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緩和ケアで行こう

へなちょこ緩和ケアナース?!のネガティブ傾向な日記です。

患者さんやご家族から怒りをぶつけられたら…

2012-09-30 04:09:20 | 日々の「ケア」

 患者さんやご家族から看護師である自分自身を否定されるような言動を受け取るのは、看護師にとってとてもつらい体験です。

 
 そんなつらい体験をした看護師のフォローをしてつらい体験をしてしまった自分自身がいます。
 どうしたものかと…。



 患者さんやご家族が怒りや不満を医療者にぶつけてくる場合、理由はいくつかあると思います。
 ひとつは、単純に医療者の言動を考え直さないといけない時。
 ひとつは、患者さんやご家族の気持ちがめいいっぱいになっているので、医療者に怒りをぶつけることで現状を何とか乗り切ろうとしている時。

 どちらか一方が原因であるってことはめったになくって、この二つの比重はさまざまであっても、織り交ぜられていることが多いのではないかと個人的には思います。



 さて。


 自分が怒りをぶつけられた場合にはどうするのか。


 私の傾向?としては、まずはそれを受け止めちゃいます。
 なんで、この人は起こっているんだろう?って話を聴きながら状況と感情をすり合わせて考えます。
 「そんな感情をもつのは無理もない、自然なこと」と思うところがあるので、自分たち医療者が普段、気が付かないところで患者さんやご家族に不自由な思いをさせたり、感情を傷つけたりしていることもよくあることです。
 不自由な思いや感情を傷つけた引き金が自分以外のところにあっても、チームの一員として自分があるのであれば、それを受け止めるのも自分の役割であると思っています。


 とにかく、話を聴く。
 時間をできるだけ取る。
 話を聴く心構えがあることを、話を聴く姿勢でもって伝えてみる。
 謝罪すべきところは謝罪する。
 怒りの原因が対処しうることなのか、その感情を受け止めることが必要なのかを判断する。


 そして、その場で考えられうる対処を伝えて、そのあとはチームで話し合って、対処をちゃんとチームで共有する。


 ざっとこんなところでしょうか。

 

 これが模範解答とは思っていませんが。


 実際のところ、普段から一生懸命にお手伝いしているのに怒りをぶつけられることがある医療者としては、やりきれない思いもあるのは確かです。



 ナースステーションに帰ってきて、釈然としない思いをスタッフに聴いてもらうこともしばしば。


 愚痴ることだって、あるあるっ。






 ただ。


 こんな場面に遭遇した時の、看護師の反応って本当に人それぞれです。
 看護師の反応に影響するものって、経験年数、年齢、性格、価値観、死生観、その時の体調、仕事に対する思い、その看護師の生育環境、それまでの経験などなど、いろいろあると思います。


 怒りをぶつけられた看護師をフォローするときに、ああ、困ったなーと思う看護師のタイプとしては、「私は絶対に間違っていない」と自分以外のところにすべての問題があり、状況はちょっとした言動などから怒りを買ってしまうことがあると捉えきれずに、怒りをぶつけられたことで完全に自分は被害者となってしまうタイプです。


 


 実際に、ご家族から怒りをぶつけられ、そんな感情を抱いている看護師のフォローをいたしましたところ、今度はその看護師からポンに怒りが向けられることになってしまいました。
 私は状況を把握したいと思い、実際に怒りをぶつけたご家族の一人にもしっかりとお話を聴き、そのほかのご家族のひとりひとりにも声をかけてお話を聴きました。


 そして、自分が判断したところは、やはり、前述したとおり、ご家族が医療者に怒りをぶつけやすい状況であったことと、看護師の普段のかかわり方と医療者がもう少し普段からご家族の感情を受け止めるかかわりをしていたならば、こんなことにはならなかったのではないか、ということでした。



 
 こんな状況ってね。

 誰が悪いってことではなく、チームで患者さんやご家族へのかかわりを見直すいい機会なのですが…。



 

 緩和ケア病棟でのお仕事は、かなりの感情労働を強いられます。おそらく、一般病棟以上のものがあると思います。
 私は、感情労働という言葉が嫌いです。


 まるで、自分の感情を抑えて仕事をするということを強いられているようなニュアンスに聴こえるから。
 でも、今の病棟の現状は、緩和ケア病棟で仕事をしたいと思って異動してくるスタッフはいません。
 だから、彼女たちのねぎらいのために、「ここは感情労働がたくさんあるからね」と声をかけてしまいます。


 
 

 患者さんやご家族から怒りをぶつけられるような場面に遭遇した後の自分の在り様って…。
 その患者さんやご家族に対して「なんでそんなこといわれんとあかんのじゃーーーーっ」って自分自身の怒りをどっかで発散するのもとっても大切。
 そして、周りの者も、「おお、大変やったねー。」「よー、がんばったねー」って声をかけてあげるのが大切。

 でも。
 そこで終わってしまったら、自分たちがどうすればよかったのだろうという視点を見失うことと、患者さんやご家族が聞き分けのない人になってしまい、モンスターになりかねません。


 

 やっぱり、チームには、医療者のつらい感情をお互いが受け止める、ピアサポートの部分は必要だけど、このピアサポートが「自分たちのかかわりに非はない」というスタンスのままではよくないと思う…。


 
 


 そんなこんなありまして。






 大嫌いな言葉のはずだけど…。


 今、必死に感情労働をしているポンなのでありました。

 

緩和ケア病棟は化学療法と無縁ではないと思う

2012-08-26 21:05:21 | 日々の「ケア」

 「緩和ケアがサブスペシャリティ」として緩和ケア病棟で勤務してそれなりの年月が経ちました。


 そういえば、化学療法の現場から離れて久しい…。


 自分は、緩和ケア病棟で主に勤務していますが、化学療法とは関係がないとは一度も思ったことがありません。
 それは、化学療法が症状の緩和を目的として行われることがあるから…という理由だけではなくて…。



 個人的な見解ですが、緩和ケアに携わる者も、いわゆる積極的治療のために用いられる化学療法について、知っておくべきであると思っています。
 そうそう。
 化学療法の最新の知見も含めて、です。



 緩和ケア病棟に勤務していても、化学療法を知っておくことのメリットとしては、
1)患者さんがどのような治療を受けてこられたのかを把握することにより、どんな副作用に苦しんでこられたのかがわかる。
2)最終の化学療法からあまり期間が空いていない時には、副作用のアセスメントと対策が可能になる。
3)患者さんが治療の過程をお話されるときに、だいたいのアウトラインを自分の中で描きながらお話を聴くことができる。
4)緩和ケア科外来を受診された段階で、化学療法を受けておられる患者さんの把握ができる。
 (分子標的治療薬の場合は、内服をされている方がいらっしゃいます。診療情報提供書に記載されている投薬内容をきちんと把握しておく必要があります)
5)化学療法を受けておられる患者さん・ご家族の心身および、経済的な負担がよくわかる。
6)それぞれの疾患でどのような治療が行われているのかの知識が増す。
7)比較的体力のある患者さんが治療に対する意欲を取り戻された時には、適応となる化学療法についてアセスメントできる。


 思いつくまま書いてみたので、十分ではありません。




 
 分子標的治療薬は、これからの緩和ケア病棟にとって、お付き合いが必要かもしれない薬剤ですね…。

 分子標的治療薬を投与している間に悪化しても、続けて投与していた方が、生存期間の延長が見込めるのであれば…。






 それにしても、分子標的治療薬の薬剤名って…。
 一般名にしろ、商品名にしろ…。

 罪作りやなぁ…


 ゲムツズマブオゾガマイシン・・・・・・・・。
 覚えられへんがなぁーーーーーーっ。



 
 


 できるだけ、スタッフにも抗がん剤の副作用について知ってもらいたくて、入院患者さんのレジメンと副作用を考慮した勉強会を行って、情報提供を行っています。


 だって、緩和ケア病棟に勤務していたら、ひょっとしたら、「手足症候群」、そりゃ、なんじゃ????ってこともありうることですから。



 

 現場から離れているとはいえど…。


 こつこつと勉強するしかありませんなぁ。

 

 

手って、臭うんです

2012-08-04 13:18:19 | 日々の「ケア」
 
 田辺さん(仮称)夫妻は、結婚して3年目。

 ご夫婦ともに再婚でした。
 60歳を超えての再婚でしたので、まさに、「これから」の生活を描いておられました。


 ご主人さんが治ることができないがんに罹られ、治療もこれ以上はできないという状態で入院されてこられました。



 脳にも転移があって、会話も徐々に難しくなっていきました。
 奥さんとしては、とてもじゃないけど、受け入れられる状態ではなかったと思います。

 
 奥さんは毎日、面会に来られていました。
 もうすぐ、お別れが来てしてしまう…、そんな状況で、入院されてから、ほんの少しですが落ち着くことができておられました。



 ポンがお部屋を訪れると、奥さんは私に尋ねました。



 「ちょっとー。今、手を握って声かけてたんやけど、私の手に臭いが…。臭いが移ったんです。これって、加齢臭ですかね????」




 これを聴いたポンは、しまったーーーっと思いました。
 手浴ができていなかったんだ、とすぐさま感じました。



 
 しかし、よくよく奥さんのお話を聴くと、これまでに自分が感じている手を清潔にすることができない患者さんの手の臭いについて、とても感心してしまう内容を語られました。




 「この人にはねー、できるだけしゃんとしていてもらいたかったんですー。だから、加齢臭には気ーぃつけやーって、しつこくゆうてて。とくに、耳の後ろはちゃんと洗いやーって言い聞かせてたんです。結構、身なりには気を遣ってくれてたみたいですけど。」


 なるほど。奥さんは実年齢よりは若くみえる。
 奥さんも見た目には気を遣われてきたんだ。
 そんでもって、奥さんの好みではあるけれど、ご本人さんもできるだけ奥さんのご要望に応えるようにしてこられたんだ…。


 お二人の写真を飾っておられたので、それをみて、思いました。





 それにしても、
 加齢臭。。。。。。。。。



 すぐさま、ポンは奥さんに謝りました。

 「奥さん、すみません。その手の臭いは単に手を洗えなくなって、こちらの方がきちんときれいにできていないから臭っているのだと思います。加齢臭ではありません…。」


 なんともかんとも。
 



 
 そうそう。
 日々のケアでは、患者さんの手の悪臭?に遭遇することは珍しいことではございません。
 ただ、その悪臭は、単に手をきれいにできていなかったから、という認識で私はいましたから、この場面ではっと目が覚めた感じでした。




 そうやー。
 お別れが近くなってきたご家族に、手を握ってあげてください、声をかけてくださいっていつも声をかけているのにー。



 
 ベッド上で過ごす時間が長くなり、自分のことを自分でできなくなった患者さんに対して、清潔という観点から考えると、体を拭いたり、お下を洗ったり、髪を洗ったりということはよくやりますが、それと同じく、手をきれいにすることもとても、とても、とても大切なんだということにあらためて気が付きました。



 それ以来。ベッド上で自分のことが自分でできなくなったり、意識が低下してている患者さんの手を臭ってみるということをいつもしております。



 清潔にできていない手というのは、へそゴマほどじゃーござんせんが、やっぱり臭いです。


 
 臭いから、患者さんの手を握れない、臭いけど我慢して患者さんの手を握っているなーんてことがあってはならんと思います。


 お別れが近くなってくると、患者さんの手は、ご家族にとってとても大切な「触れ合いスポット」になるのですから。
 

それでも、励まされたなぁ

2012-07-16 22:31:04 | 日々の「ケア」
 
 ホスピス緩和ケア協会の年次大会に参加してきました。

 今年は霞が関のイイノホールで開催されました。



 年次大会では、総会だけでなく、ワークショップも開催されます。

 ブロック会にも参加しているのですが、年次大会では全国の関係者にお会いすることで、自分の悩みをダイレクトに解決するというよりも、緩和ケア病棟に勤務している方々の苦労をお伺いすることにとても意義があるように感じています。


 いつも、思うのは、自分が悩んでいることは、多くの緩和ケア病棟で悩んでいることなんだ、ということです。


 

 悩みを打ち明けながら、参加者の方の意見を聴きながら、自然に励まされている自分を感じます。
 自分ちの緩和ケア病棟の運営は「ずんどこやぁ~~~~」と思っていても、もっともっと、しんどい思いをして日々奮闘している方のお話を聴くと、まだまだだな、と思うこともあります。



 

 ピアサポートって大切ですね。
 特に、異施設間でのサポートって。

 
 自分のケアに対するエネルギーは、そう高いところにないので、今回の年次大会の参加が大きく自分にとってのエネルギーとなったというわけではないのが率直な感想です。

 それでも、目の前の、明日からのケアに何とか取り組んでいこう、そんな気持ちにさせていただいたことには変わりありません。


 

受け止めるってこととは

2012-07-12 19:49:41 | 日々の「ケア」

 「ポンさんに相談がある…。」
 そう声をかけてくれた、私より人生の先輩だけど、緩和ケア病棟の経験は1年未満の熟したナースさま、Aさん。


 相談とは、病棟で、毎日、頭を抱えつつも、何とかお手伝いをする方法はないかな?と考えている土居さん(仮名)さんとの会話の内容。

 土居さんは、悪液質によると思われる体力の低下と抑うつがみられて、なかなかすっきりとした生活を送ることが難しい状態。
 
 これまでにも、土居さんのかかわりについては、スタッフでたくさん話し合いをして、あーでもない、こーでもない、あーやってみよう、これをやってみようと試みてまいりました。

 ですから、土居さんはただ今、わが病棟では注目の的な患者さんなのです。



 Aさんと土居さんの会話の内容のことで、Aさんはポンに相談してくれました。






 「Aさん、娘さんが妊娠してはるらしくって、今、3ヵ月なんですって。それで、お話をしていると、孫の顔をみれるように、あと、2年、生きれるかな、って言われたんです。それで、私、『がんばろうよ』って答えたんです。これって、本当によかったんでしょうかね。」




 この相談を受けた時の私の最初の気持ちは「嬉しいっ」でした。
 土居さんの状態は決して嬉しいといえるものではないのですが、Aさんがこの相談をしてくれたことがとても嬉しかったのです。



 なぜって。





 Aさんは土居さんのことを思って、必死に考えていたから。
 その場面を思い出すってことは、踏みとどまって、もう一度考えようとしていることだから…。




 土居さんから、あと2年生きれるかなと聴いた医療者は、おそらく、客観的に考えると、それは無理かもしれないと思ってしまいます。
 でも、生きてもらいたい、生きられるといいな、生きるためには何ができるかな、たとえ、2年生きられなくても、何か、土居さんのお手伝いになることはないかな、そんな気持ちをAさんは持っていてくれたのだと、普段のAさんのケアをみているとすぐに感じ取れました。
 ポンも同じくです。



 土居さんから「あと、2年生きれるかな」との言葉を投げかけられたAさんは、きっと、「どうやって答えたらいいのだろう?」と自分がどうこたえるかに必死になっていたんだろうと思います。
 私も、そんなこと、よくあります。
 患者さんのお話よりも、自分がどう、患者さんに対応したらいいのかを考えてしまう、自分がすっかり医療者になってしまう場面だと思います。
 そんなとき、関心は、患者さんよりも医療者である自分自身に向けられます。






 Aさんから尋ねられました。
 
 『ポンさんなら、どう、答える?』て。





 そこのところは難しいですね、返答するのは。
 だって、自分はその場面に居合わせていませんから。想像はできても。




 おそらく、教科書的には、

 患者さん:あと、2年生きられるかな。
 医療者:あと、2年生きられるかなって思っておられるのですね。


 患者さん:あと、2年生きられるかな。
 医療者:2年、生きられるといいですね。





 なーんて応答がよしとされるのかもしれません。

 でも、患者さんに対する返答に、いい悪いとか、こう答えるべきってあるんじゃろか?って常々思ってしまいます。




 会話のやり取りは、普段のかかわりを含めて、患者さんや医療者も含めてその時の文脈によって一定のものってないと思います。

 ですから、Aさんが経験したこの場面を切り取って、いい悪いを判断することはできないと、ポンは思います。




 
 土居さんとAさんとのやりとりには、なるべく、土居さんにとって「当たり障りのない」言葉が選ばれるのかもしれません。
 でも、正解を狙って、形式ばって「あと、2年生きられるかなって思っておられるのですね。」なんて返答したところで、患者さんには「わかってもらえた」とは思えないと思うのです。


 わかってもらえたと思っていただけることを期待すること自体が医療者のおごりなのかもしれませんけど。




 
 私はAさんに返答しました。



 「この場面だけを切り取って、いい悪いを判断することはできない」と。




 私は、患者さんとのやり取りで、ある1場面だけでその患者さんへのケアの評価が決まってしまうとは思っていません。
 何が言いたいかというと、あるひとつの場面でやり取りした言葉が、その患者さんが受け取る医療者への思いのすべてになってしまうことって、おそらくないのではないかということです。




 患者さん、そしてご家族も、ある場面ひとつだけで医療者をみているのではなく、普段の私たちの患者さんとご家族への在り様を意識的に、あるいは無意識的に受け取っているのだと思います。



 ですから、仮にAさんが遭遇した場面で、「がんばろうよ」と伝えた言葉が土居さんにとってつらい言葉であったとしても、「がんばろうよ」と声をかけたAさんが間違っていたとはならないと思うのです。


 土居さんの病気の状態を考えて。自分が土居さんに心から「いい時間を過ごせてもらいたい」と思うのであれば、普段のかかわりの中でその思いは伝えられると思います。
 食事のお膳を運ぶだけであっても、お薬をお部屋に持っていくだけであっても。
 土居さんのところに訪れるときには、大げさな言い方かもしれませんが、常に「何か、お手伝いすることはありませんか。」「私たちはあなたのお手伝いをしたいんです。」という気持ちを込めて、患者さんとのやりとりをひとつひとつ丁寧にしていると、そうそう大きな患者さんと医療者の食い違いってないんだと思うのです。

 もしも、ある人が投げかけた言葉が、地雷を踏むように、患者さんのご気分を害したとすれば、それはなぜかを検証したうえで、チームでフォローすればいいのではないかと思うのです。





 私は、個人的な考えではありますが、患者さんやご家族に「私は医療者として何ができるのだろう?」「医療者として何かしたい」という思いがケアの根底にあるのであれば、患者さん・ご家族との行き違いはめちゃくちゃ大きいものにはならないのではないかと思っています。


 行き違いは、常にありますけどね。
 その行き違いを埋めるための労力は、普段のかかわりによって大きく違うと思うのです。




 


 ・・・・・で。
 Aさんが「がんばろうよ」と土居さんに声をかけたことは土居さんにとってどう受け取られたのかというのは、私たちが判断することではありません。
 土居さん自身がどう受け取ったかということが大切であって、文献に述べられている言葉かけができたかどうかが大切なのではありません。




 私は、当たり障りのない言葉を患者さんに伝えることよりも、その場面に患者さんとともに居合わせて、患者さんの気持ちが痛いほど伝わってきて、悩んで、悩んで、思わず・・・いえ、思わずとはいえ、患者さんのことを思って投げかけた言葉は、
 それはそれでいいのではないかと思っています。


 もしも、それが患者さんにとって「オオゴト」なのであれば、私は喜んで、「じゃ、どうしたらいい?」ってことを必死に考えたいと思います。



 
 患者さんとの心の距離をとることは、実のところ、とても大変なことです。
 でも、患者さんから「それは違うっ」と非難されたとしても、どうしてそんなことになってしまったのだろう?とチームで考えていくこと自体が患者さんとのお付き合いで大切なことだと思います。




 そして。
 何より、私のかかわりは本当にこれでよかったのだろうか?と自分の在り様を踏みとどまって、悩むこと自体が、患者さんやご家族に少しでも近づける一歩だと思います。
 
 
 医療者よがりな表現ですが、これこそが、「受け止める」ということなのではないでしょうか。



 

 日々、鬱蒼としていたポンですが、実のところ・・・・・・・・。
 Aさんに救われました。

 いえいえ。
 土居さんの存在自体に救われたのだと思います。



 感謝。
 


 
 

どないしたらええねんやろか

2012-06-29 22:55:41 | 日々の「ケア」

 こんな病棟、捨てたらぁ~~~~~っ

 そう思うことは常。いえ。しばしばということにしておきましょうか。



 実は、自分が今、所属している病院、病棟というのは、自分が今まで経験してきた病院、つまり組織風土とは全くちがうものを有しております。

 「ありえへん!!!!」ということもよく、あります。


 私自身が、「普通は…。」なんて考えているから、自分がスタッフに対して厳しくなるし、スタッフからの不満を聴くばかりになるし。


 たとえば…。



 「勉強会って、せなあかんの?」
 「時間外に勉強会って無理です」

 
 ってことで、昨年の緩和ケア病棟の勉強会の年間計画は見事に玉砕でした。
 時間外にやるなんてありえないということで、出席率の悪さと「でられない」ということでスタッフに却下されてしまいました。
 何より、勉強会のために協力を求めていた緩和ケア医から「こんな出席率でやる意味がないっ」と匙を投げられてしまったというのが現状。
 年間計画を年度初めにスタッフ全員に伝えていたけれど、「私が知らないところで勉強会がされている」なんて???な意見もでてくる状態で…。




 
 病棟は、とにかく、不満の塊。
 それは、長年、不満が立派な産物になってしまうかのような歴史がありました。


 患者さんのケアを中心に考えるよりも、まず、私たちをみてほしいっ。
 そんなニーズの高い病棟です。




 確かに、スタッフの努力を認めることはとても大切なことですが、患者さんから看護師の対応の苦情がでてくるような状態で、スタッフを支持することばかりのスタンスはとれません。


 
 そうそう。
 こんな困窮する状態の時って、ほんとに解釈の行き違いが多い。

 さきほど、書いた、「スタッフの努力を認めることはとても大切なことですが、患者さんから看護師の対応の苦情がでてくるような状態で、スタッフを支持することばかりのスタンスはとれません。」と、私がスタッフに本当に話したとしましょう。


 けれど、今のうちのスタッフなら、「スタッフを支持することはできない」というメッセージだけが伝わってしまう可能性、大っ。
 


 もちろん、そんなことになるのは、本当にさまざまな原因があるとは自覚していますが…。





 前途多難な、うちの病棟です。
 
 それでもね。
 ちょっと。
 ほんのちょっと。
 蒔いた種は芽を出しつつあるんですがね。

 





 
 ほんまに、疲れますわ。
 

お祭りに同伴

2012-05-05 16:13:42 | 日々の「ケア」

 今日は、昨日とは全く違うような気候でしたね…。
 

 とっても暑かったけれど、「晴れてよかった」と思えた一日でした。


 

 今日は、地元のお祭りにでかける患者さんとそのご家族に同行しました。
 お祭りの会場はポンのおうちからそう、遠くはないので、朝から駐車場を確保&ジョギング・・・・・で会場にでかけ…。

 しかーし。患者さんは地元の人ではなかったので、会場にたどり着くまでに一苦労、いえっ。
 ふた苦労、み~~苦労。




 余談ですが、
 早朝のお祭りの会場もいいものですね、露天は出てるのですが、一眠り中という感じで、ひっそりとしてる。
 でも、昼間のためのパワーを蓄えているかのような風景でした。
 早朝からポンなりに準備をした結果。


 さまざまな方のご協力をいただき、患者さんは無事にお祭りを楽しんで、帰ってくることができました。
 患者さん。
 昨夜は、「遠足前の子どもちゃんのように」どきどきして眠るタイミングを逃してしまったそうです。
 そのあと、朝寝坊ができたようなので、それはそれで、OKかな。
 



 

 このおでかけは。
 この患者さんにとっては、おそらく、ラストチャンスかもしれないと思います。
 



 私。
 患者さんにとってとても大切なイベントの時にはじっとしていられないのよねー。
 


 今日の報酬は…。
 患者さんとご家族が喜ぶ姿をみれたこと、ですかね、これ、手当には変えられません、手当を求めるつもりは全くないです。
 (手当を求めても、でませんから~~~、残念っ←イニシエのギャグかいな)

 
 患者さんとそのご家族と過ごさせていただくことって、自分も楽しんでいるところも多々あるから…。

 私の方こそ、ありがとうございますかなぁ。
 患者さんにとって、いい思い出になることを祈りつつ。



 私にとってもいい思い出になりそうな一日でした。


 

誤解

2012-04-03 00:10:21 | 日々の「ケア」

どうも、病院のトップの方々は緩和ケアというものや、緩和ケアってどんなケアをしているのかということに理解が乏しいと思えてなりません。




緩和ケア病棟に、他施設から入職される方がいらっしゃいますが、その方がすぐに辞めてしまわれます。

やっぱり、原因は何だったのかな?って考えてしまいます。






当初、その看護師さんは緩和ケア病棟で勤務することを希望しているとのことでした。
再度、ポンが話を伺ったところ…。


最初から、緩和ケア病棟に勤務したいなんて希望していない、とのことでした。
長らく、老健施設での勤務が長く、病棟での勤務経験がないので、緩和ケア病棟での勤務にとても不安を抱えておられました。

それでも、緩和ケア病棟でやりたいと思っているのなら、何とかなる、と信じて、いろいろお伝えしました。
その方も、「私にはこういう仕事は向いていると思う…。」と言ってくれたので。



病院を辞めるということは、その看護師さんにとっていいイベントではありません。
病院にとっても同じです。


辞めるとなると、その方とどうして辞めようとされているのか、お話を伺うことになります。



そんな時、うちの病院では誰が何を言った、言ってないということが、当事者同士で大きくずれていることがあります。
いったい、だれのいうことが本当なのか?と首をかしげたくなることが多々あります。

そうそう。
いいイベントではないので、そんなことが起こるのは致し方ないのかもしれません。



ただ、そんなこんなの中。
トップが緩和ケア病棟についていつも、
「あの病棟はゆっくりした病棟だから、じっくりやっていけばいい。いける、いける。」と言っていることがとても遺憾です。


そして、配属された看護師さんは、ギャップに慌てます。

緩和ケア病棟って、患者さんが少ないから、ゆったりと仕事ができるんじゃなかったの?
緩和ケア病棟って、患者さんが少ないから、超過勤務はないんじゃなかったの?


ってな具合で。




看護部のトップの方や病院のトップの方には常々、お伝えしています。
緩和ケア病棟は、そんな楽園のような、「楽な」病棟ではない、と。


私自身は、緩和ケア病棟は確かに、一般病棟に比べれば、患者さんの人数は少ないけれど、必要とされる自分のエネルギーは、救命救急センターと同じくらいのエネルギーが必要だと思っています。
病棟のスタッフのみんなもそう感じているところです。





配属されるスタッフには、緩和をやりたいと意気込んでやってきてくれる方もいます。
そんな方の存在は、とても頼もしいです。

ただ、うちの病院の場合は、そんな方は稀で、「事情あり」で、一般病棟では勤務しづらい方が多く配属されます。
それはなぜかというと、病院が、緩和ケア病棟はゆったりしているところだから、ゆったりと仕事ができる、と勘違いしているからです。

「事情あり」なら、納得できるところもあるのですが、「問題あり」の方も配属されます。
要するに、ほかの病棟で対処しきれないスタッフは、緩和ケア病棟に配属しておけばいい、というような感じ。


「問題あり」のスタッフがいると言い切ってしまうと非常に問題のある言い方になってしまいますが、現実的に、職場にはそんな方ってどこでも存在するものです。




…で、緩和ケア病棟で息長く勤務していただけるのなら、ありがたいのですが、短期間で辞めてしまうってことがあるんですね。


そうすると、「緩和ケア病棟がスタッフを潰した」とうわさが病院に流れます。



病院内での緩和ケア病棟の評判はすこぶる悪いです。
院内では緩和ケアの概念自体が正しく認識されていないということも大きく影響しています。



とても残念でなりません。


辞めたいと言い出すのは大変なことです。
それを切り出さないといけない、その看護師さんにも申し訳ないケースもあります。


でも。
新しいスタッフを受け入れる側としましては、続けてもらいたくて、文献をすすめてみたり、話を聴いたり、緩和ってね・・・ってお話をしたり…、励ましたり。
その労力が無駄になる、このむなしさったらありません。
おまけに、とんでもないうわさが流れる…。




今、緩和ケア病棟はスタッフが不足しています。
緩和ケア病棟ではよくあることなのかもしれません。



人員の配置について、トップに尋ねてみましたところ。

こう、言われました。



「緩和ケア病棟にかわれ、っていったら、それは辞めろってことになるからなぁ…。」



どうしてそんなことになるの????
どうして、そんなことになっているの?????

そこには誤解があるということにどうして気が付いてもらえないのかな…。






病院の緩和ケア病棟に対するビジョンが見えなくなってきています。


毎日、心身ともにエネルギーが消耗していくような感覚。

自分。
よく、イラっとしてる。
最近、よく、
イラっとしてる。


そして、消耗。


この悪循環を断ち切る術が見当たらず、日々の業務に忙殺されています。


悶絶する患者さんを放っておけない

2012-01-08 02:48:35 | 日々の「ケア」

 昨日、横田さん(仮称)が外来にやってきた。


 うちの病院の緩和ケア科外来は残念ながら、マンパワーの不足で外来フォローを行うことができません。
 緩和ケア病棟への入院を受け入れるための外来しかできません。
 ですから、ご本人が外来にやってきても、もともと患者さんを診てくださっている病院でのフォローをお願いして、入院の時期がきたら受け入れるという形をとっています。
 ですから、うちの緩和ケア科の外来は家族診という形をとります。
 患者さんが受診されることはわずかです。


 横田さんは例外でした。

 
 外来フォローができない緩和ケア科外来しか開くことができていない状態では、緩和ケア科外来にご本人が受診されるときには、正直にいうと、私はどきっとします。
 化学療法などの治療ができなくなった段階で早めに受診してくださる患者さんも増えました。
 ご本人やご家族にとっては複雑な気持ちであることには違いないのですが、そのあとの時間の過ごし方を考えると、医療者としては望ましいことだと思います。


 なぜ、私がどきっとするかというと、患者さんがうちの緩和ケア科外来を受診されるときには、横田さんのように「例外」の場合があるからです。


 それは、もともと治療を受けているまたはかかりつけ医としての病院があるにもかかわらず、入院を希望されて受診されるからです。
 理由は、ひとつ。
 
 かかりつけ医となる病院から十分なケアを受けることができないから。




 横田さんがそのような感じでした。



 外来の診察室にご案内するために声をかけた時、横田さんの表情はこわばっていました。
 このままでは診察室へ歩くのも難しいのでは、と思えたので、すぐさま車椅子を持っていきました。
 横田さんは、車椅子に移るときに、「あああああっ」と大きな声を出しました。

 痛くて痛くて、悶絶しておられました。


 診察室に移っていただいた後、事情を伺いました。


 ご家族はとにかく、うちの緩和ケア病棟での入院を希望されていました。
 
 正直にいうと、うちの緩和ケア病棟では緊急入院の受け入れはないので、困り果てました。
 うちの外来を受診される前日、この地域のがん拠点病院である病院を受診されておりました。そこには、緩和ケア科外来があります。
 しかし、その病院の緩和ケア科外来を受診されることなく、なんらかの痛みに対する手立てが施されることなく、当院に紹介となっていました。
 その、前日。
 ご本人にその病院の医師から説明がありました。
 
 「もう、治らないのだから、残りの時間を大切にするために、緩和ケア病棟に行きなさい。」
 

 横田さんはがんであることは知らされていましたが、「治る」と思っておられたそうです。
 
 前日に相当な衝撃を受ける説明を受けられたその翌日。
 痛みに悶絶しながらうちの外来を受診されました。




 緩和ケア医とともに、ポンは唸りました。



 時間は17:00を過ぎている。


 どうも、痛みとともに吐き気を訴えておられる。ひょっとして、肝臓がんなので、血腫で肝被膜が伸展されて嘔気を訴えているのでは…、ひょっとして、予後がすごく短いのでは…。


 緩和ケア医は一般病棟への緊急入院を考えていました。
 病院のシステムとしたら、それが筋ですが…。


 病院の現状と、3連休を考えると、一般病棟での緊急入院よりも緩和ケア病棟への入院が妥当だと、私も緩和ケア医も判断しました。




 病棟に連絡を入れて、緩和ケア病棟での緊急入院を受け入れました。

 病棟は緊急入院の受け入れで、どよよーんとした雰囲気。
 入院の受け入れを手伝ってくれたのはとてもありがたかったけど、受け入れを担当してくれるスタッフは誰もいなかったので、ポンが担当することになりました。



 そして、検査をした結果。
 横田さんは、高カルシウム血症、高アンモニア血症であることがわかりました。
 疼痛は治療で入院後1時間で、半分に減りましたが、予後としてはかなり厳しい状態。
 翌日である、今日、昨夜を七転八倒しながら過ごした横田さんは、ご家族との話し合いによって、鎮静になりました。



 緩和ケア病棟のスタッフからは、緊急入院の受け入れがあったことに非難の嵐。
 




 この経過で思うことが多々。


 


 うちに紹介される前に受診されていた病院ではなぜ、何もケアがなされなかったのか。
 苦渋の決断であったにもかかわらず、非難という形でスタッフから業務優先の意見が出たことへの悲しさ。


 


 横田さんにできることは限られていますが、あの悶絶するような状態でご家族ともに、悲鳴を上げるような時間を過ごさなくて済んだということに、今回の入院はこれでよかったのだと、受け入れは間違っていなかったのだと、私は思います。
 ただ。


 周りには不穏な空気が漂います。

 それは常に漂っていることで。
 



 横田さんが今晩、少しでも楽な時間を過ごせることを願いつつ…。






 私の今の病院でのモチベーションは底をつきつつあり、限界を感じています。
 四面楚歌です。
 患者さんが前病院で何らかのケアを受けられなかったことはとても、とても残念ですが、それよりもスタッフの反応がとても悲しいです。
 

 
 

もしも。

2011-11-26 23:05:38 | 日々の「ケア」

 症状というのは、主観的なもの。
 確かに、つらそうだな、というものは、外見や画像でみえるには、みえる。
 だけど、客観的なものが示すものがその人にとっての、つらい症状のすべてではないことは、緩和ケアをやっていると容易くわかります。


 患者さんにとっての、症状のつらさ。
 その人が苦しんでいる症状そのものを、コピーしたかのように、100%そのままで、理解することは、その人ではない以上、無理なことだと思います。

 だからといって、理解できない、と諦めてしまうことは、ケアに携わる者にとっては、ご法度。



 今日、ふと、思いました。



 その人の、苦しい症状を。
 たとえば。
 10秒ルールで、そばにいる人が経験または体感できる何か、システムいや、人間の機能があれがいいのに…、と。


 経験または体感できるのは、感覚のこと。
 患者さんとそっくりそのまま経験してしまうと、10秒でもえらいことになる可能性があるから。


 
 さて。果たして、こんなシステムが人間にあるとして、経験したくない人もいるだろうに。
 その時には、経験させてもらう側が選択できるとして。
 

 
 そうしたら、今の医療や緩和ケアはもっと、もっと、患者さんのニーズにお応えすることができるのかしら…。



 おそらく。
 答えは、No!でしょうなー。
 



 自分が、相手が経験していることそのものを経験していなくても、相手のことを気遣って、または文献や先駆者さんたちがどう言っているのか、などをいろいろ加味して、相手の経験を理解しようとし続けることが大切だからでしょうなー。


 ひょっとしたら、患者さんの感覚そのものを、経験できても、残念な医療者なら、「そんなはずはない」と判断してしまうかもしれない…。


 子宮がんや卵巣がんの患者さんの気持ちは、男性には全く分からない。
 前立腺がんなどの患者さんの気持ちは、女性には全く分からない。

 そんなことはないはず…。




 私は、患者さんのつらさを、どんな感じだろう?と本気で同じ感覚に置かれてみたいと、個人的な興味範囲で思うことがあります。
 もちろん、それがないと、ケアできないということはありません。

 本当につらそうにしている、または、つらいと判断できるけど、ケロッとしている患者さんをみていると、同じ感覚をもらえないかな?と思うことがある…。


 
 あまりにも簡単に、自分以外の人のことを理解できることが、もともとの人間の機能に備わっていると、人間の他者に対する思いやりって、意味がなくなるのかもしれません。
 
 過不足なく、相手を思いやったりお手伝いをしたりすることは、本当は不可能かもしれません。

 でも、過不足があったら、もう一度考え直して、またやってみる。
 そんなやり取りが、医療または看護に必要とされているのだと思います。



 それが、対象が「人間」である、医療または看護の定めだと思います。


 

 

むくみのプロ

2011-11-08 21:34:55 | 日々の「ケア」

 今、リンパ浮腫について、学んでいます。

 今までに患者さんにリンパ浮腫のケアを何度か、行ったことがあります。
 文献をいろいろ読んでみて、圧迫療法については、スタッフの手を借りて、包帯を巻く練習をしたりしながら、なんとかやってみてましたが、ちゃんと学んでみたい、という気持ちになってきました。

 本当は、昨年、学びたかったのですが、残念ながら選考に落ちてしまい、今年、再チャレンジしたところ、何とか学ぶことができることになりました。


 今は、理論について学んでいます。
 これまでに文献で読んだことや、別の研修に行って学んだことが、一気につながって、はっきりと理解できたように思います。
 うーん、納得☆ということもいくつかありました。

 リンパ浮腫に関心を持ち、リンパ浮腫の患者さんの治療を行っている医師からのお話も興味深いものがありました。




 リンパ浮腫の患者さんのケアをしようと思ったら、リンパ浮腫以外の「むくみ」についても知らないといけません。
 それは、治療法が違ってくるかもしれないからです。
 
 むくみをみたら、それがリンパ浮腫かどうかを見分けることが必要、ということです。

 むくみの原因にはいろいろあります。

 そこで、思いました。
 
 ああ。リンパ浮腫のケアに携わっている方々は、要は、「むくみのプロ」なんだなーと。

 
 
 リンパ浮腫と診断するには、医師が一緒にケアに参加してくれることが望ましいと思いますが、自分も何とか、その診断ができるようになりたいと思います(診断ができる技術を持つ、ということね…)。

 
 

苦しむのが仕事

2011-10-12 23:38:26 | 日々の「ケア」

 今、病棟全体が、ある患者さんのことでとっても悩んでいます。


 正直に言うと、その患者さんやご家族とのお付き合いに疲れたな…。
 そう思うことがあります。
 それは、私だけではなく、どのスタッフもそう思っていると思います。


 原因は患者さんのことなのだけど、病気である患者さんに非はないのですが、何とも、どこにもぶつけようのない気持ちになっています。


 先日も、長時間にわたり、医師とご家族が話をしているところに同席しました。


 ご家族も、とてもとても心を痛めておられます。


 
 そんなときに、医師は言いました。
 
 「緩和ケアでは、患者さんのために、苦しむことも、僕たちの仕事です…。」


 確かに…。
 そこんとこ、なしでは、痛みを感じることもできないだろうし、私たちにできることは何だろうか、という考えにも及ばないのかもしれません。 
 苦しいという感覚は、患者さんやご家族があってのことです。


 そうだよな~~~って思っていた矢先に。



 医師が、カンファレンス室でぼやいていました。


 「ああ、しんど。なんでこんなにしんどいんやろなー。」



 ポンは、心で、「せんせ、苦しむことが仕事、ゆうてたやん!」と咄嗟に思いました。

 そして、思わず、口走ってしまった、私。


 「先生は、この前、苦しむことが僕らの仕事です、ゆうてはりました…。」




 おいおい。
 せんせに対して、喧嘩、売っとんのか…。
 


 
 
 そうそう。

 理不尽なんですなぁ。


 病気って、そもそも、理不尽です。
 患者さんやご家族にとっても理不尽です。
 もれなく、私たちにとっても理不尽です。

 理不尽だから、みんながじたばたするんでしょうね。
 みっともない姿をさらしたり、言動が乱れたりもするんでしょうね。

 これって、ごく自然なことだと、冷静に考えればわかります。



 でも。
 




 せんせに、オウム返しのように言葉を返してしまった私こそ、疲れているのでありました。


 今、病棟に力がない、そんな感じです。


 思っていることを、後先の考えなしに、意見を受けることもあります。

 
 病棟が、理不尽さに直面するとき。
 私は、病棟の本当の底力がどれくらいあるのかを問われていると思います。


 その底力は、ひょっとしたら、ある瞬間に生まれる可能性もあるかもしれませんが、多くはそんなことはなくて、いろいろな場面の積み重ねで育まれていくものだと思います。


 そこんとこを育めるように、船頭さんになるのが私のお仕事かもしれませんが…。

 船頭さんだけがしっかりしていればいいというものでもないのでは、とも思ったり。


 
 正直にいって、今の自分には「続ける」自信がありません。
 仕方ないです。
 エネルギーが枯渇しているのですから。


 やっぱり、苦しむのが仕事、なのでしょうなぁ。


 どないしましょかね…。
 
 

モチベーション

2011-09-24 06:20:50 | 日々の「ケア」

 緩和ケアをやっていこうと思う、モチベーションって、何なのだろう?


 そう思うことが多い、今日この頃。


 たぶん。
 私は、愚痴ったり、落ち込んだりしつつも、きっと、打たれ強いのだと思う。
 そして、自分にいいようにいい加減なところがあるから、緩急がある程度あって、それはそれ、これはこれって、自分の中で割り切れるところがあって。
 だから、結局のところは持久力があるのだと思う。

 この場面、この出来事。
 しんどかったこと、患者さんやご家族から苦情があったこと。ああすればよかったと思うのに、できなかったこと。

 それに対して、
 自分はどうあればよかったのかな。
 いったい、みんなはどんなケアをしているのかな。
 文献ではどんな風に述べられているのだろう。

 自分の経験と、自分以外のところで語られていることを比較したり、あてはめてみたりして。


 自分がこう変われば、これからのこと、これまでのことは変わるかもしれない。
 いえいえ。変わるなんて、言い過ぎかもしれないけど、ちょっと、心がけを変えるだけで、目の前で起こっていることの、自分の受け取り方が違ってくるかもしれない…。

 

 そう思っていろいろやってきたのだけどねー。



 目の前で起こっていることに対する受け取り方はさまざま。










 自分が思う、緩和ケア病棟でのケアって…。


 ちょっと、話は変わるかもしれないけど。

 本気で、緩和ケアをやりたいのか。
 そこのところで、モチベーションは変わってくるのではないかな。


 一般病棟のケアと比べると、緩和ケア病棟でのケアは、とてもゆとりがあるように見える。
 緩和ケア病棟でも、そんな「ゆとり」を求める声が、ポンが属する病棟では多く存在する。

 「ゆとり」

 それって、何?

 自分たちが満足いくケアを行える時間が確保できること。
 ケアをする自分たちがしんどい思いをしないようにできること。
 
 

 それは、本当のゆとりなのかな。
 まるで、自分たち中心じゃないのか。


 緩和ケア病棟は、一般病棟からみると、時間の流れがとてもゆったりしているようにみえる。
 だけど。


 今、この瞬間を逃したら、次はない。きっと、今やらないと、後悔が残る…。
 今、この時にしっかりと患者さんやご家族としっかり話をしないといけない。
 今、どんなに忙しくても、できるだけ、今までと同じようにケアをしないと、この「今」という時間が損なわれてしまう。「これまで」の時間が壊れてしまう。


 そんなことが多々あるのが、緩和ケア病棟だと思う。



 「時」を大切にしつつ、ある程度未来の時間単位での予測をしなくてはならないこともあるのが緩和ケア病棟。
 それって、ひょっとしたら、救命救急が必要な事態と同じことではないかと思う。


 命の尊さ。
 命の重み。
 命が育むその人の人生とその人の存在。
 その人が必要としている家族などの大切な存在。

 それらを大切にすることは、医療のどの分野においても、決して一致しないことがあるはずがないと、私は思う。



 

 そこで、自分たちとゆとりを求めるのはいかがなものか。
 
 患者さんやご家族はゆとりのない状態で緩和ケア病棟を訪れる。


 だから、医療者にゆとりがなければならない。
 その論理はわからないでもないが、緩和ケア病棟に入院したいと希望している患者さんやご家族のニーズに応えるにあたり、自分たちのゆとりを求める姿勢はいかがなものか。





 緩和ケア病棟というところは、決して、たっぷりの時間があって、ゆとりを持ちながら、余裕綽々のケアを行うところではない。
 緩和ケア病棟は、緩和ケア領域の「救急救命センター」のようなところであるときも多々あるところだと思う。




 緩和ケアをしっかりと理解していないと、結局のところ、モチベーションは底をついてしまう。
 

 緩和ケアって、ゆったりと、どの患者さんにも、ご家族にもゆったりと接して、私たちにも時間がたっぷりあって…。
 
 そんな楽園みたいな病棟が、この世にあるはずがない。
 残念ながら、今のシステムではありえない。



 自分が思う緩和ケア病棟は、そんな感じ。



 だけど、「ゆとり」がないから、私たちはケアをできません、と、スタッフから声が上がった。




 この病棟、どうなるのだろう?
 本当にそう思った。



 緩和ケアを、とてもゆとりのある病棟だと思って、ゆとりがあって当然と思っている姿勢にびっくりした。
 

 自分たちのゆとりを前提に、患者さんやご家族のケアを考えていたら、おそらく、必ず頭打ちがくる。
 それを、組織や管理のせいばかりにしていては、その組織やチームの未来はないだろう。

 ゆとりのない医療は、今の現状。
 その現状は決してよいものとは思えないが、今、ここにないものを求めて、自分たちができないと根を上げるような状態で何が生まれるのだろうか。
 ないものねだりでは、前進はないと思う。

 ないものばかりだけど、あるものをいかに活かしていくのか。
 今、ある資源をどう活用するのか。


 そんな視点がないと、モチベーションは育まれず、モチベーションは誰かが変われば自分のものになる。
 そんな誤解が生まれてしまうのだと思う。







 自分のモチベーションが育まれないのは、自分以外の人が原因である。





 本当にそうなのだろうか。
 


 





 私は、自分の芯から、緩和ケアをやりたい。
 


 でも、やろうとすると、どうも、軋轢しか生まれないみたい。


 


 私は、緩和ケアをやりたい。
 緩和ケアというと、「がん」患者さんというイメージがあるが、緩和ケアの概念は、その患者さんにも当てはめることで。
 
 とにかく、患者さんとそのご家族の声に耳を傾け、一緒に考えていくケアをしたい。



 

 今の自分の属する場所に限界を感じつつ…。
 


 自分の在り方を、今後の自分を見つめなおしているポンなのでありました。


 

 

寄り添うコツ?

2011-08-21 16:43:18 | 日々の「ケア」

 患者さんのお世話をさせていただいていると、私たち自身が無力感を感じることがよくあります。
 
 なにせ、何かの薬剤を使用したからといって、私たちが寄り添ったからといって、患者さんの病気自体がよくなることはないのですから…。


 ああ。
 難しいな…。


 そう感じる患者さんのそばにいると、連日の勤務の疲労が重なり、「疲れるぅ~~」と感じるときもしばしば。

 お部屋に行きたくないな…。
 そんな風に感じるときもあります。

 それでも、そばにいさせていただいている、その患者さんの生きる姿にじかに触れさせていただくことが、どれだけ自分にとっての人間力(勝手に作った言葉です)につながるか…。
 そんなこんなで、やっぱり、患者さんのもとに行こうという気持ちがにょきにょきっと湧いてきます。

 
 死に様は生き様。
 生き様は死に様。

 
 終末期の患者さんに寄り添っているとそう感じることが多いものです。
 「難しい患者さん」とは、たぶん、病態のこと以上に、その方の性格、考え方、これまでの生きてきた歴史や家族関係にあるのではないかと思われます。

 
 医療者として、自分は真剣に患者さんやご家族とおつきあいをしていく所存でありますが…。
 


 これが。
 いつも真剣そのもの、直球勝負では精根尽き果ててしまうことがあります。


 最近、スタッフと一緒にケアをしていて思うことがあります。
 その、「精根尽き果てそうな」状態にある自分が、「難しい患者さん」に寄り添うときに、その状態をどう、捉えるのかということで。


 それは、そんな状況にあっても、「くすっと笑える」場面を見つけること、です。
 そのためには、一緒にくすっと笑ってもらえるスタッフがいることが大前提です。
 具体的にいうと、「おもろいなー」ってことや「かわいいとこ、あるやん」というところを見つけることです。
 思わず、目を細めちゃうような場面ってことでね…。


 どんな状況でも、探せば、状況に慣れてくると、必ずあるものです。
 ま、そのためには、患者さんをよしよししてあげたくなるような愛情を持っていることも大前提です。
 
 
 最近、とっても「難しいな」と思える患者さんがいてはりまして。
 それでも、その方の反応や言葉を発するタイミングをみていると、面白いなーと思えるところがあるんですね。

 つまり、その方が面白くしてくれているというわけではなく、どんな状況にあっても、人間の面白味というものがあるのではないかと…、勝手に考えています。
 患者さんの部屋からナースステーションに帰ってきて、「あはは」と笑っていることもよくあります。
 
 これは、決して、患者さんの尊厳を傷つけるような内容ではありません。


 あははと笑っているかと思えば、ナースコールが鳴って部屋に行き、その患者さんに寄り添いながら、鼻水を垂らして息を切らし、涙でぼろんちょになりながら患者さんのそばにいさせていただいている自分がいます。


 
 いつも直球勝負ではなく、うまく状況をやり過ごす術を持っておくことは大切ですなぁ。

 
 以前に、うちの主任に、その「難しい患者さん」に対するミッションを出しました。
 「主任。●●さんの鼻毛が気になる。今日、切ろうと思ったけど、私はできんかった。様子を見て、切っておくように!せっかくのハンサムな顔が台無しやっ。」と。
 (髭をそるにもタイミングがいるくらい、とってもしんどさが強い患者さんでね…)


 主任も「そうやねーん、気になってんねーん」とげらげら笑いながら、ミッションを快諾してくれ、先日、ミッションは終了しました。
 
 ちなみに一緒に笑っていたうちの主任も、その患者さんのそばで、汗を垂らし、鼻水垂らして涙を流して、その患者さんに寄り添っている人であります。

 

大きなお世話?

2011-05-29 13:33:41 | 日々の「ケア」

 以前に、患者さんの付き添いが長くなっているご家族のことが心配だーという記事を書きました。

 付き添いが長くなるということは、患者さんの病状が思わしくないために、そばを離れることができない状態であることがほとんどです。

 
 ご家族が、患者さんとともに病院で生活されることもあります。
 当院では、付き添いの方に有料ですが、付き添い食を提供することもできますし、夜にはお風呂にも入っていただくことができます。そして、付き添いの方がごろんと横になれるベッドも各部屋に用意してますので、一般の病棟に比べれば、幾分快適に過ごしていただけるのではないかと思います…。

 カンファレンスで、付き添いが長くなっているご家族がいたので、ポンから受け持ち看護師に聞いてみました。
 「奥さんって、家のこととか、生活はどないなってんかな。あれだけ病院にいて、大丈夫かな。ちょっと、奥さんに聞いてみた方がええんちゃうかなー。」

 そこで、カンファレンスに参加していたメンバーから一言。


 「それって、大きなお世話ちゃいますん。」


 

 察するに、他人の家のことなど、首をつっこむもんとちゃう、ということだと思いました。

 正直にいうと、そう言われたことが結構、ショックだったー。
 

 
 果たして、本当に大きなお世話なのだろうか。
 これは、冷静に考えねばなりません。

 私たち看護師が、ご家族の生活を心配することは余計なことなのだろうか。
 
 確かに、私たちが心配したところで、ご家族が患者さん中心の生活を変更することが可能とは言い切れません。
 そこは、私たちにできることには限界があるということをよく、認識しないといけないことだと思います。

 でも、何か、できることはないかな?と考えることはとても大切だと思います。
 ご家族のお手伝いができることは、ゼロではないと思います。

 たぶん、ご家族から、ご家族の生活のことを心配して、それをご家族が「大きなお世話」と捉えたとしたら、それは、私たちとご家族の信頼関係が不十分か、心配に思う気持ちが普段から、態度ででも伝えきれていないのが原因ではないかと思います。
 逆にいうと、ご家族と信頼関係が築けていて、普段からご家族を思う気持ちを言葉だけでなく、何らかのメッセージを送れていたら、「大きなお世話」と捉えられることはないのではないかと思います。


 相手にとって、「負担」「大きなお世話」ということに重きを置いて、患者さんやご家族のお手伝いをしていると、かえってお手伝いできないことがあるのではないかと思います。

 

 私は患者さんやご家族のケアをさせていただくときには、ニーズを探るために、「ぶっちゃけ」で聞いてみることも大切だと思っている人です…。
 もしも、本当にご家族にとって大きなお世話となってしまったら、そこんとこは素直に謝るなり、自分のかかわり方を振り返るなりすればいいのでは…、と思っています。
 自分以外のスタッフが同じように、ご家族に大きなお世話と不快感を与えてしまったなら。
 そのスタッフが心配している気持ちがあるのなら。
 私は喜んで、そのスタッフのフォローをしたいと思います。


 
 とまあ。
 実は、「大きなお世話ちゃいますん。」と言われたことがショックだったので、この記事には私の「感情」がぎゅぎゅっと詰まってしまっています。
 ああ。私の未熟さを露呈しました。
 

 

 大きなお世話という意見をいただきましたが、受け持ち看護師はちゃんとご家族の生活のことを気にかけて、ご家族に話を聞いてくれました。
 
 もやもやは残っていますけど…。
 このもやもやにどう対処したらいいのかが、私の課題です。