みんながいつも笑顔でありますように

私と家族と脳腫瘍G4の姉と

代替医療

2009-02-14 | 病気の話 
代替医療についてどう思いますか?
先生にも相談しましたが100%西洋医学、科学の先生にはどうにも信じられないみたいです。

ただ、、私が経験したことをお話させて頂くと・・
まず夫さんのお母さんが、卵巣ガンから5年以上経過してから再発して膀胱ガンになり、
「腹膜まで広がって手術のしようがない、抗がん剤が効かなければ、もって1年でしょう。」
という宣告を受けた時、お母さんの家族も夫さんも私もすがりついたのが、
東洋医学・代替医療でした。
漢方専門の病院に行ったり、またネットで色々な代替医療を調べました。
そこで最終的にチャレンジしてみたのが、
「乳酸菌酵素抽出エキス」
これは、末期の胃ガンで余命3ヶ月を宣告された方の闘病記を読んでいて
「西洋医学に見放されてこの代替医療に出会った」と紹介していたので
早速、この方とコンタクトを取り紹介して頂いたのです。

あと、ためしたのが、
・玄米を時間を掛けてじっくりとフライパンで乾煎りして飲む玄米茶。
・根菜スープがガンに効く、とあらゆる根菜を煮込んだスープ
 (西洋医学に頼らず、これだけでガンを克服した知人がいて・・びっくりですけど)
・野菜ジュースも体にいいと、毎日飲んでいました。
・あと毎日数滴プロポリスも飲んでましたっけ。
  (我々がオーストラリアに住んでいる事もあって安く手に入るもので・・・。
   これで末期ガンの方が克服した、という話を知人から聞いた事あります。
           →でもかなりの量を飲んでました。1日3本かな??)
もちろん、それだけではなく毎日好きな物・おいしい物もたくさん食べてました

結果、夫さんのお母さんは今ではガンがすっかりきれいに無くなって、
再発の恐れはもちろんありますが、元気にやっております。
このおかげかは分かりません。抗がん剤がよく効いたおかげかもしれません。

そして姉の場合は・・・
やっぱり現代の医学では完治できない病気であり、更に余命まで宣告され
西洋医学でもやれる事は限られている、と言われた中で辿り着いたのが、
「両分子フコイダン」

姉が宣告された日、一晩掛けて辿り着いたのがこれでした。
それからも夫さんと私で調べ続け、手術をしてから約1ヵ月後に飲み始めました。
医学会でも研究が進んでおり色々な論文がだされています。
そこの研究員の方や医学博士の先生ともお話をしましたが、
「何の効果もなければ、8週間をメドに止めた方がいいです。
 人によって合う、合わないもありますから」
と念を押されつつ、「物は試し」で始めたのでした。
味はウメジュースみたいで姉も気に入り、
水分が思う様に取れない時期もそれだけはおいしそうに飲んでました。

夫さんのお母さんの例もあるし、やっぱり「藁にもすがる思い」というのでしょうか。
ただ、こんな思いの患者や患者家族に付け入る
悪徳業者もいると聞いているので気を付けなければ、とも思っているのは事実です。
先生にもその事は注意されましたし、姉は糖尿病なので
「両分子フコイダン」の成分を先生にチェックしてもらってから飲まなきゃ、
と相談に行ったのですが、
「効かないと思うよ。でも気持ちの問題だからね」(ニッコリ笑顔)と言われました

年末年始は迎えられないと言われた姉が、
抗がん剤、放射線の副作用もあまりなく、今も小康状態を保ちながら
元気にモリモリご飯を食べている事や、風邪一つ引いていないこと、
糖尿病も悪化していないこと、たくさん良い事が起きているので続けています。
そして、これからも西洋医学にもお世話になります。
代替医療、東洋医学、西洋医学。
何が良くて、何が悪いのか。
情報が氾濫している中で、正しいものを選択する事はとても困難です。
ただ・・・・・我々は信じて進むのみ、と突き進んでおります!

賛否両論、信じる・信じないと色々だと思います。
難しいですね。

何しろ、何をするにしろ
1番は「”治る”という信じる気持ち」を持つ事なんですよね!

10月6日(月) 放射線科の先生のお話

2009-02-14 | 病気の話 
初めての外泊を終え、朝早く病院へ戻り、
その後これからの治療について放射線科の先生とお話をしました。
とーっても穏やかな優しそうな熊みたいな先生。
35分位の説明でした。

・どうやって照射をかけていくか(今はパソコンで細部まで計算するんですね!)
・黒目の所は掛からないようにするけれど、万が一掛かってしまうと視力が落ちる事
 (もしくは失明をしてしまう可能性もある事)
・先の長い話で10年後、20年後だけれど、白内障になる可能性がある事
・物忘れや、思考力が一時的にではあるけれどしばらく落ちてしまうかもしれない事
 (もう既に以前の様ではないけど、それ以上にひどくなるおそれあり)
・照射を掛ける場所は軽度の火傷、もしくは日焼けした状態になるので黒くなってしまう事
・化学療法との併用により吐き気などの副作用が発生する可能性がある事
・髪の毛、眉毛がぬけていく事

かなり深刻な話。
でもそれに同意をしてサインをしてからの治療となっているから
先生はとてもゆっくりと分かるまで何度も説明をしてくれました。

母はちょっと目をウルウルさせており、
私は怖い話だな・・と思いながらメモを取っていたけれど、
当の本人は「ハイ、ハイ」と聞いており、
「何か質問は?怖くない?大丈夫?」の先生の質問に対して
「怖くないです。髪が抜けてしまう事も今度生えてくるから大丈夫です。
 火傷の跡も消えるから大丈夫です。 ただその治療は痛くないですか?」
だけでした。
先生も笑顔でした。
自分の状況を重く受け止めておらず(受け止められないのか?)
かと言って後ろ向きになっている訳ではない様子。
病室に帰ってから今後の治療について話をしていても、
「吐き気があるのがヤダー!」とそれだけ言ってました。
とにかく前向きなので良かった

化学療法(テモダ-ル服用)・放射線治療は10月8日(水)からの開始
 それから、壮絶な副作用との闘いであろうから、我々は覚悟を決めた1日でした。
 しかし、母曰く
 「点滴の抗がん剤じゃないから、きっと大丈夫だよ
  点滴の抗がん剤は直接だからそれはそれは辛いんだよ・・・
 と経験者の様にシミジミ言うが、
 2回ガンを経験している母だが、こんな治療はした事ないし、副作用の経験もないし、
 「どうして分かるんだい!」としつこく質問をされていた・・・。

あれやこれやとやってますが
今思い返しても随分と呑気だったなー、と思います・・・。

糖尿病はいつ?

2009-02-14 | 病気の話 
話は遡る事、病気発覚数ヶ月前 2008年5月上旬

理ちゃんはもちろん元気一杯、毎日仕事に出ていました。
私はオーストラリアから里帰り中で2週間の予定で実家におりました。

その頃、ちょうど、理ちゃんの会社で定期健康診断が行われており、
 (その時点では病気は発症していなかったと思われます)
「糖尿になりそうだから、食生活に気を付けなさい、って言われたー ぶー
と言っていた事を思い出す。
何故か理ちゃんは家族の中でもヒトキワ体が大きい。(私も小さい訳ではないけど)
それが離婚した頃、ますます大きさが倍増していて・・・ストレス?暴飲暴食

それ以前からもダイエットに励んでいましたが、ますます頑張らねば、と
母にも協力してもらいやっていたのですが・・・、

で、9月の時点でもH内科から「糖尿のけ」と言われただけだったのに
この病気が分かってから、しっかりと「糖尿病」と診断を下されたのでした。

「脳腫瘍」について調べたら  ”「糖尿病」も併発する可能性もある”
と書いてあったので、その事を先生に伺うと
「完璧に病気のせいではありません。以前からあったでしょう!」
と断言されてしまいました。

かくして、「糖尿病」との闘いも始まったのです。
だから、完璧に制限されている病院食はおいしくないんですよね。
時々インシュリンの注射も打たれておりました。

「脳」の病気は「内臓」と違って食べることが出来るから、と思っていたのに
食べることまで制限されてしまった理ちゃん。
しかし、そんな事もおかまいなしさ。
その代わり、先生と周りがやきもきしてるけどねっ
でも先生も 「しょうがないな~」なんて多少は目をつぶってくれてるから いっか
  
入院中は薬の副作用も加わって、食欲がなくても血糖値が上がったり大変だったけど
 今現在は薬に頼ることなく、
 調理師免許を持つ母が食事に気を付けながらやっております。
 今では病気発症から12,3㎏程体重が落ちたみたいですが、
 先生からは「筋肉が落ちてしまっているから運動してくださいネ!」 
 と言われてます。
 だって、食欲はモリモリあるから・・・。いい事か

10月4日(土)~10月5日(月)早朝まで 初外泊

2009-02-14 | 初めての入院
急な外泊でびっくり。
そんな大きな病気をした様には本当に見えない。
手術の影響で腫れていた顔もいつのまにやら2,3日で引いている。
本人が病気を理解していないせいなのか。
「病は気から」というのを本当に見ている気がする。

母は心配だから、と母と一緒の部屋に布団をセットするが
母がかなりの早起きで(夜中の3時くらいからお茶を飲み始める・・・・。)
「ゆっくりできない!」という事で自分の部屋で寝てます。

病院食はおいしくない、といやいや食べていたけれど
うちのご飯はやっぱりおいしいらしく、
すさまじい食欲でございました。。。

テレビも見る。
漫画も「ガラスの仮面」を1巻から読み始め、しまいに
私らから怒られて読むのを止めました。
すげぇーな。
このままこの調子で行ける、と確信した!