画は露出描写無いのでご安心を(笑)。

以下、話はだいぶすっ飛びます。

誰か女の子を、腹わたが煮えくり返るほど好きになる経験って、いつ以来してないんでしょう(※2)。
「彼氏(彼女)を作る」という、わりとよく聞く表現からもわかるように、彼氏彼女という関係は友達という関係と、そう大きく変わらないのではないか。
相思相愛が盛り上がった結果が恋人同士で、その先が結婚なんて幻想。
あるタイミングでお互いフリーで、嫌いでなければまぁ付き合ってみよっかな→彼氏彼女発生。まぁ、実際ここまで軽々しいことは無いにせよ、重々しくも無いであろう。
そのわりに「彼氏(彼女)がいる」という事実は、他からはある種の不可侵な位置づけとなってしまいます。
世慣れているかどうかだけで、タイミングだけで、おれはあの子と付き合えないの?おれはあの子のことをこんなにも好きなのに(※3)。

僕が、その昔の愛読書が少女マンガだった人だからかもしれませんが、とにかく基本思想は純愛一直線なのです(そこ、笑わないように(笑。
でも、マンガみたいな「遠くから見ているしかなかったあの人が偶然にも自分のことを好きだった」のようなマンガ的展開が現実には絶対にあるはずが無く、現実は、現実的にグループでの集まりから始まり、裏から彼氏がいるかいないか探ったり、友達に頼んで各種チャンスを作ってもらったりと言った現実を経た上でなければ成し得ないのです(あ、フツーの人の場合)。

さて。こうした現実に直面し続けた人はいったいどうなるのでしょう。経験値が上がって現実を対処できるようになる人もいるかもしれません。でもそうした現実に打ちのめされ続けた人が行き着く先が・・・

やっと話が戻ってきました。その行き着く先のひとつが「萌え」なのではないかなぁと思ったわけなのです。
あれ、長々書いたけど要するに現実逃避ってことか(汗。でも。
「恋人」ってのがそんな世俗にまみれた現実の成れの果てでしか無いのなら、おれはもういいや萌えでいくよ。仲間もたくさんいるし。
という風に突き進む思考ルーチンは、不自然ではないように思うのです。

というわけで、萌えに萌える人たちについて「えー?」感があったのですが、ここのところきしめんを繰り返し見ていて、で、出演の萌えな女の子たちがゆくゆくはエロなことになっていくのだなーというところと、上で書いたような彼氏彼女感とが絡まりあって、なんだか突然、萌えに萌える人たちがすごく理解できるようになったのです。萌えは裏切らないもんな。

でも。やっぱ生身のオンナはいいぜ(笑(※4)。

(※1)「萌え」の定義はよくわかりませんが、なんかアニメのかーいー女の子、くらいの意味で書いています。
(※2)妻子持ちの人の場合「そんな経験それなりの昔以来していない」が正解です。
(※3)自分が相手をどれだけ好きか、もさることながら、相手がどれだけ自分のことを好きかが肝要であることを[過日のバレンタインに職場のメガネっ娘の人からチョコをもらえなかった(他の何人かにはあげてたのを目撃してしまった)悲しい経験より]痛感しました。
(※4)ラブドール(昔で言うダッチワイフ)風俗なるものにはさすがに「えー?」感ですがお店の営業が成り立っているようなので需要があるんでしょうねぇ。

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