勝手にしあわせになってるかも 〜旧、明日はもっとしあわせにするぞ〜!〜

今日はマヤ暦的にはどんなエネルギー?
日々の暮らしの気づきとともに綴るマリマヤ便り

マヤ暦K185 亡き父からのプレゼント?

2020-09-29 22:31:00 | マヤ暦
今回の帰省は、母に昔話を聞くのに
ちょうどいい機会になった。
今までは、繰り返し同じことを話されるのが
嫌だったが、こちらが質問すると
違う話題になることを発見。

亡き父や祖父母の話を
それぞれのキンナンバーを想像しながら聞くと
その思いまで想像できてワクワクする。

両親や祖父母の生き方を知ることは、
自分がなぜそこを選んで生まれてきたのか
気づくきっかけになるという。




ここ数日、父のことを思い出すメッセージが多い。
別に夢枕に立つとか、
そういうわけではないが、
父のキンナンバーと同じK124が
よく話題で出てくる。

そして、ふっと気がついたのが、
幼馴染の大好きな友人の“鏡の向こう”がK124だった。
全然違うタイプに見えるが、
そのことはなんとなく嬉しかった。
父は父であって、
父のことを大好きだとか
思ったことはなかったが、
友人と同じものを持っているとしたら、
好きだったのかもしれない……
と今更ながら思ったりして。




父が40歳の最後の日に、
1トンのショベルカーの下敷きになった。
ちょうど恥骨のあたりだったため、
内臓破裂も両足切断も免れたが、
4ヶ月間入院したらしい。
私は中学生だったが、
入院していたのは覚えているが、
そんなにひどかったなんて知らなかったのか、
ただいつものように忘れてしまったのかは
わからないが、なんにしろ記憶がない。

毎回、こういう事があるたびに
パラレルワールドから来たのかなと思うくらい
何も記憶がない。
反対に、母はいつも昨日のことのように
鮮明に覚えていて
(時々脚色されていくが)
詳しく話してくれる。

その時の事故のために恥骨が少し開いたから、
お医者さんが手術をしましょうと言ったらしいが、
父は自分で治すと言って退院したらしい。
恥骨……とは言わないが、
足の付け根が最近また痛かったのに、
母とその話をしたら、
不思議と痛くなくなった。
「自分で治せる」と自分の体が思ったようだ。


亡き父のことを思いながら、
山を歩いていたら、
懐かしい場所の横を通った。




中学生の頃、一度だけ、
父とワラビ採りにきたことがあった。
道無き道を歩きながら、
夢中でワラビを取っているうちに
父の姿が見えなくなった。
何度も「お父さーん」と叫んだが、
返事がない。
先に帰ったのだと思って、
一人で歩いて家に帰った。

その後帰ってきた父にひどく叱られた。
私がいなくなったと思って、
必死で探し回ったらしい。
怒られながらも、
私を探してくれたことが嬉しかった。
仕事熱心な父で、
構ってもらうことはほとんどなかったから。
心配してくれたことが嬉しかった。

k124黄色い種・白い鏡・音7だった父。
今なら、父のことがよくわかる。
父と母が26歳の絶対反対キンの年に私ができた。
それまで定職につかずフラフラしていた父。
結婚して、一家を養うかどうかという
まさに大きな選択の年になったようだ。
父のガイドキンは「黄色い戦士」




54年前に立ち会い出産というか、
私が生まれないから、
お医者さんいわれて
母のお腹を一緒に押したという。
生まれた「黄色い戦士」(私)は、
「黄色い種」の殻を割って開花させた。
父は仕事一途の真面目人間に変身。
潜在意識の「白い鏡」が発揮されたようだ。
「白い鏡」の反対キンは「黄色い星」(私)

生きているときは
接点がないと思っていたのに、
マヤ暦で読み解くと
深いつながりがあったことに気づく。

思い出にふけっていたら、
「おーい、まりちゃん、帰っとったんけ。
  ちょうどええのがあるで〜。」
と、父の友人のおじさんが、
産みたて卵を2個くださった。
なんだか、天国の父から
もらったような気がした。





昨日のお月様は綺麗だった。

☘️9月30日(水)☘️〜マリマヤ便り〜
K185  赤い蛇・青い夜・音3

交流を広げてみる日。
あなたの中に隠されていたものが、
他人の何気ない一言で、
目覚めるかもしれない。
付き合いや交流を深めて、
ロマンと冒険に生きてみよう。

K185〜K188
先が見えない時は、
気持ちにゆとりを持って歩く。
失意を感じる時も、望みを捨てず、
自分ができることを
こつこつやっていこう。









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