みんながいつも笑顔でありますように

私と家族と脳腫瘍G4の姉と

つぶやき

2009-02-19 | つぶやき
そんなこんなで姉は2ヵ月半の入院生活。
当初は2度の宣告を受けて、夫さんのいるオーストラリアへは帰れないな、と思っており
年末年始は覚悟して日本で迎えよう、と話していました。
それが、段々と姉の病状が回復に向かい
「一度帰るなら今しかないのでは」 「これからもっと大変な時が来る」(来ないで欲しいけど・・・。)
母は新婚の私を新しい家庭から引き離してしまっている事にとても心を痛め
「とにかく早く帰りなさい」とそればっかりでした。
そんな事は私も夫さんも全く関係ない、今大変なのは理ちゃん、という思いでしたが、
母親って違うんですね。
という事で、11月26日(木)にこれまた急遽オーストラリアへ戻りました。

バック一つで飛び出してからちょうど2ヶ月目の事。
仕事も放り出して帰国していましたが、(会社も理解してくれていました)
戻った後は私の気持ちが沈むことが多くて職場復帰を今現在でもしておりません。
説明するにもその当時は涙が出てきてしまったり情緒不安定。
あと、これから間もなくしてまた日本へ戻る事になるのかな、とも思っていましたから、
それには私が自由で居た方が何かと便利か、と職場復帰はしませんでした。

仕事に復帰した方がもう少し気持ちの安定が取れていたのかな。
でもその時は、どうにも人の輪の中に入ることが躊躇われてしまったんですね。
オーストラリア=広いというイメージですが、実際、日本人社会は狭く、
あっという間に話が広がっていきます。それが嫌でした。
今思えば・・・少し被害妄想も入っていました、完全に。

母もガンで、夫さんのお母さんもガンで更にうちの姉も・・・で、
中に心無い人は、私の事を
「不幸だね」「何かにとり憑かれてる」と言う人がいまして精神的にやられましたね~。

えー悪霊ってこと??おいおい、勘弁してくれよ~ 
それでなくても大変な現状なのに、不可思議現象を持ち出さないでくれ~
(多分、自分自身は変な事を言っているという感覚もないんでしょうね。)

すごく不安定になりました。
戻ってくる時に
「免税店でタバコを買ってきて安いから」と頼まれたけど、
そんな物を買う気分も余裕もなく、買ってくる事ができなかったら
「それ位どんな状況でも買ってこれるだろう」と怒った人もいました。
 エーちょっと待ってよ・・ おいおい そんな事で怒るなよ~
そんな人っているんですね。もう疎遠になったからいいけど。
今では笑えるけど、その当時は責められて
(それ位買えば良かったのかな)と全く関係ないことで自己嫌悪になったり。

新年早々ちょっとウツっぽくもなってました。
こんなに辛い気持ちは味わったことがない、という位沈みました。
日本から離れてしまったこと、姉や姉を見ている母の事が心配なこと、、
もう本当に自分の事も訳が分からず、
こんな呑気な青い空のオーストラリアに居る自分に腹が立ち、、
何をしていいやら、何もしていない自分に自己嫌悪で、滅茶苦茶でした。
自分を立て直すのが大変でした。

そうそう行ったり来たりも出来ない距離、運賃。
どうしたらいいんでしょう。
だから、今こうして離れていても出来ることを、と思い
色々な事を調べたり、やろうとしているんだと思います。

それからしばらくして
同じような「ウツ」を経験した事がある人に何とはなしに話を聞いてもらったら
症状が改善されて行きました。
「全部やろうとしちゃ駄目だよ。頑張らなくていいんだよ。休むことも必要だよ。」
と言ってました。ありがとう。

今は・・・・大分安定してます。
夫さんと愛犬ビーと信頼できる人とだけ交流しております。
こうして書き記す事で大分私自身落ち着きを取り戻してます。
       
       

あと3週間後に今度は夫さんも一緒に日本へ行きます。
その時は姉と母とみんなで
ディズニーランドにお泊りに行って、温泉も行く計画を立てています
楽しい事いっぱいして、おいしい物食べて脳を活性化させよう!って計画中で
今は私も楽しい気持ちで一杯だし、姉もワクワクしているみたいです。
母にも休んで貰いたいし。
担当医も「楽しんでおいで」と笑顔で「その時も大丈夫でしょう」と言ってくれてます。
そして更にうまく行けば、オーストラリアに母と姉が来る予定になってます
これはまだ分かりませんが!

その後はまた私は長期的に日本に居ることになるのかな。多分。
でも姉の病状が変わった時に、その時に考えます。今は安定しているし!
明日は明日の風が吹くさ!
夫さんも一緒にしばらく日本へ帰ろう、と言ってくれてます。
と言うか、既に「帰る」と意思を固めているみたいなんですが・・・。
大学院を卒業して永住権を取得したばかりだから、夫さんには引き続き夢を継続して
オーストラリアに居て欲しい。
でもそう言ってくれるだけで幸せです。
これからの事はみんなでじっくり話し合って決めていこう。

周りに振り回されず、自分を持って自分の大切な人を守っていきたいと思います。

すみません、今日は何だか愚痴っぽくなりました。
愚痴はこぼさない様にしようと、思っていたんですけど、ちょっと書けてすっきりしました
最後まで読んで下さってありがとうございました。


12月13日(土) 退院の日

2009-02-19 | 初めての入院
命の二度の宣告を受けたにも関わらず、12月13日(土)退院することになりました。
脳の腫れも引いて、その後は順調に治療を続けていたので
「放射線が終了したら、テモダールは自宅で服用を続け、退院しても良し!」
と11月の終わりに言われていたのですが、
でも食欲が落ちてしまったり、水分も思うように摂れない状態の時もあったので
しばらく様子を見るために2週間ほど入院が延びたのでした。
段々と副作用もなくなり、大分暇にしていたみたいですが。

その間に生理ではない不整出血などがあり、「もしや子宮がん?」と担当医に言われ
産婦人科で「子宮がん検診」も行いました。
もし「子宮がん」になってたら、と母と検査結果待ちの2週間の間に話した事もありました。
「もう笑うしかないね、手術して取ってもらおう」と。
もう何が起きても怖くない、淡々としてましたねー・・・・。

しかし、しかしそこまで運命は意地悪ではなく、子宮には何の問題もなかったのでした!
淡々としていたとは言え、やっぱり「問題ない」と言われると嬉しいものです。
良かったよ、本当に。
そしておしゃれウィッグをつけ、通販で頼んだ新しい洋服を着込み晴れて退院
おめでとう
長かったなぁー。
それから病気後初めての外食、と言ってもまだ人込みは慣れないので
病院の8Fにある展望レストランで食事をしたという事です。
ラーメンと半チャーハンを頼み、3分の2くらい食べました。
「おいしい、おいしい」とそれはそれは幸せそうだった様です。
良かった
(おいおい糖尿は大丈夫かい?

これからも大変です 
でも明るく、少しでも長く笑顔でいれますように